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今月のNHKのEテレの「100分de名著」は、吉田兼好の『徒然草』。
解説は「古文のマドンナ」と呼ばれる予備校講師の荻野文子さん。
TVは見る時間がないけど、テキストを買ってきて読みました。
もともと吉田兼好には興味があったのですが、なにせ古文ですから、
とっつきにくい。こういう分かりやすい紹介、解説があると嬉しいです。
荻野さんいわく、平安・鎌倉時代の名随筆のそれぞれの特徴は;
『徒然草』吉田兼好は蟻を高みから見ている人
『枕草子』清少納言は蟻の一匹として周囲を見回している人
『方丈記』鴨長明は蟻への関心を捨てた人
ということらしく、もちろん、「蟻」というのは、我々人間のことです。
吉田兼好は13世紀後半から14世紀半ば、つまり、鎌倉末期から南北朝の混乱期まで生きた人です。下級貴族に生まれ、宮中に入って後二条天皇にも仕えますが、三十歳くらいで出家します。出家したといっても、かなり俗っぽい坊主だったようです。頭は良かったのですが、僧侶でも、神官でも、歌人でも、学者でもなく、隠遁の好事家に過ぎなかった。時代は混乱期で、明日はどうなるかわからず、その中で、きわめて不安定な職についていた、と言えます。(収入は、他人の和歌や恋文などの代筆など)。
そんな彼の随筆(エッセイ)が700年の年月を過ぎてもなぜ、どう面白いのか。それは、彼の洞察力が、21世紀の今でも生きているからです。
序文はあまりにも有名ですが;
つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
(なすこともなく所在ない寂しさにまかせて、終日、硯にむかって、心に浮かんでは消える取りとめのないことを、何ということもなく書きつけていると、我ながら妙に興が湧いてきて、取り憑かれたようにもの狂おしい気さえすることである)
これは、まさに、現代で言えば、我々のようにPCに向かってブログを書いているような感じですね。
やることもなく、寂しさにかまけて、終日、PCに向かって、心に浮かんだいろんなことを書いているうちに、我ながら、妙に興奮してきて、夢中でブログを書いている自分に気がつく。
書くことがカタルシスなんですね。
彼は、
「結婚なんてするものではない」
「子供などつくるものではない」
「女なんてろくなものではない」
などとも言っているのですが(かなり辛らつ!)、どの意見もいろいろとバランスが取れていて、しかも実は優しさもユーモアもあります。
男女のつきあいについて(第百九十段);
いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく、にくからむ。
女のためにも半空にこそあらめ。よそながら、時々通いすまむこそ、
年月へても絶えぬなからひともならめ。
あからさまにきて、とまりゐなどせむは、めづらしかりぬべし。
(どんな女であっても、朝夕暮らして顔をつき合わせていると、随分と気に障ることもあり、きっと憎々しくもなるだろう。それは、女のためにも中途半端なことになるに違いない。他所に住んだままで、時々通い住むならば、そのほうが年月が経っても絶えない仲となるだろう。ふらりと来て、泊まったりなどするようなのは、きっと新鮮な気持ちがするに違いない。)
要するに自由恋愛の薦めですね。
「つまらぬ結婚生活は、互いを卑しくする」
というのが兼好の主張です。彼自身は一生独身でした。
と言いつつも、一方で、第百四十二段では、
「俗世間を捨てて出家した人が、普通に家庭を持っている人の
家族のしがらみが多くて、なにかと人へのへつらいが多いのを見て、
軽蔑するのはよくない。
その人の心になって思えば、本当に愛しくてならない親のため、妻子のためには
恥を忘れ、きっと盗みさえするに違いない」
などとも書いています。
しかし、『徒然草』の最大の特徴は、「無常観」ですので、その辺について
書いているところを次回、ご紹介致します。
かなり面白い本です。
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