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思うことが多すぎて、なかなかどう書いていいのやら。
とりあえず、シンプルに記録として書きたいと思います。
3月8日(木)、午後から実家へ帰りました。
1Fの和室には、顔を白い布で隠した母の死体が布団の上にありました。
すでに焼香もできるように葬儀屋に準備されていました。
3時から葬儀屋と打合せ。
結論としては、「直葬」にしよう、と。特に人にも連絡しない、通夜は身内で行い、
葬儀もしないで、斎場(火葬場)へ行き、49日に納骨する、と。
直葬にするということは坊主も呼ばない、戒名もつかない。
「それでもいいのかな?」
と兄が聞いた。
「父の戒名を覚えている?」
と私が聞いた。
「覚えてない」
と兄が答えて、黙る。
立派な戒名って何だろう?
文字数が多いほど高いらしい。しかも使う文字で値段が違う。
我が家系は仏教徒ではない。キリスト教でもイスラムでもないけど。
葬式だから坊主を呼ぶ、ということはしたくなかった。
おくりびとも断った。
どんなにシンプルにしようと、棺桶、ドライアイス、花、線香、ろうそく、
骨壷、写真、運搬などなどで数十万円がかかる。
葬儀屋のカタログでは、骨壷と霊柩車を除いて、基本料金が315,000円。
一部端折ることもできる。贅沢?にしたければ、いくらでも値段を上げることは
できる。100万でも200万でも1000万円でも。
最近はシンプルな葬式が増えているらしい。直葬も多いらしい。
その夜、久しぶりに私は兄の家族と一緒に夕食を取り(ビーフシチューを頂いた)、
今後の予定などを話しました。兄の家には、猫と犬がいて、彼らが心を和ませてくれた。
この日は日帰りで帰りました。
3月9日(金)、午後実家へ。一泊です。
静かな通夜。兄嫁の兄弟と兄の上司のみが焼香に訪れた。
夕方、葬儀屋が来て、明日の「お別れの儀式」「納棺」などの説明を聞く。
私と兄は、母の手と足を使い捨てのウエット・ペーパーで拭いた。
母の手も足も、肉屋の鶏肉のようだった。
肌はキレイと言えばキレイ、でも、血の通わない肌の白さはやはり
「死んでいる」としか言いようがない。
葬儀屋と一緒に母を棺桶の中に入れた。
この夜も兄家族と夕食。刺身、サラダ、酢飯、アサリの味噌汁。
明日の納棺のときに、「故人が好きだったもの」を一緒にいれるわけですが、
何を入れるか?母が好きだった三味線、2本ありましたが、そのうちの1本を
入れることにしました。
母の遺品をいじっているときに、ちょっとしたことで兄と口論になった。
お互いに疲れているのかもしれない。
その夜は、よく眠れませんでした。
3月10日(土) 朝9時に私の妻と二人の子供が到着。
私の子と兄の子とはいとこ同士ですが、私と兄が仲が悪いために
この子たちが対面したのは12年ぶりくらいでした。
9時半からお別れの儀式。葬儀屋の指示に従って、花を棺桶の中の母の周りに
置く。そして、三味線も。
葬儀屋と皆で手を添えて棺桶の蓋を閉めた。
そして、出棺。目立たないように霊柩車も一番地味なものにしてもらった。
あいにくの雨。皆で手を添えて、棺桶を霊柩車に入れた。
霊柩車、兄の運転する車、タクシーの3台で斎場へ向かった。
霊柩車の運転手にはチップ5000円。
火葬場の炉の前で最後のお別れをした。
私たちは休憩室へ。途中、葬儀屋が精算に来た。
1万円札で5000円近くおつりのある金額を渡したら、葬儀屋はそれを受け取り
お礼を言って、そのまま立ち去ろうとするので兄が
「すいません。おつりはいただけるんですか?」
と聞いたら、「あっ」といかにもうっかりしていたかのように
「どうも失礼しました」とおつりを返した。
ひょっとして、こういう葬儀屋へ渡す代金って、おつりをもらわないのが
普通なのでしょうか?
葬儀屋は忘れていたのではなくて、「つりは要らない」と都合よく考えて
いたのでしょうか?
この葬儀屋の人は、ただ集金に来ただけなのですが。
約1時間10分で焼却が完了。館内放送で呼び出され、でかけた。
焼けて、骨になった母親がいた。
最初の数個、とくに足の骨を二人で箸で挟んで骨壷にいれた。
後は、係りの人が入れてくれた。
「骨を拾う」という表現は、どういう意味だろうか?
