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いろいろあるけど、めげずにコツコツと

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村上春樹の自伝的エッセイ『職業としての小説家』(2015年)を買って、読んだ。
これまで読んだ彼のどのエッセイよりも素晴らしく、1ページ1ページめくって読んで行く楽しむを感じ、読み終えてしまうのがもったいないような気分だった。


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小説家というもの、小説家になったころ、文学賞について、オリジナリティについて、何を書くか、長編小説について、教育について、登場人物、誰のために書くか、などを真正面から、正直に、謙虚に、しかし、忌憚なく書ききったという感じです。

彼にとってエッセイというものは、ビール会社が作るウーロン茶のようなものだそうですが、ここに書かれていることは、彼がこれまで「いつか書かねばなるまい」と思っていたことをコツコツと書き集めていたものを編集し直して、推敲に推敲を重ねたものです。だから、ランダムなエッセイのようで全体として総体として調和が取れています。

文章は、40人程度の人前で語りかけるような文体です。

カバー写真は荒木 経惟(あらき のぶよし)。かつては、妙に生活感のあるヌード写真などで独特のエロスを表現していました。この写真では、今までのファンタジックな春樹イメージから一転させて、皺があり、髪にも白いものが混じってきた春樹が、真面目に語っているんだよ、といったイメージでしょうか。それでも、この筋肉を見なさい。怠けている老人ではないです。現役としてひたむきに生きていますよ、と。


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出版社は、スイッチ・パブリッシング。「MONKEY」などの雑誌を発行している。。「MONKEY」の責任編集をしているのが柴田元幸。アメリカ文学研究者、翻訳家で、昨年まで東京大学教授だった。柴田氏がこれまで村上春樹の翻訳のチェックなどをしてあげていたらしい。
このエッセイの中身も一部は「MONKEY」という雑誌に掲載されたものです。
この本格エッセイをこの出版社から出したのは、村上春樹の恩返しかもしれません。


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「どこがいいのかわからない」「あんなの文学ではない」など様々な罵詈雑言を浴びながら、しかも、芥川賞も直木賞も受賞せず、日本で最も売れる作家となり、かつ、世界で最も有名な日本作家となった村上春樹。その彼の35年の軌跡は、運が良かった、とか、才能がある、とか単純な話ではなく、大変な努力の積み重ねでもあります。「凡人」村上春樹がいかにして現在の「村上春樹」となったかがよくわかります。

本書が売れようと売れまいと、私には関係ないですが、私は買って、読んで良かった。
再読したい





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『空飛び猫』(CAT WINGS)アーシュラ・K・ル=グウィン著
(村上春樹訳、S.D.シンドラー絵、1993年)を読みました。

絵本です。

都会のごみ溜めに4匹の羽の生えた猫が生れました。
彼らは都会から田舎へを飛び立ちます。



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他に誰もいないような田舎で、羽の生えた猫を見てびっくりする8歳の少女。
その少女の言葉を確かめにきた12歳の少年。二人で餌をあげます。

四匹の猫たちは、少年と少女のところへと飛んで行き、すり寄ります。
少年と少女は、優しく優しく4匹の猫を撫でます。
猫はごろごろと鳴いています。

少年と少女は、このことは、絶対に誰にも内緒にしようね、と約束します。

そんなお話です。
続編もあるようです。

猫好きならば、堪らないかもしれません。




先日、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』の書評を書きましたが、その続きです。

今回は、「ネタバレあり」です。

サスペンス・ミステリー的なところがあって、読み進むにつれ謎が徐々に解けていく本ですので、「ネタあかし」はタブーかもしれませんが、ある種の恐怖SFであり、しかし、かなり高度な「文学」でもあるので、ネタがばれたからといって、本書の魅力が半減することはないと信じます。


