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山鹿市八千代座での公演は、「坂東玉三郎映像×舞踏公演」というものであった。
10月31日から11月5日にかけての6日間、昼夜2回ずつの公演。
11月2日に山鹿灯篭民芸館から電話で申し込んだときは「明日の昼は素晴らしいお席が空いています」
とのことであったが、3日、開園の12時少し前に受付に行ってみるとちょっとした手違いがあることが判明。
結局、それほどとびきりでもないが、ほどほどに舞台にも近く、通路に出やすい席に案内された。
4人が座れる枡席に2人というゆったりしたスペースで、同じマスの相客は上品な年配の女性だ。

この枡席は微妙に前に向かって下り坂になっていて、舞台が見やすい作りになっているのだ。
天井には復刻された昔ながらの天井絵が美しい。重要文化財に指定されるだけのことはある。
イメージ 1

拍子木が鳴り幕が開くと、坂東玉三郎はl黒い紋付おひきずりの着物に日本髪の頭には四角く布のかけられた姿で登場、これは女形の普段着なのだそうだ。
坂東玉三郎ははるか昔歌舞伎座で一度見たきりだが、
人間国宝となり、六十代後半の年齢となった今でも本当に絵に描いたように美しい。
そして、口上に入ると八千代座で公演するようになったきっかけなどを紹介された後次のように語った。

”自分は平成2年の八千代座の復興公演以来26年間、間に平成の大修理によるブランクを挟みながら続けてきましたが、だいぶ上演演目も尽きてきました。何か目新しい企画をと考えた結果、映像と舞踏を融合した舞台にすることにしました。
実は自分は「京鹿の子娘道成寺」「鷺娘」はすでに踊りやめています。歳を重ね自分が以前と同じように(体力的にもまた美しく踊るという点でも)踊れなくなったと感じたからで、寂しいことですが、伝統ある芸を大事にして憧れをもって見ていただく意味でも、「踊りやめる」ということは大事だと思っています。
ただ、一方で次代の若手に自分が精進工夫を重ねてきた芸を伝えることも大事だと思っていて、いくら紙に書いたり、口で言っても伝われないことが、映像や実際にやって見伝わりやすいと感じることがあります。実は舞踊界の方ではこういう演目の大事な所作の振り付けなどをしっかり弟子たちに伝えておられないという感じを自分は持っています。
そのため、今回昼は娘道成寺、夜は鷺娘を題材に、演目を踊る際の所作の勘所のようなところをご紹介するとともに、自分がまだ今より若くてかろうじて自分の満足いくように娘道成寺や鷺娘を踊れた時代の映像をNHKさんからお借りして、一部自分が踊れるところはそれをお見せするという形でご覧に入れます。”

このような導入のあとは実際の振り付けを演じながらの説明で、

”娘道成寺の「恋の手習い」の部分でどのように手ぬぐいを扱うか、については「地球の引力との関係で出てくる美しさが重要」で、手ぬぐいの揺れやたわみをきれいに表現するにはこういう材質のこういう作りのちりめんの布が必要だがこれがなかなか手に入らず・・・”

といった風に口上は展開していった。

玉三郎の口調は穏やかでゆったりしており、素の玉三郎でもなければ、歌舞伎の役を演じる玉三郎でもない、楚々とした美しい中年夫人の趣のしゃべり方で、何とも魅力的であった。聴衆もほとんどが玉三郎ファン(いわば追っかけ?)なので、玉三郎が何も冗談を言っていなくてもちょっとした言葉の端々にすぐ反応して笑い声が起こるようなほのぼのアットホームな雰囲気で口上はすすんだ。

”私のことを「色気がある」とかおっしゃっていただきますけど、色気って何もべたべたしたものでなくて、地球上でどうやって生きていくかを必死に考え行動する中で自然に出てくるものじゃないでしょうか、夕焼けや波を見るのと同じ清涼な雰囲気を人様に与えるのが色気だと思います”
”踊りの所作では、太鼓を打っていないほうのバチを持つ手とか、決まった振り付けの間の部分を美しくと心がけています”
など、含蓄のある言葉もたくさん聞かせてくれた。
イメージ 2

