|
可能性があるって?
笑わせちゃいけない。
中上健次(1946-1992)。日本の作家。
和歌山県出身。被差別部落出身。
『十九歳の地図』より。新聞配達をする予備校生が主人公。
彼は将来に希望がないだけでなく、この世を憎んでいる。
若いとき、どれだけ言われたことだろう?
「君たちは、まだ若いんだから将来がある」
「大きな夢を持ちなさい」
でも、それこそ、真っ白なキャンバスに好きなだけ
大きな絵を描きなさい、と言われても
どんな絵を描いたらいいのかわからなかった。
今、50歳を過ぎて若い人たちを見ると、やはり同様に
「若くていいなあ」と思う。それは、ただ若いということへの
羨みだけではなく、やはり、まだ、何も確定していない将来の
可能性についての羨望だろう。
でも、誰もが恵まれた環境で夢を育んで行くわけではない。
努力するにも才能が必要だ。そして、運。
マスコミで取り上げられる一部の成功者よりも
失意のもとに社会を憎悪する人たちが多くいても
なんの不思議もない。
|
過去の投稿月別表示
[ リスト | 詳細 ]
|
張景恵(1871-1959):満州帝国の総理大臣は、帝国が終焉したとき、こう語った。
日本の軍隊は世界一強いが、
日本の軍人は戦争の意義を知らない。
戦争は国と国との取引の一つの手段に過ぎないものだ。
だから負け戦を5分か7分かで喰い止めるのも戦争上手なわけだが、
日本の軍人は戦争と個人同士の果し合いを混同して、
どちらかが息の根を止めるまで戦おうとする。
惜しい軍隊を失った。
この数ヶ月、明治から終戦までの本を何冊か読んできた。なぜ、日本は戦争に
突入したのか?なぜ、日本は朝鮮、中国、東南アジアなどに侵略したのか?
なぜ、日本は負けたのか?
といったことを知りたいのだ。
そして、つくづく思ったのは、張景恵の言うとおりだ。もちろん、誰がどういう立場で
書いた本かということも重要だけど、日本軍に共通していることがある。
それは、最後まで降伏しなかった、ということだ。負けるくらいならば、捕虜になるくらい
ならば自決しよう。自爆してでも相手を殺そう!
自分たちに逆らう者たちは容赦なく殺そう!
と狂気の集団に見えることだ。
戦争は外交の一手段であり、仮に局地戦で負けて白旗を掲げても、恥ずかしいことではない。
それは局地戦での敗北を意味するが、国の敗北を意味することではないのだ。
欧米軍は、太平洋戦争で最初、次々と降伏していった。日本は調子に乗っていった。
中国でも時には激しい抵抗にあいながらも、中国は次々に降伏していった。
でも、最後は欧米と中国、いわゆる連合軍が勝利した。
長年鎖国をしていた日本は外交べたなのか?
島国日本は、戦争に慣れていないのか?
サムライ魂が、恥の文化をつくり、白旗掲げるくらいならば自決を選んだのか?
それとも天皇を神とあがめ、日本人はイスラム原理主義者たちのように狂信的な
宗教信者だったのか?
日本人の戦争での戦い方は、残念ながら、今でも一部会社に残っている。
あえて、張景恵の言葉をモディファイしてみよう;
日本の企業は世界一強いが、
日本人は企業の意義を知らない。
企業は生活の糧を得るための一つの手段に過ぎないものだ。
だから売れなければ、のんびりと余暇を楽しむのも生き方上手なわけだが、
日本人は仕事の業績と個人の生活を混同して、
自分の健康以上に会社での仕事を優先して死んでしまう人もいる。
惜しい人を失った。
|
|
あなたは、「満州」について、何を知っていますか?
図書館で借りてきた『満州帝国』(ふくろうの本、河出書房新社)を読んだ。
写真も豊富で、文章は簡潔で、150ページ余りの本だが、内容は非常に濃い。
さらっと読む本でもなければ、読める本でもない。だけど、これを読めば中国人が
なぜ日本人を憎むか、なぜ、日本はそんな愚行に走ってしまったか、我々が学校で
習わなかった様々な先の大戦の背景を知ることができる。
この本は、決して日本だけを悪者にしているわけではない。調べた範囲で淡々と
書いている。歴史というのは、ある事件だけを取り出して語ることにあまり意味はない。
必ず縦横の背景があり、歴史的な、もしくは運命的な必然と偶然がある。
もちろん、日本の海外侵略の話ですが。
なぜ「満州」なのか?
