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マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』をやっと読み終え、また、再読しているけどなかなか難しい。でも、とても面白い。
ハーバード大学で最も人気のあるサンデル教授の政治哲学の授業を本にしたものだ。授業自体は学生との対話形式で展開されていくので、それを本の形で書くのは結構やっかいだったようだ。サンデル教授に出会うまでは「政治哲学」という分野の存在すら知らなかった。政治と哲学について考える学問だ。
原題は”JUSTICE What’s the Right Thing to Do?”。我々は、自分なりに「正しい」と思って行動したり、「正しくない」と考えたりする。その背景には法律もあるし、モラルもある。法律を決めるのが政治家であり、法律に則って国家というものは秩序をもって運営されている。民主国家は、少しでも多くの国民が幸福であるべきだし、そのような運営を目指している。
とは言え、「何が正しいか?」というのは非常に難しい。サンデルは様々なジレンマの例を出して、我々に考えさせる。
例えば、これは、実話なのだけど、2005年6月、アフガニスタンにて。米国の特殊部隊の4人がパキスタン国境近くから秘密の偵察に出かけた。タリバン指導者の捜索が目的だった。情報によれば、目標とする人物は150人程度の重武装した兵士を率いており、近寄ることも困難な山岳地帯の村にいるということだった。
まもなく、彼らは、100頭ほどのヤギを連れた二人のアフガニスタン人農夫と14歳くらいの少年に出くわした。武器は持っていないようだった。米兵たちは彼らにライフルを向け、身振りで地面に座るように命じ、どうすべきか話し合った。このヤギ飼いたちは、非武装の民間人らしい。とはいえ、もし解放すれば、米兵の存在をタリバンに知らせてしまうリスクがあった。米兵は彼らを縛り上げるロープを持っていなかった。選択肢は、殺すか解放するかしかなかった。
4人のうちの3人は「殺すべきだ」と主張した。しかし、1人は「武器をもっていない彼らを殺すのは間違っている」と主張した。
さて、あなたならば、どうしますか?
結局、米兵たちは、このヤギ飼いたちを解放してあげた。
さて、これは、正しかったのか?
そして、どうなったか?
ヤギ飼いたちを解放して1時間半くらいした頃、4人の兵士は、自動小銃や携帯用ロケット弾で武装した80人から100人ほどのタリバン兵に包囲された。その後の激しい銃撃戦で3人は戦死し、その上、生き残った一人(殺すべきではないと主張した兵士)を救出に来たヘリコプターも撃墜され、さらに16人の米軍兵士が命を落とした。
生き残ったたった一人の兵士は重傷を負ったが命からがら小さな村へ逃げのびた。彼はこの事件を振り返り、
「これまでの人生において、最も愚かで、馬鹿馬鹿しく、間の抜けた判断だった」と書いている。
ヤギ飼いたち3人を殺していれば、米兵19人の命を失うことはなく、かつ、任務をもっとうすることができたはずだった。明らかに米国にとっては損失となる判断だった。
では、ヤギ飼いたちを殺しておくのが正しい行為だったのか?非武装の民間人を?彼らの人権はどうなるのか?まだ、ヤギ飼いたちが何か米兵たちに不利な行動を取ったわけでもない。殺すことは人道的に、道徳的にも正しかったのか。
サンデル教授は、非常にたくさんの究極のジレンマの例題を出して、我々に考えさせる。なにが正しいのか?と。政治哲学については、歴史を振り返ると多くの巨人たちがいて、彼らの哲学も紹介している。主なものは以下の3つ。
(1)幸福の最大化、最大幸福原理(功利主義的、ベンサムの哲学)
(2)人間の自由や尊厳、選択の公平性について(カントの思想)
(3)美徳を尊重し、よき生き方を培う(アリストテレス)
「サンデルはいろんなことを言うが結局は結論としての自分の意見を言わないじゃないか!」と批判している人もいたけど、サンデルは、(3)のアリストテルスを一番支持しているように思える。
(カントはとても難解)
私のようなボンクラがこれらの哲学やサンデル教授の話を正しく理解することは困難だけど、私が読む限りそう感じた。
この本について、簡単に話をまとめるのは難しい。非常に中身が深く濃いからだ。また、追って、サンデルの例題を紹介させてもらって、考えたいと思います。
いずれにせよ、「米国こそが正義だ!」と独善的に思っている米国で、その最高の大学での授業として、こういう「何が正義か?」と考えさせているところは、さすが、米国の懐の深さだと思います。
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本
