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「撤退見込んでなんだべなあ、これ。にしたって、怪しすぎだべー」 (撤退を見込んで何でしょうね、これ。それにしたって、怪しすぎでしょう〜) 放射能にもマケズ、不謹慎に花見してきた続きの記事を載せようと思ったのですが、今日流れた「オサマ・ビンラディン殺害」のことが気になるので少し書きたいと思います。 CNNなど、こんな感じ↓。 「(CNN) オバマ米大統領は1日夜、国民に向けて演説し、米軍が同日パキスタンで実施した作戦で、国際テロ組織アルカイダ指導者のオサマ・ビンラディン容疑者が死亡したと発表した。ビンラディン容疑者は、3000人を超す犠牲者を出した2001年米同時多発テロの首謀者とされ、米国が10年以上前から行方を追っていた。 米政府高官がCNNに語ったところでは、米軍はパキスタンの首都イスラマバードから約100キロ北部にある邸宅でビンラディン容疑者を殺害したという。家族も一緒だったとされる。 オバマ大統領は演説の中で、同容疑者の死は「アルカイダ撲滅を目指すわが国の取り組みにおける過去最大の成果」だと強調した。作戦は少人数の米軍部隊が実行。米国人の負傷者はなく、民間人にも死傷者が出ないよう配慮したとしている。ビンラディン容疑者は銃撃戦の末に死亡し、作戦終了後に米軍が遺体を回収したという。 大統領によれば、昨年8月の時点でパキスタン国内のビンラディン容疑者の潜伏先に関する情報を得たとの報告を受け、先週になって行動を起こせるだけの情報が集まったと判断した。「同容疑者の死は平和と人間の尊厳を信じるすべての人に歓迎されるだろう」「正義が実った」と述べた。 しかし「その死でわれわれの取り組みが終わるわけではない。アルカイダは今後もわれわれに対し攻撃を仕掛けようとするだろう。われわれは今後も国内外において警戒を続ける」と続けた。 さらに、米国はイスラム教と戦争をしているわけではないとも強調、「ブッシュ前大統領が同時テロの直後に述べたように、これはイスラム教との戦いではない。ビンラディンはイスラム教の指導者ではなく、イスラム教徒の大量殺人者だ」と指摘した。 パキスタン高官が明らかにしたところでは、ビンラディン容疑者が死亡した現場には同国情報機関の統合情報部(ISI)もいたという。 米政府高官は、この作戦ではほかに男性3人と女性1人が人間の盾として使われ死亡したと述べた。作戦は米海軍特殊部隊が実行し、約40分間続いたとされる。議会関係者によれば、ビンラディン容疑者は頭を撃たれて死亡したという。」以上。 ・・・・あれ、パキスタンとアフガンの国境地帯にいるんじゃなかったでしたっけ。しきりにパキスタンの部族地域を、アフガン側から越境空爆したりしていたように思いますが。 確か、数日前にリビアのカダフィ大佐の息子一家死亡、の時も思ったこと。非道な独裁者だって、身内が殺されたら怒るに決まっていると言うこと。テロリスト・ビンラディンが死んだとなったら、身内はどう思うんだろうなあと。人を殺す時によく多用される言葉が、正義。正義って、為政者にとって便利な言葉だなあと思います。 他にも色々言いたいことはあるけどキリが無いしそういう柄でもないので、数年前にかの地で交わしたビンラディンの話でも↓。 1)私「ビンラディンって、どこさ居んの?」 アフガン人「オサマか?オサマという名前は、アフガンにはいっぱいいる」 私「いや、あのテロリストの・・」 アフガン人「アメリカのマイアナビーチに居ると聞いたぞ、あはははは」 2)私「ビンラディンって、観たこどあっがい?」 アフガンの農民のおっちゃん「え、誰だそれ。」 若いアフガン兄ちゃん「ほら、あれだよ。テロリストの」 おっちゃん「あ、あれか。どこにいんだべなあ。この辺りさ居たらば、すぐ噂になっけどな。でも、客人だからなあ」 写真は、アフガン東部の農村で。2004年5月撮影。チャイを飲み、飲まされながら取りとめのないことを話しました。今から思えば、すごく生意気な外国人だった自分でした。 |
気になるニュース(アフガンなど)