恥かしながら、私が満州について知っていたのは、中国北部のある地域を日本が
満州と呼んでいた、という程度。
下の地図を見てください。
満州とは、この赤いところです。
私はずっと思っていました。なんでまた、こんな寒そうな場所を占領したのか、と。
日本の隣国は朝鮮で、その朝鮮を占領したら、次に侵略すべきはその上だったんですね。
そして、この満州という地域は、この地図ではわかりませんが、ちょうど、万里の長城の
北側なんです。(万里の長城は8000km以上ありますから、、もっともっと長いのですが)
ペリーに門戸を叩かれた日本は1868年に明治維新を行い、大急ぎで西洋化を進めます。
日本も鎖国をしていましたが、朝鮮も鎖国をしていました。明治になり、隣国の朝鮮と修好を復活させようと
したら、拒否されます。朝鮮には清の後ろ盾がありました。とはいえ、当時の清は、欧米にどんどん侵食され、
ベトナムなどの属国を奪われ、朝鮮は最後の属国でした。
日本は武力でもって、朝鮮の門戸を開きにかかります。
1875年に朝鮮の海岸で勝手に測量していた日本軍に朝鮮が砲撃。「待ってました!」とばかりに
日本は応戦して、江華島の砲台を占領(江華島事件)。これで日本に一方的に有利な日朝修好
条約を結ばせます。
1882年、朝鮮で暴動(壬午の変)が起こり、日本人数人が殺され、日本大使館が占拠される。
日本は在朝邦人保護の名目で朝鮮に軍隊を駐留させるようになる。
1894年、朝鮮全土に甲午農民戦争(東学党の乱)という民間宗教団体の暴動が起こる。
朝鮮政府はこれを鎮圧できず清に援軍を頼む。これを日本は天津条約違反だ、として
さらに大量の軍隊を朝鮮に派兵する。そして、なんだかんだ口実をつけて、朝鮮の宗主権を
争って、清と戦争を始める。これが日清戦争だ。
日本艦隊は清軍を圧倒し、陸軍は平壌も攻略する。そして、日本軍は「満州地域」にも
突入し、遼東半島(朝鮮半島の根元、西にある)を占領する。戦争は日本の勝利となり、
1895年、圧倒的に日本に有利な下関条約を締結する。
・朝鮮の独立承認
・台湾・遼東半島の割譲
・多額な賠償金の支払い
などなど。
ところが、下関条約から1週間目に、ロシア、フランス、ドイツからこの条約内容を破棄せよ!
という「三国干渉」が入る。とくにロシアだ。ロシアはシベリア鉄道を建設中で、満州を縦貫させたい
と考えており、やがては遼東半島や朝鮮半島につなげたいと考えていた。
こうして、ロシアが日本の「敵」となっていく。
・・・などと書いていくときりがない。でも、こういう本はちゃんと読まねばならない。
やがて日本は朝鮮、満州、遼東半島の権益をめぐって、日露戦争に突入、なんとか勝利する。
勝利といっても、あくまでも局地戦であって、日本がモスクワを占拠したわけではない。
そして、1910年、日本は朝鮮を併合する。
占領した朝鮮の保全のために、さらにその北部の満州を自分のものにする。
その方法と言うのが、満州帝国の建国だった。
もともと、万里の長城の北側は、漢民族ではなく、様々な騎馬民族、非・漢民族が住んでいた。
秦の時代に北方民族の進入に悩んだ始皇帝が建設を始め、やがて明の時代まで相当増設している。
清は女真族(満州民族)の興した国だった。その清は、1911年の辛亥革命で滅び、孫文などが
1912年漢民族の中華民国を興す。
(ちょうど、日本は大正時代となる)
滅んだ清朝最後の皇帝が溥儀だ。いわゆる「ラスト・エンペラー」だ。
清滅亡時、溥儀は、まだ、6歳だった。日本は、この少年をうまく利用して、中国の北部に新しい国
「満州帝国」を築いた。1932年のことだった。
完全な日本の傀儡帝国だった。「占領」すると国際非難を浴びるだろうから、新しい国「満州」
を建国して、中国人の皇帝を立て後ろから操ろうとした。でも、世界のどの国から見ても
ばればれだった。
日本から満州には大量の移民が移り住んでいった。
日本軍は満州からさらに南下して、中国本土を次々と占領して行く。日本に逆らうものは、容赦なく
殺していった(臨陣格殺)。中国に駐留する関東軍(日本軍)は人数も多く(最大75万人いた)、
勢いがあり、残虐だった。
日本は同時に南方、東南アジア地域も侵略していく。日本が国際的に孤立して、石油などが
手に入らなくなったので、インドネシアあたりの原油を確保するために順次、侵略して
いった。その流れの中で、東から米国が攻めてくるのを避けるため、先制攻撃をかけたのが
1941年の真珠湾攻撃だった。
最初は好調だった海軍だが、ミッドウエー海戦あたりから敗戦が続き、どんどんと兵士が足りなくなった。
不足の兵士は、中国の関東軍から異動となった。これら異動になった兵士たちの多くは次々と
南の島で玉砕していった。
1945年米国は8月6日にヒロシマに、8月9日にナガサキに原爆を落とし、
壊滅的な打撃を加える。
そして、8月9日、ソ連が日本に開戦する。なんと174万人のソ連軍が満州になだれ込んだ。
すでに満州に軍隊らしい軍隊もおらず、多くの民間人が虐殺、強姦、強奪された。
(このへんのことは、五木寛之氏がときどき自分の体験として書いている)
スターリンは50万人くらいの日本人捕虜を捕まえ、シベリアなどの強制収用所で労働力
として使うよう指示した。
シベリア抑留となった人たちの一割は寒さや飢餓や病気で死に、残りの人たちが日本に戻されたのは
1956年のことだった。終戦から11年もたっていた!
