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大英帝国の興亡(2)

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英国という国をどう表現したらいいのか。
英語での正式名は、United Kingdom of Great Britain and Nothern Irelandです。
イングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドから成っていて、
日本語では英国、イギリスなどと言いますが、英語では、UKと言います。
でも、このブログでは「英国」とします。

英国がオリンピックのサッカーにあえて出場しないのを知っていますか?
「オリンピックに出るとしたらUKとして出なくてはならず、そうすると、
ワールドカップもUKとして出場させられることになる、そんなのは嫌だ、
だから、ワールドカップだけ、昔どおり、イングランド、スコットランド、
ウエールズ、北アイルランド代表として予選から出場するんだ」
とイングランド人が以前話してくれました。

英国の国旗(ユニオン・ジャック)は、描こうと思っても結構難しい。
スコットランド国旗のセント・アンドルーとイングランド国旗のセント・ジョージ、
そこへアイルランド国旗のセント・パトリックが追加されて、今日の英国国旗が
出来上がったそうです。(ウエールズの国旗はどうしたんでしょう?)

世界史の教科書に英国が登場するのは、11世紀くらいからです。それ以前は
どうだったかと言うと、鉄器時代にケルト系のブリトン人というのがいました。

アングロサクソンっていうのは何か?
民族大移動期の5世紀半ば頃に、ローマ軍撤退後のブリテン島に移住したゲルマン人
(アングル人、ジュート人、サクソン人)を総称してアングロ・サクソン族というそうです。
アングロ・サクソン族は先住のブリトン人を奴隷化したり殺戮したりしたため、逃げのびた
ブリトン人は周縁地域へ追いやられ、その結果、ウェールズ、スコットランドを除くブリテン島
の主人公は、アングロ・サクソン人になったそうです。

米国で「アングロサクソン」が特別扱いされますが、実際は、かなりいろいろな民族の
混血であって、ローマが征服した時代もあるし、9−10世紀にはデンマーク系の進入、
また、ノルマン人(北欧)からの侵略もありました。それでも、英国系の白人をアングロ
サクソンと呼ぶことが多いですね。

現在の英国は、国土は日本の2/3、人口は日本の半分、GDPは世界5位、軍事力は
世界第5位くらい、核保有が「許されている」5カ国の1つです。
(核保有が許される国と許されない国がある、ということ自体おかしい)

18世紀には産業革命が始まり、19世紀には世界を制覇し、植民地政策をうまく
世界貿易に使い、栄華を極めますが、20世紀の第二次大戦後は植民地を失い、
行き過ぎた福祉政策のため重税感で国力は衰え、「老大国」とも言われています。

それでも、今でも「英語」は世界言語です。日本語が世界言語ではありえないことを
考えるとすごいことです。言語は文化です。アジアのどこかの国では、国際人?
になるために幼児から英語を始めようとしているようですが。

大西洋の日本よりも小さな島国が、どうやって世界制覇をしていったか、ということを
探ると、なにかが見えてきそうです。

かなり「したたかな国」のようです。
(日本がしたたかな国とは誰も言わないでしょう)

大英帝国の興亡

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大それたタイトルになってしまった。どこまで書けるかわからないけど、
書きたい。

南北アメリカ大陸は、どちらも16世紀から列強の白人の侵略を受けて、
先住民たちは虐殺されて、黒人奴隷を連れ込まれて、それでも本国人に対する反発から
米国は18世紀後半に、南米諸国は19世紀に次々に独立していきました。
(残念ながら先住民の独立ではなくて、移民の独立ですが)

しかし、その後を見ると、同じような歴史を持ちながら、米国は世界の
大国になったのに、南米はいまだに政情不安が続く発展途上国です。
こうした違いはなぜ起こったのだろう?運命の分かれ目はなんだったのか?

私の1つの予感としては、南米はカトリックが、北米はプロテスタントが
征服しました。あらためて世界を見ると、カトリックの国で経済発展して
いる国はないのでは?

いずれにせよ、北米、もしくはアメリカ合衆国の歴史を見る前に、英国の
歴史を見なくてはいけない。米国の基礎を作ったのは英国人です。
19世紀から20世紀の半ばまで、英国という国は世界を制覇していた。
(上の世界地図は1921年当時の大英帝国)
にもかかわらず、軍事大国のイメージがない。
どうしてだろう?

どうして、ドイツでもフランスでもなく、英国が世界を制覇したのか?
WASPとは何なのか?
アングロサクソンってなに?