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「クエッタは、砦っつう意味みでだぞい。なしてだべ、地形がらがなあ?」 (クエッタは、砦と言う意味みたいです。なんででしょう、地形からでしょうか?) パキスタンのバルチスタン州で、M7.2の地震があったようですね。以下。 <1月19日(水)17時45分配信> 「米地質調査所(USGS)によると、パキスタン南西部で19日未明、マグニチュード(M)7・2の地震があった。震源はバルチスタン州ダルバンディンの西約45キロ。震源の深さは84キロ。ロイター通信によると、ダルバンディンでは家の屋根が落ち、数人の負傷者が出たという。震源周辺は人口の少ない地域で、死者に関する情報は入っていない。 パキスタンでは2025年10月、北東部を震源にしたM7・6の大地震があり、同国で約7万3000人、インドで約1300人が死亡した。」 以上。記事中の西暦が「2025年」という未来日記になっていて、それが3日経っても訂正されてないですよ〜、○△新聞さん。・・・なんて、細かいことを言うつもりはありませんです、ハイ。 バルチスタン州・州都クエッタには、元同僚の1人が仕事で駐在しているのです。それなので、何だか心配でした。もっとも、地震が起きた「ダルバンディン」自体、どのへんなのかよく分かってないのですが・・・。どうも、クエッタとイランとの国境の間あたりのようです。その辺りであれば、東から西へ通過しただけなのですが、クエッタの町から延々と沙漠を、埃まみれのぼろぼろバスで走りぬけた記憶があります。 ただ、バルチスタン州は、パキスタンの国土の4割以上を占めるものの、人口は全体の10パーセントにも満たない・・・と聞いたことがあります。だからなのか、今回の地震では規模の割に、被害も少ないようです。それに、クエッタとダルバンディは、どうもだいぶ遠いようです。 だから、元同僚君も大丈夫だろなあ〜とは思いつつ、私の中でバルチスタンと言えばクエッタの彼。クエッタと言えば母語はバローチ語であろうに、意外にパシュトゥ語が通じてバザールでチャイ三昧だった旅でのこと。チャイ三昧と言えば、広くパキスタン人からもチャイ攻めにあったこと。パキスタン人と言えば、2005年の大地震に加え、去年夏の建国史上最大と言う大洪水、そして悪化している治安や物価の向上で苦しんでいる国民・・・と単純に結びついてしまっています。 我ながら、相変わらず単純明快(?)単細胞です。しかし、近年パキスタン起きていることを見ていると、本当に不公平と言うか不条理だなあと。 ・・・はい、そんなことをジメジメ思っていたら、かの地の彼からメールの返信が。 「・・・僕は無事ですよ。地震があったことすら気が付きませんでした。最近とても忙しくて、爆睡していましたよ。 ダルバンディーンの方では少し被害が出ているようですが、クエッタは特に変わりありません・・・・」 あ、良かった良かった。杞憂でした。勝手な心配から、クエッタまで経由してしまった人騒がせdatechibuでした。ダルバンディの被害者も、「少し」で済んだようで、何よりです。 クエッタの写真が見当たらなかったので、同じパキスタンのチャイ風景でも。いつもチャイを持って来てくれたじいちゃんスタッフと、庭師のおっちゃんのチャイ風景。庭師のおっちゃん「ここの職場のチャイなんて、まずくて飲めたもんじゃねえ」と家からヤカンもチャイも持参して、自分で作ってました。
