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			<title>ダーク＆カオス</title>
			<description>うぬ</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>ダーク＆カオス</title>
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			<description>うぬ</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark</link>
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		<item>
			<title>毎日新聞英語版サイト　「変態ニュース」を世界発信</title>
			<description>「ファーストフードで女子高生が性的狂乱状態」「防衛省の『ロリータ』漫画キャラクターで内実が明らかに」――なんと毎日新聞の英語版サイトでこんな驚くべき記事が配信されていた。中には「六本木のレストランで豚を獣姦し、その後食べた」という、目も当てられなくなるような「変態ニュース」もある。これらの記事は国内だけでなく、海外のネット上でも話題になっていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■幼児性愛漫画のキャラクターを使って政策をアピール？？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「2ちゃん並というか、2ちゃん以下だな」「毎日ひでえな」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　毎日新聞の英語版ニュースサイト「Mainichi Daily News」にあるコーナー、「WaiWai」が過去に配信した記事に、こんな指摘がインターネット上で相次いでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　例えば、07年9月に配信したニュースにはこんなものがある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「コックと野獣、ふしだらさとそれを愛する者」と題された記事では、東京・六本木に富裕層向けのレストランが登場したことを紹介。Mなる人物が「実話ナックルズ」という雑誌に語ったというその内容を参考にしているようなのだが、このレストランで、弁護士がメスの豚を獣姦し、のちにそれと同じメス豚が料理としてその後出てきた、という、おぞましい内容になっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さらに、07年7月に配信した「防衛省の『ロリータ』漫画キャラクターでその内実が明らかに」という記事では、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「サイゾーによれば、パールハーバーと南京大虐殺の後継である政府省庁が、テディベアを持ってメイド服を着たかわいらしい漫画の少女キャラクターに日本の防衛策を説明させるようになった。最近では、キワどい幼児性愛漫画のキャラクターを使って政策をアピールする政府機関が増えているが、そのなかでも防衛省の少女キャラクターはオタクを引きつけている、と同誌は言っている」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と紹介。そもそも「サイゾー」にこんな内容の記事が掲載されたとも思えない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
■「ご批判は謙虚に受け止め、削除しました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また「ファーストフードで女子高生が性的狂乱状態」という記事では、ファーストフードを食べると神経の中枢のコントロールできなくなりセックス依存症になるなどという説を紹介し、日本の女子高生の性の乱れを指摘。「お母さんたちは墜ちていく、成績を上げるために！」では、息子の成績を上げるために息子と性的な関係を勉強前に持つ母親のエピソードが紹介されている。これらのすべてが外国人記者の署名入りで書かれていた。約5年近くこうした「変態ニュース」を世界に発信し続け、これが海外のブログなどにも転載されており、まさに「変態な日本人」を世界にアピールすることになってしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　毎日新聞社長室広報担当はJ-CASTニュースに対し、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「ご指摘の英文記事は過去に配信しておりました。ご批判は謙虚に受け止め、削除する措置を取りました」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
と回答していている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　一連の「WaiWai」の記事を巡っては「まとめサイト」まで登場し、毎日新聞社に抗議するよう呼びかけている。そこには、インターネットの匿名性を問題にした同社の『ネット君臨』という書籍の一文を引いて、こんな主張が展開されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「『ネット君臨』も書いている通り、ネットによって『一度つけられた傷は簡単には回復しない』(P76)のだ。日本国全体につけられた汚名に対し、いったい毎日新聞はどのような責任を取るつもりなのだろう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
毎日新聞は、日本国民に土下座するべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、記事を消しただけで済む話じゃないよね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/42811209.html</link>
			<pubDate>Wed, 25 Jun 2008 20:18:10 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>東条英機の遺書</title>
