ここから本文です
脱原発社会をめざす文学者の会
原発事故を風化させないために

書庫全体表示

記事検索
検索
 東京電力は8日、福島第1原発で原子炉建屋に流れ込む前に地下水をくみ上げる作業を9日に始めると発表した。くみ上げた水は5月にも海へ放出する。
 東電によると、数日かけて数百トンをくみ上げ、タンクに一時貯留。放射性物質がどの程度含まれているかを東電と第三者機関が約1カ月かけて調べる。国の規制を大幅に下回る自主目標値に達していないことを確認できれば、漁協などに説明して放出する。
 福島第1原発では現在、山側から地下水が1日に約400トンずつ建屋に流れ込み、核燃料などに触れて汚染水となり増え続けている。

日本経済新聞より引用
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08040_Y4A400C1CR8000/
2  山津見の神さま

  •  飯舘村の村人たちの心の拠り所となっているのは、山津見神社である。佐須地区にある。氏子の数は六十戸。これが春と秋の大祭の時には、参道から境内の駐車場まで車が数珠つなぎになったという。二、三万人が参拝に訪れるというから、神社の規模のわりには、とても信仰者の数が多い。禰宜さんに話をうかがうと、もともと講を組んで、遠くは北海道や青森、宮城、山形から、近くは福島県一帯から祈祷客 が来るのだという。山車や特別のイベントがある祭りがあるわけでもないのに、ただ祈祷だけを目的にそれだけの崇拝者が集まるのである。
  •  祭神は大山津見の神で、眷属の白狼が狛犬の代わりに門前を守っている。拝殿の天井には、狼の絵が百数十点も描かれていたのだが、惜しくも焼失してしまった。神社の宮 司さん一家も例外なく避難し、無人となった神社を守るために宮司夫人が拝殿に寝泊まりしていたのだが、何らかの失火があって、拝殿は焼失、宮司夫人も行方不明になった(焼死体として発見された)のである。全村避難しているなかで、消火活動のすべもなく、拝殿は全焼、周囲の大杉も表面が焼け焦げ、大きな炭の 柱ようになって立っていた。虎捕山と呼ばれる山が山火事とならなかったのは、この数本が杉が後背の森への延焼を防いだからという。


  • イメージ 1
  •                 山津見神社拝殿跡

  •  若い禰宜さんは、国有林である虎捕山が山火事にならなくて本当によかったという。神社の境内の杉が焦げただけで治まったのは僥倖で、国有林を焼いたら、ものすごいペナルティーを営林署から科せられるのだという。国策による原発事故の放射能汚染については、神社にはまったく国からの保障も補償もないのに、にである。参拝客が激減したことも、拝殿が火事になり、ろくな消火活動ができなかったのも、もとはいえば、放射能汚染による原発事故のせいだ。しかし、東京電力も、国も、為政者たちも、一度として謝罪や説明や慰労に訪れたことはない。天罰や神罰があたるべきは、彼らであるはずなのたが。
  •  飯舘村は、福島第一原発から30〜40キロメートル以上離れており、原発立地とされておらず、これまでに原発マネーで潤ったことはない。双葉町や大熊町、浪江町などが、いわゆる電源三法や核燃料税や交付金、電力会社からの寄付金によって自治体財政がかなりの程度賄われていたのとはまったく異なっていた(といって、原発立地の自治体が、原発事故の被害を甘受しなければならないといっているわけではない)。つまり、まったく原発によるメリットを受けたことのない村が、全村民避難というリスクとデメリットだけを背負わされたのだ。補償も賠償もいいから、元の村に戻してくれという要求は、決して理不尽なものではない。
  •  特に、そこで生きてきて、そこで死にたいというお年寄りたちの願いは切実であり、東電や国(行政)は、あたうる限り、そうした村民一人一人の要望に丁寧に寄り添いながら、その要求、要望に応えることが、まず第一のやり方ではないのか。しかし、現実はこれとはまったく逆だ。全村避難を強制し、今度は〝安全が確保された〟として、全村帰還を計画する。原発事故などまったくなかったかのように。確かに、緑の山々、家並み、村の風景はほとんど変わっていない。牛舎には牛はなく、田畑には作物は見当たらないが、道路、神社、村役場、学校、公園は昔のままに佇んでいる。放射能は目に見えず、耳に聞こえず、鼻で嗅ぎ分けることも、皮膚で痛みや痒みを感じることもできない。計測器がピーピーと鳴り、その存在が知れるだけだ。