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「この記事読んでみで、ごせっぱらやけたらごめんない。」 (この記事を読んでみて、腹が立ったらすみません。) 気に障ることを書くかもしれません。そうであればすみません、どうぞスルーして下さい。 今回の、アフガンでの日本人ジャーナリストの事件。無事に解放されましたね。全くもって傍観者で野次馬で、北部のことには(も)門外漢で頓珍漢な自分は何も書くつもりが無かったのですが、 やっぱりこれだけは書いておきたいです。 無事に解放され、帰国されたこと。本当に本当に、良かったです。断食明け間近の、嬉しいニュースでした。 これから、沢山の記事が行き交うことになると思います(いや、もうなっていますね)。どれが真実で、どれが現実か。当事者側にいない私は、希望・妄想交じりの想像をするばかりですが、勇気ある常岡さんの発言は注目していくことになるでしょう。 1人の日本人の命が、きっと多くの人たちの努力で助かったこと。何より嬉しく、本当に素晴らしいことでした。関係者のみなさんは、なおさらなことだと思います。 ただ、そんなハッピーな前後でも、かの地では依然として治安が悪いままです。知ってましたか?この2日には、アフガン北東部タハール州でNATO軍が車3台を空爆し、民間人10人が死亡しています。こんな事件が、相変わらずゴロゴロなかの国。
また、先日のパキスタンの洪水でも、アフガン側でも大きな被害を受けました。 いくら考えたことで、なんらかの地の問題の解決に繋がらないのでしょうが、ついつい人の命の重さって、なんでこんなに取り扱いが違うのだろう・・・といつものように思います。現地の民間人が一気に理不尽に空爆や洪水などで命を失うことと、外国人が1人救出されること。決して比べてはいけないのでしょうが・・・。 写真は、アフガン東部の農村で。右はク―チーという遊牧民の住まい、左は某軍閥の家の一部。奥は、光の谷と呼ばれる渓谷。常岡さんは、軍閥に捕まっていたとのこと。こういう場所だったのかなあ・・・?2005年3月撮影。 |
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「水がないどないでえらいのに、ありすぎんのも・・・」
(水が無いと無いで悲惨なのに、ありすぎるというのも・・・。)
無計画丸出しの、北海道避暑旅行の続きを書こうと思いましたが、実はずっと気になっていたニュースが頭から離れないので、そちらを先に書きます。
パキスタンで、先月末から続いた集中豪雨について・・・。・
今更なのですが、かなりの大被害の様ですね。中々正確な数字が出ないようですが、死者が2000人を越え、水害の影響を受けた人が2週間で約1500万人を越えたという報道もありました。日本の人口を1億人と考えると、その1割の1000万人。つまり、人がわちゃわちゃいる(ごめんなさい)東京・丸ごとそっくり分の人間が、被災している訳ですね。
被害を被った地区の名の中に、実際私が行ったことのある元・北西辺境州の州都ペシャワール市近郊のチャルサダ―村やスワット渓谷の名前もありました。
同僚のパキスタン人スタッフの結婚式に招待され、日本人何名かで訪問したチャルサダ―村。州都ペシャワールは、花の都(蓮の都)と称される本当に大きな都市ですが、少し郊外に出ると、緑に囲まれ時間がゆっくりと流れる、のどかな農村が広がっていました。
そんなパキスタンの小さな村々や山岳地域の農村などが、米軍のタリバン掃討活動に対し戦乱になり、国内難民となっている地域があるということは前から聴いていました。そしてそれらの農村や、山岳部から避難してきた人々、さらには数年前のパキスタン地震における避難民が、土地が無く河川近くに家を作り、今回の洪水に巻き込まれ被害が拡大したという報道も聞きました。それが本当であれば、ただの天災ではなく、対テロ戦争と言う戦災であり、人災でもあると思います。
また、パキスタンの北西部以外のパキスタン全土、そして緊迫状態にあるインドのカシミール地方や言わずもがなの治安のアフガニスタン、中国などの周辺国でも今回の天災は被害をもたらしたようです。天災に国境はなく、同じ被害でも貧しく困っている人ほど、より困難を生じますね。自然は、時に本当に非情です。そんな中で、ラマダーン(断食月)に入ってしまいました。必要な支援が一刻も早く必要な場所に届きますように・・・と願うことと、募金位しか思いつかない自分の無力が情けないです。募金については、こちらなど→http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00001708.html
