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那須国造碑から下侍塚古墳へは300メートルほどである。 光圀公は碑文の釈読を今日と違った形でしており、 「那須直韋提」(なすのあたいいで)を「那須宣事提」と読んでいて 人物とは解さなかったという。 なので碑文中に碑主の名が示されていないとして、 碑主の墓との伝承のある隣接する侍塚古墳を発掘すれば 葬られた人の名が明らかになるであろうと考えたらしい。 こうして碑主を明らかにするための 碑の下の調査、上下侍塚古墳の発掘が 光圀公の命の下、介さんの奔走により行われ、 さらにその保護までもがなされたという。 古墳から出土した鏡や土器は絵図面がとられた後 松ノ木のハコに納められ松脂で封をして再び埋め戻された。 下侍塚古墳から出た鏡は斜縁神獣鏡である可能性が高いという。 光圀公は、別途発掘の目的を記した鏡を発注して碑の下に埋めたとされる。 また古墳は保護のために松を植えることを命じたという。 下侍塚古墳は84メートル 上侍塚古墳は114メートルの 立派な前方後方墳であるが 上下は京都に近いほうが上だそうです。 墳形や出土土器等から4世紀から5世紀初めの古墳とされる。 結果としては古墳と碑は築造年代が300年ほどずれていたのであるが、 光圀及び介さんの実施した文化財の発掘は日本初の学術目的の発掘であり 発掘後の保護措置も含め今日でもなかなか出来ない偉業であるとされる。 現地で見ると土地の人が日本一美しい古墳とおっしゃるとおり 特に下侍塚古墳は姿が美しい。 その美しさには植えられた松がかなり貢献していると思う。 また前方部分と後方部分の境目即ちくびれがはっきりしているのがよくわかる。 なお、近辺は古墳群と書かれている通り小さな古墳がぽこぽこと盛り上がっている感じであり 土地の人に寄れば「古墳はいくらでもあるし、ほればなにかでてくる」とのことだ。 上侍塚古墳はサイズが大きいのと道路から少し入っているため 遠景が撮りづらく全体が写真に納まらない。 それでも勇壮で美しい古墳の雰囲気が漂っている。 栃木県立なす風土記の丘資料館湯津上館は 下侍塚古墳と道路をはさんですぐそばにある。 ここには碑の模型のほか拓本が展示され、 碑の発見、古墳の発掘や保護に当たった大金氏の文書、介さんの文書のレプリカなどもある。 資料館に隣接して歴史民俗資料館もあった。 こちらは民具や武具の展示など。 本当は那須官がの遺跡の近くになす風土記の丘資料館小川館があるのであるが 次回の楽しみとすることにした。 さて資料館でタクシーを呼んでもらい駅に向かおうとすると 「こんな古墳好きのお客を乗せるのはめったにないことだ」 と喜んでくれて地元の人しかあまり行かない古墳に連れて行ってくれた。 これが二ツ室塚古墳 前方部と後円部に一つずつ石室があるとの事だ。 さてこの古墳を見た後那須塩原に戻り、 駅近くで山菜定食の遅い昼食をとって、 再び新幹線に乗ったのでした。 |
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