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第40 代 日本国 内閣総理大臣 敗戦後に連合国によって行われた東京裁判にてA級戦犯とされ、処刑された。 その高い事務処理能力から「カミソリ東條」とあだ名された。
自殺未遂後GHQのアメリカ軍病院で手当を受ける東條
以下は処刑前に花山教誨師に対して口頭で伝えたものである。東條は遺書を残さなかったが、逮捕に出向いたアメリカ官憲に、次のような遺言をしている。 「一発で死にたかつた。 時間を要したことを遺憾に思ふ。 大東亜戦争は正しい戦ひであつた。 国民と大東亜諸民族には誠に気の毒であつた。 十分自重して大局の処置を誤らぬことを希望する。 貴任者の引渡しは全部責任を負ふべきである。復員することは更に困難である。 法廷に立ち連合国の前に裁判を受けるのは希望する所でない。 むしろ歴史の正当な裁判にまつー切腹を考へたが、ややもすれば間違ひがある。一思ひに死にたかつた。 あとから手を降して生きかへるやうなことをしないでくれ。 陛下の御多幸を行く末までお守りして、どこまでも国家の健全な発展を続けることが出来れば幸ひである。 責任者としてとるべきことは多々あると思ふが、勝者の裁判にかかりたくない。 勝者の勝手な裁判を受けて国民の処置を誤つたら恥辱だし、家のことは広瀬(伯爵)にまかせてある。 その通りやればよい。 家のことは心配ない。天皇陛下万歳、身は死しても護国の鬼となつて最期を遂げたいのが真意であるー水をくれー腹を切つて死ぬことは知つてゐるが、間違つて生き度くない。 責任は了した。死体は引渡したらよい。 俺の死体はどうなつてもよい。遺族には言ひ渡してある。 死体は遺族に引渡さなくともよい。しかし見せ物ではないとマツカーサーに言つてくれー」。 http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/touyouhideki.htm 書かれた時期は判決を受けた昭和23年(1948年)11月12日から刑が執行された12月24日未明までの間とされる。 花山は聞いたことを後で書いたので必ずしも正確なものではないと述べている。 開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。 今回の処刑は個人的には慰められるところがあるが、国内的の自分の責任は、死を持って償えるものではない。 しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。 力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。 ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。天皇陛下および国民に対して深くお詫びする。 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。 東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。 インドの判事には尊敬の念を禁じえない。 これをもって東亜民族の誇りと感じた。 現在の日本を事実上統治する米国人に一言する。 どうか日本人の米国に対する心持を離れざるように願いたい。 また、日本人が赤化しないように頼む。米国の指導者は大きな失敗を犯した。 日本という赤化の防壁を破壊した。 いまや満州は赤化の根拠地である。 朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。 米英はこれを救済する責任を負っている。 日本は米国の指導にもとづき武力を放棄した。一応は賢明である。 しかし、世界が全面的に武装放棄していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。 出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。 我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば – 東条英機大将 遺言(部分)昭和23年12月22日夜 東京巣鴨(23日零時刑執行) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F 昭和23年12月23日、皇太子の誕生日。 極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑を言い渡されたいわゆる「A級戦犯」7名の絞首刑が執行された。 松井石根、東條英機、広田弘毅、土肥原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章。 彼らが何者なのか、どのような罪で裁かれたのか、従容として死に就いた7人のことを、日本人は知らない。 いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL 小林よしのり |

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