第一弾 『メール』
世の中便利になってきていろいろと不便が無くなってきたけど、それだけいろいろと問題や難題は多く存在すると思う
その一つが、メールだと俺は思う
メール…普段何気ない生活の一部として多用している人がほとんどだろう。今じゃ携帯電話に関してはキャリア別で一人数台は持っている人がいる時代。それだけ携帯は便利になった、連絡にも苦労しないし気軽に他人と話ができるという点で…
だが、ここで思い返してみてください…
過去にメールで嫌なことがあったり苦労したり悲しい経験をしたことはありませんか???
そもそも、メールは非常に便利な部分が目立ち過ぎるあまり多用していくにつれて起こりうる事態に気づきにくいと思う
例えば、親しい人と離れた所ででもコミュニケーションが取れるが、自分の込めた意味と異なった意味で受け取られてしまい言い合いをした経験はありませんか?
これが学校など限りなく近く接触が容易な場所で出来た友達なら、嫌でも翌日会えるのだから誤解を解こうと思えばとけるだろう
ならば、これが「彼氏・彼女」の場合だったらどうだろうか???
お互いなかなか時間がないから、仕事(学校)があるから、予定があるから逢えない…だからせめて、メールだけでもいいから毎日したい……そう思う人は少なからずいるだろう
だが、ここで上記のように事態が起きたらどうだろう…? 少なからず他とは違った事態に陥るだろう……最悪の場合修羅場にもなりかねないと私は思う……現にそういう経験をした人をたくさん見てきました
そもそも、メールという物には円滑なコミュニケーションをとるために必要不可欠な物がない。
その1【発音】
言葉には必ずその意味に合った「発音の強弱」がある。その強弱によって一つの言葉にたくさんの意味が込められる。例えば、「ああ」という合いの手にも強弱次第では良い方にも悪い方にも向く。だが、メールにはそれがない。それを防ぐために「絵文字」や「顔文字」などを多用するという人が少なからずいるだろう。それで事が済めばそこまで深刻な問題ではないだろう。だがそれで済まなければ後は落ちていくか上がっていくかは予測不可能と言えるだろう
その2【思い】
これは自論だが、悪く言ってしまえばメールで相手に伝わるのは「文字と言葉だけ」。その言葉に込めた思いは必ずしも相手に全て伝わるとは限らない。所詮口だけ、口では何とでも言える、そう受け取られてしまうことが非常に多くある。そのことからメールをすればするほど信用を失うことがありえるのではないだろうか…? より一層溝が深まったことはないだろうか…? 言いたくもないことや思ってもいないことなどを言ってしまったことはないだろうか…? もしそうなら、すぐにメールを止めてちゃんと会って話をするのが一番だと考える人はまだ救いがあると私は思う
その3【表情】
直接のコミュニケーションが当たり前だった昔、その人の表情や反応で自分がどういう風に思われているのか、どんなふうに相手されているのか、そういった情報がすぐにわかり対応の機転がきく。だが、メールという電子上のコミュニケーションにはそれがない。ゆえに、自分との会話に対してどんな反応をしているのかというもっとも重要な情報がわからない。深く追求すれば嫌がられる、嫌われてしまう、そういった不安が後を絶たない…そして最悪の結末へ……あり得ない話ではないだろう。
人にはそれぞれ価値観や世界観がある。これを言われたらこう受け止める、こう接せられたら自分はこう接する、そういった個人のコミュニケーション方法がダイレクトに出てしまうのが「メール」というものだと私は思う。これにより、重要な話ですらメールで済ませてしまう若者が多い。一番多いのは、やはり「別れ話」だろう。これははっきりとした私の考えだが、
「メールでしか物が言えない、言わない人は信用するに値しない」
別れ話というのはお互いにとって今まで過ごしてきた大切な時間を全てを無かった物にしてくれと、遠回しに言う人もいる。それをメールや電話という手段でしか言えない人は、後々の人生において必ず大きな失敗や失態を犯す。もし、そういった経験のある人は今一度考えてみてほしい、これで本当に良かったのかと……
直接会わずに別れを告げた方がお互いに悲しくない……それは大きな間違い
自分は悲しくなくても相手は非常に大きな悲しみを受けます。納得や別れを受け入れることも難しいでしょう
話がそれてしまいましたが、私が言いたいことは
「人間相手に何事も便利な物を使いすぎるな」
ということです。何事もしっかりとした話し合いを設けたうえでお互い納得のできる結末を迎えられるようにしましょう。遺恨は残すべからずです。