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ハワイ、北軽井沢に気ままにさすらう癌マン
肝臓ガンと共生、手術を繰返しながら残り人生好きな事を気儘にやってます❗

書庫07年仏・伊世界遺産巡りの旅

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フランソワ1世の招きで、64歳でこの館に来て67歳でこの館で亡くなった。
 
 シャンポール城の素晴らしい2本の螺旋階段 
  夫々途中で別の階段の人とは会わないという
     ダヴィンチの階段を残し彼は去っていった。

館内と庭にはIBMが協力して彼の設計図から復元した飛行機や戦車や機関銃や
 今と全く変わらない自転車等々の模型が並べられて、子供には面白い。

イタリア・ミラノの博物館にも同様の模型があるが、
  この館の中で飾られているほうが実感がある。

    

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レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごし、この地で終焉を迎えたとは今までは知らなかった。

ダ・ヴィンチ・コードにはまり、ダ・ヴィンチを追っかけていて分かったのだ。
     
      皆様はご存知でしたか?

フランソワ1世に招かれ彼はイタリアではなくフランスで、
     しかもこの風光明媚なと言うかさびしいロワール川のほとりで
       年齢的に 死を覚悟してイタリア・ミラノから移り住んだのだと思う。

その時の彼の心境はいかに?多分イタリアに愛想を尽かしたのか、
   フランソワ1世の誘いにほだされたのか???

パリ・オステルリッツ駅から在来線で約2時間でアンボワーズ駅に到着。
  ほとんど降りる客はいない。
    寂れた小さな駅で 街も寂れている。

駅を出ると、全く城や館の案内はなく、
  多分駅からまっすぐに延びている道を行けばいいだろうと歩き出した。

道の突き当たりにどうも川(ロワール川)が流れていそうと
早足で土手に上ると川の向こうにお城が見えた。

橋を渡り城に向かう。
ダ・ヴィンチが眠る城の教会が登り口から見えた。

城からクロリュセにどう行くか???
道を尋ね城に沿ってまっすぐ来た道の先に進み細い崖下の道を行くと
右手にレンガ作りの館が見えた。

館内にはダ・ヴィンチの発明した模型が飾られている。

また広い庭にも彼が発明した戦車や機関銃や色々な模型が点在。

この館と城の間には地下道で通じていてフランソワ1世が地下通路で
館に来たようだ。ここからは城も遠望できる。

ダ・ヴィンチはここで多分さびしく息を引き取ったのでは・・・

特別の才能を持った男も当時は有力なパトロンには逆らえなかったのか??

彼の絵画にはパトロンや教会の分からないように 自論を描いた部分がある。
それが彼の絵画に謎が多いと分析できるが、ただではウンとは言わぬという反逆心があるのでは、

ダ・ヴィンチコードの著書と映画の追跡というテーマで
  1ヶ月強のイタリア・フランスで彼の作品や痕跡をたどり、

最後に彼が多分フランソワ1世というパトロンに従い
  ひっそりと亡くなったかと思うと。

  モナリザの微笑みに何か皮肉な思いを、見る人に永遠に
     彼はこめたのではないかと思った。

シャルトル

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パリ・モンパルナス駅から1時間でシャルトル駅に。

世界遺産のノートルダム大聖堂は、
シャルトルブルーと言われる幻想的なステンドグラスで有名だ。

我々が訪れた日は残念ながら雨になり綺麗なシャルトルブルーは
見れなかったがステンドグラスは壮大だ。ステンドグラスには当時の宗教教育に利用された物語が
描かれていて、その絵で字の読めない人々がキリスト教の物語を学んだらしい。

またここには聖母マリアがイエス生誕時に纏っていたとされる絹布を
聖遺物として収蔵していることでも有名。

大聖堂の建物は12世紀〜13世紀に建てられたゴシック様式だが
一部ロマネスク様式も残っている。

4枚目写真のような全長294Mの円形迷路ラビリンスがあり、
聖地エルサレムへの道としてこれをひざまずいてたどった。

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フォンテーヌブローからバルビゾンへ行こうとバスを探したが、
訪問時期が11月中旬で季節はずれのためバスは運行していなかった。
バスの運行時期は要チェックです。
ホテルでタクシー呼んでもらった。料金28ユーロでした。

バルビゾンで真っ先に「ミレーのアトリエ兼住居」に行ったが、
ブルーのドアーが入り口ですが、ドアーが閉まっている。

右となり庭に入ったが、そこはレストランであった。
左となりの門が開いていたのでそこから庭に入りミレーの館の裏側に出て
ガラス窓から中を覗いていたら、(写真一番下が窓から覗いた内部の様子)
なんと隣の門はミレーの住居の門ではなく、
隣の住人の自宅の入り口だった。
住人が出てきて、ミレーの館の入り口ではないと言われびっくり。
ミレーの館は休館らしかった。

季節はずれにはバルビゾンを訪れる人が少ないのかな。

続いて「ガンヌの宿」を訪問。ここは開館していた。
今は市立バルビゾン派美術館になっている。

街の北のはずれに(街の中心から歩いて10〜15分くらい)
ミレーが「晩鐘」で描いた麦畑がありその当時のままの景色が残っていた。

街の中心のホテルのレストランで昼食。
ホテルでフォンテーヌブローへ帰るタクシーを呼んでもらい帰ったが、
なんと料金は50ユーロと行きの倍近く吹っかけられた。
文句を言ったがわざわざホテルのレストランにピックアップに行ったからと
ガンとして50ユーロから下ら無かった。

良く考えたらメーターが無かったので、白タクだったのかな?
メーターのないタクシーは要注意ですね。

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パリ リヨン駅からパリ近郊イルドフランス在来線でフォンテーヌブローまで約40分。

リヨン駅の切符売り場は長距離線とパリ近郊イルドフランス行きとは別の切符売り場に
なっています。
イルドフランス行きの切符は A・B・C窓口です。少し分かりにくい場所にあります。
長距離用窓口はずらりと窓口が並んでいますが、イルドフランス方面は駅の入り口に近いところか
地下にあります。発車間際に行くと迷いますよ。ご注意!
もちろんヨーロッパの鉄道は改札口が無いので、切符が無くても乗れますが
社内で車掌に切符購入を言わないと検察で無賃乗車とみなされれば10000円近い
罰金を取られますよ。

フォンテーヌブローはフォンテーヌブローの森に囲まれ、今は静かな高級別荘地である。

フォンテーヌブロー城へは
駅からバスで約10分、城の入り口手前のロータリー近くの
インフォーメーションセンターの前で下車します。

城は12〜19世紀にかけて歴代の王が自分好みに増築・改装し華やかな内装が残っている。
庭も随分広大で、池あり水路ありとベルサイユに似ている。

ナポレオンがエルバ島に流される時に別れの儀式を行ったらしい。

城の前の道を北に行くと街のメインストリートであるグラント通りに出ます。
この通りにあるチョコレート専門店カッセルは美味しくて有名なようだ。

我々が泊まったホテル「ナポレオン」はなかなか良かったですよ。お勧めです。



 

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