			<description>《英米諸国人に告げる》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。この深刻な事実は私も固(もと)より、これを認めるにやぶさかではない。しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばを過ぎるものがあるのではないだろうか。我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙(じゅうりん)されたのであると痛嘆(つうたん)するだけである。いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜(むこ)の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮(さつりく)するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。&lt;br /&gt;
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。&lt;br /&gt;
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《日本同胞国民諸君》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今はただ、承詔必謹(しょうしょうひっきん)するだけである。私も何も言う言葉がない。&lt;br /&gt;
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔(たいしょう)に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。&lt;br /&gt;
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。日本は神国である。永久不滅の国家である。皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。&lt;br /&gt;
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
《日本青年諸君に告げる。》&lt;br /&gt;
《日本青年諸君各位》&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。&lt;br /&gt;
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。&lt;br /&gt;
また、幾百万の同胞がこの戦争のために国家に殉じたが、彼らの英魂毅魄(えいこんきはく)は、必ず永遠にこの国家の鎮護(ちんご)となることであろう。殉国の烈士は、決して犬死したものではない。諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。これこそがまことに私の最後の願いである。思うに、今後は、強者に拝跪(はいき)し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/31881505.html</link>
			<pubDate>Tue, 08 May 2007 01:57:22 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>「憎しみは愛によって止む」</title>
			<description>　講和会議が始まってから３日目の９月６日、ジャヤワルデネ蔵相はセイロン政府代表として、次のように演説した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「アジアの諸国民はなぜ、日本が自由になることを切望しているのか。それは、アジア諸国民と日本との長きにわたる結びつきのゆえであり、また、植民地として従属的地位にあったアジア諸国民が、日本に対して抱いている深い尊敬のゆえである。往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。私は前大戦中のいろいろな出来事を思い出せるが、当時、アジア共栄のスローガンは従属諸民族に強く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　戦前の日本は、西洋の価値観が暴力的に世界を席捲する中にあって、唯一東洋において民族の誇りを失わず欧米列強に対抗した国だった。日本はスリランカにとってイギリス植民地主義打倒への勇気と希望を与える存在だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大東亜戦争中、セイロンの首都コロンボや北東海岸のトリンコマリー港には、戦略的イギリスの海軍基地があり、日本軍の空襲の対象となった。コロンボの精神病院の建物やトリンコマリーの石油設備が被害を受けたが、氏はこう演説した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「セイロンの私たちは、幸い侵入を免れたが、空襲により引き起された損害、東南アジア司令部に属する大軍の駐屯による損害や、セイロンの主要産品の一つであるゴムの大量採取による損害を請求する資格がある。しかし、私たちは日本に賠償を求めようとは思わない。なぜなら私たちは、その教えが無数のアジア人の生涯を気高いものとした、かの偉大なる教師・釈尊の″憎しみは憎しみによっては消えることはなく、愛によってのみ消えるのである″との言葉を信ずるからである。」</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/20797957.html</link>
			<pubDate>Wed, 04 Oct 2006 00:26:49 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>ＡＢＣＤ包囲網</title>
