冬の月夜

新しい一歩を、踏み出してる

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冬の月夜

お久しぶりです。

どうしても書きたくなったことがあったのですが、日記にできなくて。
年があけて、今日こそは。今日こそは。なんて思いながら、今日になりました。

3月31日。区切りにいい。
北陸の3月生まれての私は、
毎年毎年いつも2月の終わり頃から、おそらく誰より早く
春の気配を見つけて、ぐんぐん元気になって行ってたのですが
今年は、少し違って。

今日、やっとです。
言葉にしようと思いました。
長く、ここを読んでくださってた方へ。
伝えたいことがあったんです。

書き残してたものを、ここにまずはその日の日記を貼ります。
12月。
クライアントさんに、可愛い釜めしやさんに連れて行ってもらった日のことです。

以下。

『クライアントさんたちと、仕事の間にランチに出掛けました。

切り干し大根のこの厚さ。
おばあちゃんが手で切って、干してくれてた大根みたい。懐かしい。

おでんのこんにゃく、こんなにかわいい手間かけてもらったら、嬉しい。

大好きな金時豆は、冬のストーブの上で炊いたみいに、ぼったりと。

小さい頃は、ふきが苦手だったのに
大きくなるにつれ大好きに。
皮剥きすると、手が真っ黒になるやつ。
あのあと、おばあちゃん、どうしたんだろ?湯がいてたかな?あららわかんない。

今も多分、春に実家に行けば、庭の一群に
ふきはありそう。
蕨とか茗荷とか、少しずつだけど、色んなものがあった気がするんだけどなぁ。

なにも教わりもせず、いつも間にか、全部買うものになっちゃったな。なんて

そんなおかずを、摘みながら、あれこれ思ってるうちに、釜飯の炊き上がり。

私が選んだのは、舞茸ご飯。
木の蓋開けて、ふわぁっと湯気と香りを楽しみながら
小さなお椀によそって……ふぅふぅ。
二杯目は、お焦げを楽しんで。
まだ、あった。三杯?もう、お腹一杯。

酸っぱい糠漬けは苦手だけど、これは
よく手入れされてる糠床なのか、
美味しく漬かった糠漬けで、最後までいただきましたよ。

こんなの食べたせいかな。

今朝は、お母さんの夢、見ました。
夢で話してたお母さんが、若くて、綺麗でした。

なかなか思い出せなくなってた
あの頃のお母さんの顔。
そんな母と、あの頃じゃない今の私と
話せてるのが、楽しくて。

朝、目が覚めるのが、とても残念でした。
寂しくなって、ちょっと、涙。

いろんな美味しいものをいただくようになっても、
おばあちゃんやお母さんの作ってくれた
こんなご飯が、今でも、ほんとは一番好きです。丁寧で、贅沢なご飯を食べさせてもらってたな。と、今はしみじみ思います。

そんな私は、今は10分飯。が、得意です。今日も、あー、もう、これは……

今朝は、お母さんへの葉書に「ごめんねー」と書きました。

今日は飛行機雲かな、幾筋も幾筋も。

優しい雲でした。』

以上


これを書いた日の夜。
準備よく、いつもは電車の中で書いたりするんですが、
翌日分の絵葉書を、書きました。
もうすぐ、Bの赤ちゃんが産まれるね、春になったら……って。

朝の七時。父から、電話がありました。
「病院から電話があったし、今から行くわ」って。

なんのこと?と混乱しました。
30分もしないうちに、母が逝ったと。
15年間。毎日病院に通った父も、間に合わなかった。
静かに、おばあちゃんの所に逝ってしまった。

ほんとうに、会いに来てくれたようです。

静かに眠る母は、穏やかで美しかった。
長く病院にいた母を上書きしてくれるほど。

父と、数年前に選んでいた、若い笑顔の母の写真を
式の間、ずっと眺めていました。
夢であった母と、同じ。

病室に行く度、母を見るのが辛かったけれど
この数か月で、上書きされました。
優しいあの頃の若い母の顔に戻ってくれた。

いつの間にか忘れていた、声。笑い声。
叱ってくれた声。
会社でどうしても歌わなきゃって、台所しながら練習してた「瀬戸の花嫁」
そこだけ口ずさんでたケセラセラ。
一緒に思い出しました。

