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ドストエフスキー

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『悪霊』下巻を読み終えました。とても、ヘビーです。もちろん、
上巻651ページ、下巻741ページというボリュームだけの問題ではありません。
登場人物が多い、セリフが長い、というだけの問題でもないです。

「お前ごときがドストエフスキーを語るな!」と言われそうですが、語ります。
ドストエフスキーの小説には、様々な人物が登場しますが、それは、一大スペクタル
映画のエキストラのような感じではなく、一人ひとりがとても見事に描けています。
「見事に描けている」のは、性格とかルックスだけでなく、「思想」レベルにまで
達しています。そして、この『悪霊』の場合は、ストーリーよりも、その「思想」たち
の戦いのようにも思われました。

単純な善と悪でもないし、信仰と無神論だけの戦いでもない。

そもそも、この小説は、正体不明の「私」が語り部です。どうやら、この「私」は
新聞記者のようです。主人公が誰かもわかりにくい。あえて、主役級の4名を言えば;

ワルワーラ夫人:スタヴローギンの母。元将軍の未亡人で、富裕な地主。高圧的な話口が特徴。

ニコライ・スタヴローギン:ワルワーラ夫人の息子。たぐいまれな美貌と並外れた知力・体力をもつ全編の主人公(ということになっているけど、この本を読んだ限り、彼が主人公とは思えない)。徹底したニヒリスト。ピョートルの目論見を見抜いたり、キリーロフとシャートフを啓蒙したりと、主要登場人物へ影響を及ぼす。無政府主義者のミハイル・バクーニンがモデルであるとの説もある。「自分の卑劣さに陶酔を感じる」異常人格者でもある。それでも、昔12歳の女の子を犯し、その子が自殺したことをなど心の重荷に感じている。女性関係が多い。自殺する。

ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー:
ピョートルの父。元大学教授で、かつてスタヴローギンの家庭教師でもあったことから、ワルワーラ夫人宅の食客となっている。旧世代の進歩派。高潔な知識人のようでいて、妙に女々しい。

ピョートル・ヴェルホーヴェンスキー :
ステパン氏の息子。知事夫人に取り入って文学サークルを装った革命組織を作り、スタヴローギンをその中心に祭り上げようと画策する。 自分で「ペテン師」と自称するが、とにかく弁がたち、村を混乱に陥れるだけでなく、実際に殺人にも手を染める。しかし、ピョートルの詭弁もニコライには通じない。
この小説を読むと、登場回数からして、ピョートルが主人公のような錯覚にも陥るが、彼の思想的な存在意義はほとんどない。

この4人以外には、
・レビャートキン(アル中の酔っ払い、殺される)
・マリヤ(白痴でビッコの女性。ニコライのお遊びで結婚。しかし、結婚生活はなし。きれいな心を持ち、ニコライが「贋物」であることを見破る。殺される)
・シャートフ(ロシア・メシアニズムの信奉者。殺される)
・キリーロフ(独特の人神思想をもつ。自殺する)
・リザヴェータ(ワルワーラ夫人の友人の娘。ニコライと関係を持つ。野次馬に惨殺される)
・フェージカ(脱獄囚)
などなど、いろんな人が多数登場します。

例えば、キリーロフ。彼の論理では、
「神というのは、人間が死を恐れるから、そういう概念が存在するのであって、
もし、人間が死を恐れなければ、神は存在しなくなる。
神の意志に従わず我意を完全に貫いたとき、神が存在しないこと、そして自分が神となること
が証明される。完全な我意とは自殺である。様々な自殺があるが、私はこの証明のために
自殺する」
と。夜起きて、昼間寝る生活を送り、人ともほとんど会わず、他の人からは狂人扱い
されていた。そして、彼は本当に自殺した。

同じ時代を生きたドイツの哲学者ニーチェは、晩年(1887年)に『悪霊』を読み、
キリーロフに感銘を受けたようです。しかし、この2年後にニーチェは発狂し、
1900年に死んでいます。

ドストエフスキーの登場人物には、「精神異常者」が多い。もしくは、まともと思われた
人の精神が途中から崩壊していく。もしくは、とてもショッキングな事件により発狂する。
それは、ヒステリックに異常となる人も出てくるが、非常に冷静に論理的な思考をする
異常者も多い。果たして、誰がまともなのか、わからなくなるくらいです。