休憩後舞台が転換しスクリーンが下り、音楽に乗って玉三郎が50代の時に演じた娘道成寺の映像が流れる。しばらく見ているとスクリーンが上がり、映像と重なりつながる感じで、あでやかな衣装をまとった実物の玉三郎が登場して実際に踊る。その姿は本当に光り輝くオーラに包まれたような感じ。しばらくその姿と踊りに見惚れていると、するするとスクリーンが下りて再び映像での玉三郎の踊りのみになる。これが繰り返され、最後は美しい銀白色の衣装での実物の踊りとなり大団円。大喝采の客席に何度も深くお辞儀をする姿も圧巻の美しさであった。

終わった時は枡席で隣り合わせた女性と顔を見合わせ「さすがですねぇ」「こういうのを眼福というのでしょうねえ」などと感動を分かち合ったことであった。

さてバスの時間を調べて江田船山古墳へ向かおうかとしていると、この隣席にいらした女性が
「この後どうされるのですか」と聞いてこられるではないか。古墳を訪ねる旨を話すと、ご自分の帰る方向なので車で送ってくださるという。
この女性とは玉三郎の公演中も、時折顔を見合わせて「大したものですね〜」などと言葉を交わしていたので、なんとなく近しい感じがしていた。向こうもそう思ってくれたのか大変ありがたいお申し出だったので、喜んでお受けすることにして車に同乗させていただいた。

聞けばこの女性Sさんは、隣の玉名市の在住で、ある伝統工芸の作家でもあり、生徒さんに教えてもいるとか。どおりで風格のある感じだと思った。江田船山古墳の前にも一か所案内したいところがあるといわれ、立派な横穴墓群に連れて行っていただいた。

イメージ 3
 ここは岩原横穴群といい131基ある横穴墓農地8基に装飾文様があるという。Sさんの話では昔はいくつかの横穴の中に入れたとのことだが、今は入れそうにないのが残念。

 
横穴群の眺めをしばし堪能した後は江田船山古墳へ
イメージ 4


この古墳は山鹿市ではなく玉名郡和水町に位置している。流石に75文字の銀象眼銘文付き大刀が出土したことでも有名な古墳だけあって、非常にきれいに整備されている。墳丘長62メートルの周濠のある古墳で、まわりには短甲をつけた石人が配置されていたという。ただし出土した副葬品は東京国立博物館に収蔵されており、ここにはない。私も大刀の実物は東京で何回も見ている。
埼玉県行田の稲荷山古墳の鉄剣より先に発見されていたこの大刀にある銘文は、1978年稲荷山古墳の銘文が発見されたことによって解読が進み、同じワカタケル大王の名が記されていることが分かったという。
大刀の方の象嵌銘文にある典曹人ムリテはワカタケル大王すなわち雄略天皇に仕えたとある。稲荷山鉄拳の杖刀人首オワケも雄略天皇に仕えたとあるから九州と関東の二人は雄略天皇のもとで出会っていたのかもしれない。

ここもゆっくり見ればたっぷり時間がかかりそうだったが、夕食までには福岡に着こうとそそくさと出発した。結局Sさんには新玉名の駅まで送っていただくことになり本当に感謝感謝であった。

こういうのも袖すりあうも他生の縁というのだろうか??

車中でもいろいろとお話をし、郷土の古墳を愛し、俳句も趣味にしておられるというSさんの人柄に引き寄せられていく感じがした半日であった。

閉じる コメント(2)

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おはよう御座います。
楽しみですね。ナイス

2017/11/30(木) 午前 5:49 あるく

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あるく様
ありがとうございます。
山鹿温泉と玉三郎は今年最大のヒットでした。

2017/12/3(日) 午後 8:08 [ 独楽 ]


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