			<description>　大東亜戦争開戦の直接的なきっかけは、ＡＢＣＤ包囲網とアメリカの対日石油輸出禁止だった。東アジアの権益を持つアメリカ（Ａ）、イギリス（Ｂ）、中国（Ｃ）、オランダ（Ｄ）は共同して日本に対する経済封鎖を行なった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　支那事変によって中国に侵攻した日本を快く思わないアメリカは、日本に対して露骨な経済制裁を実施した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１９４０年、アメリカは日米通商条約を一方的に破棄し、日本への輸出を自由に制限できるようにした。資源を輸入して製品を作って輸出していた日本は衝撃を受けた。さらに、アメリカは、日本軍と戦っていた蒋介石の国民党軍へ武器と空軍部隊まで派遣し、日中戦争を攪乱した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　米英は、蒋介石を支援する物資をビルマとフランス領インドシナを通って運んでいた。日本はこれを遮断するため、北部フランス領インドシナに軍を派遣した。これに対して、アメリカは対日禁輸措置をとった。日本は、アメリカに代わる石油供給先としてオランダと交渉したが、米英が妨害して決裂してしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　自活の道を歩まざるを得なくなった日本は、戦略物資の宝庫である南部フランス領インドシナへの進駐に踏み切った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その後、アメリカは石油の全面禁輸を行なった。当時、石油のほとんどはアメリカから輸入しており、日本に備蓄されていた石油は２年分しか残されていなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それまで陸軍に比べて対米開戦に消極的であった海軍が、この石油禁輸で戦争へと大きく傾いていった。窮地に追い込まれた日本は、開戦の時期を誤ると、戦わずに負けてしまう状況となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１９４１年、首相となった東条英機は、アメリカとの和平を望まれる昭和天皇の御意向を受けて、和平工作を図った。しかし、アメリカは、「ハル・ノート」を突きつけ、日本が苦労して獲得した満州権益を全て否定する理不尽な要求をつきつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時の日本連合艦隊は、地上最強・最大といってよいもので、ゼロ戦などの航空隊も史上最強のものだった。しかし、これら一流の軍隊も、石油がなければ活躍することはできない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ここに至って、日本はついに開戦を決意した。&lt;br /&gt;
　戦争に突入する前、永野修身軍令部総長は、次のように述べた。&lt;br /&gt;
「戦うも亡国かも知れぬ。だが、戦わずしての亡国は、魂までも喪失する永久の亡国である。たとえ一旦の亡国となるとも、最後の一兵まで戦い抜けば、我らの子孫はこの精神を受け継いで再起三起するであろう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　戦後、「日本が戦争を始めたのは、アジア諸国を侵略するためだ」という誤った考えが広まったが、実際は自国防衛のための地政学的理由に因るものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アメリカの連合国最高司令官として日本と戦ったマッカーサーでさえ、１９５１年の米国議会上院の軍事外交合同委員会で次のように語っている。&lt;br /&gt;
「日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど無い。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他、実に多くの原料が欠如している。そして、それら一切のものがアジアの海域には存在していた。もし、これらの原料が断ち切られたら、１千万から１千２百万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、日本人が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障に迫られてのことだった」</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18974803.html</link>
			<pubDate>Thu, 07 Sep 2006 22:14:18 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>世界初の人種平等案を提案</title>
			<description>　19世紀から20世紀前半までの白人による帝国主義の時代において、真の独立を維持できた有色人種は日本民族だけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　シャムとペルシャは英仏と英露の勢力範囲に分割され、エジプトはイギリスの統治下に置かれていた。日本が尊敬していた中国でさえ、イギリス、フランス、ロシアに領土を蚕食され、半植民地とされていた。「中国はヨーロッパなどには負けない」と信じていた日本人は、大変な衝撃を抱き、アジアの盟主となるべく、必死に国家の近代化に取り組んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　白人による人種差別は非人道的で、有色人種の側からもあまりに屈辱的だったため、その記憶は意図的に埋没され、記録に残っているのは稀である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　イギリスに支配されていたインド人は、道の端を通らねばならず、道の真ん中を通ると、イギリス人から足蹴にされるなどの暴行を受けた。イギリス人がインド人を射殺しても「動物と間違えた」と釈明すれば、軽い罰金刑で免れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ビルマは最後まで独立を守るために抵抗したので、インドより過酷な統治を受けたという。また、オランダの圧政で貧困にあえいでいたインドネシア人は、平均寿命が35歳まで低下したといわれている。インドネシア労働者の命は軽視され、オランダ人従業員に撲殺される事件が頻繁に起きた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　その他、奴隷解放後の米国における黒人差別も酷く、「黒人が車を買って運転しているのが生意気だ」という理由だけで、ガソリンをかけられて焼殺された事件もあった。　１９１９年、日本はベルサイユ講和会議に、列国と共に席を並べた。主な議題は、国際連盟の設立だった。