|
円覚寺の後、建長寺に行った。建長寺はサザンの桑田さんが卒業した鎌倉学園の隣にある。
行ってみればわかるけど、建長寺は別格である。
鎌倉五山一位で巨福山臨済宗建長寺派の総本山。わが国最初の禅宗寺院で、1253年(建長5年)に
宋から坊主(蘭渓道隆)を招いて北条時頼が創建した。
「鎌倉五山」というのは、臨済宗の寺格を決めるもので、南宋の官寺制度にならって北条氏が鎌倉に導入。
一位 建長寺
二位 円覚寺
三位 寿福寺
四位 浄智寺
五位 浄妙寺
これが建長寺の山門。圧倒される。
鎌倉時代(1192-1336)には多くの新しい仏教宗派が興った。
浄土宗 (法然1132-1212) 「南無阿弥陀仏」
浄土真宗(親鸞1173-1262) 「南無阿弥陀仏」
時宗 (一遍1239-1289) 「南無阿弥陀仏」
日蓮宗 (日蓮1222-1282) 「南無妙法蓮華経」
臨済宗 (栄西1141-1215) 禅
曹洞宗 (道元1200-1253) 禅
この中で臨済宗は、京・鎌倉の上級武士、地方の有力武士の間で信仰された。
鎌倉仏教の特徴は、「易行」「選択」「専修」。
「易行」というのは、厳しい修行ではない、ということ。念仏、題目、座禅は、庶民にも受け入れやすい
仏教のありかただった。
この梵鐘は国宝。
ここにも立派なビャクシンが何本も生えていた。樹齢は700−800年。
わずか140年余りだが、鎌倉時代というのは、非常に興味深い。
日本史を俯瞰すると
平安時代までが「古代」で、鎌倉時代、南北朝、室町、戦国、安土桃山時代が「中世」、
江戸時代が「近世」となっているらしい。
平安時代は貴族の時代であった。藤原氏の後に権力を握った平家は贅沢三昧の日々を送ったが
やがて源氏に破れ、その「無常さ」は平家物語として、鎌倉時代には琵琶法師たちに歌われた。
そして、鎌倉時代は武士の時代の始まりだった。鎌倉時代の文化がとても質素であることは、
貴族ではなく武士であること、そして、平家の失敗から来る反省であろうか。
人々は宗教を求めた。鎌倉仏教が一般庶民にも受け入れやすい形をとったのは、不特定多数の
多くの民衆が心の救いを必要とする厳しい時代だったからではないか。
幕府側の武士たちにしても、その生活ぶりは質素だったという。
建長寺の奥は深い。奥へ奥へと歩いて行くと、やがて、階段で山を登ることになる。
階段を上りきると、半増坊という建長寺の鎮守にたどり着いた。ここから2時間のハイキング・コースが
あるのだけど、こちらには、そんなスタミナはない。 鎮守では坊主が太鼓をドンドコ叩いていた。高台から下を見るとうっそうとした森で、天気がよければ
太平洋や富士山が見えるらしい。残念ながら曇天。景色を見るならば冬の晴れた日か。
一休みして、今来た道を戻る。
途中、こんな大きな蛙が。
同行者の女性に「蛙と記念写真を撮らない?」と聞いたら
「祟りがありそうだから嫌」と。
「夜中に巨大蛙の夢を見るのも嫌」と。
1時も回ったので、建長寺を後にして、鎌倉街道沿いで昼食を取ることにしました。
|
その他
[ リスト | 詳細 ]
|
先週の日曜日、明月院の後、円覚寺(えんがくじ)に行きました。
円覚寺は、臨済宗円覚寺派の総本山で、鎌倉五山二位の寺格を持つ。
開基は北条時宗、開山は無学祖元、創建は1282年。
これが門ですからね。風格があります。
天井には龍の絵が。
樹齢700年以上の市指定天然記念物のビャクシンが、「蘇生外科治療」を受けていました。
幹の中にコンクリートをつめて、支えているようです。大きな木は、周囲が6m以上あります。
ワビ、サビがありますね。広いし、明月院よりものびのびできて、心が落ち着きます。
臨済宗は禅宗なので、座禅もやっていました。
弓を撃っている人もいました。的に向かってではなくて、単なる練習でしょうか。
ちなみに鎌倉時代は、1192年に源実朝に始まり、1336年足利尊氏、新田義貞らによって滅ぼされます。
わずか144年間です。
鎌倉時代の前は平安時代、鎌倉時代の後は南北朝時代です。
なぜ幕府の場所を東の鎌倉にしたのか?
なぜ禅宗なのか?
なぜ、渋めの時代なのか?