  • イメージ 2

  •  私は飯舘村のあちこちに放射能測定器が設置され、そこに個人名が記されていることを不審に思った。東大研究室の誰それとか、何とか研究所の某といった具合だ。それは個人があくまでも自分の研究のためのデーターを集めているものなのだ。村役場の前の計測器は、個人が寄贈したもので、0・何マイクロシーベルトの大気中の放射線量を示していたが、これらは個人、民間による計測であって、国や東電、自治体による計測器やモニタリング・ポストは、個々の村人に寄り添っての計測ではないのだ。
  •  私は「ふくしま再生の会」のボランティアの人たちといっしょに、村役場近くの個人住宅の放線量計測の現場にいってみた。住宅の外部の四囲の測定、そして住宅内の各部屋ごとの詳細な測定。それを図面化し、除染効果の度合いなどを定時的に観測することによって数字化しようとするものだ。これは、あくまでもボランティアの活動であって、行政の側はむしろ邪魔にしても、協力しようとはしないのである。
  •  個人住宅だから、もちろん住宅所有者の承諾が要る。立会も必要だ。その日、計測を行った家は、夫婦と息子夫婦、孫とのいっしょの生活をしていたが、三・一一以降、老夫婦は近隣の町に避難し、息子夫婦は遠くに避難して、新しい職を得て生活しているという。「あれ以来、子どもや孫たちは、この家には一度も帰って来ていません。この前のお彼岸に、一回だけお墓参りをした のですが、この家には立ち寄らずに帰りました。孫が小さいので、もうここでは暮らさないといっています」と、その家の主婦は私に話してくれた。そして、少し悲しそうに、「息子は孫たちにおばあちゃんの車には乗るな、といっています。避難所からここまで何度も私の車で往復しているので、放射能に汚染されてい るといっているのです」と。
  •  孫たちが帰って来てくれない家、乗ってくれない車。家のなかは、防虫のナフタリンと、鼠捕りシートが敷き詰められていて、まさに足の踏み場もない。帰れるようになっても、たぶん老夫婦以外に、この家に戻ってくる家族はいないだろう。丹精した庭や植木や菜園も、〝復興〟することはありえないのである。
  •  行政は、一般的な除染が終わり、モニタリング・ポストの数量が下がったから(20ミリシーベルト以下になったから)と帰還を促している(一部では補助金、生活支援金打ち切りを示して、ほとんど強制している)。そのくせ、生活現場である住宅周辺、住宅内部については、管轄外として放射線量の測定を行っていないのだ(誰が管轄を決めた?)。住宅に戻ることだけではない。お墓参りや神社詣りができない村での生活は、 生活ではない。子どもたちが安心して学校に通い、山菜摘みや、川や池での肴釣りや、お祭りや盆踊りなどの行事がなくては、それは「生活」とはいえないのである。行政は、それらのすべてを保証しなければならない。少なくとも、そうした住民、村民の要望に寄り添って、原発事故からの復興を目指すべきなのに、〝美しい国〟を目指すなどというデタラメと虚偽の言葉しか口にしない安倍晋三政権は、真逆の政策しか取っていない。建築会社に丸投げして設計、建築した避難住宅や仮設住宅に、難民キャンプばりの不便で不自由な「生活」を強いているだけなのである。
1  喜作さんの花園

