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菊池桃子、もとい、菊池直子(40歳)が逮捕された。
1995年(平成7年)のオウム真理教によるサリン事件の実行犯として指名手配されていた。
この事件が起きた1995年3月20日のことを私はよく覚えている。
私は長年管理系の仕事をしていたが、35歳にして営業に移り、この日、最初の顧客訪問日だった。顧客は東京の北区か板橋区あたりの小さな工場で、大手の光学メーカーの下請けだった。朝、駅から顧客へ向かうタクシーのラジオで妙なニュースを聞いた。地下鉄で何か事件があったらしい、と。よくはわからなかった。3月というのにまだ寒くて、応接室には暖房がされておらず、ガタガタ震えていたら先方が石油ストーブをつけてくれた。仕事の話はそっちのけで、妙に風格のある部長さんがこんな話をしてくれた。
「私はボランティアでソープランドでの新人指導をしているんですよ。マット洗いのね。だから、ほら」と言って腕をまくって見せた。肘のあたりが擦り切れて色が変わっている。西川口あたりで幼馴染がソープを経営していて、そのお手伝いだとか。どうでもいい話だけど、鮮明に記憶している。
午後会社に帰ったら事務所は地下鉄の事件で騒然としていた。
菊池直子の17年間の逃亡生活はどうだったんだろう。18歳で入信し、事件当時は23歳だった。彼女はどこまで状況を知って犯行に及んだのだろう?彼女がサリン製造に関わったと言っても、それが大量殺人目的の猛毒と知っていたとは思えない。かくまってくれた男性から求婚されて、悩んだんだろうけども、結婚手続きをすればいずれ身元がわかってしまう。未来のない生活で疲れやつれたのだろう。
戦後の平和な経済成長期に、日本人は拝金主義者となり、より多くのお金を得るための方策のひとつとして、一生懸命勉強して、偏差値の高い大学に入学することを目指すようになった。オウム真理教のメンバーの多くは、こういう偏差値の高い大学を出ていることが特徴だ。親が喜ぶような学校を出た人たちが多い。中には医者もいる。なぜ、彼らはオウムに入信したのか?
17年前の事件など、今の若者にしてみれば、「ああ、聞いたことがある」程度だと思う。事実、私が子供の頃、「浅間山荘事件」というのがあった。1972年のことで、私は12,3歳だった。なんとなくTVで報道されていたのを覚えている。なぜ、当時、学生運動が盛んになり、デモやら平和運動が盛んになったのか。安保反対って一体なんだったのか?赤軍派って一体なに?北朝鮮が理想郷だった?
あれだけ多くの学生が髪を伸ばし、反体制運動をしていたのに、やがては髪を切り、一般企業に就職していった。あれはなんだったのか?全共闘が大学紛争に敗れて散っていった残りが赤軍派になり、連合赤軍になった。
第二次大戦中は天皇が神様で、「愛国的な」な言動をしない人は「非国民」だった。朝日新聞などのマスコミを積極的に日本軍の中国侵略や太平洋侵略を鼓舞し、煽った。東京裁判でA級戦犯は裁かれたが、一般国民もこの戦争に協力したことはかわりはない。今では「戦争反対」などと皆が言っているけど、日本国民全員が戦争の共犯者だったのではないのか。
ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』の主人公はナチスドイツのもと、アウシュビッツ収容所でユダヤ人虐殺に絡む仕事をした。彼女は文盲で、貧しかった。ただ、勤め先の仕事を決められたとおり真面目に実行しただけだった。彼女の罪はなんだろう。
偏差値に目の色を変えている世の教育ママたちも異常だし、「ポアしよう」というオウムも異常だ。連合赤軍も異常だったが、そもそも日米安保は全うなのだろうか?愛国心は素晴らしいが日本軍のとった道は正しかったのだろうか。洗脳されて狂ったように皆と同じ行動をとった大勢の人たちに罪があるのだろうか?
経済性を優先して、政治家もマスコミも原発再稼動をしようとしている。これは正しいのだろうか?
オウムのような少数の異常集団は不気味だ。しかし、私から見ると1億人が異常行動を起こしているのも非常に不気味だ。とくに1億レベルでの異常行動は時として、それが「異常」か「正常」か、正しいのか、正しくないのかわからないところが怖い。
多くの被害者、多くの加害者がいるだろう。被害者の方々には冥福を祈るしかない。
しかし、私には、麻原が死刑でもいいが、菊池直子に罪があるとは思えない。
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犯罪
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広島刑務所から脱走した中国人受刑者李国林(40歳)が再逮捕された。
脱走から54時間、「疲れた。刑務所に帰る。食べていない」と日本語で答え、
果物ナイフを差し出した。
もっとも自由が無い場所、それが刑務所だ。
鳥でいえば、鳥かご。動物でいえば、檻の中。
その刑務所に「帰りたい」と。
私は、日本には、もう、自由はない、と思っている。
それは、日本だけの問題では無いだろうけど、少なくとも
日本には、自由は無い。
日本で、自由らしく暮らすには
お金がいる。
国籍がいる。
犯罪容疑者ではない必要がある。
そんなこと当たり前ではないか、というかもしれなけど、
お金がなければ何もできない。
食事ができない。服が買えない。住む家がない。
お風呂に入れない。雨露、寒さをしのげない。
以前、大学生のときに、東京でパチンコで負けて
すってんてんになった。財布に残ったのは10円玉1つ。
10円ではなにもできない。
結局、定期を使って家に帰った。
でも、帰る家があるからいい。
もし、家がなければ、帰る場所はない。
当たり前じゃないか、
と言うかもしれない。
仮にお金があって、なんとか住まいを確保できても
国籍や住民票などがなければ、まともな生活はできない。
子供を小学校に入れることすらできない。
お金と国籍。
そして、法に触れていないこと。
どこかの国に所属しなければいけない。
さもなければ、市民でも国民でもない。
ただの生物の人間なだけだ。
この国で、ただの生物の人間として生きて行くことは
ほぼ不可能だ。
お金があって、一人で生きて行こう、
というのならば可能かもしれない。
誰かがずっと養ってくれるならば、可能かもしれない。
そして、お金。
ふつうは、働かないと収入はない。
だれでも働く口があるとは限らない。
便利なコンビニでも、お金を払わないと、何も売ってくれない。
人里離れた山の中に、自力で小屋を立て、
キノコや木の実を食べて暮らせないか。
追っ手が来ない、そして、短期間ならば可能かもしれない。
多くのホームレスたちもいる。
でも、今回の脱獄と再逮捕劇で、
「刑務所に帰る」
というセリフから、不思議な気分になった。
刑務所には寝る場所がある。
食べるものをだしてくれる。
誰にも追われない。
「帰る」
というのは、
家に帰る
故郷に帰る
あの日に帰りたい
などというときに使われる言葉だ。
一番心が安らぐ場所、時間、
そこへ行こうとするのが「帰る」ということ。
自分が本来いるべき場所に戻ること、
それが「帰る」ということ。
日本の娑婆よりも
刑務所のほうが安らぐのか。
鎖をはずされた犬も
やがて、家に帰り、鎖に繋がれたくなる。
俺たちゃ、犬か。
それとも、私の頭が少し変?
