たれかもんの日々ーふぐすまにてー

最近、育児ブログと化してきたよーな・・・

アフガンメモ

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アフガニスタンに居た時に書き散らした、ちょっとしたメモです。日本に戻り、どんどん忘れてしまうかの地のことを忘れないよう、自分の為に。
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いかついながらも心優しき。アフガンの男性は、イスラムの教えというよりその慣習に従い、殆どの成人男性が髭をのばしている。子どもでも髭が生えはじめたら、それは大人として扱われ始まるようである。髭がかなり立派になった大人たちは、はっきり言って見た目にはかなりいかつい。体格もごつく、髭ぼうぼうでこういっちゃ何だが、一見してまるで山賊のように見える人もいる(勿論、俳優になってもいいんじゃ?と思える人もいるのだが、残念なことに少数派である)。だが、中身は子どもっぽくいたずら好きなところもあり、にこっと笑うと不気味ながらも、意外にそれが可愛かったりもする。

 そんな外見的にはかなりちょっと・・・な彼らだが、心優しき所も見られる。とある日、一緒にチャイ(お茶)を飲んでいたときのこと。そのいかつき1人が、お茶に入れる砂糖を地面に少量こぼしだした。「何してんの?」と聞くと、「アリんこも腹へってぺなと思ってさ」。一瞬マリー・アントワネットが、ネコに与える為に食事を床に落としたという逸話を思い出してしまった。うーん、一見アフガン難民風の日本人である私が山賊風のアフガン人を見て、フランス貴婦人のマリーアントワネットをイメージできるとは・・・インド人もびっくりなグローバル的思考ではないだろうか。尤もこの話しには後日談がある。別な日、そのマリーアントワネット的アフガン人男性は、土ぼこりを取るのと掃除を兼ねて、鼻歌を歌いながら豪快にザブーンジャバーンと水撒きをしており、コンクリートをさまよっていた全てのアリを洗い流して水攻めにしていたのだが・・・。悪気は全く無いようだった。

 ちなみに、アフガニスタンではカワ(シンチャイ)と呼ばれる緑茶が日常的に飲まれる。これに砂糖を入れたり、あめをなめながらすするように飲む。みな、「何が無くてもとりあえずチャイよ」という感じで、仕事中でもいつでもチャイを飲む。お茶の時間は、それこそ「へーイ、そこのアンちゃんお茶(チャイ)しなーい?」という感じで声をかけられる。「今チャイしてる」というのは、人を待たせる立派な理由になるようで、そう言われたら「あぁ、分かったよ」と飲み終わるのを根気よく、気長にひたすら待たなくてはならないのだ。下手に今忙しいから・・などと断ったりすると、「おい。おれのチャイが飲めないのか?ちょっとそこまで顔かしなよ」などと攻められ腕を取られ、半強制的にむさ苦しい男たちのど真ん中に座らされることもある。

思わずびっくり。

アフガン東部の農村の診療所にいたときのこと。治療にきた75歳位のスピンギレイ(白髭のおじいさん の意)が、「日本人ですか?」と現地語(パシュトゥ語)で話しかけてきた。それだけだったら、日々よくあり何てことなく「あ、そうです。いやいや、どうもどうも、えへへへへ。」で終わるのだが、なんとそのスピンギレイは、「日本人なら、フランス語でなく英語が良いね」と言い、とてもきれいな発音の英語で話し始めたのだ。というのもアフガニスタンはずっと母国語教育(ペルシア語の方言でもあるダリ語)に徹していた国で、超インテリのドクターでさえ英語を話すのが苦手な人が多い位だからだ。識字率が低い世界でドクターというのは、社会的にとても身分が高く、「ドクターサーブ(先生さま)」と最大限の尊称で人々に呼ばれている。

私のいた農村では、方言のパシャイー語が主で、標準語のパシュトゥ語を話せる人は6−7割、アフガンの公用語のファルシー語(ダリ語)は2−3割、英語に至ってはたとえ片言でも話せるだけで一種、畏怖と尊敬の眼差しで見られ「ちょっとアンタ、いやこりゃ中々やるじゃんよ」と言われるようなものだった。だから、ターバンをぐるぐる巻いた、どうみてもアフガンの山のおじいさんというスピンギレイ。そんな山の「スピンギレイ」が、エンジニア・ドクターと自称し尊敬を集めているアフガン人および私自身のブロークン英語などとは、天と地のように違う、きれいな発音かつ正確な文法の英語に本当に驚いた。

