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2 新作『GODZILLA』
ハリウッド版ゴジラの第三作が、二〇一四年、すなわち初代ゴジラ誕生から六十年目に公開された『GODZILLA』なのである。日本では、いわゆる昭和ゴジラ・シリーズ、平成ゴジラ・シリーズ、ミレニアム・ゴジラ・シリーズが完結して、ゴジラ映画が途絶えてからかなりの年月が経っている。日本ゴジラが大団円を迎えてから、再び(みたび)、ハリウッド映画としてゴジラが甦ったのである。
監督のギャレス・エドワードは、インディペンデント映画『モンスターズ/地球外生物』を脚本・監督・撮影・キャラクターデザインと八面六臂で製作した新鋭監督で、『GODZILLA』は、二作目の監督作品である。製作者側は、このゴジラ映画を、初代の『ゴジラ』をリスペクトした作品であり、その社会的な意味を十分継承するものとして製作したという。監督はこういう。「人間はこれまで、自然災害にせよ、そうでないにせよ、理解できないような悲惨な状況を見たり、体験したりしてきた。実際に起きなければ、映画のシナリオのように思えるものをね。だから、究極のゴジラ映画を作るというチャレンジは、その現実を反映することであり、それはゴジラというものがほんとうに何なのかという根本に立ち戻ることなんだ」と。『GODZILLA』という映画の前半で、日本の原子力発電所の事故が描かれるということは、彼のいう「現実を反映すること」であり、ゴジラ映画が常に時代と社会の問題に果敢にチャレンジしてきた(そうでもないのもあったが)ことを、十分に取り入れたと、この若い監督は自信たっぷりに語ったのである。
だが、はたして本当に、3・11以後の日本の「現実」をこのゴジラ映画は反映しているのだろうか。むしろ、相も変わらず、ハリウッドの日本に対するオリエンタリズムを無自覚のままに垂れ流しているのではないか。そうした疑念の目で、私はこの『GODZILLA』を見ざるをえなかったのだ。
映画は、福島第一原子力発電所で起こった原発事故を想起させる、日本のジャンジーラ原子力発電所における事故のシーンから始まる。ジョー・ブロディはジャンジーラ原発の所長で、妻のサンドラは原発の主任の技師だった。一人息子のフォード・ブロディは、インターナショナル・スクールに通う少年である。原発で不気味な震動が続いていた。その震動による原子炉の様子を見に行こうとサンドラが防護服を着て調べに行った最中に、原子炉の爆発事故が起こる。安全地帯にまで必死に駆け戻ろうとするサンドラと技術職員たち。しかし、夫のジョーは、放射能の防御扉を、妻の目の前で、閉じなければならなかったのである。扉の覗き窓ごしに対峙した夫の妻。妻は息子のフォードを頼むと悲痛な別れの際にいうのだった。
福島第一原発事故の際にもあったかもしれないような、悲痛で悲惨な出来事で、原発事故の恐ろしさと悲しみを見事に表現した場面といえるかもしれない。しかし、ちょっと立ち止まってみただけで、このシチュエーションのおかしさはすぐ分かる。四十年前の福島第一原発の建設期、始動期ならいざしらず、アメリカ人夫婦が、日本の国内の原子力発電所の責任者を務めているということはありえないし、現実的にない。今は、原発の製造会社であるアメリカのウェスティング・ハウス社は東芝の、ゼネラル・エレクトリック社は、日立と三菱重工の子会社であって、アメリカの原発に日本人が技術責任者として赴任することはあっても、逆のケースはほとんどない(公式的には、だが)。
それに、もう一つ大きな問題は、事故を起こした原発の周辺は、立入り禁止区域となっているのだが、そこを管理しているのはなぜかアメリカ軍(と日本政府)であり、そこはいわば米軍の軍事占領地となっていることだ。なぜ、日本の原発事故による汚染地域が米軍管理下となっているのか。福島原発事故の時に、菅元総理が口走ったという「(東電や日本政府)が事態に対処しなければ、アメリカが占領しに来るぞ!」という怖れを地でいったような設定なのである。これは、日本の原子力政策、原発政策は、究極のところ、アメリカの支配下にあるという〝現実〟を皮肉にも表現しているのだろうか(アメリカが、野田政権が、閣議で将来の原発ゼロ決定しようとした時、横槍を入れて覆したことは、よく知られているだろう――知られていない?)。そもそも、ジャンジーラ(雀路羅と表記するようだが)という名称(地名だろう)は、日本にはまずありえない名前であり、「雀」という字は、麻雀【マージャン】という言葉を日本語そのままだと思っている半可通の外国語人がつけたものだろう(パチンコのチンジャラが語源か〈笑〉)。日本人には、原発を作ったり、操作するだけの実力はそなわっていない(それは、その通りなのだが)。だから、アメリカ人が日本の原発を管理し、その事故の対応もアメリカ人が行うという設定が、何の疑問もなしにスクリーンに示されるのだ(渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士は、画面の真ん中や隅に突っ立っているだけで、ほとんどストーリーに関与してこない。英語風の〝ゴッジラ〟ではなく、ゴジラと発音する役目だけのような気がする)。
問題はそれだけではない。ジャンジーラ原発の事故は、実は原子炉の構造や、地震や津波などの天災が原因なのではなく、地下に眠りつつある大怪獣の心臓の鼓動であって、その大怪獣が目を覚ますことよって、原発事故は引き起こされていたのだ。まるで、福島原発の地下には大ナマズが眠っていて、その目覚めが事故の原因となったとでもいうかのように。
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