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19世紀から20世紀前半までの白人による帝国主義の時代において、真の独立を維持できた有色人種は日本民族だけだった。
シャムとペルシャは英仏と英露の勢力範囲に分割され、エジプトはイギリスの統治下に置かれていた。日本が尊敬していた中国でさえ、イギリス、フランス、ロシアに領土を蚕食され、半植民地とされていた。「中国はヨーロッパなどには負けない」と信じていた日本人は、大変な衝撃を抱き、アジアの盟主となるべく、必死に国家の近代化に取り組んだ。
白人による人種差別は非人道的で、有色人種の側からもあまりに屈辱的だったため、その記憶は意図的に埋没され、記録に残っているのは稀である。
イギリスに支配されていたインド人は、道の端を通らねばならず、道の真ん中を通ると、イギリス人から足蹴にされるなどの暴行を受けた。イギリス人がインド人を射殺しても「動物と間違えた」と釈明すれば、軽い罰金刑で免れた。
ビルマは最後まで独立を守るために抵抗したので、インドより過酷な統治を受けたという。また、オランダの圧政で貧困にあえいでいたインドネシア人は、平均寿命が35歳まで低下したといわれている。インドネシア労働者の命は軽視され、オランダ人従業員に撲殺される事件が頻繁に起きた。
その他、奴隷解放後の米国における黒人差別も酷く、「黒人が車を買って運転しているのが生意気だ」という理由だけで、ガソリンをかけられて焼殺された事件もあった。 1919年、日本はベルサイユ講和会議に、列国と共に席を並べた。主な議題は、国際連盟の設立だった。日本は道義国家として、国際連盟の規約の中に人種差別撤廃を求める「人種平等案」を盛り込むべきである、と正論を堂々と述べた。
人種差別の撤廃を国際政治の場で提案したのは、歴史上、日本が初めてだった。この案に、委員19名のうち11名が賛成した。この会議では多数決が採用されていたが、この案に限って、アメリカは「このような重要案件は、全会一致でなければ認められない」と主張した。
当時、アメリカの移民排斥問題は切実で、人種平等の原則を打ち立てたかった日本は抗議したが、強引に否決されてしまった。
第一次大戦には、各国の植民地人やアメリカの黒人など多くの有色人種が第一線で戦った。しかし、彼らは負傷しても、治療は白人が優先され、有色人種から死んでいった。全米黒人協会は、「われわれ黒人は、講和会議で″人種問題″について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」とコメントを発表した。
白人が有色人種を見下し続ける限り、いずれ、実力があり誇り高い日本人と摩擦がおきることは必至だった。大東亜戦争が起こった遠因として、人種差別が根底にあったといえる。
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