 聞けば、何でも大昔パイロットをしていて、カリフォルニア・カザフスタン・ロンドン・インドなど世界中を沢山回ったとのこと。なんと7つの言葉が話せるんだと。うーん、ほんと人は見かけによらないなぁと痛感と反省、出会いの意外性と楽しさに感激。

 コックのナシームの息子が、昨日の朝に生まれて夕方に亡くなった。アフガンは、まだまだ乳児死亡率が高く、子を亡くしたことの無い親というのは珍しいそうである。だからと言って、我が子が死んで悲しく無いはずはない。また、他の途上国同様アフガンでも男の子のほうが女の子よりも望まれるから、その悲しみも大きいことだろう。

 取り合えず、スタッフみなでゾロゾロとお祈りに行くことになった。ナシームの家は、車で15分ほど山沿いに上っていった村である。車から降り歩き出すと、はるか遠くから「パルチャー ワラ ラァゲィ(受付のやつ=(私のこと)が来たぞぉ)」と言う声が聴こえ、「お前のことだぞ」と同行スタッフ達に少し笑われる。何て視力がいいんだろ。ごろごろした岩の間の道を進み、彼の家の前についた。

 アフガンでは、客人歓待・男女隔離の徹底などが伝統として根付いている。男性は、親族でなければ決して他の家の中に通されることはない。裕福な家であれば、入り口外に宿泊が出来る客間があるが、そうでなければ近くの日陰の涼しい場所に案内される。ナシームは、働き者で正直者だが、いろんな事情で日雇い扱いのスタッフで、給料も安い。だから、客間も無く外の日陰に案内される。

 ナシームと彼の家族・親戚の男性達、近所の人達が出迎えてくれる。当然男ばかり。全員と、抱擁か握手をして挨拶を交わす。当然私たちも男ばかり、ごつくいかつい輪。長老格のスタッフが、お悔やみを述べ始める。聞いていると、どうも慰めている。「自分みたいに白髪になるまで生きるのもいるし、赤ん坊で死ぬのもいるが、それはアッラーが決めたことで仕方ない。元気出せよ」みたいなことを言っている。しかし、やや興奮してきたのか、「ここにいる日本人どもを見てみろ。パシュトゥ語も覚えて、もう半分はアフガン人みたいなもんだ。こいつらも、ここで何とか頑張ってんだから、お前もまた頑張って生きろよ」などと、少し強引なことを言い出す始末。あれれれ。でも、励ましたいという気持ちは通じたようだった。泣きそうなナシ―ムを囲むようにしながら、イスラムのお祈りをして帰ってきた。

 その帰り道、子どもが桑の木から桑の実をとって食べていた。さっき弔辞らしきことを言っていたじいちゃんスタッフが、木の上になっている実を採って分けてやっている。無邪気に喜ぶ子どもたち。1日で死んだ子どもも、この元気な子どもも、自分も、ナシームも、年配のスタッフも・・・みんな何も違うものはない。

 アフガンの夏は、暑いのではなく痛いと思う。暑さが日差しが突き刺し、痛い。熱気がやる気を奪い、体をぼんやりとさせ、動くのがしんどくおっくうになる。ただぼけっとしているだけで、汗が滲み出てくる。壁に近づくと、壁から熱気が反射されてくるからなるべく近づかない。夜になろうと、その暑さっぷりは衰えを知らず、部屋の温度を見ると38.5度だったりして思わずため息が出る・・体温よりも高い。とにかく、暑い・あつい・あちー・あちーよなのだ。まぁ、湿度が殆ど無く(20%位)カラカラに乾いているから、それでも何とかやっていけるのだが。だから5月から9月始め位までは、外の網ベットに蚊帳を吊りその中で寝る。とても部屋の中では寝れたものではない(私のいる地域は、電気が無いので発電機をとめてしまう夜間は、扇風機なしである。もとからエアコンなどというものはありえ無い)。蚊帳はマラリア・リーシュマニア症(ハエを介する皮膚疾患である)といった病気の予防かつさそりや蛇よけでもあり、生活必需品でアフガン版・夏の風物詩みたいなものである。