日本と同じような小さな島国がどうしてそこまで発展したのか?
やつらはそんなに勤勉なのか?優秀なのか?
資源が豊富だったのか?

わからないことだらけです。
でも、面白そうなので、回数を重ねて調べて行きたいと思います。

次回に続きます。

奴隷の歴史(6)

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15世紀大航海時代が始まり、以降、300年間の間に、列強によって
有色人種の国々はほとんど植民地化されてしまいます。
19世紀後半に、独立を保っていた有色人種の国は、どこでしょう?

日本、タイ、清、朝鮮、エチオピア、それから?
(清と朝鮮は、列強と日本の侵略で「独立を保っていた」というのには
厳しいですが)

ところが、ポルトガル、スペインによって占領され、虐殺され、さらに黒人
奴隷をアフリカから大量に連れ込まれた南米諸国は、このときにとっくに
独立していたのです。(有色人種の国と言えるかどうかの問題がありますが)

アジア、アフリカの国々が第二次大戦以後、次々に独立して行ったよりも
約150年近く前に、南米諸国は独立を遂げました。

1804年 ハイチ独立
1816年 アルゼンチン独立
1818年 チリ独立
1819年 大コロンビア共和国成立
1821年 ペルー独立
1821年 メキシコ独立
1822年 ブラジル独立
1823年 中央アメリカ連邦成立
1825年 ボリビア独立
1828年 ウルグアイ独立

どうして南米諸国は、こんなにも早く独立できたのか?

これには、時代背景があります。
1776年 アメリカ合衆国独立
1789年 フランス革命
1807年 ナポレオンがスペインを占領
1808年 英国軍ポルトガルに上陸

こういった列強国内の混乱、列強国同士の戦争によるドサクサの中で、
植民地だった南米諸国は次々に独立します。
(植民地化されたのも早かったし、独立も早かった。しかし、その後の発展が遅い)

そんなに早く独立した南米諸国は、どうして今でも貧しいのか?

スペイン統治下の南米の社会構造は;(階級が上から)
ペニンスラール(欧州本国からの白人:特権階級)
クリオーリョ(植民地生まれの白人)
メスティーソ(白人とインディオの混血)
ムラート(白人と黒人の混血)
インディオ(先住民)
黒人(アフリカから連れてこられた奴隷)
(混血が早くから進んだのは、肌の色の違いに寛容だったからではないか
と私は思っています。それとも、強姦の結果?)

ブラジルの場合は、18世紀に金が発見されたため、ポルトガルから30万人
もの移民が一攫千金を求めてやってきました。1807年には、英国軍から
逃れるためにポルトガル王室関係の人たちが15000人もブラジルへ渡り、
ブラジルで特権階級に収まります。

南米では、大農園が多く、それを所有する一部の特権階級、裕福層と
あとは奴隷のように働く人々がいました。

ペニンスラールがクリオーリョを含むその他の人々を差別し、
そして、クリオーリョは、さらに下の人々を差別していました。
メスティーソ以下の人が人口の80%を占めていました。
こういう社会構造の中で、ハイチでは、ルーヴェルテュールという
黒人指導者が、その他の国々では、シモン=ボリバル、サン=マルティン
といったクリオーリョたちが欧州からの独立に向けて戦ったのです。
この独立を背後から支援したのが英国でした。

英国は、ポルトガルからワインを輸入し、衣料等の工業製品を輸出。
英国からの工業製品の輸入によってポルトガルの製造業は壊滅します。
さらに、英国は、ブラジルに工業製品を買わせることによって、ブラジル
の製造業も壊滅的に破壊されました。英国は、インドを含めた三国間貿易
(産業革命の技術、植民地の原材料、奴隷)をうまく利用することによって、
輸出大国になるだけでなく、工業製品の販売でその輸入国の製造業を次々に
破壊していったのです。

階層社会があったこと、支援してくれた英国が実は食いものにしていたこと、
学校教育水準が低かったことが南米の発展を阻害したようです。

1888年にブラジルでは奴隷制廃止となり、労働力不足になります。
1900年代にはいって、南欧や日本からも大量に移民がブラジルへ渡ります。
1820年から1930年までの移民の数は500万人と言われています。
日本から移民たちは、きっと農村の三男以下で、「広大な農地が待っている」
などと言われて行ったのでしょう。現在、飛行機でも24時間はかかるのに
当時の船で速くても2ヶ月以上かかったのでは。

