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少し春めいてきた。春と言えば、男と女。キレイな交際もいいけど、猥褻なことも楽しい。
男女の秘め事というのは、当事者にしてみると、これは絶対に人に見せられない、人には話せない、などと思いながら、いろいろとエキサイティングなことをする。そういうときには、恥ずかしさが興奮となり、人に知られてはならない秘め事であることであるからこそ、燃え上がったりする。自分の世界に没頭しているわけで、場合によっては、嗚呼、もう、どうなってもいい、などとも思うのである。
しかし、実際は、他の人たちも同じようなことをしているのであって、ここまで猥褻なことは我々だけだろう、などと思っているとそれは大きな間違いである。皆さん、大体のことをやっている。小説にもなっているし、映画にもなっているし、そして、現実はもっと多様であると思う。
だから、赤裸々な自分の性体験を小説に書こうと思ったところで、その描写なり、文章なり、物語なりが卓越していない限り、多くは退屈だし、もしくは、ただただ欲情を煽るだけの文章になってしまう。
「俺のナニはビンビンだぜ」「私は実は淫乱なの」などと若者が「どうだ!」と密かなプライドを抱こうとも、実は、もう枯れたようにみえるご老人たちも、かつては同様にビンビンで淫乱だったのだ。もしくは、枯れたように見えていても、全然枯れていないかもしれない。
猥褻とは「いたずらに性欲を興奮、 または刺激せしめ、かつ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すること 」という刑法の定義があって、猥褻物の陳列、販売などは犯罪扱いではあるが、人知れず、猥褻な行為をしても犯罪ではない。
性的な猥褻はローマのカリグラの時代から、日本は古事記、源氏物語の時代で既に有名な作品が生まれるくらいだから、サルから進化した人間が二十一世紀になって新たな猥褻行為を発明するとも思えない。
男女の秘め事は、視覚、味覚、触覚、聴覚、嗅覚を総動員して楽しむものであって、これが心と体の双方を激しく興奮させて、まさに今、生きていることを実感させてくれる。ところが、コンピュータの発達で、バーチャルな猥褻さを体験する人々が増えると、これら五感の総動員もなくなり、人肌も感じず、相手の心も感じあえない不毛な猥褻さが増えている。性欲の少ない若者、薄い精子、セックスは面倒くさいと考える若者たちはある意味不幸でもある。
以前は4月になれば新入社員がたくさん配属されて、なんともいえない健康的なフェロモンが漂っていたけど、最近の職場には加齢臭がする。猥褻だとか秘め事でなくて、エロスと言ってもいいかもしれない。生きるもののエネルギーのようなものを感じることが少ない。
女性は秘め事でお腹の中をかき混ぜてもらい、体内から多量の分泌液を出して、血流が全身を巡り、肌は桜色に変わり美しくなる。性的に満たされている女性は幸せである。男は、血が一箇所に集まって放出に向かって準備態勢が整う、ただのオスの動物のようになる。性的に元気で満たされている男性もまた幸せである。
秘め事に至る過程は様々であり、その後の経過も余韻を残して花びらの散った後の桜林のような風情がある。
3月に入り、一雨ごとに暖かくなってきた。あと一月もすれば桜が咲く。春爛漫になる。現代社会でストレスのたまった人たちは、たまには理性を捨てて、狂ったように野性に帰るか、猥褻なことでもして、人間性を回復したほうがいい。お金のためでもなく、名誉のためでもなく、出世のためでもなく、親孝行でもなく、正義のためでもなく。犯罪にならない程度にね。相手がいればの話ですが。
(dareyanenも頭がおかしくなった、と思われるかもしれないけど、日本には愛が足りない。
そんな気がするのです)
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