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舞台は1990年代後半のイギリス。語り手は「介護人」の女性31歳。
彼女はイギリスの田舎にある施設で育ちました。多くの少年少女たちがそこにいるのですが、彼らは全員、クローン人間です。臓器提供のために生まれてきたのです。施設では、「保護官」たちが、彼らを少しでも人間らしい生活ができるように努力しています。しかし、喫煙の弊害については厳しく警告しています。(喫煙をすれば、臓器に影響するからです)。そして、彼らが人間らしい将来の夢を持つことが断じてないようにしています。洗脳教育といっていいかもしれません。また、子どもができないような処置はされています。

臓器提供のことを「提供」と呼んでいます。20歳くらいになると施設を「卒業」して、別の場所へ移動します。そして、「提供」を知らせる手紙が来たら、周囲の皆が「おめでとう!」と祝福します。「提供」は病院で行われ、その後、リハビリなどを行います。通常、2度か3度の「提供」で彼らは、その使命を終了します。そういう彼らの介護をするのが「介護人」です。介護人もクローンで、やがては「提供」の日がきます。

クローンというのは、人間の複製ですから、どこかにその「オリジナル」が存在します。そのオリジナルらしき人を「ポシブル」possibleと彼らは呼んでいます。「ひょっとしたら」この人が、自分のオリジナルかもしれない、と。そういう人を見つけたときの彼らの気持ちは複雑です。ひょっとしたら、自分はそっち側の「オリジナル」のほうの人生を生きたかもしれないからです。

語り手のキャシーは、かつての施設の友人、ルースとトミーが、提供を行った後、まずはルースの、そして、ルース亡きあとはトミーの介護人を務めます。

施設では様々な「噂」がありました。本当に愛し合った二人がいた場合には、それが証明されたら、「提供を猶予」してもらえる、というものです。ですから、パートナーを見つけ、愛し合い、それを証明したい。でも、それを誰に示し、承認してもらえばいいのかわからない。

物語の全体を通すムードは「諦観」です。介護人になってからのキャシーはとても穏やかで、それがかえって私をぞっとさせました。

こういう話が、カズオ・イシグロの格調高い文章で(土屋政雄の美しい訳文で)、とても静かに書かれています。

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この本を読みながら、いろいろなことを思いだしました。

一つは、牧場の牛たちです。とくに肉牛です。人間に食べられるために交配され、誕生し、育てられ、出荷され、屠殺され、売られ、食べられていく牛たち。人間にとってはありがたい存在です。しかし、牛たちにとってはハッピーな人生とは思えません。しかし、牛がそんなことを考えなければ、なんの問題もないわけです。しかし、『わたしを離さないで』の場合は、クローン人間であるキャシーの語りで物語が進行していくわけです。

太平洋戦争中の日本人のことも思い浮かべました。お国のために死ぬことが素晴らしいことであり、使命であり、赤紙が来たら「バンザイ!」と周囲は喜び、とくに後半の特攻隊の時代には、自分の順番が来たら、それは死ぬことであり、哀しみではなく、喜びとして全うしていった・・・。今から考えればとんでもない話ですが、マスコミが、教育が、そういう思想、空気を作り上げ、ほぼ何の疑いもなく人々は勝利を目指して、もしくは玉砕を目指して、死んでいった。そういう事実がつい70年くらい前にあったのです。

『わたしを離さないで』は、クローンをつかって寓話的に描いたものですが、ある意味、全く寓話にはなっていないし、だけど、そこから想起される様々なことをを考えると、やはり恐ろしい寓話であると言えます。SFの力というのは、そういうものなのかもしれませんが。

と、いうことで、奥歯にものが挟まったような投稿だけでは、どうしても気持ちがすっきりしなかったので、書いてしまいました。ご興味のある方はどうぞ。名作であることは間違いないです。


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カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(Never Let Me Go, 2005年)を図書館で借りて読みました。
内容を全く知らず、「お!カズオ・イシグロの本だ!タイトルもいいなぁ」と思って借りたのです。

31歳の女性「介護人」の語りによる物語です。10代の頃の施設の想い出。ごくごく普通のティーン・エージャーたちの話がさりげなく、丁寧に、静かに語られていきます。最初は、何の話だか、さっぱりわからない。「提供」ってなんだろう。「ポシブル」とは?介護人って、誰を介護するのだろう?
そして、少しずつ、話が見えてきます。恐ろしい、残酷な話が。こんなにも美しい文体で、静かに、絶望的な話が語られていく。「使命を終える」ってなに?

