|
土曜日の夕方、入院している母に面会しに、横浜へ行ってきた。
入院したのは二日前の木曜日。
病院は苦手だ。
総合病院の集中治療室(ICU)へ。ICUに入る前には、手を消毒して
マスクをして入室する。
ベッドの上に母がいた。
鼻に管がつながれ、点滴の管が繋がっている。両手には手袋をしている。
意識はないが、呼吸はしている。心拍数、呼吸数、血圧などのデータが
横に表示されている。
目をつむり、口は開いている。
若い看護婦さんが近づいてきて、簡単に状況を教えてくれた。
「現在、心拍数、呼吸数、血圧とも問題はありません。ただし、不整脈があり、
ときどき心拍数が上がります。そういう時には血栓が飛びやすく、また
脳梗塞を起こす危険性があります。
少し前は、目を開けたりもしました。
手袋は、鼻への管を取り外すことを防ぐためです。
ICUから一般の病室へ移してもいい状態ですが、一般の病室のベッドが
開いていないので、しばらくICUにいます。
今後のことについては、脳外科の医師が経過を見ながら判断、ご説明
いたします」と。
看護婦の話では
「一度、”痛い”と言いました」と。
まだ、発声できるようだ。
母の顔を見ると残念ながら、安らかな顔はしていない。
結構、苦しそうに見える。
非常に感じのいい看護婦さんだ。
若いのに、こんな死ぬ寸前の人間たちを毎日見ていて、大丈夫なのだろうか。
心が病まないのだろうか。
大変な仕事だと思う。
頭が下がる。
兄あてに書かれた計画書には、
「今後、意識が戻ることはないと思われます」
と医師のコメントがあった。
5分くらい母の顔を眺めながら、小さな声で
「お母さん」と呼びかけた。
でも、母の顔を見ているのがつらい。
短時間で病院を出た。
最寄り駅に着いてから、兄に電話した。
私と兄とは非常に不仲なのだけど、今回にしても、兄がすべての手配を
してくれた。
「いろいろとありがとう」
と言うと、兄も
「ご苦労さん」
と、本当に珍しく、お互いを労いあった。
ちょっとした戦友のような感じだ。
帰りに、気分転換に新宿のジャズバーに寄った。
11時頃まで飲んでしまった。
|
全体表示
[ リスト ]





手に取るように状況が良くわかります。私の父も大きな病院で抗がん剤治療をしました。そのとき色々世話をしてくれる看護師さんたちを見て感心しましたが、今父のいる緩和ケア付きの小さなベッド数20以下のクリニックの看護師さんは大病院の何倍もやさしいし、親身に世話をしてくれます。私の父も死期が迫り私にもものすごく気を使って様子の説明をしてくれます。そのときが来てもショックが少ないように私の心の準備までしてくれます。本来なら姉と私がするはずの父の旅立ちを親戚の助けを借りながら進めています。母が逝った後は私は一人ぼっちです。せめて自分の家族がアメリカで舞ってくれていることが救いです。
2012/2/26(日) 午前 7:59
ママミオさんは、決して一人ぼっちにはなりませんよ。DNAを分けた息子さんもいらっしゃるのでしょう。命のバトンタッチですよ。
逆に言えば、言えば、皆、最後は一人ぼっち。でも、死んでも、皆の記憶の中に残って行きます。
2012/2/26(日) 午後 4:42 [ dareyanen22 ]
内緒さん、こんばんは。そうですね。まだ、生きている。
生きているか、死んでしまったかは、大きな違いですね。
でも、年老いて、白髪でやせこけて、病気になって、意識がなくて、チューブが繋がれていて、苦しそうにしていて・・・見てるのはつらいです。
2012/2/26(日) 午後 8:01 [ dareyanen22 ]
昨年、義父が倒れて入院した際と同じような感じです。
見ているだけでもかなりお辛いことと、お察しいたします。
お母様、きっと最後の時まで頑張られるのでしょう。
その日が近いのか遠いのか、分かりませんけれども、
せめて苦しまずに済む様に、と祈ります。
2012/2/27(月) 午後 6:42 [ TOKO ]
TOKOさん、こうやって、だんだんと世代交代していくんですよね。まだ、死んだわけではないですが、こういう「死」と隣り合わせると「生」を大切にしたくなります。
2012/2/27(月) 午後 7:11 [ dareyanen22 ]