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錦秋の景色と黒い袋 岳真也
得がたい体験であった。まずは、ものものしい警備態勢。福島市側のゲートをはじめ、浪江町内にはいくつかの検問所があって、そこを通過するたびに車を止められる。私達は入域許可証を携えてきていたが、それには六名全員の名が連ねられていて、めいめい運転免許証などを提示しなければならないのだ。そうして町に入り、山際の津島地区に差しかかった時、さらに仰天させられることが起こった。その辺りの線量が極めて高いことは知らされていたが、それまでチチッと虫の鳴くような音を出していたガイガーカウンターが突然、ピーピピピーッとけたたましい音を発して、止まらなくなったのである。折しも紅葉の季節で、右手には請戸川に沿って、見事な錦繍の景色が続く。左手の道端には、放射能汚染の廃棄物がつまった黒い袋の山(たぶん半永久的に動かせない)……この「落差」は何なのか。だが、そのあと私はもっと恐ろしい光景を見た。それは浪江の駅前である。常磐線は走らず、繁華だった筈の駅前通りの店は軒並みシャッターを下ろし、壊れた建物は手つかずのままで、人の匂いがまるでない。私は鳥肌が立ってくるのを覚えた。
貴重な出会いもあった。南相馬村小高地区出身の志賀泉氏の父御さん。「八十年間、休む暇なく働いて建てた家に戻れないなんて」仮設住宅で聞いた言葉が辛かった。実際今、本当に怖いのは、眼に見える事物ではない。帰宅できない、新しい土地になじめない、ストレスがたまる、アルコールやパチンコ依存症、子どもらの苛めにDV、自殺。精神の荒廃こそが、何よりも問題なのだ。そうした物心両面の荒廃や危険を原発の建設前から察知し、詩や短文にして訴え続けてきた現地在住の反骨詩人、若松丈太郎氏。かの金子光晴の「後ろを向いたオットセイ」への共感で一致した。そして「無意味な殺処分」に抵抗し、原発の間近で被爆した牛達を飼育し続ける吉沢正巳氏。めげることなく連帯したいと思う。
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第一回福島訪問報告