 北の斜面にはまだ雪が残っていた。「あそこ、杉が三本並んでいるところの右の斜面、あのあたりがカタクリのはなで紫色に染まります」。喜作(仮名)のタラの木畑の真ん中で、彼が指差す方向を見た。小さな池と農道の向こう側の山の斜面には、何十年ぶりかの大雪の名残が残っている。蕗の薹が出て、水仙の花がもうじき出てくる。桜も咲く。そうすると、ここいらあたりは、花でいっぱいになる。春、夏、秋と、色とりどりの花が、喜作さんの丹精する畑や野や山で咲き誇るのである。
しかし、花造り農家の 喜作さんの花は、誰にも売れないし、見に来る人もいない。飯舘村の喜作さんの家も畑も、三・一一の福島第一原発の事故以降、避難解除準備区域にあって、昼 間だけ立ち入ることができても、宿泊ができない地域にあるからで、農作物はもちろん、花卉や畜産物、キノコ、ゼンマイ、ワラビ、フキなどの山菜も、一切、 栽培も出荷も食用もできないのである。

イメージ 1



 喜作さんと高齢の母親の二人は、三・一一以降、放射能からの避難を迫られて、他の地域の避難所に入った。 しかし、90数歳の母親の避難所での生活は無理で、昼間の立入りが認められるようになったら、すぐに家に戻ってきたのである。住宅の周りや畑は除染され て、何とか住める状態にはなっている。避難所生活はこりごりだ。出荷のあても、売れるあてもなくても、畑や池で、水仙やアヤメの花作り農家をしていたほう がいい。タラの芽を採っていたタラの木の林は、切り取って桜の林にしてしまおう。喜作さんの花畑として、観光花園に変えようというのが、ボランティアの 「ふくしま再生の会」のメンバーたちと相談して決めた、今後の喜作さんの進む農業の道なのである。
もともと、限界集落に近い喜作さんの住む土地 だから、生活インフラに乏しいことには慣れている。電気と水道さえ回復すれば、近くにスーパーや病院や役場などがなくても、これまでも十分に生活してい た。避難所や仮設住宅の暮らしで、〝都市〟の生活の便利さを初めて味わったという避難住民もいたという。レストランや居酒屋、娯楽施設のパチンコ屋やカラ オケ・バーなど、飯舘村ではそんな都会的な暮らしとは無縁だったのである。
喜作さんの家は、山の奥の一軒家だ。お父さんの代までは炭焼きをしていたが、その炭焼き小屋も先月の大雪で潰れた。限界集落が極限集落となっても、それだからこそ、喜作さん親子の住み続ける意味があるのである。
三・一一以降、飯舘村は、三区分に区画された。放射能の線量の高い帰還困難区域(推定年間50ミリシーベルト以上)、居住制限区域(年間20〜50ミリ シーベルト)には、まだ旧住民といえども立入は禁止である。福島第一原発から最も遠い、前田地区などは避難解除準備区域(20ミリシーベルト以下)で、昼 間には村人たちがぽつぽつと戻っている。しかし、夜間には仮設住宅のある二本松や飯野などの近隣の市町村へ戻らなければならない。だから、喜作さんの〝居 住〟は本当はご法度なのだが、行政も見て見ぬふりをしているのだ。避難地でストレスで命を縮めるのと、高線量ながら、国が避難命令を解除して、帰村を促そ うとしている地区に先乗りして帰るのと、どちらが健康的であるのかは自明だろう。
除染して、空間放射線量が、年間20ミリシーベルト以下になれ ば、村人の全員帰還を促すというのが国(行政)の方針だった。元の家に帰れば、一人に一月10万円を支払っている精神的慰謝料が一年間で打ち切りになる。 保障金、賠償金を一円でもケチりたい国にとっては、実質的な健康被害がどうあろうとも、年間20ミリシーベルトのところで線を引いて、元の家に戻したいの が本音だ。これに、故郷へ戻りたいという、当然の村人たちの欲求があいまって、帰村のキャンペーンが行われているのだけれど、これには少し立ち止まって考 えてみる必要がある。
国や村の行政が現在熱心に行っているのは、「リスクコミュニケーション」だ。略してリスコミと蔑称されている。なぜなら、それは放射能の健康リスクを限りなく低く見積もろうという「安全・安心神話」の再来だからである。東大附属病院の中川恵一という札付きの御用学者たちが、村人を集めた集会や講演会で、100ミリシーベルト以下の放射線量なら、健康に影響はないとして、低量放射能のリスクを否定している。例によって、宇宙からの放射線や、酒やタバコ、ストレスなどのリスクのほうが高いなどという欺瞞と虚偽をまき散らしている。復興庁や環境省がそれに悪乗りして打ち出したの が、生活環境として、年間20ミリシーベルトまでの〝許容量〟だ。
放射線量が、年間20ミリシーベルトまでの被曝なら生活は可能だという科学的、医学的根拠はない。世界水準や、三・一一までの国内の基準は、1ミリシーベルトであって、チェルノブイリの事故以降、ウクライナでは年間20ミリシーベルト以上の地域は避難対象の地域である。日本人は、ウクライナ人に較べて、放射能に強い体質を持っているのか?  種明かしは簡単で、どんなに除染しても、年間1ミリシーベルトに押さえられる地域は、飯舘村にはないからだ。1ミリシーベルトに下げるのは無理だから、非常時の許容量の20ミリシーベルトで手を打たねばならないということなのだ。ただ、そんな本音は吐けないから、福島医大の学者やら、放射研の権威やら、 IAEAの学者、研究者やらを総動員して、安全・安心のプロパガンダを行っている。鉄面皮な御用学者ばかりである(長崎大の山下俊一や、福島医大の宮崎真 などだ)。