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『徒然草』で「常なるものはない」、無常観について書かれた文章の中でも
もっとも有名で、美しい文章の1つは、第137段です。
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
(桜は満開の花盛りを、月は曇りのない澄み渡った月だけを見て楽しむものだろうか)
雨に対ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情深し。
(雨が降るのにむかって月を恋い慕い、簾を垂れた部屋にこもって春がくれてゆくのを
知らずにいるのも、やはり情趣の深いものだ)
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。
(いまにも花が咲きそうな頃合の梢や、花が散りしおれている庭などのほうが
見る価値のあるところが多いものである)
(中略)
万(よろず)のことも、始終(はじめおわり)こそおかしけれ。
(総じて何事でも、始めと終りが特に面白いものだ)
男女の情も、ひとへに逢い見るをばいふものかは。
(男女の情愛でも、ただ逢って契りを結ぶばかりが恋というものだろうか)
逢はでやみにしうさを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとりあかし、
(逢えないで終わってしまったつらさを思い、はかない逢瀬を怨み嘆き、
長い夜を一人待ち明かし)
遠き雲ゐを思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとはいはめ。
(はるか遠くに離れた恋人に思いを馳せ、浅茅の茂った荒れた住まいに
恋人との昔を追想したりするのこそ恋の情趣を解することだといえよう。)
まあ、もっと、ざっくばらんに書いてしまえば、恋だって、まっさかりの時よりも
これから恋が始まるとき、愛しい人に逢いたくても逢えないとき、
逢えなくて終わってしまった時、二人の愛が終り過ぎ去ったときを偲ぶときにこそ、
恋の醍醐味がある、ということですね。
花が満開の良さはもちろん格別ですけどね。
でも、芽が出て、蕾ができて、ああ、これから花が咲くなぁ
という時期も楽しみですし、満開は言うまでもなく素晴らしいけど、
その花が散ってしまって、ああ、散ってしまったなぁ
と、あの満開時は美しかったなあ、と思い出すのもいい、
ということでしょう。
そして、このような感覚は、ものごとが永遠でないからこそ、抱くことができるのだ
と彼は言っています。
世は、定めなきこそいみじけれ(第7段)
(人の命は定めがないからこそ、素晴らしいのだ)
スティーブ・ジョブスのように
「時間には限りがある。他人の人生を生きる暇はない」
だからこそ、自分のやりたいことに熱中してやりなさい、
という意見もあるし、兼好法師のように「感慨」にふける人もいます。
でも、兼好も
「一事を必ずなさんむと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。
人のあざけりをも恥づべからず。万事にかへずしては、一の大事成るべからず」(第188段)
(もし一事を成し遂げようと思うならば、他のことがうまくいかなくても心を痛めてはいけない。
人があざ笑っても、恥ずかしいと思ってはいけない。あらゆることと引き換えにしないと、
一つの大事が成就するはずがない)
と言っています。
かと思えば、第168段では、
(一つのことを大成した人が老人になったのを見て、ああ、この人は、このことだけで
一生を終えてしまったのだな、と思うとつまらなく思う)
などとも言っています。
兼好は、その時代では「何者でもなかった」けれど、非常にバランスが取れた人だった
ようです。
金持ちも嫌い、武勇の人も嫌い、若い人も嫌い、女性もめんどくさい、坊主も嫌い、
知ったかぶりも嫌い、自慢する人が嫌い、無駄なおしゃべりが嫌い、権威を疑い、
無益なことで人生を終えてしまう人が嫌い、
となかなか気難しい人で、結局は、隠遁生活をしました。
嫌いなものはたくさんあったのですが、彼独自の美学があり、それを彼は楽しんだ
のです。
鴨長明は、もっと厭世的だったようで、よっぽどひどい時代だったのでしょう。
平成も確かにひどい時代ですが、そういう意味では、過去においてもひどい時代はあった。
そういう時代を賢人はどう生きたのか、というのを知るのも面白いです。
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今月のNHKのEテレの「100分de名著」は、吉田兼好の『徒然草』。
解説は「古文のマドンナ」と呼ばれる予備校講師の荻野文子さん。
TVは見る時間がないけど、テキストを買ってきて読みました。
もともと吉田兼好には興味があったのですが、なにせ古文ですから、
