|
日本社会文学会シンポジウム 「歴史の岐路と文学「フクシマ」から見る日本社会」報告 2014年11月8・9日(於 福島大学) 志賀 泉 1 11月3日に、原発事故を題材にした長編小説を書き上げたばかりだった。原発被災地出身者として、自分にしか書けない作品を目指したが、被災地や被災者が 抱える問題の全体像は一作で捉えきれるものではなかった。書き残した問題を次作品にどう繋げていくべきか、重い課題を抱えながら、11月8日、福島大学で 開かれた日本社会文学会のシンポジウム、「歴史の岐路と文学 「フクシマ」から見る日本社会」に参加した。 発表は、澤正宏(福島大学名誉教授) 「歴史の転換点と文学」、木村朗子(津田塾大学教授)「世界文学としての震災後文学」、齋藤貢(詩人)「震災とアムビヴァレントな言葉と」。ディスカッサ ントは川村湊(法政大学教授)。森詠・千春夫妻と私、志賀泉は聴講席での参加となった。(敬称略) 澤正宏は、原発事故が歴史の転換点であることを再確認した上で、事故後に本格的な原発文学と言える作品がいまだ出ていないことを問題視した。 1960年代には、邦光史郎の『鉛の箱』がベストセラーになっている。ミステリーの筋立てで、原子炉購入の裏側で国際的な原発資本、日本政府、財閥、電力 会社がどういう思惑で動いていたかを暴き、原発社会の暗闇に鋭く切り込んだ小説だ。『鉛の箱』に匹敵する作品は、事故後まだ現れていない。今、日本文学に 求められているのは「原発の本質を衝く全体的で本格的な原発小説」だと、澤は語った。 木村朗子は、「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」というアドルノの言葉と、震災(原発事故)以後、多くの文学者が「書けなくなった」と心情を吐露したことを重ね合わせ、「書けない」現状をいかにして乗り越えていくか、文学の可能性について語った。 文学は、原発事故以前と以後に分かれたと言える。しかし事故以後の小説は、原発事故に関して具体的な表現を避け、曖昧にほのめかしている作品が多い。では、事故以後の文学にどのような可能性があるのか。 川上弘美は、事故以前の作品『神様』を、事故後に『神様2011』として書き直して世に送った。以前の作品を以後に書き直すという手段も可能性としてある のではないか。また、読み手の可能性として、以前の作品を、原発事故を踏まえて恣意的に読み直すという手法もあるのではないか。高橋源一郎の事故前の作品 『さよならクリストファー・ロビン』には、「『あのこと』が起こり、世界は虚無に浸食されていく」という一文がある。この「あのこと」を「原発事故」と読む ことで、作品に新しい意味を与える可能性があるのではないか。いずれにせよ、「詩を読むことの野蛮さ」は乗り越えていかねばならない。 齋藤貢 は、南相馬市小高区にある小高商業高校の元校長であり、震災体験を踏まえた詩を発表している。小高商業高校と浪江高校の生徒の文集から、「私たちは試され ている」という言葉を例に取り、震災(原発事故)体験を「試練」として受け止めてしまうと事の本質を見誤ってしまうのではないか、社会に流通する「癒しの 言葉」も同様の危険性を秘めているのではないかと語った。 ディスカッサントの川村湊は三人の発表を踏まえ、原発事故以前の原発小説がどれもミステリー小説であることを指摘し、事故以後は広い分野から、原発問題に具体性を持って取り組む作品が書かれるべきだと期待を語った。 質疑応答では、森詠が「原発を題材にした映画はたくさん作られている。何人かで象に触れるような小説でもいいから書かれるべきではないか」と意見を述べた。 志賀は、「現地では被災者同士でも原発や放射能について語ることをタブー視する空気が流れている。似たような空気が日本全体を覆っているのではないか」と疑問を投げかけた。 2 翌9日、飯舘村を経由して南相馬市小高区をめぐるバスツアーに参加した。 飯舘村は除染作業が進められていたが、本来は復興に向かうための除染作業が、期待とは裏腹の酷い現実を露呈しているようにしか見えなかった。 村のいたるところに、汚染土を詰めた黒いフレコンバッグが野積みされている。