不思議ですよ。49日まで、ほんとにあの頃の母がゆめにでてきてくれ続けました。
そして、49日を境に、出てきてくれないの。

でも、いいです。
もう、思い出す顔は、病室の母ではなくて
「あの頃」の母です。

納棺は、今時記念の品も一緒に入れちゃダメらしいのですが
父が許可を取ってくれて、絵葉書を入れていいと言ってもらいました。

父がまとめて残してた、15年。いえ、二年は病室に行きました。
転勤してからの13年分の絵葉書は、3,40センチの束が、五つか、六つか。
よく覚えてません。

私と、Aと、Bで、親族が見守る中、納棺の儀式の一連の中で
納めました。
花のように、丁度、母を一周して埋まりました。

読めなかった日も、沢山あったことは分かっています。
いいんです。私が、寂しくて書いてたもの。
絵葉書にしたのは、病院を出られない母に、いろんなものを見せたくて。
手元の絵葉書が無くなるかと、最後の一葉のようにどきどきしてたことも、ここに書いたように思います。
いろんな方が、絵葉書を下さいました。
ほんとうに、嬉しかった。

今まだたくさんある絵葉書。ずっと、書くと思っていたのに。
でも、いいです。それも。
四季折々の美しい自然、海外。母が大好きだった動物たち。物語。
あれもこれも、母は、実際にもういける。
一緒に煙になりました。

書き続けた13年。私にとって何よりだったと思ったことは、
毎日、楽しい事、面白い事はないかな。って、探し続けられたことです。

日々、色々あっても、絵葉書ですから、あて先を書けば、残りはたった半分のスペース。
毎日、何かしら、楽しい事や美しいものはみつかりました。
外の空気を感じてほしくて、風や光や温もりにも敏感になりました。
私が、そのおかげで、前向き、元気になっていたんだな。と思います。

昨年は、ベトナムに二回。ハワイに二回行きました。
ベトナムはクライアントさんがベテランで、その勢いで連れて行ってもらったのですが、
二度目は友だちを連れて。私が案内しました。
ハワイは、二度目は一からの一人旅。
飛行機の手配から、友だちのコンドミニアムまで行く方法、過ごし方まで一人。
ホノルルのハロウィンを、一人、軽い仮装してまで参加しました。
あとは、一人で動物園へ行ったり、夕日を眺めたり。
母に見せたくて、ジャングルツアーも。
ハワイは鳥の声が絶えず聴こえて。
野鳥が家の周りにいるので、それをそっと見ながら、台所をしたり、お茶したりしてる母に聴かせようと
動画を撮ってみたり。

そんな動画を見ることなしに。と思いましたが

飛行機嫌い、一人で泊まれない。と言ってた私が
入院15年で一番元気で、会話を楽しんでくれる母に伝えたくて
AやBに負けない、楽しい報告、元気な報告をしようと
動いた年でした。そして
「やらなきゃ。やればできる」と、思えた年。
そんな過ごし方をして、それを報告していた年でした。

絵葉書で見せたかった場所、どれも、母はもういける。
旅先だって同じ。
わたしだって、寂しくなかった。
母に何書こう。って、ずっと頭の中で話していたかのようだったから。
どっちにしろ、母はいて、いない。
先にあちらに行ってる、私の大事な祖母と同じ。

って、今は思えます。

母が逝ったのは、満月の前日。
朝一番の報告から、準備して帰った実家は、
雨予報が一転。雲が流れる、月の美しい夜。
雪のかけらも残っていないけれど、寒くて美しい、確かに冬の月夜でした。

あんまり泣かなかったんですよ。
あまりに、穏やかそうで。
突然だったこと。あっけなかったこと。覚悟していたこと。

ただ。
親戚を送り出して、外に出たら、月が綺麗で。
大きな雲が流れていくのが、
母が可愛がっていた、柴犬のたろうにしかみえない形だったり。
大きな大きな、龍にしか見えない形だったり。

ああ、お母さんは、一人ぼっちじゃないんだなと。

そしたら、泣けてきて。
庭の境に、小さな用水が流れているのですが
祖母が、お野菜の土を落としていた川。
どろんこを下洗いする川。
小さい私や兄が、沢蟹を探した川。

田舎の人はわかるでしょうか。
土地に坂があると、用水は小さな段差を作っていて
それが、どどどどど。と、音を立てるのです。

どどどどど。の音を聴きながらお月さんをみていたら、突然涙が止まらなくなって。
「おかあさん。おかあさーーーーーん」と、叫んでました。
三十回も、叫んだでしょうか。
泣きながら呼びました。

考えてみたら、15年。二人部屋の病室ですから。
「きたよ」とか「おかあさん」とか
大きな声で話しかけた事なんて無かった。

田舎の広い家の事。
実家に帰ったら「ただいまー」とか「おかあさーん」なんて
当たり前に声を張り上げてたのに。
こそっ。こそっとしか、話してなかった。
だから、どどどどどの音にまぎれて、大声を出し続けたら

