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八月三十一日未明に書いた本通信の思いは、九月一日の今も何ら変わらない。 八月に入り、新聞もテレビもあまり見られない日々が続いた。そして、三十日以降は、見る気がしなくなった。 つくづく思うが、我が国の政治報道は見なくともいいのではないか。見ないほうがいいのではないか。 何故なら、我が国の政治は、肝心な課題に取り組んでいないからだ。肝心な課題に取り組んでいない政治の報道をいくら見ても仕方がない。 目をつぶれば世界は無くなると思っている者が、目をつぶっていれば、この者の報告をいくら聞いても世界はわからない。これと同様だ。 誰がなんと言おうと、我が国国政の最大の課題は、北朝鮮に拉致された日本国民の救出である。 これは、単に拉致された被害者の救出にとどまらず、「国家回復」という大問題といえる。 政見放送では、判りやすくするために、黒沢明監督の「七人の侍」を例に出して語った。例の、野武士に収穫物や娘を奪われている村が、七人の侍を雇い、そのもとで野武士と戦い村を守る話だ。 村にとって、七人の侍は、「法と正義と力」の象徴である。この侍と共に村人が村を守るとき、村は「国家」になる。 では、現在の我が国は、国家か。 領土は奪われたまま、さらに、奪われようとしている。 財は「賠償金」という名目の支払機で近隣国に流される。 国民は北朝鮮に拉致されている。 これらの事態を全て放置している現在の我が国は、七人の侍が来る前の、野武士におびえる惨めな村に過ぎない。 国家ではない。つまり、我が国には「法と正義と力」がないのである。 国家に「法と正義と力」がなく、国民が拉致されているのに、「救出」の議論もない。 国政の責務は、国民と領土を守ることである。 この責務の自覚無き現在のマニフェスト選挙に、「国家戦略」を語れるはずがない。 我が国における「国家百年の大計」である教育の崩壊は当然の帰結である。 実に、拉致被害者救出は、国家百年の大計にかかわるものといえる。 そこで、私のこの度の選挙の課題は何であったか。 拉致被害者の救出であった。 「誰がなんと言おうと、拉致被害者の救出は、国政最大の課題」だと街頭で、演説会で言っていた。堺では、この私の言葉が、多くの方の耳に入ったと思う。 この課題は、「国が国民に何をするか」を競い合うマニフェスト選挙では取り上げられない。 何故なら、この課題は、「国民が国に何ができるか」と問いかけてくるからである。「七人の侍」の村人が侍と共に竹槍を持って立ち上がる段階にまで、国家を回復しようとする課題だからである。 思えば、私の選挙は、国民の義務のうち「国防の義務」を強調する選挙であった。それ故、スイス政府が、全国民に配布している「民間防衛」という本を演説会に持参するのを常とした。そして、言うのである。 「何故スイス政府は、この本を国民に配布するのか。それは、スイス国民がスイス防衛の主体であり、全てのスイス国民にスイスを守る義務があるからだ」 そして、続ける。 「我が日本もスイスと同じだ。我々日本国民には、日本を守る義務がある。従って、拉致された国民の救出は我々の義務だ」 また、選挙序盤が過ぎた頃から、マスコミは一斉に民主党圧勝を謳いだした。 そこで、保育園や幼稚園の先生方に、次のように訴え始めた。 「いよいよ、幼児教育が一手に我が国の教育を支えることになります。 何故なら、先生方が目の輝く子供たちを送り出す小学校以上の教育課程では、教員は労働者だという左翼系労働組合の支配がさらに強まるからです。 三つ子の魂百までということを信じ、小学校入学以前の子供たちの魂に、日本の歴史と伝統のすばらしさを伝えてください。 日教組の影響のない幼児教育が、国のために、その子の人生のために、一番重要なのです」 「『強い日本』、『誇りある日本』をつくりましょう」 以上、私の選挙が、マニフェスト選挙とは違う次元であり、そこに、日本人の魂、大和魂からのご支援をいただいているのを確認し、改めて、使命を自覚させていただいた。 よって、この度の選挙、まことに意義深く、感慨深い。 チャーチルも、使命を自覚して「荒野の十年」を過ごした。 チャーチルにこの期間があったから、 英国はバトル・オブ・ブリテンを乗り切れた。 私も、使命のため、日本に感謝して荒野で過ごす。 皆さん、まことにありがとうございます。 西村眞悟 ホームページ http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=450 |

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