川でパキスタンと繋がっている隣のアフガンともども、洪水に対する正確なニュースを追いながらも、その裏にある報道されないかの地の状態に思いが飛びます。同僚だったパキスタン人のあんちゃん達、「ジャパ二が来たから」とわざわざ握手しに来てくれた近くのじい様達、珍獣扱いでまとわりついてきた村の男の子たち、遠巻きに見ながら指をさし嬌声をあげていた女の子たち・・・、心配です。
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「心配なのは、どごの誰だってほだに違わねべした。」 (心配なのは、どこの誰であろうとそんなに違わないのではないでしょうか。) フリージャーナリストの常岡浩介さんが、アフガニスタンを取材中に連絡がつかなくなっていて、誘拐の可能性があるとのこと。無論常岡さんとは面識はないのですが、以前から何度か名前は聞いたことがあり、彼の著書(ロシア語れない戦争 チェチェンゲリラ従軍記)を少し前に読んだばかりでした。 ネットニュースからでは、まだ詳細はよく分からないようですね。もっとも、日本に伝わるニュースの大抵は、常岡さんのような勇気あるフリーの記者の取材が、ニュースソースなものが多いような気がします。大手は危ない所には近づかない・・・のかなと。常岡さんは、チェチェン戦争に従軍した時は、3ヶ月消息を絶ってしまったとのこと。その著書は、21世紀に起きているとは思えない、超大国と戦うゲリラの生々しい様子が伝わる印象深い本でした。その勇気には感服しましたが、今はとにかく無事を祈ります。 この事件を聴いて、思い出したことがあります。2004年に、最初の休暇でパキスタン・アフガンから戻った時、ほぼ前後してイラクで日本人3人の誘拐事件が起こりました。NGO関係者2人・ジャーナリストが1人だったと思います。その後、無事に解放されましたが、散々バッシングを受けた「例の事件」です。 その時、沢山の知人や出会った人から、「ホラ、イラクは危ないのよ(←私の戻る所はイラクではないんですけど)」「人に迷惑かけるから、行かないほうがいいんじゃないの」「いい加減にしときなよ」「怖いから行くんじゃないわよ」「イスラム教は、危ないんだから(←それは偏見です)」・・・と色んな批判・助言を頂きました。心配してくれたのは、本当に有難く申し訳なかったと思います。でも、しょうがないのでしょうが、日本と現地の温度差、日本人の中東周辺に関する知識・情報の少なさを感じました。 そして、所属するNGOの関係者からは、イラクの事件について非常に明確な話を聞きました。「危険地での、NGOなどの人道的活動関係者とジャーナリストの取材活動は分けて考えるべきだ」とのこと。勿論、どちらもリスクを負って入国し身を守らなくてはいけないのでしょうが、ジャーナリストのほうは、時に戦争に従軍することさえあり、イコール命を失うリスクも高く、それを覚悟し入国しているのだから、事件に巻き込まれても非難はオカシイ。また、NGOなどの関係者は、安全が確保されての活動なのだから、情報収集・安全確保にまず努めなくては・・・とのことでした。 当時この話を聞いて、なるほどと思いました。でも、それから月日が流れ色々のことがあって帰国した今、その話にやや違和感を覚えています。どんなに注意をしても事故が起こることがあるように、世界のどこであろうと事件に巻き込まれる可能性はあります。そんな時、巻き込まれた家族や知人にとって、「ジャーナリストだから仕方ない」「援助関係者なのに、安全に配慮しなかった」という言葉は、あまりに酷だと思います。誰にでも大切な人がいて、こんな時に心配し不安になり泣きたくなるのは同じです。違いません。そんなことを、常岡さんの事件から思い出しました。 写真は、2005年4月撮影。アフガン東部の渓谷の農村で。ちょっと上流へ行った時。ガタガタデコボコの未舗装の車道から5分も入るとこんなあぜ道でした。今頃、緑が濃くなっているんだなあ。
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