信じられないほどの量だ。フレコンバッグは1メートル四方の大きさで重さは1トンもある。案内をしてくれた澤正宏によれば、積み上げてよいのはせいぜい二、三段までとされるのに、仮置き場の面積が不足しているため五、六段と積み上 げている現場が多い。いわゆる「黒いピラミッド」だ。重量に耐えられず下段の袋が破れる可能性がある。それでも積み上げざるを得ないのが現実だ。しかも、 その現場は山中にあるわけではなく、民家のすぐそばだ。この光景を目の当たりにして帰還を断念した村民も多いという。 双葉・大熊町に建設を予定 している中間貯蔵施設はまだ用地買収も済んでいない。たとえ完成したとしても、何千とあるフレコンバッグをどうやって運ぶのか。3トントラックに積めるの は2個までだという。数千個のフレコンバックを運ぶだけのトラックも運転手も日本には存在しない。しかも東京オリンピック工事のために今後ますます不足し ていくことは必至だ。ということは、現在の仮置き場がそのまま最終処分場になりかねない。いや、必然的にそうなってしまうのだ。いずれ行き詰まってしまう のは目に見えているのに、政府は中間処理施設さえ完成されれば問題が解決されるかのような口振りだ。ここにも誤魔化しがある。 厳しい現状にかかわらず、飯舘村の村長は帰村に向けて着々と準備を進めている。村長に賛成か反対かで村民は二分している。支援をしようにも、まず「帰村派か反対派か」と訊かれるので支援ができない。テレビが流すような奇麗事では済まない難しい現実がある。 バスは南相馬市に入る。原町区の津波被災地域、萱原地区は住宅も水田も消滅して広大な原っぱのままだ。今も居住制限の続く小高区に入り、雨の降る中、傘を さして商店街を歩く。基本的に無人の街なのに、今は市議会選挙運動の期間中であり、拡声器の声も高らかに選挙カーが何台も大通りを走り抜けていった。非日 常と日常が混在した不思議な光景だった。 震災前の小高区の人口は1万2千人。市では当初、帰還者を5千人と推定していたが、今は3千人に修正している。しかし、これでも多目に見積もっているのではないかという印象を個人的に持った。 訪れるたび、半壊の家屋が撤去され商店街に更地が増えていく。しかし改装工事をしている家も目に付いた。駅前の双葉屋旅館も工事中だった。たぶん原発作業 員のための旅館になるのだろう。原発作業員が増えれば、彼らを当て込んだ商売も始まるだろう。結局、こういう形でしか復興は成り立たないのかもしれない。 私の同級生は働き盛りの世代なので、同じ南相馬市の原町区や鹿島区に新居を建てたり、店舗を移して営業を始めたりと、積極的に新生活を始めている者が多 い。無理に小高区に帰還しなくてもいいと私は考える。「町のための復興」ではなく「人のための復興」なのだから。その上で、たとえ小高区が高齢者ばかりに なるとしても、いかにして自治体を維持していくかを考えるべきだと思う。 澤正宏は、東電の賠償金が復興を妨げているという複雑な現実について説明した。 原町区の商店を例にとると、原発事故を理由に商店を休業している場合、事故前の利益と同額を東電から補償してもらえる。営業を再開して利益が減少した場合 には差額が補償してもらえる。つまり、休業しても再開しても同じ収入を得られるのだ。わざわざリスクを負ってまで商売を再開することに躊躇する人が増える のはやむを得ない。このようにして、賠償金が復興への意欲を損ねてしまうケースもある。また、小高区の人間が原町区の空き店舗を借りて商店を再開しようと しても、賠償金が打ち切られるという理由で家主が渋るケースもあるという。難しい問題だ。 最後に、澤正宏はこう語った。「原発事故後、私たちは生き方そのものを変えなければならなかったはずだ。ドイツでは、電気料金は日本の二倍だ。しかし個人の電気消費量は日本の半分なのだ。自然エネルギーを導入するには私たちの生き方を変えるくらいの覚悟が必要なのだ」 〈写真リード〉 福島県南相馬市 小高区。福島第一原発から20キロ圏内にある同地区は避難指示解除準備区域に指定されており、2016年4月から住民の帰還が始まる。