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伊都国の遺跡を初訪問の後は奴国である。
いったん博多に戻り鹿児島本線に乗り換えて南福岡駅へ
春日市奴国の丘歴史資料館へは歩いても15分ぐらいだとのことだったが
明るいうちにできるだけ遺跡を見たいと思いタクシーで向かう。
歴史資料館は外観はなかなか立派だ。
ただ中はやや古びていて、伊都国歴史博物館に比べると展示の方もちょっと散漫かなあ・・・失礼
ここは弥生時代の代表的な遺跡須玖岡本遺跡を紹介する施設で
須玖岡本遺跡の王墓のジオラマや副葬品であるガラスの勾玉や小玉など、
また国内最大の青銅器工房を擁した須玖岡本遺跡らしく古代の青銅器づくりのジオラマ
等が展示されていた。
墳丘墓の剥ぎ取り土層の展示なども・・・
本館の周りは春日市奴国の丘歴史公園として整備されている。
またここには実際に発掘された甕棺墓や住居跡を保護しつつ展示する覆屋が二つ点在。
中はなかなかリアルな発掘跡が・・・こちらはかなりの迫力である
またこの公園には王墓の上に置かれていたといわれる重さ4トンの大石も展示されていた。
この上石が覆っていた須玖岡本遺跡の王墓は、2000年前ぐらいのものだそうで、いわゆる金印が漢から授与された奴国の王様より50年から60年ぐらい前の人とのこと。
1899年地元の人が家を建てるためにこの石をどけたところ、石の下から甕棺墓と青銅器などが見つかり、鏡が30面前後、武器が10本程度、勾玉などの玉類など豪華な品が収められていたとのことだ。
それにしても肝心の金印がこの場所からはるか離れた志賀島で見つかったのはいかなる理由からなのか?
それから、魏志倭人伝によれば、伊都国はたったの千戸、奴国の規模はその20倍の2万戸のはずだが、見つかっている副葬品ヵらは伊都国の方が豪華のように思えるのはなぜだろう??
という風に、魏志倭人伝の国々を巡る旅はいろいろな新しい発見と疑問を味わえる楽しい経験であった。ぜひ今後も時々魏志倭人伝の記述の後を追って九州を旅したいと思った。
このあとイザナギ、イザナミを祀る岡本村の鎮守熊野神社にお参りして
初めて訪ねた奴国を後にしたのであった。
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