日本は道義国家として、国際連盟の規約の中に人種差別撤廃を求める「人種平等案」を盛り込むべきである、と正論を堂々と述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　人種差別の撤廃を国際政治の場で提案したのは、歴史上、日本が初めてだった。この案に、委員19名のうち11名が賛成した。この会議では多数決が採用されていたが、この案に限って、アメリカは「このような重要案件は、全会一致でなければ認められない」と主張した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　当時、アメリカの移民排斥問題は切実で、人種平等の原則を打ち立てたかった日本は抗議したが、強引に否決されてしまった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　第一次大戦には、各国の植民地人やアメリカの黒人など多くの有色人種が第一線で戦った。しかし、彼らは負傷しても、治療は白人が優先され、有色人種から死んでいった。全米黒人協会は、「われわれ黒人は、講和会議で″人種問題″について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」とコメントを発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　白人が有色人種を見下し続ける限り、いずれ、実力があり誇り高い日本人と摩擦がおきることは必至だった。大東亜戦争が起こった遠因として、人種差別が根底にあったといえる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18974283.html</link>
			<pubDate>Thu, 07 Sep 2006 22:08:58 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>寛大だったインド</title>
			<description>　インドは、米英が作ったとされるサンフランシスコ講和条約への署名を拒否した。インドが拒否した理由は条約案に日本にアメリカの占領軍駐留が継続されることや日本領である琉球、小笠原諸島の占領等が記されていたためで、日本を対等な独立国として扱っていないとして会議を欠席した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　インドは、サンフランシスコ講和条約が発効される直前に戦争状態終結を宣言し、日本とインドの連絡事務所を大使館、領事館に昇格させた。そして、１９５２年６月には日印平和条約が締結された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　基本的な内容はサンフランシスコ講和条約を踏襲していたが、’綵禅畍◆∪衫糧饉萠権の放棄を明記した、⊂鯡鵑療用、解釈についての最終的解決方法として国際司法裁判所への付託ではなく、仲裁によるとした、「和解と信頼」と表現したサンフランシスコ講和条約よりもっと友好関係を強調した「堅固なかつ永久の平和および友好関係」を謳った点で、日本に対してより寛大で友好的なものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国際社会への復帰&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　大東亜戦争後もインドのネルー首相は、日本を重要な国と捉え、様々なかたちで日本を国際社会に復帰させようと努力した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　終戦直後、敗戦国の日本に対して鉄鉱石を売る国はほとんどなかった。インドは独立戦争での日本の恩を感じて、日本に貴重で良質な鉄鉱石をどんどん供給してくれ、現在に到るまでその関係は続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１９５１年にインドのニューデリーで第１回アジア競技大会が開催された。&lt;br /&gt;
　フィリピンは日本が大会に参加することに反対していたが、インドが日本の参加を強く主張した。そして、インドの後押しにより、日本は戦後初めて公式に国際的スポーツ大会に出場することになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　陸上競技や自転車、重量挙など５つの競技種目にエントリーした日本は、24種目に優勝し参加国中１位の成績に輝いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１９５５年にインドネシアのバンドンで第１回アジア・アフリカ会議が開かれた。この会議に日本が参加することをインドやセイロン、パキスタンが促した。&lt;br /&gt;
　また、昭和天皇が崩御された時には、インド政府は日本より１日多い３日間の喪に服し、哀悼の意を示した。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18968664.html</link>
			<pubDate>Thu, 07 Sep 2006 21:04:56 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>アメリカより文明国</title>
			<description>ヨーロッパに十数カ所あった日本領事館でも、ユダヤ人へ通過ビザを発給していた。その中で最も多くビザを発給したのはリトアニアにいた外交官・杉原千畝だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1940年7月、ビザ発給を求めてユダヤ難民たちが、領事館に押し寄せた。&lt;br /&gt;