復興に向けて歩み出 したかのように見えるが、1万3千人の住民のうち帰還を希望しているのは3割に届かず(2014年8〜9月調査)、除染作業も進まない。私(志賀)の実家は小高駅 前にあり、年末年始の休暇をそこで過ごした。復興には課題山積だが、街は徐々に変わりつつある。 1〈小高駅前〉 小高駅前。破損家屋は撤去され、更地が目立つ。改築・新築の家も増えてきた。 2小高町旅館〉 改築中の駅前旅館。原発作業員や除染作業員などの宿泊所として利用されるのだろう。街の復興とはいっても、当面は原発・除染関連を当てにするしかないのが現実だ。 3〈小高区井田川 廃棄物仮置き場〉 津波被害を受けた水田に設けられた廃棄物(放射性ではない)仮置き場。 4〈小高区福浦 干拓地跡〉
小高区福浦地区の干拓地。津波により破壊された民家の横にモニタリングポストが立つ(0,155マイクロシーベルト/毎時)。 |
全体表示
-
詳細
コメント(0)
|
重苦しい時代になりつつある。
昨年末の総選挙は予め判っていたことではあるが、安倍政権、自民党の大勝で終わった。
民主党をはじめとする野党の選挙態勢が整わぬうちに、という安倍政権の姑息な延命策が効を奏したということだろう。
国民はアベノミクスというまやかしに騙され、景気がよくなると期待して、安倍政権を支持したのだろう。それも、また民意であることは認めねばならない。
しかし、国民の6割以上が、原発への不安を覚え、脱原発を望んでいるという民意には、安倍政権はまったく耳を傾けることもなく、ひたすら原発の再稼働への道を強引に推し進めている。
そればかりではない。安倍政権は国会の審議も疎かに、閣議決定という姑息な手段で、解釈改憲を行い、日本を戦争が出来る国にしようとしている。
この日本は、いったい、どこへ行こうとしているのか?
日本国民は、どうして、放射能汚染水の垂れ流しや核廃棄物の処分場がないという現実から目を背け、経済が上向きになり、景気さえよくなればいい、という無責任で利己的なエコノミックアニマルになり下がったのだろうか、とため息が出る。
日本人は昔からエコノミックアニマルだったといわれれば、その通りだが、少なくとも戦争や武力紛争よりも、経済活動には平和がいいという思いは抱いていたはずだった。それが、なにはともあれ、平和憲法を遵守するという民意にもなっていたと思う。
敗戦後70年間、日本はまがりなりにも平和でいられたのは、日本人が政治や軍事よりも、経済優先主義を貫いていたからだ。
アベノミクスの危険性は、そうした日本人の経済優先主義の気分をくすぐり、景気がよくなるよ、というアメをちらつかせて、国民の支持を集めつつ、他方で、その支持をいいことに、平和憲法を蔑ろにして、戦争が出来る国へ舵を切るというムチを振るところにある。
アベノミクスのまやかしについては、近代経済学者の伊東光晴さんの著書『アベノミクス批判』(岩波書店)に尽きる。ぜひ、お読みください。
いずれ、伊東さんが指摘するように、アベノミクスは破綻する。その時、日本国民は経済的にだけでなく、政治的にも手痛いしっぺ返しを受けることだろう。
ところで、著書の中で、伊東さんは、安倍総理が本当に目論んでいるのは、アベノミクスの隠された第4の矢、「戦後レジーム (戦後体制)からの脱却」だとしている。安倍総理は、政治家にとって命よりも大事な言葉を蔑ろにし、いろいろ言を弄しては、「戦前社会を志向」しているというのだ。
私は、伊東さんのこの指摘に概ね賛成ではあるが、「戦前社会を志向している」といっても、いまさら旧い「戦前社会」軍国日本に戻ることなどできることではない。
安倍総理の思惑は、欧米諸国と肩を並べる「大国」日本の復権であり、そのためには、戦争を禁じた現憲法を改め、戦争が出来る国家に改変すること、それにより、国際社会に発言力を持つ日本の復活に違いない。
国際的に発言力のある「大国」の条件とは何か?
それは日本の核武装化にほかならない。
平和憲法が現存するいまは、日本の核武装などもってのほかだが、着々とその布石は打たれている。
その道は、「原子力の平和利用」を名目に掲げた「原発社会化」だ。
「原発社会」とは、核エネルギーをベースのエネルギーとした社会である。
「原発社会」は、どのような社会なのか?
