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〈福島、被災地を撮ったドキュメンタリー映画〉
タイトル 映画&講演 「故郷は原発被災地」 日時 8月2日(14:00〜16:00) 場所 田無公民館 視聴覚室 (西東京市南町5−6−11) 参加費 200円 主催 西東京 風の会(代表 小林 力) 問い合わせ TEL・FAX 042−424−0445 後援 タウン通信 内容 ① 上映会 『原発被災地になった故郷への旅』(記録映画・30分) 監督 杉田このみ 出演 志賀 泉 ② 講演会 南相馬市小高区(旧警戒区域)出身作家・志賀泉が「内側からの視点」で原発と被災地を語る。 プロフィール 志賀 泉 1960年福島県南相馬市小高区(旧小高町)生まれ。福島第一原発に近い双葉高校出身。2004年『指の音楽』で太宰治賞受賞。神奈川県在住。 杉田このみ 1979年愛媛県松山市生まれ。2000年より地方と人との関わりをテーマとした映画を自主制作する。現在は愛媛県の離島を舞台にアートプロジェクト『今日、この島に私がいます』を制作している。 |
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2014年07月24日
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飯舘村は何を失ったのか?
川村湊 福島県飯舘村は、放射能被災の村として知られている。二〇一一年三月十一日、高原の山村に突然、放射能雲が流れ込み、山林や田畑、牧場や農家や村役場など、まどろむような田園の村を、三十キロ以上も離れた福島第一原子力発電所から発散された放射性物質の放射線が汚染したのである。村には、原発立地の近隣の市町村から、避難民が続々と押し寄せてきた。浪江町、南相馬市小高地区、着のみ着のままのそれらの人々に、飯舘村の人々は、温かい汁やおにぎりを提供した。放射線が降り注ぐ外気を吸い、汚染された雨に打たれて。もちろん、避難民を助けるより、まず自分たちが避難すべきであったことを、まったく考えにも及ばずに。 避難が指示された。田畑の耕作の準備もしないままに、牛舎に牛を残したままに、豚も鶏も犬も猫も、憎らしいが憎めきれない鼠たちを残して、自分たちのためのおにぎりも持たずに、村人たちは全員、家、村から離れなければならなかったのである。天明の時代に、凶作の飢饉によって、田畑や家屋敷から逃散しなければならなかった時のように。 村には、逃散、離村の歴史の記憶があった。新開の山田もあれば、牧畜業の開拓もあった。歴史と伝統と思い出があった。それは、日本の山の村のどこにでも共通するような歴史であると同時に、飯舘村の独自の、かけがえのない伝承であり、風俗でもあり、風土を作り出してきた時間の堆積でもあったのである。 原発立地でもないのに、原発事故の災厄だけを引き受けなければならなかった不運な村。しかし、それを自分たちの頭の上に降りかかってきた不運や不幸なことだけとして甘んじるわけ(耐えるだけ)にはゆかない。それをまた、村の歴史の一部として、解決し、乗り越え、伝えてゆかなければいけないのである。 三・一一以前には、村はどうであったのか。なくなったもの、失われたものは何であったのか。それはどのように回復されるべきか、あるいは諦めるべきなのか。復興するためには、何が復興されなければならないのかという問が必要だ。そして決定的に失われたものを数え直し、新たにもたらされなければならなものを要求することが(誰に? もちろん、憎むべき事故を起こした者たちに)。 村の大部分を占める山林は、緑濃く繁っている。平年と変わらぬ緑の山の風景だ。だが、決定的に変わったことがある。生きものの気配がほとんどないことだ。もちろん、猪や兎や山鳥たちはいるはずだ。しかし、彼らはひっそりと気配を殺して、姿を見せない。彼らを追う人々の影がなくなったのだから、もっと村里や田畑や牧場にも下りてきてもいいのに。山の神は、どこに行ったのか。どこに、姿を隠しているのか。 山は死んでしまったのだろうか、村も同様に? 飯舘村の歴史を復元し、村の姿を昔のままに思い起こすこと。それが復興や再生につながることを信じて。 |
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原発VS言葉