とっつきにくい。こういう分かりやすい紹介、解説があると嬉しいです。
荻野さんいわく、平安・鎌倉時代の名随筆のそれぞれの特徴は;
『徒然草』吉田兼好は蟻を高みから見ている人
『枕草子』清少納言は蟻の一匹として周囲を見回している人
『方丈記』鴨長明は蟻への関心を捨てた人
ということらしく、もちろん、「蟻」というのは、我々人間のことです。
吉田兼好は13世紀後半から14世紀半ば、つまり、鎌倉末期から南北朝の混乱期まで生きた人です。下級貴族に生まれ、宮中に入って後二条天皇にも仕えますが、三十歳くらいで出家します。出家したといっても、かなり俗っぽい坊主だったようです。頭は良かったのですが、僧侶でも、神官でも、歌人でも、学者でもなく、隠遁の好事家に過ぎなかった。時代は混乱期で、明日はどうなるかわからず、その中で、きわめて不安定な職についていた、と言えます。(収入は、他人の和歌や恋文などの代筆など)。
そんな彼の随筆(エッセイ)が700年の年月を過ぎてもなぜ、どう面白いのか。それは、彼の洞察力が、21世紀の今でも生きているからです。
序文はあまりにも有名ですが;
つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
(なすこともなく所在ない寂しさにまかせて、終日、硯にむかって、心に浮かんでは消える取りとめのないことを、何ということもなく書きつけていると、我ながら妙に興が湧いてきて、取り憑かれたようにもの狂おしい気さえすることである)
これは、まさに、現代で言えば、我々のようにPCに向かってブログを書いているような感じですね。
やることもなく、寂しさにかまけて、終日、PCに向かって、心に浮かんだいろんなことを書いているうちに、我ながら、妙に興奮してきて、夢中でブログを書いている自分に気がつく。
書くことがカタルシスなんですね。
彼は、
「結婚なんてするものではない」
「子供などつくるものではない」
「女なんてろくなものではない」
などとも言っているのですが(かなり辛らつ!)、どの意見もいろいろとバランスが取れていて、しかも実は優しさもユーモアもあります。
男女のつきあいについて(第百九十段);
いかなる女なりとも、明暮そひ見むには、いと心づきなく、にくからむ。
女のためにも半空にこそあらめ。よそながら、時々通いすまむこそ、
年月へても絶えぬなからひともならめ。
あからさまにきて、とまりゐなどせむは、めづらしかりぬべし。
(どんな女であっても、朝夕暮らして顔をつき合わせていると、随分と気に障ることもあり、きっと憎々しくもなるだろう。それは、女のためにも中途半端なことになるに違いない。他所に住んだままで、時々通い住むならば、そのほうが年月が経っても絶えない仲となるだろう。ふらりと来て、泊まったりなどするようなのは、きっと新鮮な気持ちがするに違いない。)
要するに自由恋愛の薦めですね。
「つまらぬ結婚生活は、互いを卑しくする」
というのが兼好の主張です。彼自身は一生独身でした。
と言いつつも、一方で、第百四十二段では、
「俗世間を捨てて出家した人が、普通に家庭を持っている人の
家族のしがらみが多くて、なにかと人へのへつらいが多いのを見て、
軽蔑するのはよくない。
その人の心になって思えば、本当に愛しくてならない親のため、妻子のためには
恥を忘れ、きっと盗みさえするに違いない」
などとも書いています。
しかし、『徒然草』の最大の特徴は、「無常観」ですので、その辺について
書いているところを次回、ご紹介致します。
かなり面白い本です。
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『詩人からの伝言』 (田村隆一 語り、長薗安浩 文)MF文庫を読んでいます。
詩の本というのは、「読み終わる」ということはないと思う。
(それにしても、この本の表紙はひどい(涙)
暮れにマイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』を買って面白く読んでいたのに
どこに置き忘れたのか、無くしてしまった。探しても見つからない。クリスマスまではあったのに。
私は仕事柄、電車に乗ることが多くて、何か読む本が欲しい。
で、たまたま、見つけて買ったのが、この『詩人からの伝言』。
全然、知らなかったのだけど、田村隆一(1923-1998)という詩人は、
教科書に残るような有名人だ。
吉本隆明は
「日本でプロフェッショナルだと言える詩人が三人いる。
それは田村隆一、谷川俊太郎、吉増剛造だ」
と評しているらしい。
翻訳家としては、アガサ・クリスティの本を多く訳している。
この本は、長薗さんが、編集者として、ダヴィンチという雑誌で詩の特集をするにあたって、
田村隆一の存在を知り、1990年代に鎌倉に住んでいた田村さんを何度も訪ねて、