白痴でビッコのマリアのことは、俗世界を超えた聖なる存在として書いているような
気がします。
また、一般の農民などがたまに出てきますが、彼ら(彼女ら)も「まともな」存在と
して書かれています。

多くの「まともでない人々」こそが、悪霊(無神論社会主義)に取り憑かれた人々で、
ルカ福音書第八章にあるように、悪霊に取り憑かれた豚の群れが崖から湖に落ちて死んで
いくように、このままではロシア民衆も同じ運命を辿るぞ!という警告を出したかった
のかもしれません。

ドストエフスキー自身も一時は社会主義活動に手を染め、逮捕され、シベリアに流刑されて
います。しかし、その後、シベリアで素朴なロシア人たちと接するうちに、考えが変わり
ロシア古来の宗教(たぶん、キリスト教の一種?)に改宗していったようです。

『悪霊』については、まだまだ、続きます。

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ドストエフスキーの『悪霊』上巻(江川卓訳・新潮社)をやっと読み終えました。
結構しんどかった!とにかく、登場人物の名前が覚えにくいのと、セリフが長いこと。
そして、『罪と罰』のようなサスペンス的なわくわく感に乏しい。
1873年、ドストエフスキーが52歳の時の作品です。

さて、「悪霊」とは何か?
「霊」とか「背後霊」とか「死霊」という言葉は聞いたことがありますが、「悪霊」
という言葉は、通常あまり使いません。

裏表紙の紹介文には;

「1861年の農奴解放令によっていっさいの旧価値が崩壊し、動揺と混乱を深める過渡期ロシア。
青年たちは、無政府主義や無神論に走り秘密結社を組織してロシア社会の転覆を企てる。
――聖書に、悪霊に憑かれた豚の群れが湖に飛び込んで溺死するという記述があるが、本書は、
無神論的革命思想を悪霊に見たて、それに憑かれた人々とその破滅を、実在の事件をもとに描
いたものである。」

とあります。

要するにドストエフスキーは無神論的革命思想を「悪霊」と呼んだのです。

アメリカは1776年に英国から独立宣言、
フランスでは1789年にフランス革命が起こり、王制が崩壊しました。
しかし、ロシアでは19世紀になってもまだロマノフ朝の帝政が続いていました。

1848年、マルクス、エンゲルスが『共産党宣言』を発表。当時27歳だった
ドストエフスキーも相当影響を受けていると思います。当時のロシアは、英仏独
よりも「遅れている」という意識が皆にあり、若者たちの多くは、「社会主義」
に理想社会を重ね合わせていたようです。

なんといっても、当時のロシアは、皇帝が1番で、裕福な人たちは何百人もの
「農奴」を所有するような社会でした。だから貧乏なインテリが、社会を変えよう
と考えるのはごく自然の成り行きだったのかもしれません。
1861年にアレクサンドル2世が農奴解放令を出し、農奴制の廃止を試みたものの
現実は農民たちが本当に開放されることはなかったようです。

『悪霊』の中で、こんな文章があります;
「彼は、ある力強い思想に打たれると、たちまちその思想に圧倒されて、ある場合には
永遠にその影響を抜け出せなくなる、そういった類の純粋なロシア人の一人であった。
こういう連中は、思想を自分なりに消化するということがけっしてできず、ただやみくもに
それを信じ込んでしまうので、その後の全人生は、彼らの上にのしかかって、もう半分は
彼らを押しひしいでしまった大石の下で、気息奄々と最後のあがきをつづけるといった
態のものになるのである。」

こういう人はいますよね。とくに若いインテリには。
オウムの信者などもそうなのでしょうけど。

まだ、上巻しか読んでいませんが、この本は、素晴らしい思想小説なのだとは思いますが
「物語」としては、いまのところ、全然面白くないです。
まあ、これは、実話をベースにしているので、「物語」とは少し違うのでしょうけど。

ドストエフスキーは1881年に亡くなりますが、明らかに、「無神論」「社会主義」
に否定的だったようです。しかし、歴史は、彼の死後、
1905年 血の日曜日事件
1917年 ロシア革命
と続くのです。

