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あなたは、「満州」について、何を知っていますか?
図書館で借りてきた『満州帝国』(ふくろうの本、河出書房新社)を読んだ。
写真も豊富で、文章は簡潔で、150ページ余りの本だが、内容は非常に濃い。
さらっと読む本でもなければ、読める本でもない。だけど、これを読めば中国人が
なぜ日本人を憎むか、なぜ、日本はそんな愚行に走ってしまったか、我々が学校で
習わなかった様々な先の大戦の背景を知ることができる。
この本は、決して日本だけを悪者にしているわけではない。調べた範囲で淡々と
書いている。歴史というのは、ある事件だけを取り出して語ることにあまり意味はない。
必ず縦横の背景があり、歴史的な、もしくは運命的な必然と偶然がある。
もちろん、日本の海外侵略の話ですが。
なぜ「満州」なのか?
恥かしながら、私が満州について知っていたのは、中国北部のある地域を日本が
満州と呼んでいた、という程度。
下の地図を見てください。
満州とは、この赤いところです。
私はずっと思っていました。なんでまた、こんな寒そうな場所を占領したのか、と。
日本の隣国は朝鮮で、その朝鮮を占領したら、次に侵略すべきはその上だったんですね。
そして、この満州という地域は、この地図ではわかりませんが、ちょうど、万里の長城の
北側なんです。(万里の長城は8000km以上ありますから、、もっともっと長いのですが)
ペリーに門戸を叩かれた日本は1868年に明治維新を行い、大急ぎで西洋化を進めます。
日本も鎖国をしていましたが、朝鮮も鎖国をしていました。明治になり、隣国の朝鮮と修好を復活させようと
したら、拒否されます。朝鮮には清の後ろ盾がありました。とはいえ、当時の清は、欧米にどんどん侵食され、
ベトナムなどの属国を奪われ、朝鮮は最後の属国でした。
日本は武力でもって、朝鮮の門戸を開きにかかります。
1875年に朝鮮の海岸で勝手に測量していた日本軍に朝鮮が砲撃。「待ってました!」とばかりに
日本は応戦して、江華島の砲台を占領(江華島事件)。これで日本に一方的に有利な日朝修好
条約を結ばせます。
1882年、朝鮮で暴動(壬午の変)が起こり、日本人数人が殺され、日本大使館が占拠される。
日本は在朝邦人保護の名目で朝鮮に軍隊を駐留させるようになる。
1894年、朝鮮全土に甲午農民戦争(東学党の乱)という民間宗教団体の暴動が起こる。
朝鮮政府はこれを鎮圧できず清に援軍を頼む。これを日本は天津条約違反だ、として
さらに大量の軍隊を朝鮮に派兵する。そして、なんだかんだ口実をつけて、朝鮮の宗主権を
争って、清と戦争を始める。これが日清戦争だ。
日本艦隊は清軍を圧倒し、陸軍は平壌も攻略する。そして、日本軍は「満州地域」にも
突入し、遼東半島(朝鮮半島の根元、西にある)を占領する。戦争は日本の勝利となり、
1895年、圧倒的に日本に有利な下関条約を締結する。
・朝鮮の独立承認
・台湾・遼東半島の割譲
・多額な賠償金の支払い
などなど。
ところが、下関条約から1週間目に、ロシア、フランス、ドイツからこの条約内容を破棄せよ!
