たれかもんの日々ーふぐすまにてー

最近、育児ブログと化してきたよーな・・・

東北関東大震災2011

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 「まだまだこれから・・・なんだべない。先は長いけど、長生きできっかなあ?」
 (まだまだこれから・・・なんでしょうね。先は長いですが、長生きできるのかなあ?)

 3月11日が、当たり前に過ぎてホッとしたような、なんにも変わってないと痛感したような複雑な気持ちです。反原発デモや復興イベントなど、色々なお誘いは頂いたのですが、この日は静かに過ごしたかったので、すべてお断りしました。それはそれで、「福島のためにやってるのに、福島の人が声を出さなくてどうすんの」とか思われるんでないかなあと、余計なことを考えたりもしました。

 1年前の3月11日14時46分は、職場でおやつの介助をしていました。その時に「ブーブーブー」とテレビが鳴り、「地震が来ます、強い揺れに注意してください」の5秒後には、でっかい揺れが来ました。飲みかけのお茶がテーブルから落ち、車いすのブレーキはかけてもかけても外れました。窓を全開にしてピューピューな風が入ってくる中、収まったと思ってもまたすぐに来る余震。テレビはついてましたが、津波のことは知りませんでした・・・。

 さて今年の3月11日14時46分は、以前に買ったままにしていた、長倉洋海さんの「ワタネ・マン 私の国 アフガニスタン」という写真集を眺めながら過ごしました。主に北部とカーブルの写真が中心ですが、不思議と懐かしい気がする風景、笑顔。においと声が聴こえる写真だなあと思いました。

 そのアフガニスタンでは今、米兵による16人の民間人を殺害した事件が起きました
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120315-00000011-cnn-int

 戦災や原発事故などという人災によって、どれだけ多くの命が軽んじられているんだろうと、しみじみした366日目でした(今年は、うるう年があったので)。

 写真は、アフガニスタン東部の農村で。パシュトゥン、タジク、パシャイー、ハザーラ・・、いろんな民族の人たちが、あれこれ言いながらも働いてた光景。
 「とーでんがら10日に、『被害をうげだ皆さまへの迅速かつ公正な賠償金のお支払いに取り組んでっがら』っつう、紙届いたぞい〜。1年も経って、どこが迅速なんだべね?」
 (東電から10日になって、『被害を受けられた皆さまへの迅速かつ公正な賠償金のお支払いに取り組んでおります』という紙が届きました〜。1年も経って、どこが迅速なんでしょうねえ?)
 
 日付が変わり、あの日が来ました。3・11から、もう1年まだ1年。見た目にはまったく変わっていない地元の風景が、何もかもが変わってしまった日。この日は、静かに過ごしたいなあというのが、前々からの思いでした。
 
 しかし、3・11福島県集会などでふぐしまに来る知人たちが居たり、各自のイベントでふぐしまを始めとーほぐ各地にいらっしゃる知人も、少なくありません。その行動力と信念(?)には、本当に頭が下がります。どうか、わざわざ遠路来られるんですから、風邪などひかれませんように。そして怖がるでしょうから、余震など来ませんように・・・。
 
 色々誘われましたが、自分は仕事が休みですがどこにも行かずに、柄にもなく少しだけ祈って、無事に過ごせることに感謝して、あとはフツーな日常を大切に過ごしたいと思います。
 
 
 こちらの、ウクライナのチェルノブイリ被害者の女性が唄う、さだまさしさんの歌を聴いて気持ちを鎮めたいと思います。
 
 合掌。
「行ってみねえど感じねこど。行った人がらきいてみっごど。いっぱいあんない。」
 (行ってみないと感じないこと。行った人から聴いてみること。たくさんありますね。)

 石巻・女川行きの続きです。

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 石巻の仮設住宅。許可を頂き、何ゆかバグパイプを演奏される方が同行者にいました。バグパイプって、バッグパイプのことだったんですね。ものすごく響く音に、まず子どもたちが飛び出してきました。まるでハ―メルンのように、子どもたちが後を追ってました。音楽の力って、すごいなあとしみじみ。若い父ちゃんからは、「映画で観たブレイブ・ストーリーを演奏してくれるよう頼んでくれませんか」と笑顔でリクエストが・・・。
 
 石巻は本当に広く、北上川の河口のほうはまるで海のような大きさでした。ある意味福島よりも断然活気があるような街中もあれば、未だ瓦礫がゴロゴロで手つかずな所もあり・・、ひとくくりに「津波被災地」となんて出来ないということを、改めて感じました。

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 この日の夜は、石巻のボランティアが集結する某大学のグラウンドで、ごろ寝(↑のテントの写真は、翌朝に撮りました)。寝袋を持参してたので、しっかり設営された屋根とブルーシートのおかげで、悠々と眠れました。感謝。アフガンのことやらボスニア(←行ったことがないですけど)のことやら福島のことやら、話したり話を聴いたりしました。何ゆか、「恋に落ちて」をギターで唄っている若者グループも・・・。若いですねえ。 
 
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ボランティアの数は、一時期の10分の1以下だそうです。それでも、北見から那覇まで、全国津々浦々のナンバーの車が並んでいました。

 もうちょっと続く。
 「色んなひどが、トーキョーさは居んだなあ。不謹慎かもしんにぃけどちっとおもしがった」
(色んな人が東京には居るんですね。不謹慎かもしれないですが、少し面白かったです。)

