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隠された日本の歴史
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No.4ベストアンサー20pt>何かどこかで「昔の竹島の位置と今の竹島の位置はずれてる」とかなんか・・・言ってた気がします。
それは、当時「竹島」や「石島」と呼ばれている別の島を、今の竹島(独島)と混同している為だと思います。 また、江戸時代の日本は竹島(独島)を「松島」と呼んでいました。 1900年に大韓帝国は鬱陵島を調査して、↓の勅令を出しています。 「鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正するの件」 第一条:鬱陵島を鬱島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し郡等級は5等にすること 第二条:郡守は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島(鬱陵島の北東に位置する竹嶼)、石島を管轄すること 韓国は、↑と、韓国の方言で「石」と「独」の発音が同じことから、石島=竹島(独島)だと主張しています。 他には、竹島(鬱陵島の北東に位置する竹嶼)=竹島(松島)と思っているという可能性です。 しかし、1899年に大韓帝国学部が作成した「大韓全図」にも竹島は記載されていません。(画像参照) また、その本の中で、「鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までである」としています。 (竹島はその行政区の外、131度55分にあります。) 以上から、当時の韓国は竹島(松島)が存在する範囲を領土としては認識していなかったと考えられます。 その後、1905年に島根県が竹島(松島)を領土として編入しましたが、韓国はこれに抗議をしていません。 韓国の外交権が日本に移ったのは同じ年の11月ですが、竹島の編入は2月22日なので、抗議はできる筈です。 (実際、韓国は、日英同盟における韓国の地位の件で1905年10月17日に抗議をしています。) 韓国の反日の原因ですが、戦後の教育に問題があると思います。 朝鮮は、過去に失政で国を破綻させてしまい、日本に併合による救済を求め、日本はこれを受け入れました。 併合時の日本の施政ですが、差別も略奪もしておらず、朝鮮人の暮らしは前よりも良くなりました。 (日本人と比較して、民度が低かったので、若干の権利の制限はしていたようです) 戦争後、連合軍は、独立させた朝鮮の指導者を決める必要を、感じました。 しかし、日本の教育を受けた者は使えないので、併合時に上海にいた亡命政権(自称)を使うことにしました。 彼らは、亡命時、自分が朝鮮の正統な政府だと主張していましたが、世界から相手にされていませんでした。 (たいした活動もせず仲間内で権力争いや、犯罪で資金稼ぎをしていたので) そんな経緯で功績も無く、権力を得た彼等が恐れたことは、日本の統治の方が良かったと言われることです。 (実際、日本の方が遥かにマシでした) それを避ける為に、新政府は独立前から世界中で日本と戦っており、独立はその成果である。 また、昔から朝鮮は優れた民族で栄えていたがそれらを妬んだ日本が侵略し奪っていった。 今、韓国の発展が遅れているのは、その為であるという、捏造教育をし続けました。 その結果、韓国人は反日思想に染まり、今更、それらは嘘でしたとは言えない状態になってしまっています。 解決策ですが、まず日本が正しい知識と立場に基づいて、はっきり意見を言うことだと思います。 これを言うと、「友好」とかう頭がお花畑の人たちが湧いてきますが、「友好」とは国益の為に保つべき状態であって、友好そのものは、国家の目的になりえるものではありません。 国家に真の友人はいません。 個人レベルでは、親日的な韓国人でも、日本人に対して被害者で道徳的に優位な立場だという優越感を持っています。なので、何かきっかけがあると爆発し、これらをネタにして自分の要求を通そうとします。 歴史認識が国により違うのは当然ですが、そもそも「歴史認識」は事実に対する解釈です。 しかし、韓国の場合はその「事実」自体が歪められていたり、なかったことになっている為、彼らと議論しようにも共通の事実という前提が存在せず、感情論になってしまいます。 譲歩すすれば、彼らは自分の「正しさ」に自信を持ち、更に譲歩を要求してきます。 このような状態では、真の友好は存在しえません。 |