という「三国干渉」が入る。とくにロシアだ。ロシアはシベリア鉄道を建設中で、満州を縦貫させたい
と考えており、やがては遼東半島や朝鮮半島につなげたいと考えていた。
こうして、ロシアが日本の「敵」となっていく。
・・・などと書いていくときりがない。でも、こういう本はちゃんと読まねばならない。
やがて日本は朝鮮、満州、遼東半島の権益をめぐって、日露戦争に突入、なんとか勝利する。
勝利といっても、あくまでも局地戦であって、日本がモスクワを占拠したわけではない。
そして、1910年、日本は朝鮮を併合する。
占領した朝鮮の保全のために、さらにその北部の満州を自分のものにする。
その方法と言うのが、満州帝国の建国だった。
もともと、万里の長城の北側は、漢民族ではなく、様々な騎馬民族、非・漢民族が住んでいた。
秦の時代に北方民族の進入に悩んだ始皇帝が建設を始め、やがて明の時代まで相当増設している。
清は女真族(満州民族)の興した国だった。その清は、1911年の辛亥革命で滅び、孫文などが
1912年漢民族の中華民国を興す。
(ちょうど、日本は大正時代となる)
滅んだ清朝最後の皇帝が溥儀だ。いわゆる「ラスト・エンペラー」だ。
清滅亡時、溥儀は、まだ、6歳だった。日本は、この少年をうまく利用して、中国の北部に新しい国
「満州帝国」を築いた。1932年のことだった。
完全な日本の傀儡帝国だった。「占領」すると国際非難を浴びるだろうから、新しい国「満州」
を建国して、中国人の皇帝を立て後ろから操ろうとした。でも、世界のどの国から見ても
ばればれだった。
日本から満州には大量の移民が移り住んでいった。
日本軍は満州からさらに南下して、中国本土を次々と占領して行く。日本に逆らうものは、容赦なく
殺していった(臨陣格殺)。中国に駐留する関東軍(日本軍)は人数も多く(最大75万人いた)、
勢いがあり、残虐だった。
日本は同時に南方、東南アジア地域も侵略していく。日本が国際的に孤立して、石油などが
手に入らなくなったので、インドネシアあたりの原油を確保するために順次、侵略して
いった。その流れの中で、東から米国が攻めてくるのを避けるため、先制攻撃をかけたのが
1941年の真珠湾攻撃だった。
最初は好調だった海軍だが、ミッドウエー海戦あたりから敗戦が続き、どんどんと兵士が足りなくなった。
不足の兵士は、中国の関東軍から異動となった。これら異動になった兵士たちの多くは次々と
南の島で玉砕していった。
1945年米国は8月6日にヒロシマに、8月9日にナガサキに原爆を落とし、
壊滅的な打撃を加える。
そして、8月9日、ソ連が日本に開戦する。なんと174万人のソ連軍が満州になだれ込んだ。
すでに満州に軍隊らしい軍隊もおらず、多くの民間人が虐殺、強姦、強奪された。
(このへんのことは、五木寛之氏がときどき自分の体験として書いている)
スターリンは50万人くらいの日本人捕虜を捕まえ、シベリアなどの強制収用所で労働力
として使うよう指示した。
シベリア抑留となった人たちの一割は寒さや飢餓や病気で死に、残りの人たちが日本に戻されたのは
1956年のことだった。終戦から11年もたっていた!
京都の舞鶴港に船で返されたようです。
終戦時に満州にいた日本人たちの中には、特に赤ちゃんや子供たちは中国人に預けられたり
女性は中国人の妻になった人たちもいる。彼らが中国残留孤児であり、1981年から、やっと
この人たちを探すように日本政府は動き出した。
ちなみに満州帝国皇帝となった溥儀は、ロシアの収容所に送られ、1950年に中国共産党の
手に移された。「再教育」をさせられ、最後は北京の植物園の庭師として働き、1967年、
61歳で波瀾にとんだ生涯を閉じた。
戦後、中国は、満州帝国のことを「偽満」(ウエイマン)と呼んでいる。
わずか13年で滅んだ満州帝国は、幻のようなものだった。
本当に、最近、自分の無知さを痛感します。
自国の歴史は、何も見ずに、ざっと話せるようになりたい。
でも、考えてみたら、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争って、要するに、
中国、ロシア、アメリカと戦争したわけですからね。
今、冷静に考えて見たら、日本は、世界の超大国と戦争したんですね。
立派でもあり、無謀でもあり、愚かでもあり、結果は悲劇でした。
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学校がいかに表面しか詰め込んでいないかって分かりますね。ロシアもひどい!
一度この本を読まなきゃとは思いますが、なかなか一歩出せませんね、内容が内容だけに。
2012/4/30(月) 午後 8:16
モノケさん、こんばんは。このシリーズ、秀逸です。日本もロシアも米国も碌なもんじゃないですよ。少なくとも中国や朝鮮は被害者だった。イメージに誤魔化されないようにして、事実を追っていく必要があります。「事実」かどうか、という大きな問題がありますが、1つ1つの事件に焦点を向けるのではなく、縦横の流れの中で捉えれば、それほど大きくは事実から逸脱しないのではないか、と考えます。
2012/4/30(月) 午後 8:23 [ dareyanen22 ]