　悲鳴をあげるユダヤ難民の前で、杉原はためらっていた。ナチスに追われて行き場を失なった難民はお金も無く、ビサ申請の必要条件を満たしていなかったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　杉原は、当時を次のように回想した。「私が考えたことは、もしここに陛下がいらっしゃったら、ということでした。陛下は目の前のユダヤ人を見殺しにされるだろうか、それとも温情をかけられるだろうか。そう考えると、結果ははっきりしていました。私のすべきことは、陛下がなさったであろうことをすることだけでした」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そして、杉原は「世界はアメリカを文明国という。私は世界に、日本がもっと文明国だということを知らせましょうと語り、約1カ月の間、ろくに食事もとらずに総数2139枚のビザを書き続け、約6千人ものユダヤ難民の命を救った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　1985年、杉原はイスラエル政府より、ユダヤ人を救った外国人に与えられる「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・ヴァシェム賞)」を授与された。現在、彼の功績を讃えて、リトアニアの首都ビリニュスには「スギハラ通り」という通りがある</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18909543.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 Sep 2006 23:22:24 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>日本とユダヤ</title>
			<description>●終戦直後の１９４５年９月２７日、ＧＨＱ（占領軍本部）のマッカーサー元帥を、敗戦国の「王」である昭和天皇が自らの意志で訪問した。当初、この天皇の訪問希望を聞いたとき、マッカーサー元帥は非常に厳しい顔をしたという。しかし、天皇訪問の当日は穏やかな笑顔を繕って天皇を迎えたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「戦争の責任は私にある。自分の事はどうなってもいいから国民を救って欲しい」と天皇が切り出したとき、マッカーサー元帥は跳び上がらんばかり仰天したと、彼の『回想記』には記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私は大きい感動に揺すぶられた。死を伴うほどの責任、しかも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきでない戦争責任を引き受けようとするこの勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じ取ったのである」（『マッカーサー回想記』より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●日本人の感覚からすると天皇のこの言葉は、それほど驚くべきものでもない。また、ＧＨＱが占領後に「天皇の資産は１６億円！」と発表した時も、多くの日本人は驚きもしなかったし、何も感じなかったようだ。ここに日本人と外国人の王制に対する感覚の差があるようだ。&lt;br /&gt;
　日本以外のどの国の君主も、民衆から収奪した莫大な財産を持っているが、このような君主は革命や戦争、政変が起きると、直ちに自分の生命の保証と財産の保全を求めて亡命を図る。それは西洋史をひもとけば、過去から現在に至るまで全く常識的なこととして扱われていることが分かる。だからＧＨＱは天皇家の資産を公表して、国民の反感を生み出そうとしたのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また、マッカーサー元帥は天皇訪問の意図を「亡命と財産の保全の斡旋依頼」としか考えなかった。その天皇から「自分の身はどうなってもいいから国民を救って欲しい」と聞かされたので、なおさら天皇の自己犠牲的精神にいたく感激してしまったようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●天皇に心を打たれたマッカーサーはその後、朝鮮戦争に参加した。彼はこの極東ユーラシア大陸での戦略面での困難さを体験したとき、日本のかつてのアジア侵略を顧みて、「日本のアジア侵略は“自衛”のための戦争であった」という見解を示している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　で、マッカーサー元帥は朝鮮戦争中、ホワイトハウスと意見が対立して、突然解任されてしまったわけだが、朝鮮戦争最中（１９５１年）に行なわれた「日本とアメリカとの平和条約締結」という、非常に重要な歴史的セレモニーへの出席も禁じられてしまった。彼は以後、ホワイトハウスの晩餐会にも一度も招かれなかったという。次期大統領の候補にも推されていたかつての英雄は、以外にも寂しい晩年を送っていたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ちなみにバージニア州のノーフォークにあるマッカーサー記念館には、マッカーサーの遺品や思いでの品々が展示されているが、そのほとんどが日本からの贈り物や日本に関するものであるという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●ところで、あるユダヤ人が天皇について語った文がある。彼の名はモルデカイ・モーゼ。戦時中にルーズベルト大統領のブレーンとして日本を研究し、戦後の対日処理立案（ＧＨＱ政策）にも加わった男である。彼は著書『日本人に謝りたい』という、極めて異例な内容を含んだ本を残している。以下は長くなるが、この本からの抜粋である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「万世一系の天皇を頂く日本人は幸せである。この万世一系の天皇は、如何なる意味を持つとお考えであろうか。この点では、ユダヤ人が僭越ながら日本人に少々参考になる意見をお聞かせできるかもしれない。日本人からすると、万世一系の天皇といってもピンとこないかもしれない。他にどんな天皇があるのか、と反問されるであろう。だから日本人は幸せだと思うのである。何故か。ヨーロッパの王朝というものはみな混血王朝である。歴史上、しょっちゅう外国から国王や女王を輸入した。しかも王朝の権力が強くなればなるほど、外国からますます輸入するようになる。何故か。王朝の権力を弱める必要からである。国内から昇格させようとすると当然争いが起こり、国内が乱れるのでまずい。その点、外国からの輸入君主は当たりさわりが少なく、しかも飾りものなので、最も有効な方法ということになる。」&lt;br /&gt;