ロシア革命の父レーニンは、『悪霊』を「反動的だ!」と言ったそうです。
しかし、その後のスターリンの時代、そして、それに続くソビエトの理想社会から
遠い現実、1989年のソビエト崩壊、と見ていけば、いかにドストエフスキーに
先見性があったかが、わかります。
民主主義を経ないで、理想論だけで社会主義へ移行した国は皆失敗しているのでは。

戦後、多くの日本のインテリが「左翼」になった時代がありましたね。
日本の連合赤軍事件なんて、この小説よりも100年遅れています。

君は神の存在を信じるのか?

なんてセリフが出てきます。究極的なテーマですね。

ジョン・レノンはGodの中で、「僕はキリストを信じない」と歌いました。
『悪霊』を翻訳している三木卓さんは、ジョン・レノンの歌の翻訳もしています。
きっと、偶然ではないのだと思います。
もちろん、ジョンの場合は、「すべてを否定して、まずは一番確実な自分の存在
から始めよう」としたのだと思いますが。

明日から下巻を読みます。

『罪と罰』(2)

ドストエフスキーの『罪と罰』を先日、読み終えました。安易に感想を書きたく
ないけれど、感動が覚めやらないうちに何か書いておきたい。

全くすごい作品です。これまでに何度も映画化されている、というのも納得でき
ます。フィクションですが、ここには、本当に読み応えのあるドラマがたくさんある。
登場人物の数も多く、一人ひとりのセリフもちょっと長すぎる嫌いはあるけれど、
全体としてバランスが取れています。

柔道で言えば、組み合って、いきなりワザをかけようとしても、相手もそう簡単
には投げられてくれません。私だって、ひねくれものだから、そう簡単に感動は
しない。ところが、左右前後にこうも揺さぶられてはやられてしまいます。
この小説を読んでいると、散々、足払いとか、押したり引いたりと
心が様々に揺さぶられます。これだけ心を揺さぶられる小説はなかなかない。
そして、何度も投げられてしまう。技ありの連続、そして、最後は一本!?

この小説でドストエフスキーは何を言いたかったのか?などというのは愚問であって、
論文ではないので、この小説を読んで疑似体験できるのが素晴らしいです。

貧乏学生のラスコーリニコフが金貸し婆さんを殺して、その後、悩んで悩む、
魂の苦悩を描いている、というだけでは、とても説明がつかない。単純な話では
ありません。登場人物たちがとても存在感がある。

その中でも最も欠くことができないのは、もちろん、ソーニャだ。もし、この小説から
ソーニャを抜いてしまったら、全く何の意味も無い小説になっていまう。
小さくて、やせていて、貧乏で、泣き虫で、臆病なソーニャ。そのソーニャの
存在がこの小説でいかに大きいか。

やや鬱病気味で精神分裂気味でもあり、自尊心が高く、インテリで、自分勝手で
傲慢なところもあったラスコーリニコフの心がソーニャの存在のおかげで、少しずつ
少しずつ時間をかけて変化していく。ラスコーリニコフの魂はソーニャによって
救われる。

ソーニャという存在は、もちろん、象徴的なものだけど、これは一体なんだろう?
彼女の「人を許す」という態度は、もちろん、母親が息子を全面的に許す、弁護する
愛する、にも近いものがあるけれど、そういったものを超えた何かがソーニャにはある。
自己犠牲か?奉仕の精神か?信心深さか?びっくりするくらいの清い情熱か?

「魂の救済」というテーマはその後も様々なところで論議されるけれど、これは
文学を超えて、思想的、宗教的なレベルまで達してしまう。

この小説が多くの人にすごく影響を与えたことは確かだけど、具体的に思い出したのは

1.チャップリンの映画「殺人狂時代」
「数人殺して犯罪で、戦争で何万人も殺して英雄になるのはなぜですか?」
というストレートな疑問だ。誰もちゃんと回答はできていないと思う。

2.太宰治の『人間失格』
登場人物の一人が見る悪夢と『人間失格』にでてくる悪夢が酷似している。また、
たしか、『人間失格』の中で主人公と友人の間で、「アントニム・ゴッコ」(反意語ゴッコ)
という言葉の遊びがあって、その中で「罪」と「罰」がでてくる。