村上政彦 子供の頃、行きつけの銭湯に原発を宣伝するポスターがあった。そこには「原発から生じる放射線は、自然由来の放射線よりも低く、安全です」というようなことがしるしてあった。僕は、子供心にも、この論法に違和感を覚えた。 その後、チェルノブイリの事故が起きて、原発が極めて危険な存在であると分かった。この時、僕は子供の頃に原発を宣伝するポスターを見て覚えた違和感の正体に気づいた。それは原発が凄まじい破壊力を持つ核兵器のきょうだいであって、それを「安全」ということのまやかしからくるものだった。そして、この国に随分な数の原発があることを知って驚いた。 なぜ、日本に原発が増えたのか。それはヒロシマ・ナガサキの核の惨禍に遡る。あの惨禍を目撃して、日本の「政治」は、核の力を怖れるのと同時に憧れを抱いた。そして核兵器を欲した。核兵器による惨禍を目撃した時の、生物としてのまっとうな反応は、核兵器の廃絶に向かうことだろう。逆に、それを欲するところに「政治」のいびつさがある。 しかし日本が核武装をすることはアメリカばかりか、国際社会が許さない。そこで核兵器の潜在的な開発力を担保しておくために原発を導入した。この「政治」の思惑は、やがて「経済」の思惑と結びついて、だんだんと原発は増えていった――これが一般的に知られている、この国に原発が増えていった経緯である。 率直に告白する。僕はたかをくくっていた。チェルノブイリの事故が起きた後も、日本で同じような出来事は起きないだろうと、どこかで楽観していた。しかしフクシマでの事故は起きた。「政治」と「経済」の思惑が、この国を深く傷つけるのを許してしまった。僕は、みずからの鈍感を悔いると共に、何かやらなければならないと感じた。 いま僕等は選択を迫られている。原発の問題は帰するところ、実存の問題だ。この国の人間が、何を至高の価値として生きるのか。これまで至高の価値は、国家であり、マネーだった。それを転換しなければならない。 脱原発をめざす文学者の会がやろうとしていることは、原発VS言葉と表現できる。言葉は無力に思える。しかし原発は自然にできるわけではない。造るのは人間だ。原発を押し立てる「政治」と「経済」を担っているのも人間だ。言葉は、その人間の心を変えることができる。文学者には、文学者の闘い方があるのだ。 僕は言葉の力を信じる。言葉の力で、国家やマネーではなく、生命を至高の価値とする社会を築くことができると信じる。そうでなければ、文学者なんてやってらんねえよ! |
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すべての「仏たち」のために
岳真也 少年のころから私は山が好きだった。「岳」というペンネームも、それで付けた。山が好きで、自然が好き。自然を破壊するものは、何もかも嫌いで、ゴルフなどは絶対にしない。 「脱原発」はだから、私にとっては必然なのだ。あの三・一一の東日本大震災で福島第一原子力発電所が大事故を起こしたときも、「あーあ言わないこっちゃない」と本気で思った。何となれば、それより五年も前の二〇〇六年に刊行された物理学者・広瀬立成氏の著書『空海とアインシュタイン』のなかで、広瀬氏はすでに原発の「超」危険性を見通し、福島での惨事を予見している。 「放射性廃棄物は、標準的な原子炉において年間におよそ一トンとなるが、これは広島の原爆が放出した放射性物質の一千倍に相当する」 現在停止している日本の原発が全部稼働したならば、いったい、どういうことになるのか。 大震災、またそれに伴う原発事故のおりに日本の最高責任者(首相)だった菅直人氏は、たまたま広瀬氏と同じ東工大の出身だが、彼はあのとき五千万人、すなわち日本の人口の半分の避難を覚悟したらしい(二〇二〇年のオリンピック開催地、東京も含まれている)。 結果としては、そうまではならなかったものの、福島第一原発の近隣に住んでいらした方々の苦難の様は想像を絶する(それは今もつづいているのだ)。 すでにあちこちで書いたので、ここでは詳しくは語らないが、昨秋、他の「脱原発文学者の会」の面々とともに「避難区域」の浪江町、そして南相馬市の小高町をおとずれて、いっそう私はそのことを実感させられ、脱原発・反原発の思いを強くした。 さきに広瀬氏の本を紹介したのも、一つにはそのせいなのだが、私は現在「大法輪」誌に弘法大師空海関連のエッセイを連載している。空海の宗教・思想の骨子は「即身成仏」。これは人はだれしも、しかも今すぐに「仏」になれるということだ(と私は解釈している)が、空海の言うのは、じつは人間ばかりではない。 鳥獣虫魚、生きとし生けるものことごとく、それどころか、空や海や川、山にも、そこに転がる一欠片の石ころにさえも、仏性は宿っている。 何人にも、何物にも、それらを破壊する権利などない。 ひとり人間社会のためにだけではなく、この地球上のすべての「仏たち」のために、私は声高に叫びたい、ノーモア・ゲンパツと。 |