 だが、外で寝ていても湿気がある夜などは暑く寝苦しい時もある。そんな夜は蚊帳の中で、ちょっとその気になったりしながら観客のいないヒトリストリップ(男版)をする。シャツを脱ぎ、昼間は中々出来ない上半身裸で横たわる(イスラム国では、なるべく肌を出さないほうが良いから)。気持ちいい。そんな夜は、深夜まで寝付けなかったりする。同僚のアフガン人スタッフも同様の様子で、やけにテンションが高く、奇声をあげたり歌ったりウロウロゴソゴソしたり、くっちゃべったりラジオを高ボリュームで流したりしている。はっきり言って、喧しくうるさい。しょうがないので、いつも変らずいい加減飽きてきた底抜けにきれいな星空を見ながら、ちょっとまじめに将来について考えてみたりもした。流れ星も何回見たのか忘れるくらい見た。

 そして、やっとこなんとかかんとか寝付けたとしても、ドンドンダンダンと親の敵のように力強く門の扉を叩く救急患者に起こされたり。それでも午前2時をすぎると、ようやく気温が30度を下回り、空気がひんやりし快適になってくる。よっしゃ、やれやれわいわいと眠りについたのもつかの間、4時半頃には現地スタッフがお祈りのため起きだし、にぎやかとなる。それでも、耳栓をし「まだ朝じゃないのよ」と自分自身に言い聞かし、2度3度寝をするも6時半、今度はじりじりとあがり始めた気温と太陽によっていぶり起こされる。これ以上は寝ていられない。汗だくになったまま、ぼーっと見える空は、もう抜けるように青い。雲ひとつなく、今日もまたあついんだないとあくびが出る。それがアフガンの夏の1日の始まり。

 2年以上もひとつの所に埋もれていると、現地語(パシュトゥ語)を使い、何とか口論らしきものができるようになった。が、言葉が出来ることによって、余計に仕事が小言が苦情が増えた気がする。できなければできないで、「やーい、おばかさん」的に白痴のような感じで見られ、「へっ」と鼻であしらわれかなり悔しいのだが、できたらできたであるなぁと。
 
 そんなある日、私のいたクリニックに西欧系NGOの女性(オランダ人)が、アフガン人スタッフ2人を従え調査にやってきた。なんでも「色んな医療活動をしたり、医療系のNGOを支援したりする団体」とのことで一通り質問を受けたのだが・・・。アフガン人社会真っ只中にいた上、初海外がアフガンでバイリンガルなどとは程遠い環境で生まれ育った私には、その西欧系女性のネイティブっぽくこれは一体何言ってんの?的ぺらぺら早口イングリッシュは半分ほどしか理解出来なかった。情けないことなのだが、彼らのお供のアフガン人スタッフに現地語(パシュトゥ語)に通訳してもらい、それを我々のスタッフであるアフガン人ドクター(ドクターも私と同じくらいの英語力)と一緒に聞き、ドクターに「こうこうこういうことを言っているのかな」とジャパニーズパシュトゥ語で確認し合った上で、パシュトゥ語で私が答え、それをNGOのアフガン人が英語に訳してくれるという、複雑怪奇な?やりとりとなった。訪問者たちは「パシュトゥ語上手ですね。」と褒めたのか皮肉を言ったのか分からないけど、内心「おまえは一体何人だ。何者だ?」とでもいいたげなちょっと不審な顔をしていた。英語の勉強が必要、と痛感し反省、はぁー。

 だが、言葉というのは微妙だと思う。言ってることが分かり、言いたいことが言えたとしても、それだけではその言葉の使い手としては、まだ未熟なのではないだろうか?例えば日本語の場合、単語を言わなくてもその前後の話し方や、表情、身振り手振りなどで微妙なニュアンスが読み取れる。これは、私が日本語を母国語として生きてきたから分かるものだ。だから、会話を通して表面上は意思の伝達が出来ているようであっても、少しの経験ではやはり難しい場面があると思うのだ。思わずつい本心がぽろっと出てしまったり、伝えたいのに伝え切れなかったり・・・と。文化的背景を知らないと、その言葉の裏にあるほんとの意味は理解できない。だから、会話がややこしくなり揉めそうになりそうな気がするときは、先に一度第三者でネイティブスピーカーの現地人と話してもらうのがいい気がする。当たり前だが外国にいる以上、どんなに言葉を習得しようと、自分は外国人である。それに、一度発した言葉は戻ってこないのだ、という当たり前のことに気づいたから。

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