3.村上春樹の『1Q84』
これも、まさに『罪と罰』を頭の片隅において書いていると思う。青豆も自分の行う
殺人は正しいことをしている、と考えている。
この小説は、『アンダーグラウンド』『約束された場所で』というオウムによるサリン事件
の被害者・加害者のインタビュー本からもつながるものだ。そして、オウムのサリン事件は
まさにラスコーリニコフを連想させる。

「殺人」というのは、民族人種を超えて、太古の昔から「やってはいけない行為」とされて
きたのに、延々と毎日、どこかで殺人が行われている。

河合隼雄氏が『約束された場所で』のあとがきでの村上氏との対談で、
「だいたい善意の人というのが無茶苦茶人を殺したりするんです。よく言われることですが
悪意に基づく殺人で殺される人は数がしれていますが、正義のための殺人ちゅうのはなんと
いっても大量です。だから、良いことをやろうというのは、ものすごく難しいことです」
と言っています。

殺人を正当化する事例はたくさんあります。正当化することによって、殺す側の心や魂が
やましさをなくし、楽にするようです。しかも、大量殺人の場合、とくに戦争などでは
殺す側に殺される側の人々の苦しみが実感としてわからない。これは、とても危ないことです。

さてさて、まったくまとまりのない感想文になってしまいました。ご容赦ください。
『罪と罰』の感想文を、まあ、そう簡単にさらっと書けるはずがない。
でも、本当に読んでよかったです。

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ドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいます。とても面白い。

今更ながらなのですが、長い間「読まなくては」と思いつつ読んでいなかった。
実家にも単行本が置いてあったけど、読みかけてやめてしまっていた。
1つには、訳の日本語が古すぎては入り込みにくかった。また、登場人物の名前が長くて
難しくて嫌になってしまった、というような理由だった。

しかし、50ページほど読んでしまえば、古臭い翻訳も気にならなくなる。
それどころか、ぐいぐいと小説の中に引き込まれてしまって、面白くて
面白くて、夢中で読んでいます。サスペンス感覚もあります。

いろいろな出版社からいろいろな人の訳が出ているようですが、私が読んでいるのは
角川文庫で米川正夫さんの訳です。

ドストエフスキーが生まれたのが1821年。ナポレオンがセントヘレナで死んだ年であり、
日本は江戸時代で伊能忠敬が日本の地図を完成させたりしている。
『罪と罰』が出版されたのは1866年。アメリカでは南北戦争が終結した翌年であり、
日本では薩長連合が組まれた。明治維新の2年前だ。
1881年60歳で他界。

世の中に星の数ほど作家がいるけど、果たして「自分はドストエフスキーよりも上だ」
と思える人はどれほどいるだろうか。19世紀を代表するロシアの作家、という
ことだが、この作家の前では、他の作家はとても小粒に見えてしまう。偏見かもしれない
と思っていたが、『罪と罰』を読みながら確信的になってきた。

恵まれた人生を送ったのかと思ったけど、とんでもない。貧民救済病院の医師の次男として
生まれ、25歳のときに『貧しき人々』で作家デビュー。その後、社会主義サークルの
メンバーになったため官憲に逮捕され死刑宣告を受けたが、皇帝の特赦でシベリアに流刑
となり5年間服役。その後、様々な理由で膨大な借金を抱え、出版社から多額の前借りを
したものの、それを大好きな賭博ですべて失ってしまう。この『罪と罰』も前借り返済に
当てられた。賭博が好きだったようです。癲癇でもあった。

読めばわかるが、単なるインテリが書いた本ではないし、空想力だけで書けるものでもない。

今日、上巻を読み終えました。
最後の方で、ソフィアが初めてラスコーリニコフの部屋に入ってきた場面の描写で
私は不覚にも涙してしまった。朝の満員電車の中であり、涙が流れないように、上を
向いて、そっとハンカチで涙を押さえました。

読んでいて心が揺すぶられます。
村上さんには悪いけど、『1Q84』よりずっと面白い。

下巻が楽しみです。

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