 少し時間が経ってしまいましたが、地震から丸3ヶ月が経った10日程前、何ゆえか宮城県の石巻と女川においでと呼ばれて行ってきました。トーキョーに拠点がある某イスラーム系NGOが、炊き出しでアフガン料理「カライー」を作るから、その応援にと。私に料理の助っ人を頼むなんて、かの地などで自分を知る方からすると、「何を血迷った・・・」と思われたことでしょう。当方、時々回ってくる料理当番では、イヤイヤと自分の食べたいものをテキト―に作っていただだけで、味と見た目と栄養のバランスなんて、考えたこともなかったのです。

 あ、カライーについてはこちらを
http://blogs.yahoo.co.jp/kd12032st/archive/2011/05/23

 そんな訳で、石巻へ1泊しへ・・・・。

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 石巻は、漫画家石ノ森章太郎の出身地だそうです。駅前にはボーイスカウトの集団とボランティアで来た若い元気な青年たちと、それを手持無沙汰に眺めながら座る地元風のオッチャン達が、印象に残りました。赤ら顔の人が多かったのは、日焼けな漁師さんなのか一杯飲んでいたのか。集合場所へ向かおうとしたら、さっそく電話が・・・。正反対な場所を指示され、何だかこの炊き出し手伝いモドキノ行き先を暗示していたのかもしません・・・(以下自粛)。

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 駅レンタカーは、出払ってるようです。お得意さんは、復興のための援助関係者かな?集合場所は、北上川をさかのぼった所の某避難所・・・。

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 避難所の裏の北上川。だいぶ河口から遡ったのに、船が・・・。津波でやられたようです。ここで、主催者グループ(東京から、車で来たそう)と合流。一瞬、このグループに合流しても大丈夫かしらと思わない訳でも無かったですが、みなさん、意外に親切でアクティブでした(失礼)。感謝。

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 別な避難所へ・・。

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 そして近くの仮設住宅へ移動。ここはどこの国でしょう・・・。
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 ちょっとだけ続く。

ジワジワと来るけど。

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 「浜側だがらなんだかんだ言ったって、自分にほだに関係ねえって、どっかで思ってたんだべなあ。」
 (海側だからどうこう言っても、自分にはあまり関係が無いと、心のどこかで思っていたんでしょうね。)

また余震が続きましたが、昨日今日は割合落ち着いたようで、弱い地震ばかりです。

 11日の毎日新聞、これを読みやや動揺した、弱く薄情だった自分。以下。

「町の一部が計画的避難区域に指定された福島県川俣町。国から具体的な地区名は伝えられず、同町の担当者は「『町の一部』とだけ言われても対応しようがない。早く指示を出してほしい」と困惑する。

◇避難先「国が確保を」…川俣

ただし同町は、これまでのモニタリング調査で市街地と比べて高い放射線量が検出されている南東部の山木屋地区が該当すると想定。指定された場合、同区域に住む約1200人の受け入れ先は町の中心市街地などに設ける方針だ。

だが、それ以外のエリアも指定された場合は対応が難しくなる。「避難者数が増えれば町外に避難せざるを得ない。避難を指示するなら国が避難先を確保してほしい」と担当者は言う。
山木屋地区の農業、遠藤利生さん(59)は11日、知人から避難指示が出そうだと聞き、町内の別の場所に親戚と一緒に一軒家を借りた。

「水が汚染されたら飲めなくなるし農作物も育てられない。このまま放射性物質が蓄積すれば町に住めなくなるかもしれない」と不安を漏らす。
 
町立山木屋中(生徒25人)の斎藤栄吉校長は、町教委から報告はまだ受けていないとしつつ「避難するなら生徒がばらばらにならないよう学校ごとにまとまりたい。できるだけ子供にストレスを与えないような配慮がほしい」と話した。【古関俊樹、神保圭作】」

 勝手な抜粋、以上。この記事に、少し動揺しました。伊達郡川俣町は我が居住地の隣の自治体で、そのハズレの山木屋地区も計画避難とやらに入ると言う話・・。

 山木屋地区は、隣と言っても細長い川俣町の外れで、浜通り(福島県沿岸部)の浪江町と接する地区ですが、同じ中通りで県庁所在地の福島市の隣の町には変わりがないです。

 じわじわと来る感じが苦しいですが、それ以上に、今まで同じ県内でも「離れてるから」と、原発からなどの避難をやっぱりどこか人事に聞いていた自分を再認識、どこまでも薄情だったとそれが憎たらしく1番辛いです。

 高校の時に、ここ山木屋地区出身の同級生が居ました。家があまりに遠い為に下宿していたけど、明るい女の子。また、川俣出身の友達も何人かいます。あと去年は、相馬市からの帰りにここ山木屋地区を通り過ぎました。山の中の静かな集落でした。

またこの計画避難と合わせて、そのまた隣の飯舘村は原発より30キロ圏外にも関わらず、放射能の値が高く1ヶ月以内の全村避難になりました。飯舘村は、福島のチベットと呼ぶ県民もいましたが、それ位静かな良い所という意味なんだと思います。くぼ地が多いせいか、放射能が溜まってしまったようです。そして原発・飯舘村の延長上に、盆地な我が地元があります。このまま放射能の流出が続けば、1年後に地元も人が住めなくなる・・という噂も流れています。

良くなる話が一向に見えない原発。そんな中でニュースを追い、情報を見極め、自分に置き換えて考え思いを寄せ、被災者・避難者の何らかの力になれたらと思います。

 最後に、川俣出身の同級生から紹介受けたので、宣伝→http://lepote.exblog.jp/12415283/

 写真は、海外某所で見かけてから結構お世話になった車。深い意味はありません・・・。

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