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5月になったというのに、今日の関東地方は肌寒い。春はどこへ行った?
せっかくの子供の日だけど、二男は友達と秋葉原へ遊びに?行っているし、大学生の長男は
昨夜が遅かったのかずっと寝ているし、私は明日出勤と思うと気持ちが少し重い。
原発事故もなんとなくフェードアウトしていくけど、解決したわけではない。現場作業員が命がけで
修復作業をしなくてはいけない。
皆さん、もし、会社から原発現場の作業に行くように言われたら行きますか?
リスクに応じた報酬が必要だと思う。それは、例えば、
①日当10万円
②一生医療費は無料
③1億円の生命保険に東京電力が加入してあげて、どのような死因であれ、作業員が20年以内に死んだ場合は遺族に1億円支払う。
など。
原資は東電の役員報酬をさらにカットして補填する。
ビンラディン殺害事件も微妙だ。米国がどこまで正直でどこまで嘘つきなのかわからない。
どうやら丸腰のビンラディンを銃殺した模様。40分かけて、一体、何発の銃弾を打ち込んだのだろう?
500発?1000発?10000発?
そして、ユッケ殺人事件。殺人事故?
日本には生食用の牛肉は、そもそも最初から流通していなかった、とか。それでも、皆、食べていた。
牛肉は、半生でも大丈夫ですよ、と誰かが根拠もなく言ってきた。やり手の若い社長が開き直って
「だったら、法律でしっかりと取り締まってください。」と言っていた。何の基準もなかったのか?
すべては、この焼く肉屋の責任なのか?規制基準はなくて、客が死んだら「お店の責任」というのも
役所(厚生省?)の責任逃れのように聞こえる。
そもそもユッケは韓国料理だ。私はあまり食べたことがない。韓国では、ときどき、変なものを生で食わせる。
ケジャンは生カニをコチジャンにつけたもの。美味しいけど最初は気持ち悪かった。イイダコも生きたまま
喰う。海のヒルみたいな生物を生きたまま食べたこともある。でも、彼らは牛のレバ刺しは食べない。
私は牛のレバ刺しが好きだ。死ななくて良かった。鳥の生レバを食べさせるお店もある。
日本ではベーコンを軽く焼いたものを食べるが、欧米では、カリカリになるまで焼いて食べる。
生卵を食べる国も少ない。
O111なんて大腸菌は聞いたことがない。4人も死んでしまった。
子供と老人は体力がないから、免疫力もないのだろう。私だって、疲れているときには、体の弱いところ
がやられる。歯が痛くなったり、腹をこわしたり、腰痛になったり。
以前、大阪のカニ道楽でカニのフルコースを食べて、腹具合が悪くなったことがあるけど、他の人たちは
大丈夫だった。自分だけ体調を害したということは自分の体調が悪かったということなのだろう。
自己責任なのか?
店の責任なのか?
行政側の責任なのか?
しかし、客側の自己責任だとすると、レストランや食堂で何かを食べる時に、
「果たしてこれを食べても死ぬことはないだろうか?」
と考えながら、食べなくてはいけない。
それはちょっとおかしいのでは。
このカレーには砒素が入ってないだろうか?
この河豚の毒は、ちゃんと取ってあるだろうか?
自分で山へ行って、キノコを取ってきて、料理して食べる、というのならば、自己責任だ。
だけど、不特定多数のお客に料理を出すならば、「安全性」については保証が必要だ。
味はともかくとして。でなきゃ、安心して食べられない。
店の衛生管理責任と行政側の責任と両方あると思う。
それにしても、50年以上生きてきて、「牛肉のO111号大腸菌で人が死んだ」という話は
初めて聞いた。この牛の「素性」をトレースすべきだ。
どんな牛を、どういう風に、どこで殺し、どう保管して、どう流通させて、お店でどう保管し、
どう提供したのか。
「安い焼き肉屋は、病死した牛を食べさせるところもある」と聞いたことがある。
あの若社長の年齢と資産が気になる。
殺されないように、気をつけましょう。
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久しぶりに痴漢事件に遭遇した。 |
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市橋容疑者がやっと逮捕されました。 |