1898年米西戦争で、米国が勝ち、米国は中米に進出。
20世紀に入り、第一次大戦後、相対的に英国の力が落ちていく一方で、
米国の力が上がってきます。英国に経済的に牛耳られていた南米は、今度は、
米国に軍事的な干渉を受ける時代になりました。

南米諸国は、独立後も200年近く、内乱、軍事クーデター、経済混乱など
を起こしながら政権交代を繰り返しています。貧富の差が激しく、平等を求めて
共産革命も起こり、しかし、米国にたたかれ、いまだに政情不安定な国々が
大多数です。

現代では「南米では人種差別はない」と聞いたことがありますが、差別は無くても
貧富の差は激しいようで、この理由は、各国に翻弄された歴史もさることながら、
本当の民主主義が無く、かつ、平等な教育制度がきちんと整備されていないから
ではないか、と私は思っています。

アメリカ合衆国と似た様な歴史でありながら、運命を分けてしまった南米諸国。
私の調査分析不足(知識不足)で、数々の「なぜ」にまだまだ答えられない状況です。
もっと、勉強しなくては。

奴隷の歴史(5)

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15世紀に「大航海時代」が始まります。
それまで地球は平らだと考えられていたのですが、「地球球体説」が
出てきて、羅針盤、航海術、造船技術も発達してきました。
大航海の主役はポルトガルとスペイン。地中海の東方にオスマン帝国があって
これを避けるような形で西へ南へと航海に出始めたのです。
スペイン国王の経済支援でイタリア人も活躍。

(これよりも早く中国・明の鄭和が15世紀の初めにベトナム、インド、アフリカまで
大航海をしています。アフリカからキリンを連れて帰ったりしているようですが、
黒人奴隷貿易については書かれていません)

1488年ディアス(ポルトガル人)喜望峰到達(アフリカ最南端)
1492年コロンブス(イタリア人)中米のサンサルバドルへ到達
1497−98年カボット(イタリア人)北米探検
1498年ヴァスコ=ダ=ガマ(ポルトガル人)カルカッタ(インド)到着
1499年〜アメリゴ・ヴェスプッチ南米探検
1500年カブラル(ポルトガル人)ブラジル到着

この後、ポルトガルは
1510年ゴア(インド)占領
1511年マラッカ占領
1512年モルッカ諸島に至る
1517年明との貿易開始
1518年セイロン占領
1543年種子島漂着(鉄砲を伝える)
1550年から平戸で対日貿易開始
1557年マカオの居住権獲得

一方、スペインは
1513年パナマ地峡横断、太平洋に
1519〜21年コルテス、アステカ帝国(メキシコ)征服
1519〜22年マゼラン世界一周
1532〜33年ピサロ、インカ帝国征服
1545年ボリビアに銀山発見

ふざけたことにローマ教皇が、ざっくり大西洋よりも東はポルトガル、西はスペインが
支配しなさい、と指示しているんです(1494年のトルデシリャス条約)
海外におけるポルトガルとスペインの争いを避ける目的だったようです。
線が少し西にずれて、ブラジルはポルトガルのものとなりました。

大航海時代はいわば世界貿易の始まりです。船と鉄砲の発達により、陸上に強かった
騎馬民族の覇権が衰退していきます。貿易を促進させたものは、当時の人が欲しかった
香料であり、銀であり、砂糖でした。そして、そのための鉱山、畑、労働力などが
必要で、未開の国の征服と奴隷が必要でした。

エンコミエンダ制(スペイン語)というのがあって、スペイン王室が植民者に与えた
先住民支配の信託(エンコミエンダ)制度だそうです。征服者や入植者にその功績や
身分に応じて一定数のインディオを割り当て、一定期間その労働力として使役する権利
を与えるとともに、彼らを保護しキリスト教徒に改宗させることを義務付けました。
結局、鉱山などで働かされた先住民たちは、重労働と欧州人が持ち込んだ病気で次々と
死んで行きました。

先住民が死んでしまって労働力が不足したために、アフリカの東西海岸からの黒人の
奴隷貿易がさかんとなります。
1518年にスペインは黒人奴隷輸入の最初の独占的許可状というのを発行。
1525年にはポルトガルがアフリカ東海岸(ザンジバルなど)に進出。
そして、西海岸からも南米に多くの黒人が奴隷として運ばれました。航海日数は数ヶ月
かかったらしく、荷物のようにして運ばれた黒人たちの多くは船底で死に、死体は海に
投げ捨てられたようです。19世紀までにアフリカから南北アメリカ大陸には1000万人
以上の黒人が奴隷として運ばれたそうです。仮に1船に100人として10万回運ばなければ
なりません。後の大きな船でも500人x2万回です。
300年間奴隷船が動いたとして、300年x365日=109,500日
少なくとも毎週1回は奴隷船が出航していたわけです。