などは、まだ、勉強中です。日本史は難しい。
この後、建長寺に行きました。 |
|
鎌倉へ小旅行に行ってきました。
JR北鎌倉駅で降りて、本当は円覚寺が近いのですが、まずは、もっとも混雑が予想される
明月院(紫陽花寺)へ。
10時前に入りましたが、混んでいます。6月は紫陽花の季節ですからね。
さすがに紫陽花がきれい。(でも、驚くほどではない)
ウグイスが鳴いて、清流のせせらぎが聞こえ、なかなかいいのですが、それにしても人が多い。
面積はそれほどは広くない。できることならば、空いている平日に来て、静かにゆっくり散策したい場所です。
入場料500円この丸窓の向こうの庭に行くには、さらに500円必要。(行かなかった)
さて、ここで問題です。
ご存知の通り、鎌倉幕府は1192年にできました。
では、鎌倉時代の前は何時代でしょうか?
そして、鎌倉時代の後は何時代でしょうか?
何も見ないでさっと答えられますか。私は分からなくなってしまった。
そもそもなぜ、場所が鎌倉なのか。
(回答は次回)
明月院の次に、円覚寺へと向かいました。
|
|
自分に愛国心があるのか、と問われれば、「わからない」というのが正直なところだ。
それでも、年とともに、やはり自分の生まれ育ったこの国に対する愛着は増している。
TVをつければ、原発問題、政治の不毛・・・。だんだんと嫌になってくる。
国を司る人たちが、こんな体たらくだと悲しいし、腹が立つ。
「君が代」という国歌が好きかと問われれば、「わからない」というのが正直なところだ。
それでも、サッカーの日本代表が、外国チームと戦う前に国歌が流れると、思わず
愛国心を想う。
ひさしぶりに残業。腹が減ったので残業食を買ってきて、応接間に行ってTVをつけたら
サッカーの日本代表とチェコの試合をやっていた。
頑張れ!ニッポン!
たとえ、政治がひどくても、政治家のレベルがひどくても、日本は、国民が支えている。
仕事するのがバカバカしくて、会社の冷蔵庫にあるビールを飲んでしまった。
美味しい。
頑張ろう。
でも、政治家たちにでかい顔は決してさせまい。
今日の夕日はきれいだった。
|
|
仕事で木曜日の夜に秋田へ行った。秋田空港着が7時、秋田駅8時だ。
お客さんと遅い会食をした。
残念ながらあわてていて、カメラをレストランに持っていき忘れたので写真はない。
比内地鶏のお店だった。焼き鳥、つくねなど、美味しいのだろうけど、あまり空腹で
なかったので、それほどの感動はなかった。ハタハタや山菜の天麩羅なども
食べたけど、結局、一番美味しいと思ったのは、沢庵の燻製のようなものだった。
これは美味しかった。
このお客さんは製造部長。宮崎出身で大学は博多、そして、就職してからずっと秋田だそうだ。
もう20年近く。故郷からこんなに長く離れて暮らすというのはどういう気分なのだろう。
我々はビールと焼酎を飲んだ。
「東北人は、やっぱり日本酒ですよね」と彼。
九州は焼酎だ。
文化が違う。
「秋田では夏でも牡蠣を食べるんですよ。岩牡蠣を。
私も若いときには自分で海にもぐって取りに行ったものです。
口をあけている瞬間にドライバーを挟みこまないと取れないんですよ。
だけど、牡蠣も人の気配を察知して、すぐに口を閉じてしまう。
結構、難しいんですよ」と。
「それって、密漁なんじゃないですか?」
「そうです!みんな、やっていますよ。中には、ものすごく大量にとる人が
いて、そういう人は、時々密告されて、つかまったりしてますけど」
贅沢ですね。自分でとった牡蠣を食うなんて。
始まりが遅かったから、あっという間に11時になってしまい、お別れした。
彼は7:30には出勤するらしい。工場の人は朝が早い。
翌日、朝から打ち合わせをして、昼ごろには帰途についた。
爽やかな初夏の陽気だった。
このバスに書かれたマンガの漫画家は誰でしたっけ?
これは、つり吉三平?
秋田が舞台だったのかな。
さて、秋田空港へ。秋田駅周辺はそれなりの町です。新幹線が止まりますし。
冬は寒いけど、5月の秋田はなかなかいいです。
空港はガラガラで、と書こうと思ったのですが、飛行機は満杯でした。
でも、便数も少ないし、赤字空港なんでしょうね。
ネット予約でタッチ&ゴーなので、チケットが不要で便利です。
移動中は『冷血』を読んでいます。
羽田で遅い昼食を食べました。最近、はずれのスパゲティがなくなってきましたね。
これから、会社へ戻って、がっつりと働かねば。 |