それを考える時、私は、いまから30年以上前に読んだロベルト・ユンク著『原子力帝国』を思い出す。
ユンクはその書で原子力開発が国家や社会をいかに変貌させるのか、その危険性を訴えていた。
国家は、原子力開発(核開発)を行なうにあたって、核技術を国家秘密とし、その拡散を防ごうとし、その保護と管理を徹底するようになる。
核開発は、核兵器の開発が主であり、核エネルギーの平和的利用とされる原発は、ほんのおこぼれでしかない。
火力発電や水力発電、そのほか再生可能エネルギーの開発の技術は、兵器への転用ができないから、秘密にする必要がまったくない。
そうした非核エネルギーは、いずれも核と違って、止めたい時に、いつでも止められ、人間のコントロール下にある。
原発は人間のコントロールが難しく、濃縮ウランや原発から産み出された核廃棄物プルトニウムは原爆の材料にしかならない。
だから、アメリカをはじめとする核保有国は、北朝鮮やイランの核開発に神経を尖らせているのだ。
国家は核開発や核技術を秘密として国民から隠すようになるだけでなく、国民が原子力開発に反対しないように、普段から国民を監視し、マスコミを統制し、世論をコントロールする。
そうした結果、民主主義は、いつの間にか、息苦しい不自由な全体主義に変質してしまう。たしか、ユンクはそう指摘していたと思う。
ユンクがいう「原子力帝国」こそが、まさしく「原発社会」なのだ。
いま日本には、特定秘密保護法なる「国家秘密法」が制定施行された。これから、国民監視が一層厳しくなり、マスコミも自由な報道ができなくなるに違いない。
いまや日本は、ユンクのいう「原子力帝国」、原発社会になっているといっていい。
脱原発社会をめざす私たちの発言や国民の反原発運動もすでに監視されている。
これからは、マスコミやテレビから、反原発の発言をする人が締め出されていくだろう。
すでに、NHKをはじめとする報道機関は原発事故報道や反原発運動の報道を萎縮しはじめている。
その一方で、政府与党は、しゃにむに「憲法九条」の改定を急ぎ、それが難しいと見ると、閣議決定という荒業で強引に解釈改憲して、日本を戦争が出来る国にするだろう。すでに、憲法で禁じている集団的自衛権も行使できるように着々と進められている。
私が今後を予想するに、安倍総理をはじめとする自民党タカ派は、さらに戦争が出来る国にする布石として、いずれ「徴兵制」を出してくると見ている。
現在の自衛隊は総兵力25万人台で、兵力が300万人の中国軍や100万人北朝鮮軍、50万人の韓国軍と比べて、あまりにも少ない。
自衛隊の現況は、空自や海自はともかく、陸上自衛隊では部隊定員割れさえ起こっている。いざという有事に戦える戦力とはとてもいえない。
将来に備えるとしたら、若者を召集する徴兵制が不可欠になる。
さすがに「徴兵制」ともなると、日本国民も戦前社会の軍国日本へのアレルギーがまだあるだろうから、反対するに違いない。
だが、それはタカ派も読んだうえでの施策だと見ている。
どういうことか?
もし、国民がどうしても徴兵制を嫌だというのなら、それに代わる現実的な防衛策は核武装しかない、という究極の二者択一を言い出すのではないか。
すでに日本列島には、これまでに54基の原発が産み出した核廃棄物のプルトニウムが何十トンもあり、すぐに核兵器に転用できる態勢にある。
捨て場のない核廃棄物を核兵器に転用できれば、核廃棄物処理の一方策になり、一石二鳥ではないか、というわけである。
徴兵制を梃子にして、日本を核武装させる。これが、タカ派の本当の究極の狙いであるだろう。
おおむね、日本の情況は、戦争が出来る国になるところから、核武装化に一歩一歩進んでいるといわざるを得ない。
「脱原発社会をめざす」とは、そうした「原子力帝国」といった超管理全体主義的社会に日本を踏み出させない、日本を核武装への道へ進ませないということでもある。
そのためには、核エネルギーを基盤にした社会でなく、再生可能エネルギーや自然エネルギー、あるいは、水素エネルギーなどを基軸としたエネルギーへの転換を図る社会にしなければならない。
福島原発事故独立検証委員会の委員長だった北澤宏一さん(前科学技術振興機構理事長)の試算によると、日本政府が地球温暖化を防ぐために、原発に遣う4、5兆円を止めて、毎年五兆円を再生可能エネルギーや自然エネルギーの開発に投資すれば、日本は原発依存のエネルギー社会から脱することができるとともに、日本経済は活性化し、新たな経済発展をする、としていた。
