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郡山城(県指定史跡)へちょっと、立ち寄ってみました。 近鉄郡山駅から徒歩で5分歩くと踏切を渡り直ぐに お城の石垣と内堀の池を眺め写真を撮らずには要られない。 いつも、先に進むのが遅くて第1現場?から15分位は時間が経ってしまう。 城跡には、梅林門、月見櫓、大手東隅櫓、多聞櫓が復元されています。 水面に映るお城の石垣 お堀には冬支度の木が立ち並びチョット寂しい風景 郡山のお城は日本さくら名所100選に選ばれた桜の名所で 4月に開催される「おしろまつり」には多くの花見客が訪れます。 柳澤神社 柳沢吉保を祀っています。 御利益は出世だそうですよ! 竹で作られた茶筅のような形が2つ用意されており おみくじがギッシリ結ばれていました。 わたしは今が良い時と思うので、おみくじは遠慮しておきました。(^^ゞ 因みにお茶を点てる茶筅は奈良の生駒が有名です。 ノンビリぶらりと歩いくのには良い散歩コースです。 郡山城(県指定史跡) 天正6〜7年(1578〜1579) 筒井順慶が縄張りを行い 同8年の一国一城令に基づき拡張し 同11年には天守閣も完成 13年には豊臣秀長が入封してさらに拡張 以下省略 関ヶ原戦後、長盛が改易され 大阪夏の陣以降、水野勝成がさらに 松平、本多が入封。 亨保9年(1724)以降幕末まで 徳川綱吉側近として活躍した柳澤吉保の息子、 柳澤吉里、歴代柳澤家の藩主は学柳澤十五万石の居城として栄えました。 現在、残る縄張りは秀長時代のものだそうです。 ノンビリぶらりと歩いくのには良い散歩コースで柳澤文庫資料館や 本丸天守台北面の石垣には有名な「逆さ地蔵」が並んでおり 特に石垣の隙間から見える「逆さ地蔵」が有名だそうです。 夕方になると 地元の方の犬の散歩もチラホラ見かけました。 紅葉も満開でしたが、もう良い時期は過ぎたようです。 郡山城は桜で有名なお城で 紅葉はあまりないだろうと思っていたのですが 城内は秋も紅葉でしっとり散歩ができ満足♪ ここは穴場です。 玄武郭跡 (市民会館) 追手門(梅林門) 復元 東隅櫓 最後に大和郡山の名物を紹介 本家菊屋さん 伝統を頑なに守り今に受け継がれている和菓子です。 秀長が作らせ、秀吉に献上したという伝統ある看板和菓子。 当時は「鴬餅」と名付けられいたようです。 奈良では有名なお話です。 場所は近鉄駅から徒歩約5分 郡山市役所の向かいにあります。 本家菊屋さんの他に暖簾分けした大阪「高麗橋菊屋」さんがあり
「御城之口餅」の商品があります。 |
奈良
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5月20日 撮影したバラです。 ☆晴天続きの3日目☆ バラの花も満開ですが後咲きのバラは蕾でした。 (現在は満開です。) バラの花を見ているとウットリしたり 心が踊ったりして楽しい一時を過ごしました。(^−^)V 庭園内のつるバラはピンクや赤・黄・白と咲き 外の景色も分からない程、囲っており バラの世界です。 フェンスのバラは絵柄のようですね。 アンネの思い出 スプニールドゥアンネフランク」「アンネのバラ」とも 呼ばれています。 開花が進むにつれて色が変化します。 万 葉 別名(光輪) 都 大 路 金 閣 スパニッシュ・ビューティ 20世紀を代表するつるバラ うつむき加減に咲きます。 フリルがチャーミングで可愛いですね♪ ピース コテイヨン シャープなピンク色ですが外輪の淡い色が 可憐さを引き出しています。 次回も続きます。<m(__)m>