調べて見たら、どうやら、「最後の面倒をみる」ということのようです。
係りの人が、なにやら一生懸命探していたのですが、
「皆さん、これがのど仏です。少し上の部分が欠けてしまっていますが」
と言った。
そういえば、なぜ、のど仏はのど「仏」というのか?
どうやら、骨がブッダが座禅をしているような形をしているかららしい。
すべての骨を骨壷に入れて、終了。
係員が兄に、納骨の際に必要な焼却証明書のようなものをもらっていた。
駅近くに移動し、老舗の北京料理屋で7名で昼食を取った。
母の死、ということよりも、私と兄の不仲が悪いのか、どうなのか
食事はある種の緊張感の中をその緊張感をなんとかほぐそうとする
会話が少しあった程度です。
49日にはお墓に納骨にいかなくてはならない。
そして、それまでに遺産相続のことをはっきりとさせて進めなくてはいけない。
大した金額ではないですが、司法書士に依頼しようかと思っています。
あくまでも法に則って、進めないと泥沼になる可能性もあるので。
今日は土曜日でしたが、昼食後、会社へ行って雑務を少ししてきました。
なんだか、疲れました。
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健康・家族
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昨夜(水曜日)、スキークラブの仲間で札幌に転勤した人が上京するというので
7人くらい集まって、中野の美味しい焼き鳥屋へ行って会食をしました。
10時半頃まで飲んで、新宿に出て、帰途に就こうとしていたところに
兄からメール。11時頃だ。
「母の容態が急変し、医者に呼ばれた」と。
母の病状については、土曜日に医師から説明がある予定になっていたけど
その前に急変したらしい。
私はそれでも家に向かう電車に乗った。
母がいる病院とは真逆の方向だ。
電車内で兄から電話を受けた。
「まもなく、死ぬみたいだけど、これから来れるか?」
「いや、もう、今日は行けない」
「わかった。また連絡する」と兄。
そして、兄からメール。
「11時56分亡くなる」
私からは
「明朝、行きます。何時にどこへ行ったらいいか教えてください」
とメール。
自宅付近の駅に着いたころ、既に日付は変わっていたが
兄から電話。
「看護士がお袋の体をきれいにしてくれている。
これから、遺体は家に運ばれ、葬儀屋が来るだろう。
日程はその後。明朝、あわてて来る必要はない。
また、連絡する」と。
とうとう母は死んでしまった。
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今朝、兄からメール。
「今日の3時に葬儀屋がくる。
火葬は明後日の朝10:30から」
と。
身内だけの葬儀、もしくは直葬のようにするかもしれない。
どうするのが最善なのか、よくわからない。
誰にも余計な負荷がかからないようにしたい。
会社は休みを取りました。
これから、母の元へ行ってきます。
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土曜日の夕方、入院している母に面会しに、横浜へ行ってきた。
入院したのは二日前の木曜日。
病院は苦手だ。
総合病院の集中治療室(ICU)へ。ICUに入る前には、手を消毒して
マスクをして入室する。
ベッドの上に母がいた。
鼻に管がつながれ、点滴の管が繋がっている。両手には手袋をしている。
意識はないが、呼吸はしている。心拍数、呼吸数、血圧などのデータが
横に表示されている。
目をつむり、口は開いている。
若い看護婦さんが近づいてきて、簡単に状況を教えてくれた。
「現在、心拍数、呼吸数、血圧とも問題はありません。ただし、不整脈があり、
ときどき心拍数が上がります。そういう時には血栓が飛びやすく、また
脳梗塞を起こす危険性があります。
少し前は、目を開けたりもしました。
手袋は、鼻への管を取り外すことを防ぐためです。
ICUから一般の病室へ移してもいい状態ですが、一般の病室のベッドが
開いていないので、しばらくICUにいます。
今後のことについては、脳外科の医師が経過を見ながら判断、ご説明
いたします」と。
看護婦の話では
「一度、”痛い”と言いました」と。
まだ、発声できるようだ。
母の顔を見ると残念ながら、安らかな顔はしていない。
結構、苦しそうに見える。
非常に感じのいい看護婦さんだ。
若いのに、こんな死ぬ寸前の人間たちを毎日見ていて、大丈夫なのだろうか。
心が病まないのだろうか。
大変な仕事だと思う。
頭が下がる。
兄あてに書かれた計画書には、