北澤さんの科学者としての提言は、貴重である。
電力会社や原発維持を望む官僚たちは、再生可能エネルギーへの転換を望まず、ありとあらゆる汚い手を使って、阻止しようと乗り出して来ている。
私たちは、そうした復活した〝原子力ムラ〟の陰謀を見破り、着実に脱原発社会をめざしていく必要があるだろう。
今回の総選挙は、野党が敗北したが、それでも、まったく希望はなくなったわけではない。
「3・11福島原発災」を目のあたりにした国民の大半は、原発に対して、いまだ不安を抱き、脱原発への思いを捨てないでいるということを、私は信じたい。
|
|
師走の選挙が終わって二月余りが過ぎた。
師走、というのはよく出来た言葉で、なるほどセンセ稼業は忙しい。各学校の学期末ではあるし、お医者さまのところにも年末年始のまえの「駆け込み患者」が殺到する。インフルエンザも流行っているし……物書きにしたって「年末進行」で締切りが早く、大変だったんだぜ(もっとも、こちとら結局は間に合わず、元日から三が日のあいだ中、仕事をしていたのだけれど)。
わたくしの場合は、もう一つ。「忠臣蔵」の討ち入りの日を控え、吉良方の応援団でもありますので、あちこちのテレビ局を飛びまわり、昨年は名古屋日帰りなんてことまでやりました。
そんなときに、代議士センセまで走らせた御仁がいる。
おいおい、この忙しいのに、よせよ。あいむソーリくらい言って欲しいぜよ。先んずれば人を制す? 孫子の兵法?
ともあれ、無駄な選挙をやって、各党の当選者数は選挙まえとさほどに変わっていないのに、マスコミは「J党圧勝」だとよ。それを良いことに(というより、これが狙いか)「特定秘密保護法」「集団的自衛権」、さらには「原発再稼働」まで、本気でやりだそうとしている。
フクシマで核災に遭った十二万もの方々が三・一一から四年近くたつ今も、ご自分のお宅に戻れないでいるというのに、何ということだろう。
こういうのを、破廉恥と言うのではないのか。
とにかく、なし崩しというのが、いちばん怖い。
年が明けてからは、フランス各地でのテロ騒ぎにつづき、日本人までが人質に取られて殺されるなど、血なまぐさく、きな臭い事件が起こった。
これすらもしかし、逆手に取られてしまいかねないのが、今の日本の現状だ。だから派兵する、だから再稼働する、だから文句を言うな。とね。
いつのまにか、わたくしたちの国がヤバくてコワイ国になり、だれも何も言えなくなって……そこへさらにヤバいことに、桜島が爆発、川内原発直撃。ついで富士山が爆発、浜岡原発直撃だなんてことになったら、もう終わり。お仕舞いですぞ。
東京オリンピック、どころの話ではないはず。
ふーむ。そう考えると、さきの師走の選挙は「終わりの始まり」だったのでしょうか。
|
|
某月某日。
日本文藝家協会の事務局会議室で「脱原発をめざす文学者の会」の幹事会が行われた。この席では、会の方向性などをめぐって、加賀乙彦さんと森詠さんが激論を戦わせた。僕を含めて、ほかの幹事は口を挟めないような空気になって、なりゆきを見守っていた。すると、だんだん議論が落ち着いてゆき、やがて両先輩は互いに笑顔で握手を交わした。僕はお二人の姿に大いに感心した。そして、この会は長続きするな、と思った。
脱原発をめざす、ということそのものが、かなりハードな実質を伴っているので、議論は熱くなりがちである。意見の違いから気持ちがもつれて、感情的なしこりが残っても不思議ではない。しかし加賀さんと森さんは、議論は議論として戦わせ、そのうえで長年の親密な友情を保つ態度を見せた。それが会の運営や目的とどう関係があるのか、と言われるかもしれないが、どのような組織もそれを構成するのは人間だ。どれだけ崇高な目的を掲げていても、その中にいる人々がぎすぎすして仲違いを繰り返していれば、いつか組織は壊れ、目的も遂げられないことになる。だから、組織に属する人々が良好な人間関係を保つことは、その組織の運営ばかりか、目的が遂げられるかどうかにも関わってくるのだ。
僕は、こういう先輩たちのいることが頼もしかったし、会の未来にも希望を持つことができた。