これほど、緊張して読んだ本はありません。
カズオ・イシグロの想像力、そして、美しい文章。読者は、同様に想像力を働かせて丁寧に読んでいくしかない。戦慄のサイエンス・フィクションです。

村上龍がすごい話を露骨な表現でこれでもか、これでもか、と描写するのに対して、カズオ・イシグロの文章は、とても抑制が効いていて、控えめだ。だからこそ、怖い。

2010年には映画化されたようですね。
しかし、映画でどこまで本書の魅力を表現できるのだろう。


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私は読み進むのがとてもつらかった。

内容は、書きません。自分で読んで感じるのが一番だと思います。
あらすじだけ知って「なるほど」と思っても意味はないです。
やはり、イシグロの文章を読まねば。

お薦めすべきかどうかもわかりません。
すごい本であることは確かです。




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ロアルド・ダールの『来訪者』を読んだ。帯には「エロティックなミステリの最高峰!」と書かれており、書店でつい買ってしまった。「エロティックなミステリ」なんて読んだことないなぁ、と。
とても、面白かった。全然、猥褻ではない。確かにエッチだ。だけど、ユーモアたっぷりで、ちゃんとオチがある。エッチなパーティー・ジョークを長めにして小説化したような感じ。それもそのはず、ここに書かれているお話は、皆、月間プレイボーイ誌に掲載されたものだ。

「来訪者」
「夫婦交換大作戦」
「やり残したこと」
「雌犬(ビッチ)」
の4編が収録されている。

ロアルド・ダール(1916-1990)は英国人作家。ノルウェー移民の両親のもとに生まれる。シェル石油で働いていたときにアフリカのタンザニアなどにも行った経験があり、「ありえないような話、でも、アフリカならばありうるかもしれない話」みたいなのも出てくる。

「来訪者」に出てくるオズワルド叔父は大金持ちの独身で、世界中を女性とやりまくり人生を送った人で、今どこで、生きているかどうかもわからない。その人からある日、大きな木箱が届く。その中には、叔父の赤裸々な女性遍歴が日記として書かれていた。叔父は同じ女性とは二度とセックスしなかった。その日記の中から、公表しても大丈夫そうなものを紹介していく。(叔父のお相手の女性の中には、まだ存命の有名人や貴婦人が多くいて、そうそう公表できない)

どのお話もエロティックでもあり、ユーモアがあふれ、しかし、「オチ」では皮肉たっぷりである。怖いようなオチもある。

ロアルド・ダールは、映画「007は二度死ぬ」「チキチキバンバン」の脚本も書いている。また、「チャーリーとチョコレート工場」の原作も彼である。

奥さんはパトリシア・ニールという女優だった。1953年に結婚、5人の子供をもうけている。

写真はパトリシア・ニールとロアルド・ダール。


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パトリシア・ニールは、ロアルド・ダールと結婚する前に、ゲイリー・クーパーと3年間不倫していた。クーパーの子供を身ごもったが宗教的な理由から?クーパーが離婚を拒否したため、堕胎せざるを得なかったらしい。

写真はゲイリー・クーパーとパトリシア・ニール。




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ポール・ニューマンと共演した1962年の『ハッド』でアカデミー主演女優賞を受賞した。その際の記者会見では、昔クーパーからプレゼントされたという毛皮のコートを着て現れた。クーパーが亡くなったときにコメントを求められ、「彼は私の愛です。」(He is my love.)と語っている。

パトリシア・ニール(1926-1910)の自伝の最後には「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」と書かれているそうです。



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ロアルド・ダールの奥さんは情熱的に生きた女性なのでしょうけど、「自分の愛した男性はゲイリー・クーパーただ一人だった」なんて書かれたら、夫の立つ瀬はないですよね。
この辺の実人生が、ロアルド・ダールの小説の「皮肉」にもつながっているのではないか、と思います。


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