イメージ 2



 実際、私が三月末に飯舘村を訪れて、屋外に四、五時間ほど居ただけで、積算被曝量は6マイクロシーベルトである。一年間に農作業など屋外で仕事をする日を三百日とすれば、それだけで1・8ミリシーベルトで、1ミリシーベルトを上回ってしまう。飯舘村には、除染が完了してももっと高い線量の地域はいくらでもあり、食糧や水の摂取による内部被曝を考えると、どうしても世界の許容基準(年間1ミリシーベルト)をクリアすることは無理なのであ る。
除染作業もいい加減である。何億円どころか何兆円ものお金を使って、ゼネコンを肥太らせているのが、現在の復興庁や環境省(政治家として力も知恵もない石原伸晃が担当大臣だ)が行っている除染の現状である。飯舘村の村役場前に、除染の作業員の送り迎えする大型バスが駐車している。道路を行き交う車も、ほとんどが除染のための作業車だ。大成・東急のジョイント・ベンチャーの名前が、車体に麗々しく書かれている。道路、公園、公共施設などの除染が優先され、ようやく住宅地の除染が始まった。しかし、三年が経った今でも、除染すべき地域の15パーセントも除染が進んでいない。これで〝避難解除〟を今年中に行おうというのだから、一体何のための除染で、何のために莫大な金額を注ぎ込んでいるのか、わけがわからない。
そもそも環境省と除染作 業を請け負っている企業体との間には、除染して何マイクロシーベルトにするという結果値も、目標値も設定されていないという。草を刈り、枝を払い、屋根の瓦を洗い、壁を洗浄し、側溝を洗い流しても、何マイクロシーベルトにまで下げるという基準値がないのだから、ただアリバイ的に作業をするだけということになりがちである。畑の表土を5センチほどはぎ取っても、それをビニール袋に入れて、近くに野積み、山積みにしているのだから、除染効果ははほとんど無きに 等しいのだ。それに、山林は除染しない。一般的な個人住宅は、屋内の汚染に関しては、除染どころか計測もしないという徹底的な〝プライベート保護(?)〟の姿勢で、実際に住む居住空間の放射線量を知らずに(知らせずに)帰還を促すというのは、人体実験に等しく、まったく呆れ果てた、非人道的な〝棄民政策〟 である。

<福島第1原発>タンク囲むせき、雨水があふれる
(毎日新聞)

東京電力福島第一原発で強い雨で影響。
三つの移送先タンクのうち二つで、放射性セシウム137の濃度が1リットル当たり30ベクレル、39ベクレルで基準値(同25ベクレル)を超えた。
さて、この汚染水、とこへ行くのか。

詳しくは下のリンクへ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140404-00000033-mai-sctch

また、チリで大地震

これから福島第一原発事故関係、その他の原発、そして事故につながりかねないニュースをピックアップしてみます。

まずは、起きたばかりのチリ地震。津波が来襲する恐れもあるという。
1960年地震、三陸で津波被害が起きた過去もある。
脱原発文学者の会
脱原発文学者の会
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事