16世紀には欧州で宗教革命も起こり、カトリック系のポルトガル、スペイン人
たちが、新しい布教場所を求めていったというのも、1つの真理だったかもしれません。
カトリックの教えをしりませんが、有色人種は人間として扱う必要がなかった
のかもしれません。もしくは、カトリックを信じる者だけが、生きるに値すると
考えたのでしょうか。「信心深い」ってどいうことでしょうか。
宗教や宗教の開祖、預言者は、まあ、良いのですが、後々、それにあぐらをかいて
権力の座についた宗教家たちを私は信用していません。もちろん、素晴らしい人も
いたのかもしれませんが。

歴史は、同時にいろいろなことが起こるのでややこしいのですが、16世紀の後半に
スペイン支配下のオランダが独立、そして、1588年スペインの無敵艦隊は英国海軍
に破れ徐々に世界での覇権を失っていきます。

今回は特に南米に焦点を当てたいと思っているのですが、ポルトガル、スペインに
よる征服、先住民虐殺、黒人奴隷輸入、そして、その後が、とても面白いのです。
最近まで知らなかったのですが、南米では独自の民族の融合、国家の成立がされます。
アジアよりも独立がずっと早いんですね。

それは、また次回にします。

奴隷の歴史(4)

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中国に奴隷はいたのか?
歴史を見ていくと、「都市」ができれば貧富の差が生まれ、「国家」が
できれば戦争や「奴隷」が生まれているように見えます。
あれだけの文明を持ち、多くの戦争や革命のあった中国で奴隷がいなかった
はずがないのですが、高校生の教科書レベルでは記載がありません。

参考書をよく読むと見つけました!
諸子百家の一人、墨家の墨子(紀元前5世紀頃)の説明で、「罪人または
奴隷出身で、顔に刺青があったため、墨子と呼ばれたらしい。」と。
孔子が親兄弟への愛を説いたのに対して、墨子は「無差別の愛」を説いた
ようです。「すべての人を自分自身を愛するように愛せよ」ということ
だそうです。しかし、顔に刺青を入れられては、一生消えることがない
ということですね。そういう立場の人がよくも2500年も後に残る思想を
残せたものだと感心します。

中国の奴隷について、さらにインターネットで調べました。ありました!
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-16-4.html
非常に詳しく書かれていますが、ざっくりと抜粋させていただきます。
リンク大歓迎ということなので、出展を明らかにすれば引用は許されると
考えさせていただきます。「 」内が引用です。まさに歴史の裏です。

よく出てくる奴婢は「ぬひ」と読みます。

「殷の時代から奴隷狩りが行われていた中国では、少数民族イ族の奴隷制度が
1949年の中華人民共和国成立後もつづき、1956年にようやく廃止された。」

「商(殷)の時代:
 当時の社会は、特権階級の王族・貴族が、奴隷やさまざまな職人集団を支配していた。大型の墓には多くの奴隷が殉葬されており、甲骨文にも奴隷の記事がみられる。」

「秦・漢の時代
奴婢は、牛馬や土地、品物と同様に主人の財産であって、任意に使役され、売買された。奴婢には官奴婢と私奴婢があって、その数は非常に多かった。漢の高祖は重農政策をとり、債務奴隷を解放して平民とし、農業従事者を増加させた。
 官奴婢とされたものは、重罪犯の家族、戦争捕虜などである。 私奴婢の主たる来源は、破産した農民である。また債務奴隷や、誘拐されて売られたもの、もと官奴婢で恩賞として与えられたものなど」
 
「隋・唐・五代の時代
 北魏の法には奴婢と、隷戸の二種の賤民があった。隋唐の社会においては、士族を除けば、大まかに二種類の階層に分かれる。一つは良民で、農工商よりなる。二つ目は賤民である。隋代には、賤民は楽戸と奴婢とに分かれていた。
 唐代には、雑戸、番戸と奴婢に分かれた。雑戸は各役所の下で使役され、戸籍を有した、百姓と同じく口分田を受けた。番戸は各役所の下で使役されたが、戸籍を持たなかった。奴婢は最低の地位におかれ、主人の財産の一部とされた。
 唐律には奴婢と、部曲の二種の賤民が規定されている。 唐代には奴婢を蓄える風潮が盛んであったが、五代にいたって社会が乱れ、奴婢が主人を脅かすようになり、奴婢を蓄える風潮は弱まっていった。」

