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二人目の上司は、M課長(貿易部輸入関連)当時37歳。
とても真面目な人で、英語が堪能、学校の先生が似合いそうな人でした。
われわれ新入社員に「皆で英語を勉強しよう!」と外国人の
先生を雇って、英会話クラスも作ってくれました。
5年間の経理の後、私は輸入業務をすることになるのですが、私の
つたない英語を丁寧に直してくれました。
「日本語で内容をちゃんと知識をもって理解していないと、翻訳も通訳もできなんだよ」
と。だから、例えば、食品業界の通訳をするならば食品業界の勉強をし、
製紙業界の話をするならば、製紙業界の勉強をし、いつでもなんでも
答えられるように、和文と英文で書かれた自分のノートを何冊も作成して
いました。
社長の通訳もしていましたので、丁寧なきれいな英語を心がけて
いる人でした。コミュニケーション手段としての英語は、わかりやく、明確で
品位があることが重要です。
高血圧の人で、私が生意気にいろいろなことで他の人ともめるたびに
彼の血圧は上昇して、時々、めまいで立ちくらみをしていたようです。
心の安静を求めて、週末は、座禅に行っていたようです。
海外通の人でしたが、日本で昼食などは、秋刀魚の塩焼きなどが
好きで、やはり日本人だなぁ、と思いました。カラオケにもよく
行きましたが、真面目な人なので、常連のうまい人を「先生」と
呼び、同じ歌を何度も歌って、教えを請うていたのが印象的です。
会社には、TOEFLで何点とればニュージーランドに研修・留学させて
くれる、という制度があったため、私はこれを求めて、結構勉強しました。
(結果、1989年に半年だけですが、ニュージーランド北島へ行くことが
できました)
M課長には、大変お世話になったにもかかわらず、私は研修後、帰国して
たった1年で会社を辞めてしまったことで、一種の「裏切り」的な
気分が私にあって、いまだに再会するのが後ろめたいです。
M課長は、今では、その会社の常務取締役です。
3人の常務がいて、そのうちの2人が、もと私の上司というのも
感慨深いものがあります。
真面目で誠実、そして、人材育成ということを一生懸命してくれた上司でした。
最初の上司のような陽気はありませんが、尊敬できる人でした。
いつか、何かお礼の品でも送らなければ。迷惑もいっぱいかけたしなあ。
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