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大東亜戦争開戦の直接的なきっかけは、ABCD包囲網とアメリカの対日石油輸出禁止だった。東アジアの権益を持つアメリカ(A)、イギリス(B)、中国(C)、オランダ(D)は共同して日本に対する経済封鎖を行なった。
支那事変によって中国に侵攻した日本を快く思わないアメリカは、日本に対して露骨な経済制裁を実施した。
1940年、アメリカは日米通商条約を一方的に破棄し、日本への輸出を自由に制限できるようにした。資源を輸入して製品を作って輸出していた日本は衝撃を受けた。さらに、アメリカは、日本軍と戦っていた蒋介石の国民党軍へ武器と空軍部隊まで派遣し、日中戦争を攪乱した。
米英は、蒋介石を支援する物資をビルマとフランス領インドシナを通って運んでいた。日本はこれを遮断するため、北部フランス領インドシナに軍を派遣した。これに対して、アメリカは対日禁輸措置をとった。日本は、アメリカに代わる石油供給先としてオランダと交渉したが、米英が妨害して決裂してしまった。
自活の道を歩まざるを得なくなった日本は、戦略物資の宝庫である南部フランス領インドシナへの進駐に踏み切った。
その後、アメリカは石油の全面禁輸を行なった。当時、石油のほとんどはアメリカから輸入しており、日本に備蓄されていた石油は2年分しか残されていなかった。
それまで陸軍に比べて対米開戦に消極的であった海軍が、この石油禁輸で戦争へと大きく傾いていった。窮地に追い込まれた日本は、開戦の時期を誤ると、戦わずに負けてしまう状況となった。
1941年、首相となった東条英機は、アメリカとの和平を望まれる昭和天皇の御意向を受けて、和平工作を図った。しかし、アメリカは、「ハル・ノート」を突きつけ、日本が苦労して獲得した満州権益を全て否定する理不尽な要求をつきつけた。
当時の日本連合艦隊は、地上最強・最大といってよいもので、ゼロ戦などの航空隊も史上最強のものだった。しかし、これら一流の軍隊も、石油がなければ活躍することはできない。
ここに至って、日本はついに開戦を決意した。
戦争に突入する前、永野修身軍令部総長は、次のように述べた。
「戦うも亡国かも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂までも喪失する永久の亡国である。たとえ一旦の亡国となるとも、最後の一兵まで戦い抜けば、我らの子孫はこの精神を受け継いで再起三起するであろう」
戦後、「日本が戦争を始めたのは、アジア諸国を侵略するためだ」という誤った考えが広まったが、実際は自国防衛のための地政学的理由に因るものだった。
アメリカの連合国最高司令官として日本と戦ったマッカーサーでさえ、1951年の米国議会上院の軍事外交合同委員会で次のように語っている。
「日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど無い。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他、実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切のものがアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料が断ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、日本人が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障に迫られてのことだった」
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天皇陛下のお言葉…全国戦没者追悼式
本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来既に68年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
2013/8/15(木) 午後 4:33 [ カネカ油症の責任H30年12.01高砂 ]