「會昌の法難
 唐の武宗は會昌初年(841年)から仏教弾圧をはじめた。その結果、大きな寺院四千六百、小寺院等の仏教建築四万を打ち壊し、二十六万余人の僧尼を還俗せしめた。さらに、寺院の土地と、寺が所有していた奴婢十五万人を差し押さえた。つまり寺院は大奴隷主であったのである。」

「明・清の時代:
 明代には、元代と同じく職業による身分を世襲していた。賤民の下に奴婢が位置づけられていた。賤民は、社会からの排除を受けたが所有されることもなく売買されることもなかった。故に奴隷ではなく自由民の一種である。これに対して奴婢は所有・売買される奴隷である。」

「苦力とは、インドや旧中国の労働者、とくに荷担ぎ夫、鉱夫、車夫などをさす。タミル語で雇うということばを英語でcooly, coolieと表記し、それを中国で苦力と表記したといわれる。人間労働力として売買される点では奴隷と同じであった。アメリカではリンカーンにより1862年に奴隷が解放されたが、苦力は奴隷にかわる労働力として、清朝の禁令にもかかわらず、外国の商人や中国買弁の手で香港、マカオを中心に、西インド諸島、南アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなどに大量に送られた。苦力の売買は国際的には1874年マカオの苦力取引禁止令によって終わったが、中国では形を変えた苦力制度が長く温存され、日本も中国侵略中、鉱山、土建業、港湾においてこの制度を利用した。1949年10月の中華人民共和国成立以降、こうした制度は完全に廃止された。」

「イ族:
 中国西南部に住む少数民族イ(彝)族は中国の55の少数民族の一つで、人口約650万人と人口も多く、現在、四川、雲南、貴州に広く分布するチベット系の民族である。独自の文字を有している。古代奴隷制度が1949年の中華人民共和国成立後もしばらくつづいた。1952年、四川省凉山イ族自治州が成立したが、自治州成立後も奴隷制度は数年間存続し、1956年、奴隷解放が決定され、古代からの長きにわたった奴隷制度が、ようやく消滅する事となった。
   最下層のクラスは、呷西(ガシ)で、漢語で「鍋荘娃子」(イロリのそばで働く奴隷と言う意味)と呼ぶ奴隷。総人口の1割程度がこれに属し、奴隷主の家に住み込んで24時間拘束され、どのような自由も権利ももたない。殆どが、一生を独身で終わる男女で、彼らは主として、漢民族居住地区から掠奪されてきた人やその子孫で、主人に金で買われた者もいる。少数は忠実に働くと、主人から妻をあてがわれ少しの土地と家をもらい、瓦加に昇格することもある。こうした3階層の奴隷は、自由・権利を持たず、貧苦の生活を強いられ、もし逃亡したり反抗すれば、目をくりぬいたり、鼻をそいだり、生き埋めにするなど、非常に残酷な刑罰を受けた。」

奴隷は家畜のように売買され、「所有」される対象だったようです。
奴隷を調べていくと、必ずぶち当たるのが「階層社会」です。これが
世襲的だったケースがほとんどですね。

なぜ、高校生の歴史の本には中国の奴隷制度について何も言及がないのか?
イスラムの奴隷売買、列強による黒人の売買については、かなりの記述があるにも
かかわらず、中国のこういう「闇」については書いていない。

明らかに中国側の圧力があるのだと私は思います。日本の歴史についても中国は
干渉しますが、中国の歴史についても日本の教科書の内容について中国は干渉して
いるのでしょう。

よく出てくるのが、北方民族の「侵略」とか「侵入」です。そしてそれを、中国側が
排除したり、制圧したり、和解したり、とまるで中国がいつも主人公です。
中華思想はともかくとして、日本の教科書で中国の立場から歴史を書く必要はない。
北方民族、匈奴などの立場でまるで書かれていない。しかも、見てください、この
「匈奴」というも文字を。なんていうひどい字を使っているのか。
匈奴、鮮卑、高車、突厥、吐蕃、瓦刺などなど字面に侮蔑が感じられる。
モンゴル語はわかりませんが、彼らが知ったら嫌がるでしょうね。

話は飛んでいますが、
日本は侵略国家だったのか?
列強の侵略は許されるのか?
そもそも世界の歴史はどうだったのか?
といったことを念頭に、奴隷シリーズを書いています。

まだまだ続きます。

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