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いかついながらも心優しき。アフガンの男性は、イスラムの教えというよりその慣習に従い、殆どの成人男性が髭をのばしている。子どもでも髭が生えはじめたら、それは大人として扱われ始まるようである。髭がかなり立派になった大人たちは、はっきり言って見た目にはかなりいかつい。体格もごつく、髭ぼうぼうでこういっちゃ何だが、一見してまるで山賊のように見える人もいる(勿論、俳優になってもいいんじゃ?と思える人もいるのだが、残念なことに少数派である)。だが、中身は子どもっぽくいたずら好きなところもあり、にこっと笑うと不気味ながらも、意外にそれが可愛かったりもする。 |
アフガンメモ
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思わずびっくり。 |
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コックのナシームの息子が、昨日の朝に生まれて夕方に亡くなった。アフガンは、まだまだ乳児死亡率が高く、子を亡くしたことの無い親というのは珍しいそうである。だからと言って、我が子が死んで悲しく無いはずはない。また、他の途上国同様アフガンでも男の子のほうが女の子よりも望まれるから、その悲しみも大きいことだろう。 取り合えず、スタッフみなでゾロゾロとお祈りに行くことになった。ナシームの家は、車で15分ほど山沿いに上っていった村である。車から降り歩き出すと、はるか遠くから「パルチャー ワラ ラァゲィ(受付のやつ=(私のこと)が来たぞぉ)」と言う声が聴こえ、「お前のことだぞ」と同行スタッフ達に少し笑われる。何て視力がいいんだろ。ごろごろした岩の間の道を進み、彼の家の前についた。 アフガンでは、客人歓待・男女隔離の徹底などが伝統として根付いている。男性は、親族でなければ決して他の家の中に通されることはない。裕福な家であれば、入り口外に宿泊が出来る客間があるが、そうでなければ近くの日陰の涼しい場所に案内される。ナシームは、働き者で正直者だが、いろんな事情で日雇い扱いのスタッフで、給料も安い。だから、客間も無く外の日陰に案内される。 ナシームと彼の家族・親戚の男性達、近所の人達が出迎えてくれる。当然男ばかり。全員と、抱擁か握手をして挨拶を交わす。当然私たちも男ばかり、ごつくいかつい輪。長老格のスタッフが、お悔やみを述べ始める。聞いていると、どうも慰めている。「自分みたいに白髪になるまで生きるのもいるし、赤ん坊で死ぬのもいるが、それはアッラーが決めたことで仕方ない。元気出せよ」みたいなことを言っている。しかし、やや興奮してきたのか、「ここにいる日本人どもを見てみろ。パシュトゥ語も覚えて、もう半分はアフガン人みたいなもんだ。こいつらも、ここで何とか頑張ってんだから、お前もまた頑張って生きろよ」などと、少し強引なことを言い出す始末。あれれれ。でも、励ましたいという気持ちは通じたようだった。泣きそうなナシ―ムを囲むようにしながら、イスラムのお祈りをして帰ってきた。 その帰り道、子どもが桑の木から桑の実をとって食べていた。さっき弔辞らしきことを言っていたじいちゃんスタッフが、木の上になっている実を採って分けてやっている。無邪気に喜ぶ子どもたち。1日で死んだ子どもも、この元気な子どもも、自分も、ナシームも、年配のスタッフも・・・みんな何も違うものはない。
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アフガンの夏は、暑いのではなく痛いと思う。暑さが日差しが突き刺し、痛い。熱気がやる気を奪い、体をぼんやりとさせ、動くのがしんどくおっくうになる。ただぼけっとしているだけで、汗が滲み出てくる。壁に近づくと、壁から熱気が反射されてくるからなるべく近づかない。夜になろうと、その暑さっぷりは衰えを知らず、部屋の温度を見ると38.5度だったりして思わずため息が出る・・体温よりも高い。とにかく、暑い・あつい・あちー・あちーよなのだ。まぁ、湿度が殆ど無く(20%位)カラカラに乾いているから、それでも何とかやっていけるのだが。だから5月から9月始め位までは、外の網ベットに蚊帳を吊りその中で寝る。とても部屋の中では寝れたものではない(私のいる地域は、電気が無いので発電機をとめてしまう夜間は、扇風機なしである。もとからエアコンなどというものはありえ無い)。蚊帳はマラリア・リーシュマニア症(ハエを介する皮膚疾患である)といった病気の予防かつさそりや蛇よけでもあり、生活必需品でアフガン版・夏の風物詩みたいなものである。 |
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2年以上もひとつの所に埋もれていると、現地語(パシュトゥ語)を使い、何とか口論らしきものができるようになった。が、言葉が出来ることによって、余計に仕事が小言が苦情が増えた気がする。できなければできないで、「やーい、おばかさん」的に白痴のような感じで見られ、「へっ」と鼻であしらわれかなり悔しいのだが、できたらできたであるなぁと。 |