気が済みました。
もう、あんな大きな声で、お母さん。と言うこともないと思います。

翌日の夜のお通夜。雨は、時間の小一時間前にはやみました。
葬儀は、クリスマスイブ。
雲がものすごい速さで流れている日で、母は行ったんだな。と思いました。

最後の会食の時。窓の外に、ちらちら雪が見えました。
クリスマスイブだ。と思い出しました。

母は、お天気みたの?参列に来てくださる人のことまで考えてるかのようで
だけど、乙女の母は
クリスマスイブなら、毎年、私たちが一生忘れないことも分かってて。

15年。この日を探して探して、決めてたような気すらしました。

最後のお別れの時。
長くあってなかった母の友だちらが、会わせて欲しいと。

病室では、誰にも会わせたくない。
記憶を、ベッドの母にしてほしくないと、母も会いたがらなくて遠慮していただいたお友達。
皺すらない、美しい母に戻っていて
写真の母が、若い時過ぎる?って思っていただきたくなくて「是非に」と思いました。
みんな、驚いてくださって。

嬉しかった。

私の小さい頃から知ってたおばさん達。
みなさん、お元気で。みんな、いらっしゃった。
眩しかった。
母の分も、お元気で、美味しいものを沢山食べてください。とお話ししながら
また、少し泣きました。

夜、父に、綺麗なお母さんを見せてあげられてよかったねと。
でもね、みんなお元気で羨ましかった。って言うと、

「そうだな。でも……
綺麗な人たちもいたけれど、みんな、年とってたなぁ。
お母さんが、一番綺麗だっただろ」

って。

それを聞いて、くすっと笑いました。
もう、お母さんの人生は、完璧だな。って。

父が、大好きな母でした。
完璧でしょ?

私が思い浮かべる母も、完璧に、若い時の笑顔の母です。

・・・・・・・長くなりました。長く書くと、だんだん、調子乗りのだりあの文章になってきました。

くすっ。と笑ったところで、ここらにしますね。



イメージ 1


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閉じる コメント(6)

dariaさんの文章を久しぶりに読めて嬉しかったです。
お母様も、お父様も、dariaさんも、お疲れ様でした。
みんなが元気で幸せに暮らせるようにと、お母様の大きな愛を感じましたよ〜。

2019/3/31(日) 午後 11:41 abu 返信する

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ご愁傷様です。暮らし方も変わるね。
うちの親や祖母達も、自分の命日を選んだようでした。そんなこともあるのね。私も希望はしておこうと思って。

2019/4/1(月) 午前 8:01 スタジオビセリ 返信する

顔アイコン

お母様のご冥福をお祈り申し上げます。

娘ならではの細やかな愛に包まれて、お母様はお幸せだったと思います。
これからは、やさしく見守ってくださいますね。

2019/4/1(月) 午後 8:57 文 返信する

> abuさん
ああ、懐かしい!おちびちゃんらも、大きくなったことでしょうね!

ありがとう、そう言ってもらって。
暮らしは、基本相変わらずなんだけど、
今までより、広く、深くなった感じ。

父も、そう。
この月日を、更なる経験として。
これからの日々をもっと大事に過ごしますよ、

親子って、ほんと………幾つになっても。
どこにいても。

2019/4/5(金) 午後 0:28 daria 返信する

> スタジオビセリさん
私は小さいときから怖がりで。不思議話は、身の回りに沢山有りはしたものの、

それとこれは別。無理!と思っていましたが。
今回は確信のように。
母が来てくれて嬉しかった。だから、きっと、大好きな祖母と同じように、
ほんとに。見守ってくれてるんだとも思えます。田舎の、当たり前に信心深いおばあちゃんに、沢山色んな話を聞かせてもらってた世界が、身近です。

私も、希望出してたことがあるんですよ、母に。だから、ふふふ。
色んなことが怖くなくなりました。

希望は、出しときましょう!

2019/4/5(金) 午後 0:34 daria 返信する

> 文さん

今、京都に向かう新幹線。四泊、美術の用事で東京に泊まった父と、今朝は、
上野の公園まで散歩してきました。
カフェでモーニング食べて、
桜並木を歩いて。父の暮らしてた頃の昔の東京からの変化なんかを聞きながら。
温かくて、風が気持ちよく。桜がはらはら散りながら、美しい朝でした。

母がいれば。

15年かけて諦めてきたことが、
今朝は切なくなりました。

でも父がとても楽しそうで。
実家では、母の写真に「おかげさまだ」と話しかけてるそうです
母は幸せだったんだ。と、また思い直して。

いま、あの頃の母の気持ちが、よくわかるんです。娘って、ね。

2019/4/5(金) 午後 0:43 daria 返信する

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