「今後、意識が戻ることはないと思われます」
と医師のコメントがあった。
5分くらい母の顔を眺めながら、小さな声で
「お母さん」と呼びかけた。
でも、母の顔を見ているのがつらい。
短時間で病院を出た。
最寄り駅に着いてから、兄に電話した。
私と兄とは非常に不仲なのだけど、今回にしても、兄がすべての手配を
してくれた。
「いろいろとありがとう」
と言うと、兄も
「ご苦労さん」
と、本当に珍しく、お互いを労いあった。
ちょっとした戦友のような感じだ。
帰りに、気分転換に新宿のジャズバーに寄った。
11時頃まで飲んでしまった。
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今週はいろいろとある。
火曜日の夜に吐き気をもよおし、水曜日は会社を休みずっと寝ていた。
今日、木曜日は朝、お粥を食べて、なんとか会社に行った。
すぐに携帯電話の電源を切って充電していた。
昼前、珍しく妻から会社に電話があり、
「お兄さんが電話を欲しい」って。
携帯電話の電源を入れると、兄からの着信履歴が3回。
かけて見た。大体、こういう時はろくな話はない。
「お母さんが倒れた。これから病院へ行く。
病院の名前と電話番号を言うからメモってくれ。
医者の話を聞いたらまた電話する」
と兄。
母は、すでに介護施設にいるが、そこで倒れた。
まあ、いつ、そういうことが起きても不思議はない。
兄は介護施設に比較的近い場所にある役所に勤めている。
昼食にバナナを1本食べ終えて、
1時間くらいしてから、再び兄から電話。
「まあ、前回、倒れたときと同じだ。脳梗塞。
意識不明。食事は取れないから点滴。
ICUにいるから面会は30分まで。夜は8時まで。
今日、慌てて来てもしょうがないと思うけど、どうする?
もう、意識が戻ることはないと思うけど」
と。
どうしようかと考えたけど、昨日休んで仕事は溜まっているし、
体調はまだ、いまいちだし、
「今日は行かない」
と伝えた。
土曜か日曜日に行こう。
私は別に親不孝な息子ではなかった、と思う。そう思う一方で、とくに
親孝行だったわけでもない。
母親のことが好きだったし、ずっと友達のような親しさをもって付き合ってきた。
母の気が若かったこともあるのだろうけど、思えば、私が小学生時代から
ずっと友達のようだった。もちろん、私が体調が悪いときなどは、例えば
お腹が痛かったりするとさすってくれたり、下痢だったりすると指圧のつぼを
押してくれたりもした。そういうときは、「母」だった。
私が社会人になってからは、結構実用的なものを私がプレゼントしたり、
長電話で話したり・・・。母は、とにかく、おしゃべりが好きだった。
父が死んだのが14年前。父が死んでから、母はボケてきたような気がする。
頑固で短気な父だったのに、
「本当に優しいお父さんだった」
と何度も何度も想い出話で語ってくれた。
「お父さんは、いい時代に死んだのよ」
と。
昭和9年生まれの母が、どうなるか。
死ぬにはまだ早いかもしれない。
でも、人それぞれだ。
もし、意識を失ったまま、苦しまずに死ぬことができるならば
それはそれで良いのかもしれない。
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皆さんも、ご自身のこととして気をつけてくださいね。
もちろん私も。
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珍しく会社を休んだ。
昨夜から吐き気がしたのだ。
昨夜は8時半くらいまで残業して、同僚と軽く飲みに行った。
ビール2杯(ハーフ&ハーフ)とオリーブの実と白魚とポテトのフライ
を食べただけだ。
家に11時過ぎに到着してお風呂に入った頃から具合が悪くなった。
お腹が張っている。胃が機能していないのがわかる。
横になっても気持ち悪く、吐きそうだけど吐かなかった。
右を下にしても左を下にしても気持ち悪い。
今朝は、会社に休む旨を連絡し、アポが2つあったけどキャンセルした。
妻に「吐き気がするから会社を休む」と言ったら
「私も」と。
なんだろう?
風邪かウイルス?
食事的には覚えがない。
朝、8時頃起きて、薬もないので正露丸を飲み、また寝た。
夕方4時頃起きて、TVを見ながら葛生姜湯を飲み、正露丸。
妻は寝ている。
そういうえば、今日は彼女の誕生日だ。
かわいそうに。
熱はない。
でも、寝すぎのせいか、関節が痛い。
小便も大便も便意がない。
明日には直るかな?
また、寝ます。
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