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日中情報戦フラッシュ 百人斬り競争とは
昭和十二年夏、支那事変がおこりました。日本軍は北京や天津をつぎつぎ攻略していき、八月には じまった海での戦いも、十一月には日本軍の追撃戦となりました。そして、十二月一日、首都南京の攻略が決定され十三日、南京が陥落しました。 国内は戦勝に沸き、それに呼応するかのように、十一月末から十二月にかけ、毎日新聞にふたりの将校の華々しい記事が載りました。 記事とは、どちらが早く中国兵百人を斬るか競争が行われているというものでした。向井敏明少尉と野田毅少尉のふたりが、毎日十数人の中国兵を斬りながら南京に向かっているというのです。 そのころの新聞には、このような創作記事がよくみられました。ヨタ記事だと批判されもしましたが、戦争のさなか、戦意昂揚の記事だとして、深く受け止められることもなく、若いふたりの将校の名は有名になりました。 ●『中国の旅』が伝えた百人斬り競争 それから二十数年経過した昭和四十六年、朝日新聞の本多勝一記者が「中国の旅」という連載のなかで百人斬り競争を取り上げました。 そこに書かれたものは、毎日新聞が報じたものとも、南京の軍事法廷のものとも違っていました。 ふたりは上官の命令で殺人ゲームを行い、百人斬り競争を三度も繰り返した、と書いてあるのです。 その記述に対して、ただちに作家の鈴木明が疑問の声をあげました。 そして鈴木明は、ルポルタージュという手法により、百人斬り競争がまったくの虚構であることを明らかにした上、毎日新聞の創作記事がもとにふたりは裁判にかけられ、毎日新聞の記者が創作を認めなかったため、ふたりは死刑になったと明かにしました。 それらをまとめた『「南京大虐殺」のまぼろし』は大宅ノンフィクション賞をもらうとともに、ベストセラーとなりました。 百人斬りが架空であることは、そのころの代表的な評論家や作家だけでなく、小田実など左翼文化人も認めることとなりました。 向井少尉遺書(抜粋) 「我は天地天命に誓い捕虜住民を殺害せる事全然なし。 南京虐殺事件等への罪は絶対に受けません。 死は天命と思い日本男児として立派に中国の土になります。 然れ共魂は大八洲に帰ります。わが死を以て中国抗戦八年の苦杯の遺恨流れ去り、日華親善、東洋平和の因となれば捨石となり幸いです。 中国の奮闘を祈る。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳、死して護国の鬼となります」 野田少尉遺書(抜粋) 「俘虜、非戦闘員の虐殺、南京虐殺事件の罪名は絶対にお受けできません。 お断りいたします。死を賜りましたことについては天なりと観じ命なりと諦め、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。 今後は我々を最後として我々の生命を以て、残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代えられん事をお願いいたします。 宣伝や政策的意味を以て死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨み晴らさんが為、一方的裁判をしたりなされない様祈願いたします。我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来することを喜ぶものであります。 何卒、我々の死を犬死、徒死たらしめない様、これだけを祈願いたします。中国万歳、日本万歳、天皇陛下万歳」 百人斬り訴訟を支援する会 ★南京大虐殺の嘘 「南京戦」という一般的な局地戦があったのは史実だが 「大虐殺」などというものは存在しない。 南京大虐殺とは東京裁判のために作られたフィクションである。 【普通にオカシイ】 ・原爆被害者ですら数十万人なのに『一軍隊が30万も殺害』するのは不可能。 ・そもそも『20万人しか居なかった街で30万人』が殺されるわけがない。 ・仮に南京市に30万人がいたとして、それだけの人数が順番待ちでもしてたかのように 『30万人全員が逃げずに殺される』などという話は現実的にはありえない。 ・避難中の民が急に『戦闘地区に戻って来て』死者数が30万に増加など論外。 ・30万人虐殺の一ヵ月後に『30万人が街に帰ってきたから人口が元に戻った』 という中国の主張は不自然で整合性に欠ける。 ・死んだはずの南京市で、元の人口相応数の子孫が生まれている。 ・中国政府が『30万人は政治的数字だから変更できない』と公言したことが ある。中国国内の政治的数字など日本には知ったことではない。 ・『大虐殺』の定義が不明。南京戦という局地戦における戦死者でまともに 確認されたのはせいぜい2000人と一般戦闘並み。それを『大』とするなら 妥当な規模ではないし、『虐殺』とする証拠も一切ない。 つまり解決済みの 一戦闘をことさら取り上げて日本を攻撃する『事件性がない』。 ・日本軍に虐殺動機が全くない。 ・物資不足で敗戦を余儀なくされた日本が、敵軍に急襲されかねない緊迫した 状況下で弾薬を無駄にしてまで一般人を『遊興で30万殺害する説』など異常。 ・虐殺後に減るならわかるが『逆に南京の人口が急増してることが不自然』。 ・なぜか被害者数が年々『水増し』されている。 ・「南京全市民は約20万人が全員無事だった」と、現地の安全区国際委員長から 日本軍に感謝状が出されている。 ・市民が避難した安全区に逃げ込んで一般市民の衣服を奪って武器を隠し 持って日本を騙し撃ちする卑怯な兵隊を「便衣兵」というが、これらを 捕まえて処刑するのは戦時国際法において合法な“戦闘行為”であり 虐殺ではない。 これを虐殺というのは逆恨みでしかない。 ・「中国政府の意向に沿った記事を書くこと」を宣言した朝日新聞の自虐的な 贖罪キャンペーンを受けて、戦後33年も経ってから日本の中学校教科書に 突然『中国の教科書にさえ載ってなかった大虐殺』が登場することが不自然。 ・日本の『敵国である外国人カメラマン』もたくさん南京市に取材に行って いたのに『虐殺写真が一枚も撮られていない』。 存在しないものは撮れない。 ・河に流しても燃やしても痕跡が残るはずの『30万人もの死体が完全に 行方不明』。何の痕跡もなく人が消えるなどありえない。 【検証したらオカシイ】 ・中国共産党軍の戦記(日中戦争を批判的にまとめたもの)の中にすら 「南京虐殺」の記述など一行もない。 ・中国国民党軍の「南京陥落の様子、将校・下士官・兵の戦傷者数」まで詳細に 記録した軍事報告書にも「市民の虐殺」など一行も書かれてない。 ・東京裁判で中国に「南京の人口が大虐殺で30万人も減」と報告書を提出した 金陵大学社会学教授スマイスは、『東京裁判より前』の南京市の人口統計 調査では「人口に大きな増減はない(日本の占領前も後も20〜25万人で 変化なし)」と報告していて、南京の安全区国際委員長もその数字を確証 している。(皮肉にもこれらは全て中国側の資料から証明された)つまり 『東京裁判前は現地で調査した学者すら大虐殺など認めてない』のに、 『東京裁判では同じ学者が全く別の数字を提出した』というのは不整合。 ・現在入手可能な南京の証拠写真は検証の結果『全て証拠能力がない』と 証明された。中には日本の雑誌の表紙から無関係な兵士写真を引用し 南京での略奪の図として証拠にあげる例もあり、捏造の存在は否定不能。 他の写真も『明らかな合成の痕跡』だけでなく『南京には存在しなかった 戦車や崖が写っている』『冬だったはずなのに夏服』など捏造が判明。 結局証拠能力があるものは3万枚の写真から『1枚も』残らなかった。 ・南京大虐殺記念館にある人骨が『文革の時に殺された人々の骨』だった。 つまり「別の場所、別の時代に、中国人が殺した中国人の骨」だった。 同様に南京大虐殺記念館で人体実験の証拠として展示している写真は 実は『被験者は中国人ではなく日本人である』と判明している。 ・日本が詳細な調査を提案すると『中国は真実の露呈を恐れ調査から逃げ 続けてる』。 真実であれば逃げる理由などない。 (以下続く。) それらの証明を無視して南京大虐殺記念館を世界各国に建設したり世界遺産に 申請して公認させることを異常に急いでいることも、捏造を疑わざるを得ない。 それらの中国の宣伝工作に 日本国内で協力していた売国奴が『朝日新聞』である。 『従軍慰安婦』という戦争中に存在しなかった言葉を作って あたかもそんな事実があったかのようにキャンペーンを展開したのも 『北朝鮮は全員平等で地上の楽園』という嘘を宣伝したのも朝日新聞。 平和教育の嘘 |

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