で、話題は2部に移る。この席では、1部と違って、くつろいだ雰囲気の中で、深い話ができる、と会報の2号で書いた。この日もそうだった。特に、新しい人が加わったのでよけいに話が弾んだ。それはフリーの女性編集者で、前日、福島を訪ねて、原発事故の現場を見たので、「心が迷子になった」と言う。原発はいけないと思うが、どうすれば脱原発ができるのか分からず、誰かと話したくて仕方がなかったらしい。彼女は、穏やかな口調だったが、言葉には激しい体験をしたあとの熱がまだ残っていた。僕は話を聴きながら、こういう人をメンバーに加えたいものだと思った。すると、ほかの幹事たちも同じ気持ちだったようで、ある人が、一緒にやりましょうよ、と声を掛け、「私でもメンバーになれるんですか?」「大丈夫。我々の会は、圧倒的に男性の方が多いので歓迎します」「それじゃ……」という進み行きになった。
今後は、もっと女性の視点から、脱原発について語られることが増えるようになるだろう。それは会にとっても、好ましいことだ。
さて、2部では、ほかにも、マス・メディアでは見聞できない貴重な話を聴くことができた。それを知りたい人は、ぜひ、2部に参加を。特に、女性は歓迎します。
ところで、この2部では、加賀さんと森さんは、いつも通り兄弟のようだった。やっぱり、いい先輩たちだ。
|
|
脱原発をめざす文学者の会というと、いかめしい印象がある。実際、何をやっているのだろうと思われる人も多いだろう。具体的には、いつも集まると「話」をしている。だいたいある日の夕刻に幹事と呼ばれる人々が集って来て、これからの活動について打ち合わせる。この1部が1時間ぐらいで、その後が馴染みの酒場に席を移して2部が始まる(基本的に誰でも参加できる)。そして、会の集まりでおもしろいのは、個人的には2部である。ここでは酒とおいしい肴が出るせいか、中身の濃い「話」が聴ける。中でも僕が楽しみにしているのは、加賀乙彦さんの「話」だ。
加賀さんは、会の長老格で、これまでにも活動の核になるような発言をされてきた。会の立ち上げ当初、「脱原発文学賞をつくりましょう」と、会の性格を決めるようなこともおっしゃった。また、ぽつりと「こんな狭い国に原発は要りません。なくても日本はやっていけます」ともいわれた。
このあいだの2部では、「話」の流れもあって、加賀さんは熱弁をふるわれた。実は、僕はアルコールがだめなので、おいしい肴をつまみながら、その場の「記憶係」として、みなの「話」を聴いている。僕の記憶だけに留めておくのはもったいないと思われる「話」を紹介したい。
加賀さんは、「文学は、本来、一番弱い者、苦しんでいる者の側にあって、彼らに寄り添って書かれなければならない」とおっしゃった。「いま福島の人々は、大きな苦しみを受けている。だから、文学はこれを書くべきです。
脱原発というと、難しく聴こえるが、そうではない。原発で儲ける者と、そうでない者がいるだけで、文学はこれをきちんと描き分けることが重要なんです。マルクスの資本論は生きている。原発に人が群がる理由が、きちんと書かれている」
これまでの仕事を回想して、こんな話もされた。
「僕は、死刑廃止の小説を書くのに十年間、いろいろと調べた。その結論は単純なものだった。人が人を殺してはいけない、ということですよ。脱原発も同じことだと思う。きちんと調べるのには何年かかかるだろうが、結論はマネーよりも人の命のほうが大切だ、ということになるでしょう。
脱原発社会とは、みなが相互に信頼し合って生きることのできる社会ですよ」
加賀さんは、好物の赤ワインを召し上がりながら、そういうことを話された。また、いま4000枚の長篇を書いている。医師から、余命はあと4、5年と宣告されたので、5年にしてくれ、と頼んだら、努力するといわれた。長篇は生きているうちには完成しないだろから、編集者と家族宛てに、未完で終わった場合の指示をしてある、というようなことも述べられた。
脱原発の話とともに、文学者としての覚悟を教えられた気がして、帰りがけ、今日のお話は心に残りました、仕事の糧になります、といったら、加賀さんは、僕の肩に軽くグーパンチを見舞って、「マルクスを読みなさいよ」といわれた。資本論は若い頃に読んだが、今度、加賀さんと会う時までに、再読するつもりでいる。
脱原発をめざす文学者の会は、こんなふうに行われている。ぜひ、一度、参加してみてください。まずは、2部からね。
|