いろいろな話をしてもらって、それをまとめたものだ。田村さんは当時73歳くらいだった。
田村隆一は、
「え?『詩人からの伝言』?『詩人からの遺言』のほうが、カッコいいんじゃないの」
などと笑っていたらしい。
結局、伝言は、今や遺言になってしまったけど。
ちなみに田村隆一には、少なくとも5人の奥さんがいた。
最初の妻は鮎川信夫の妹。
2度目の妻は福島正実の従姉妹。
岸田衿子も元妻。
高田博厚の娘の田村和子も元妻で、めじめ正一の小説『荒地の恋』のモデルとなった。
最後の妻は田村悦子。
岸田衿子は、詩人・童話作家で岸田今日子の姉。谷川俊太郎の妻でもあった。
かなりややこしい。
まあ、そんなことは、どうでもいい。
なんというか、迫力のある爺さんだ。
酒飲みながら、タバコ片手に語る言葉に重みがある。
そして、面白い。
たまたまにしては、いい出会いだ。
私に、田村隆一のどこまでがわかるかわからないけど、出会って良かった。
「帰途」という田村さんの詩です。
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帰 途
田村隆一
言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
あなたが美しい言葉に復讐されても
そいつは ぼくとは無関係だ
きみが静かな意味に血を流したところで
そいつも無関係だ
あなたのやさしい眼のなかにある涙 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう
あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるのか
きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
ふるえるような夕焼けのひびきがあるか
言葉なんか覚えるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる
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2011年の読書を回顧します。
読んで、このブログで紹介したものです。
いずれも面白かった、もしくは、それなりに紹介、コメントする価値があると
思われたものです。
「ああ、この本、知ってる」というのと、実際に読むのとは大きな違いです。
人によって好みがあるし、価値観が違うのでなんともいえませんが、
私なりの「面白いですよ!」「読む価値がありますよ!」という基準で☆をつけてみました。
☆☆☆☆☆が満点です。
『ニーチェ「超」入門』白取春彦 ☆☆☆
『風が強く吹いている』三浦しをん ☆☆☆☆☆
『赤と黒』スタンダール ☆☆☆☆☆
『ボヴァリー夫人』フローベル ☆☆☆☆☆
『ソウル・ミュージック、ラバーズ・オンリー』山田詠美 ☆☆☆
『トム・ソーヤの冒険』マーク・トウェイン ☆☆☆☆☆
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』岩崎夏海 ☆☆☆
『ロング・グッドバイ』レイモンド・チャンドラー ☆☆☆☆☆
『さらば愛しき女よ』レイモンド・チャンドラー ☆☆☆☆
『湖中の女』レイモンド・チャンドラー ☆☆☆☆
『ハックルベリ・フィンの冒険』マーク・トェイン ☆☆☆☆☆
『冷血』トルーマン・カポーティ ☆☆☆☆
『火星年代記』レイ・ブラッドベリー ☆☆☆☆
『ママより女』ドラ・トーザン ☆☆☆
『千羽鶴』川端康成 ☆☆☆
『ブッダの夢』河合隼雄・中沢新一 ☆☆☆
『首都直下地震<震度7>』柘植久慶 ☆☆
『新聞と戦争』朝日新聞取材班 ☆☆
『サムライブルーの料理人』西芳照 ☆☆☆
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹 ☆☆☆☆☆
『サヨナラ イツカ』辻仁成 ☆☆
『月と六ペンス』サマセット・モーム ☆☆☆☆☆
『夜のくもざる』村上春樹 ☆☆☆
『一九八四年』ジョージ・オーエル ☆☆☆☆☆
今は『これから「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著)を読んでいます。
とても面白い。文庫本になりました。追って、ご紹介しますが、何度も読まなくては
うまくご紹介できないかもしれません。政治哲学です。
何が正しいのか?と。
先日、ある人とこの本の話をしていたら、
「正しいから良いということばかりではない」
というコメントがありました。
なるほど。
世の中、難しい。
何も考えないで生きることも幸せ。
でも、考えることが快感と思う人もいる。
価値は多様性があっていいと思います。
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