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脱原発社会をめざす文学者の会
原発事故を風化させないために

書庫川村湊の脱原発通信


3 非水爆大怪獣GODZILLA
 
 ゴジラがいかにして誕生したかということについても、『GODZILLA』は大胆な改変を行っている。初代ゴジラは、その宣伝文句で明らかにように「水爆大怪獣」だ。すなわち、アメリカ軍によるビキニ環礁などでの原水爆実験によって、ジュラ紀以来の眠りを妨げられ、放射能によって突然変異した古代恐竜の単体が、初代ゴジラとされるのである。しかし、『GODZILLA』では、そもそもゴジラ(と、その寄生生物のようなムートゥー)は、ジュラ紀以前の地球に放射能が蔓延していた時代の生物であって、もともと放射能を帯びていたのであり、六、七十年代に頻繁に行われた原水爆実験は、実はゴジラを倒すための攻撃兵器だったというのである。製作者側は無意識かもしれないが、これはアメリカ(とソ連、英仏中)の原水爆実験を肯定的に認めることになる見解といわざるをえない。
 初代ゴジラでもっとも肝腎なところ、すなわちゴジラは、アメリカ(とその他の核大国)の原水爆実験から生まれたモンスターであり、人間の科学的な知や、テクノロジーの〝悲惨な失敗例〟であるというメッセージを無化してしまうものなのだ。これが、ハリウッド・ゴジラ映画一作目、二作目、そして三作目を通じてアピールしている、アメリカ側の自己欺瞞の一例なのである。
 だから、ギャレス・エドワード監督やスタッフが、いかに初代ゴジラに対するリスペクトを口にしても、「水爆大怪獣」という看板を下ろしたゴジラは、アメリカにとって都合のよい大怪獣にしかすぎず、よりによってサンフランシスコのチャイナ・タウンというオリエンタリズムそのものの場所で、ゴジラとムートゥーは、雌雄を決する闘いを演じるのである。監督や脚本家や製作者が、初代ゴジラではなく、『キングコング対ゴジラ』以降の〝怪獣大合戦〟(やウルトラマン)映画のファンだったことがよくわかるのである。
それにしても、夫婦、親子のファミリーの最終的な出会いや和解という、ハリウッド映画の予定調和としての紋切型の物語は、このゴジラ映画でも貫かれている。夫婦愛に結ばれた怪獣ムートゥーを倒すゴジラは永遠の独身者であり、単独者である。サンフランシスコから太平洋に向こう側(日本列島だ)に向かって泳ぐゴジラの背びれは厳めしいが、その背中から孤独感は匂うように立ち上ってくる。
 結論をいおう。アメリカはヒロシマ・ナガサキに対する原爆投下を今に至るまで反省していないし、ビキニ環礁における原水爆実験も、そしてそれによる全地球的規模での放射能汚染も、さらに原子力潜水艦を地上に持ち上げた原子力発電所を世界各国に売り込み、欠陥商品としての沸騰型原子炉で事故を起こしたことの責任も、一切取ろうとはしていない。これが、ハリウッド版ゴジラにおける無意識である。そんな国と同盟関係を結び、さらに集団的自衛権によって、その国の引き起こそうとする〝大義のなき戦争〟に、忠犬ポチ公のように馳せ参じようとする日本の愚劣な政権は、一刻も早く〝呉慈羅大明神〟によって踏み潰してもらわなければならないのである。もちろん、彼らの企む原発の再稼働なども、もってのほかである。南無呉慈羅大明神!
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