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脱原発社会をめざす文学者の会
原発事故を風化させないために

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2  山津見の神さま

  •  飯舘村の村人たちの心の拠り所となっているのは、山津見神社である。佐須地区にある。氏子の数は六十戸。これが春と秋の大祭の時には、参道から境内の駐車場まで車が数珠つなぎになったという。二、三万人が参拝に訪れるというから、神社の規模のわりには、とても信仰者の数が多い。禰宜さんに話をうかがうと、もともと講を組んで、遠くは北海道や青森、宮城、山形から、近くは福島県一帯から祈祷客 が来るのだという。山車や特別のイベントがある祭りがあるわけでもないのに、ただ祈祷だけを目的にそれだけの崇拝者が集まるのである。
  •  祭神は大山津見の神で、眷属の白狼が狛犬の代わりに門前を守っている。拝殿の天井には、狼の絵が百数十点も描かれていたのだが、惜しくも焼失してしまった。神社の宮 司さん一家も例外なく避難し、無人となった神社を守るために宮司夫人が拝殿に寝泊まりしていたのだが、何らかの失火があって、拝殿は焼失、宮司夫人も行方不明になった(焼死体として発見された)のである。全村避難しているなかで、消火活動のすべもなく、拝殿は全焼、周囲の大杉も表面が焼け焦げ、大きな炭の 柱ようになって立っていた。虎捕山と呼ばれる山が山火事とならなかったのは、この数本が杉が後背の森への延焼を防いだからという。


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  •                 山津見神社拝殿跡

  •  若い禰宜さんは、国有林である虎捕山が山火事にならなくて本当によかったという。神社の境内の杉が焦げただけで治まったのは僥倖で、国有林を焼いたら、ものすごいペナルティーを営林署から科せられるのだという。国策による原発事故の放射能汚染については、神社にはまったく国からの保障も補償もないのに、にである。参拝客が激減したことも、拝殿が火事になり、ろくな消火活動ができなかったのも、もとはいえば、放射能汚染による原発事故のせいだ。しかし、東京電力も、国も、為政者たちも、一度として謝罪や説明や慰労に訪れたことはない。天罰や神罰があたるべきは、彼らであるはずなのたが。
  •  飯舘村は、福島第一原発から30〜40キロメートル以上離れており、原発立地とされておらず、これまでに原発マネーで潤ったことはない。双葉町や大熊町、浪江町などが、いわゆる電源三法や核燃料税や交付金、電力会社からの寄付金によって自治体財政がかなりの程度賄われていたのとはまったく異なっていた(といって、原発立地の自治体が、原発事故の被害を甘受しなければならないといっているわけではない)。つまり、まったく原発によるメリットを受けたことのない村が、全村民避難というリスクとデメリットだけを背負わされたのだ。補償も賠償もいいから、元の村に戻してくれという要求は、決して理不尽なものではない。
  •  特に、そこで生きてきて、そこで死にたいというお年寄りたちの願いは切実であり、東電や国(行政)は、あたうる限り、そうした村民一人一人の要望に丁寧に寄り添いながら、その要求、要望に応えることが、まず第一のやり方ではないのか。しかし、現実はこれとはまったく逆だ。全村避難を強制し、今度は〝安全が確保された〟として、全村帰還を計画する。原発事故などまったくなかったかのように。確かに、緑の山々、家並み、村の風景はほとんど変わっていない。牛舎には牛はなく、田畑には作物は見当たらないが、道路、神社、村役場、学校、公園は昔のままに佇んでいる。放射能は目に見えず、耳に聞こえず、鼻で嗅ぎ分けることも、皮膚で痛みや痒みを感じることもできない。計測器がピーピーと鳴り、その存在が知れるだけだ。


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  •  私は飯舘村のあちこちに放射能測定器が設置され、そこに個人名が記されていることを不審に思った。東大研究室の誰それとか、何とか研究所の某といった具合だ。それは個人があくまでも自分の研究のためのデーターを集めているものなのだ。村役場の前の計測器は、個人が寄贈したもので、0・何マイクロシーベルトの大気中の放射線量を示していたが、これらは個人、民間による計測であって、国や東電、自治体による計測器やモニタリング・ポストは、個々の村人に寄り添っての計測ではないのだ。
  •  私は「ふくしま再生の会」のボランティアの人たちといっしょに、村役場近くの個人住宅の放線量計測の現場にいってみた。住宅の外部の四囲の測定、そして住宅内の各部屋ごとの詳細な測定。それを図面化し、除染効果の度合いなどを定時的に観測することによって数字化しようとするものだ。これは、あくまでもボランティアの活動であって、行政の側はむしろ邪魔にしても、協力しようとはしないのである。
  •  個人住宅だから、もちろん住宅所有者の承諾が要る。立会も必要だ。その日、計測を行った家は、夫婦と息子夫婦、孫とのいっしょの生活をしていたが、三・一一以降、老夫婦は近隣の町に避難し、息子夫婦は遠くに避難して、新しい職を得て生活しているという。「あれ以来、子どもや孫たちは、この家には一度も帰って来ていません。この前のお彼岸に、一回だけお墓参りをした のですが、この家には立ち寄らずに帰りました。孫が小さいので、もうここでは暮らさないといっています」と、その家の主婦は私に話してくれた。そして、少し悲しそうに、「息子は孫たちにおばあちゃんの車には乗るな、といっています。避難所からここまで何度も私の車で往復しているので、放射能に汚染されてい るといっているのです」と。
  •  孫たちが帰って来てくれない家、乗ってくれない車。家のなかは、防虫のナフタリンと、鼠捕りシートが敷き詰められていて、まさに足の踏み場もない。帰れるようになっても、たぶん老夫婦以外に、この家に戻ってくる家族はいないだろう。丹精した庭や植木や菜園も、〝復興〟することはありえないのである。
  •  行政は、一般的な除染が終わり、モニタリング・ポストの数量が下がったから(20ミリシーベルト以下になったから)と帰還を促している(一部では補助金、生活支援金打ち切りを示して、ほとんど強制している)。そのくせ、生活現場である住宅周辺、住宅内部については、管轄外として放射線量の測定を行っていないのだ(誰が管轄を決めた?)。住宅に戻ることだけではない。お墓参りや神社詣りができない村での生活は、 生活ではない。子どもたちが安心して学校に通い、山菜摘みや、川や池での肴釣りや、お祭りや盆踊りなどの行事がなくては、それは「生活」とはいえないのである。行政は、それらのすべてを保証しなければならない。少なくとも、そうした住民、村民の要望に寄り添って、原発事故からの復興を目指すべきなのに、〝美しい国〟を目指すなどというデタラメと虚偽の言葉しか口にしない安倍晋三政権は、真逆の政策しか取っていない。建築会社に丸投げして設計、建築した避難住宅や仮設住宅に、難民キャンプばりの不便で不自由な「生活」を強いているだけなのである。
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