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雑草という植物はない。
昭和天皇(1901-1989)。日本の第124代天皇。裕仁。
在位1926年12月25日〜1989年1月7日。
生物学者でもある。
思えば、大変な時代を生きたものだと思う。
幼少のとき、学習院で乃木希典、後に東郷平八郎から教育を受ける。
病弱な父から皇位を継承したときは、まだ、25歳。
関東軍は中国で勝手に勢力を伸ばし、しかし、その中国では
孫文、袁世凱、張作霖、蒋介石、毛沢東といった様々な勢力が台頭していた。
日本は、満州帝国を建国し、南方へも兵力を向け、米国のハワイにも
攻撃し、太平洋戦争に突入していった。そして、米軍による爆撃で無条件降伏。
1945年まで、彼は「神」だった。
戦後、TVドラマ「おしん」を見て、
「ああいう具合に国民が苦しんでいたとは、知らなかった」
と感想を述べたという。
満州帝国の溥儀同様、日本の天皇家は、傀儡として
政治に利用されてきたのではないか。
上のコメントが天皇としての発言だったのか、
生物学者としての発言だったのかはわからない。
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一泊二日で妻の実家、千葉県の千倉へ行ってきました。妻の父の十三回忌の法要です。
千倉というのは、房総半島の先端から少し外房にいったところで、千葉とはいえ、大変な
田舎です。観光地、別荘地でもあります。
久しぶりの訪問で、7年ぶりくらいです。
妻の実家は海から2kmくらいの山と田んぼの間にあります。県道から細い小道に
入っていきます。こんな家の入り口です。
この入り口の坂を上ると、こんな感じに中が見えてきます。
手前左の建物は、もと馬小屋で今は車庫です。右の建物は、1階が車庫で2回は泊まれる様に
畳部屋です。亡父が「ゲストハウス」として作ったようです。
さらに奥に行きますと、家と庭が見えてきます。
5月3日はあいにくの雨でしたが、4日は朝から晴れ渡りました。
空は青く、雲は白い。朝からウグイスがさかんに啼いていました。
義母(80歳)の一人暮らしです。
猫が二匹います。
庭の一角には弓道場もあります。この階段を上って行くと、弓道場があって、2人立てます。
立つ所は屋根付きの建物で、反対側には的があります。亡父が地元高校の弓道部の監督などを
していました。しかし、今では誰も使わないため、草に覆われています。
家の奥の裏側です。台所から出たり、洗濯機があったり・・・。
右のほうでは、以前は、烏骨鶏を30羽くらい飼っていました。
庭の奥には、清水が湧いており、水の神様を祭ってあります。
井戸水と水道を使っていますが、ここの井戸水で炊いたご飯、淹れたお茶はとても美味しいです。
これは、庭の奥にある物置。かなり古い。
妻の一族は、この地に300年以上住んでいるそうです。もちろん、家は建て替えてきたのですが、
今はかなりのオンボロの安普請しか残っていません。それでも、私が結婚した当時、今から20年くらい
前は、茅葺の屋根もあり、とても「趣」がありました。
集まったのは、
・妻の母(80歳)
・長女(53歳)と夫(55歳)、息子(27歳)、娘(26歳)、息子(25歳);愛知県から
・二女(51歳)と夫(52歳=私)、息子(20歳)、息子(14歳)、;埼玉県から
・長男(44歳)と妻(44歳)、息子(18歳)、娘(13歳);千葉県から
の14人。
そして、お坊さん。
家で法要をして、歩いて5分の先祖代々のお墓へ行って、ご焼香。
再び、家に戻り、皆で仕出しの料理を頂きました。
義理の父(亡父)も、これだけの身内が集まって、喜んだと思います。
義母80歳も、「もう、一度に皆さんに会えるのは、これが最後だと思う」と言いました。
とはいえ、義母自身は、まだまだ元気で、山登りをしたり、海外旅行したり楽しんでいます。
マチュピチュにも行ったし、今年の2月にはベトナム、カンボジアにも行った。
イタリアには2回行ったけど、まだ、行きたりない、と。
甥や姪が大きく成長し、その分、我々、親世代は年を取ったのですが、80歳でこの元気な
義母を見ていると、まだまだ老いていられないなぁと思いました。
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