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「我らの大思想家ジャン・ジャック・ルソーの言葉を思い出して頂ければ幸いである。ルソーは「我もし随意に祖国を選べと言われれば、君主と国民との間に利害関係の対立のない国を選ぶ。しかし現実にそのような国があろうはずもないから、やむをえずその代替物として民主主義国を選ぶ」と言っている。ここに全てが盛られている。ヨーロッパの王朝では常に君主と国民の利害が対立している。しかるに、日本の天皇制は決して利害関係の対立などない。仁徳天皇の「民のかまどに立つ煙り」の故事を説明するまでもなく、利害関係の対立は全くないのである。これこそ君民共治の見本である。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ユダヤ人はルソーの言葉を待つまでもなく、長年（２０００年以上）このような君主制を夢に描いてきたのである。しかし祖国を持たないユダヤ人は、王を頂くこともできなかったのである。わずかにユダヤ教を“携帯祖国”として持ち、これによって民族の連帯と発展を推し進めて来たのである。キリスト教国では、このような高尚な理想を持った国は永遠に現れないであろうと思う。その点から見ても、ユダヤ人は日本人には及ばないが、一般西洋人よりは優れた民族であると日本人に認めていただければ、はなはだ光栄出ある。（以下略）」&lt;br /&gt;
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●またモルデカイ・モーゼは『日本人に謝りたい』の中で、「共産主義」はユダヤ人が作り出したものだと言明し、日本を揺るがした美濃部達吉の「天皇機関説」もユダヤ人ゲオルグ・イエリネックによる国家機能弱体化運動の一環であったとか、宮本共産党委員長を育てたのもユダヤのラビ（ユダヤ教指導者）だったとの衝撃的な事柄を記述している（真偽のほどは定かではない）が、その上で、このユダヤの長老モルデカイ・モーゼは、実はユダヤ人は日本を誤解していた、日本こそユダヤの永遠の理想があると言い切り、「日本人に謝りたい」と語っているのである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18766673.html</link>
			<pubDate>Tue, 05 Sep 2006 00:09:09 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>国際状況の理解できない日本</title>
			<description>共産主義国家の口車に乗って安易に武装解除したために、朝鮮半島やベトナムで侵略戦争が勃発しまくったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１９８０年代になると世界はようやくこの法則に気づき、レーガン大統領が軍拡したためにソ連の侵略を食い止めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただ、それが未だに理解できないのが日本なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ただそーいう人たちが１９７０年代に東南アジアでアカどもがやってることを言っても、日本共産党が「それはＣＩＡの流した偽情報」って言うもんだから理解どころか、問題にすらならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それどころか、「平和な世界を乱す軍国主義者」として社会的に抹殺してしまう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴史の教師でここに書いてあることを言ってる連中がほとんどいないのがその証拠だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんなことを言ってたらすぐにクビにされちまうのだ。言いたくても言えないってのが実状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それに、日本のマスコミは「世界は平和」っていう結論が先に来てからニュースを流す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
官僚独裁ファシズム国家である現在の日本の状況じゃ国際状況は理解できないのである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18650431.html</link>
			<pubDate>Sun, 03 Sep 2006 13:04:37 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		<item>
			<title>マッカーサー憲法の歴史的背景</title>
			<description>大東亜戦争で敗れ、日本に乗り込んで来たマッカーサーは米陸軍元帥となり、 &lt;br /&gt;
占領軍総司令官として日本もフィリピンと同じ占領政策を踏襲して独立後もアメリカの支配下に置くべく、 &lt;br /&gt;
このマッカーサー製作のフィリピン憲法を日本文に直ちに翻訳し、これを日本政府に強要して来た。 &lt;br /&gt;
日本側はこれの修正を加えて何とか明治憲法に近いものに加筆しようとしたが、 &lt;br /&gt;
マッカーサーは受けつけず、「もしこれを拒否するならば、天皇の命を保証しない」と脅迫して来た。 &lt;br /&gt;
そこで日本政府は涙をのんで受け入れざるを得なかった。当時、憲法学者であった清水澄博士は誠に申し訳ないとし、 &lt;br /&gt;
この憲法発効の日に自決して国民にお詫びしたのである。日本もフィリピンの占領政策は同じで、 &lt;br /&gt;
独立後も実質的にアメリカの支配下に置かれ、手も足も出ない状態に置かれたままである。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
当時、日本人は、この強制日本憲法を「マッカーサー憲法」と呼び、軽蔑していた。 &lt;br /&gt;
その後、日本の左翼の洗脳政策がはじまり、矛先が「マッカーサー憲法を」「日本平和憲法」と呼び、 &lt;br /&gt;
この歴史背景を知らぬ戦後の若者の頭脳の中に沈積させるという悲しい結果となってしまった。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　 これが日本国憲法（マッカーサー憲法）の歴史的背景である。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/dark_chous_dark/18563147.html</link>
			<pubDate>Sat, 02 Sep 2006 02:59:03 +0900</pubDate>
			<category>政治学</category>
		</item>
		</channel>
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