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中国に奴隷はいたのか?
歴史を見ていくと、「都市」ができれば貧富の差が生まれ、「国家」が
できれば戦争や「奴隷」が生まれているように見えます。
あれだけの文明を持ち、多くの戦争や革命のあった中国で奴隷がいなかった
はずがないのですが、高校生の教科書レベルでは記載がありません。
参考書をよく読むと見つけました!
諸子百家の一人、墨家の墨子(紀元前5世紀頃)の説明で、「罪人または
奴隷出身で、顔に刺青があったため、墨子と呼ばれたらしい。」と。
孔子が親兄弟への愛を説いたのに対して、墨子は「無差別の愛」を説いた
ようです。「すべての人を自分自身を愛するように愛せよ」ということ
だそうです。しかし、顔に刺青を入れられては、一生消えることがない
ということですね。そういう立場の人がよくも2500年も後に残る思想を
残せたものだと感心します。
中国の奴隷について、さらにインターネットで調べました。ありました!
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-16-4.html
非常に詳しく書かれていますが、ざっくりと抜粋させていただきます。
リンク大歓迎ということなので、出展を明らかにすれば引用は許されると
考えさせていただきます。「 」内が引用です。まさに歴史の裏です。
よく出てくる奴婢は「ぬひ」と読みます。
「殷の時代から奴隷狩りが行われていた中国では、少数民族イ族の奴隷制度が
1949年の中華人民共和国成立後もつづき、1956年にようやく廃止された。」
「商(殷)の時代:
当時の社会は、特権階級の王族・貴族が、奴隷やさまざまな職人集団を支配していた。大型の墓には多くの奴隷が殉葬されており、甲骨文にも奴隷の記事がみられる。」
「秦・漢の時代
奴婢は、牛馬や土地、品物と同様に主人の財産であって、任意に使役され、売買された。奴婢には官奴婢と私奴婢があって、その数は非常に多かった。漢の高祖は重農政策をとり、債務奴隷を解放して平民とし、農業従事者を増加させた。
官奴婢とされたものは、重罪犯の家族、戦争捕虜などである。 私奴婢の主たる来源は、破産した農民である。また債務奴隷や、誘拐されて売られたもの、もと官奴婢で恩賞として与えられたものなど」
「隋・唐・五代の時代
北魏の法には奴婢と、隷戸の二種の賤民があった。隋唐の社会においては、士族を除けば、大まかに二種類の階層に分かれる。一つは良民で、農工商よりなる。二つ目は賤民である。隋代には、賤民は楽戸と奴婢とに分かれていた。
唐代には、雑戸、番戸と奴婢に分かれた。雑戸は各役所の下で使役され、戸籍を有した、百姓と同じく口分田を受けた。番戸は各役所の下で使役されたが、戸籍を持たなかった。奴婢は最低の地位におかれ、主人の財産の一部とされた。
唐律には奴婢と、部曲の二種の賤民が規定されている。 唐代には奴婢を蓄える風潮が盛んであったが、五代にいたって社会が乱れ、奴婢が主人を脅かすようになり、奴婢を蓄える風潮は弱まっていった。」
「會昌の法難
唐の武宗は會昌初年(841年)から仏教弾圧をはじめた。その結果、大きな寺院四千六百、小寺院等の仏教建築四万を打ち壊し、二十六万余人の僧尼を還俗せしめた。さらに、寺院の土地と、寺が所有していた奴婢十五万人を差し押さえた。つまり寺院は大奴隷主であったのである。」
「明・清の時代:
明代には、元代と同じく職業による身分を世襲していた。賤民の下に奴婢が位置づけられていた。賤民は、社会からの排除を受けたが所有されることもなく売買されることもなかった。故に奴隷ではなく自由民の一種である。これに対して奴婢は所有・売買される奴隷である。」
「苦力とは、インドや旧中国の労働者、とくに荷担ぎ夫、鉱夫、車夫などをさす。タミル語で雇うということばを英語でcooly, coolieと表記し、それを中国で苦力と表記したといわれる。人間労働力として売買される点では奴隷と同じであった。アメリカではリンカーンにより1862年に奴隷が解放されたが、苦力は奴隷にかわる労働力として、清朝の禁令にもかかわらず、外国の商人や中国買弁の手で香港、マカオを中心に、西インド諸島、南アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなどに大量に送られた。苦力の売買は国際的には1874年マカオの苦力取引禁止令によって終わったが、中国では形を変えた苦力制度が長く温存され、日本も中国侵略中、鉱山、土建業、港湾においてこの制度を利用した。1949年10月の中華人民共和国成立以降、こうした制度は完全に廃止された。」
「イ族:
中国西南部に住む少数民族イ(彝)族は中国の55の少数民族の一つで、人口約650万人と人口も多く、現在、四川、雲南、貴州に広く分布するチベット系の民族である。独自の文字を有している。古代奴隷制度が1949年の中華人民共和国成立後もしばらくつづいた。1952年、四川省凉山イ族自治州が成立したが、自治州成立後も奴隷制度は数年間存続し、1956年、奴隷解放が決定され、古代からの長きにわたった奴隷制度が、ようやく消滅する事となった。
最下層のクラスは、呷西(ガシ)で、漢語で「鍋荘娃子」(イロリのそばで働く奴隷と言う意味)と呼ぶ奴隷。総人口の1割程度がこれに属し、奴隷主の家に住み込んで24時間拘束され、どのような自由も権利ももたない。殆どが、一生を独身で終わる男女で、彼らは主として、漢民族居住地区から掠奪されてきた人やその子孫で、主人に金で買われた者もいる。少数は忠実に働くと、主人から妻をあてがわれ少しの土地と家をもらい、瓦加に昇格することもある。こうした3階層の奴隷は、自由・権利を持たず、貧苦の生活を強いられ、もし逃亡したり反抗すれば、目をくりぬいたり、鼻をそいだり、生き埋めにするなど、非常に残酷な刑罰を受けた。」
奴隷は家畜のように売買され、「所有」される対象だったようです。
奴隷を調べていくと、必ずぶち当たるのが「階層社会」です。これが
世襲的だったケースがほとんどですね。
なぜ、高校生の歴史の本には中国の奴隷制度について何も言及がないのか?
イスラムの奴隷売買、列強による黒人の売買については、かなりの記述があるにも
かかわらず、中国のこういう「闇」については書いていない。
明らかに中国側の圧力があるのだと私は思います。日本の歴史についても中国は
干渉しますが、中国の歴史についても日本の教科書の内容について中国は干渉して
いるのでしょう。
よく出てくるのが、北方民族の「侵略」とか「侵入」です。そしてそれを、中国側が
排除したり、制圧したり、和解したり、とまるで中国がいつも主人公です。
中華思想はともかくとして、日本の教科書で中国の立場から歴史を書く必要はない。
北方民族、匈奴などの立場でまるで書かれていない。しかも、見てください、この
「匈奴」というも文字を。なんていうひどい字を使っているのか。
匈奴、鮮卑、高車、突厥、吐蕃、瓦刺などなど字面に侮蔑が感じられる。
モンゴル語はわかりませんが、彼らが知ったら嫌がるでしょうね。
話は飛んでいますが、
日本は侵略国家だったのか?
列強の侵略は許されるのか?
そもそも世界の歴史はどうだったのか?
といったことを念頭に、奴隷シリーズを書いています。
まだまだ続きます。
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