京都の舞鶴港に船で返されたようです。
終戦時に満州にいた日本人たちの中には、特に赤ちゃんや子供たちは中国人に預けられたり
女性は中国人の妻になった人たちもいる。彼らが中国残留孤児であり、1981年から、やっと
この人たちを探すように日本政府は動き出した。
ちなみに満州帝国皇帝となった溥儀は、ロシアの収容所に送られ、1950年に中国共産党の
手に移された。「再教育」をさせられ、最後は北京の植物園の庭師として働き、1967年、
61歳で波瀾にとんだ生涯を閉じた。
戦後、中国は、満州帝国のことを「偽満」(ウエイマン)と呼んでいる。
わずか13年で滅んだ満州帝国は、幻のようなものだった。
本当に、最近、自分の無知さを痛感します。
自国の歴史は、何も見ずに、ざっと話せるようになりたい。
でも、考えてみたら、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争って、要するに、
中国、ロシア、アメリカと戦争したわけですからね。
今、冷静に考えて見たら、日本は、世界の超大国と戦争したんですね。
立派でもあり、無謀でもあり、愚かでもあり、結果は悲劇でした。
|
|
こけたら
立ちなはれ
松下幸之助(1894−1989)。和歌山県出身。
日本の実業家、発明家。パナソニックを一代で築いた。
9歳で丁稚奉公に出て、苦労とアイデアで電機業界で事業拡大する。
第二次大戦中は軍需品の供給も行った。
PHP研究所を設立し倫理教育に乗り出す一方、晩年は
松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。
長者番付で日本一に10回なっている。
幸之助には名言が数え切れないほどある。
男は男、女は女。
牛はモーで、馬はヒヒン。
繁栄の原理はきわめて素直である。
なんていうのもある。
私の個人的なイメージでは、彼はケチだった。
そして、ナショナルという会社は、ほとんど「物まね」の
ような製品しか出さず、オリジナリティに欠けていた。
それでも成功したのは彼の経営が良かったからか。
彼はバブルの絶頂でこの世を去ったが、もし、今生きて、
パナソニックの惨状を知ったら、なんというだろう?
|
|
今日、うれしいことがありました。
8時頃まで残業して、帰り際に、横のシマでまだ働いていた派遣女性
(27歳。来てまだ4ヶ月くらい。この製品はとても忙しい)に、
「Mさんも仕事の鬼になってきたね」
と冗談で残業を労ったら
「いえいえ、何かといろいろと巻き込まれてしまって・・・」
と彼女。彼女との机のキョリは近いけど、口を利くことは滅多にない。
そして、彼女いわく
「そういえば、dareyanenさんの英語の話し方って、すごくエレガントですよね。
とても気品があるように聞こえます」と。
「え!?そんなのこと言われたことないよ。嬉しいなぁ」
と素直に喜びました。
大人になると褒められることが少なくなります。でも、こうして褒められると
嬉しいですね。
で、ついでに私からはこんな話をしました。
**
僕が20代の頃、英会話学校に行っていたんだけど、最初の授業で
先生に「dar君、ちょっと読んでみなさい」と言われて英文を読んだんだよ。
そしたら先生が
「dar君、誰もいわないだろうから、私から言おう。君の英語はひどい。
ひどい発音だよ。」と言ったんだよ。そしてね
「実は私は青森出身で、すごい津軽弁だったんだよ。今でも、もちろん
津軽弁はネイティブだからペラペラだけど。18歳のときに上京してね、
津軽訛りのためにタバコすら買えなかったんだ。
今のdar君は、当時の私のようなものだ。津軽人が東京に来て、津軽弁を
しゃべっている。誰もが変だと思い、何を言っているのかわからないけど、
あえて指摘しない。
私はNHKのラジオで日本語会話を1年間、ばっちり聞いて学習したんだよ。
だから、こんなに東京弁がペラペラなんだ。
もっと、声に出して読まないとダメだよ。会社帰り、家の最寄り駅について
家まで帰る道すがら、大きな声で一人で英語をしゃべるんだ。今日あった
出来事とか、なんでもいいから。誰も聞いちゃいないよ。
声に出す練習を重ねないと、絶対に発音は上達しないよ」
ってね。
だからと言って、今でも僕の発音はひどいもんだと思うけど、とにかく
元気をくれるいい先生だったよ。
***
実際、私の英語レベルはいまだにそれほど高くないし、発音も日本語英語ですけど
「話し方がエレガント」なんて、言われると嬉しいですね。
(確かに英語レベルが高くても、なんだかせわしい話し方だったり、聞いていて
美しくない人は多いですね)
自分が褒められて嬉しいならば、人のことも褒めないといけませんね。
「すごい!」と思いながら嫉妬ややっかみもあって、なかなか人は身近な人を
褒めない。
「己の欲せざるところ、人に施すなかれ」を逆に言えば、
「自分がして欲しいことを、人にしてあげなさい」ということでも
あるんですね。
「一日一褒」。
そうすると皆に喜ばれ、人気者になるかもしれない。
褒めるのはFree of chargeですからね。
|