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奈良にある霊山寺の境内には 洋風のバラ園があり人気スポットになっています。 バラの管理もシッカリしており 200品種 2000株で 優雅に咲き誇るバラを観ることができます。 画像の奥にあるのは、カフェテラスです。 ミスティー・パープル 人気があります。 ジュピレ ドゥ プリンスト ゙ゥ モナコ 資料では、モナコ公国の国旗を表して 故グレース王妃の夫君レニエ3世大公の 即位50周年記念して捧げられたそうです。 2000年国際コンクール銅賞 ローズ・オブ・マドリード受賞 サルベルヌ国際コンクール受賞 ダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ 変わった色のバラで難しい色の出方をしています。 彼女らしい気品と注目を帯びるような華やかさが とても印象に残るバラですね。 作出国はアメリカ 王室関係と云えば「プリンセス・ミチコ」 遅咲きの為、開花していませんでした。 オレンジ系 中輪のバラです。 プリンセス・アイコ 愛子様 ご生誕の記念に登場したバラです。 優しいピンクの色が可愛らしさと 控え目な優雅さ表現していますね。 ここでチョット休憩。 セピア調の画像を1枚! お寺の境内とは思えない風景です。 このお店はローズティーなどお茶セットがあります。 バラを眺めながらティータイムも楽しめられます。 ここで、ホットひと時はお勧めです。 バラのハーモニーが飛び交い 心の中まで響きそうですね。 現実に戻りますが、ココはお寺です。 次回、続きます。 <m(__)m>
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柏餅の葉はよく見るけれど |
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8日は暑い日でTシャツで明日香村を訪ねました。 遠足や修学旅行の生徒さんたちが大勢で 明日香村は賑やかな雰囲気の村を女一人で探検! 今から3000年前(縄文時代)から 人は住み石の道具、土器などを使い 木の実や獣を追って生活していたそうです。 明日香村の風景 のどかで山々に囲まれている村です。 ここが古代の人たちが生活していた場所。 なんせ、3000年前からですよ〜 当時は都会?(集落)だったとは! 何処からどうやって集まったのか? そして 都と呼ばれるようになったのが1400年前 歴史でお馴染みの飛鳥時代です。 石舞台古墳 蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝えられる石舞台古墳。 30数個の岩の総重量は約2300トン 我が国の最大級の石室で有名 玄室の長さ7.8m 幅約3.4m 高さ4.8m 他の資料とは微妙に数字が異なっているけど 細かいことはおいといてー 1400年前の飛鳥時代の古墳に手で触れたりできますよ〜 思わず乗ってしまいそうですがっ! 「石の上には登ってはいけません」と注意書きがありました。 やっぱり。 ( 一一) さっき放送でしきりに「乗らないように」と 注文イヤ注意していたケド。乗る人がいるんやねー 岩の隙間からチョッと失礼して覗き見! この石は奈良県桜井市の南部にある山のふもとから運ばれたそうです。 1400年前の人が運んだなんて大変な重労働・・・ と、耽っていると 小学4年生くらいの団体さんがやって来ました。 直ぐに石舞台の石室に入ってザワザワ 男の先生が外側から、 さっき覗き見した岩の間に顔を突っ込んで生徒に 「ええかー、ここが●体があったとこや!」 「人が●んでいた場所やでぇ」 で、おしまい! (^^ゞ関西人らしいと云いましょうか・・・ とても分かりやすくストレートな教えでごじゃりました。 石室の入り口 石 室 内 歴史ロマンに感無量です。 考え深いものがありますね〜 1400年前と遭遇している訳でして 触り放題なのが感激です。 暫く中で休憩してしまいました。 さっきの先生の教えを思い出すと出て行きたくな〜る。(汗) 石室内から外を撮影 中央にある溝は排水施設だそうです。 よく考えられています。 古代の人がここまで設計しているなんて 素晴らしく思います。 他の石造物でも計算された技術と芸術には 驚きました。(次の日記で紹介します) 古の都の時代がどんな世界だったのか 王族の権力争いや他国との交渉、人間関係、恋愛など 民の生活ぶりが知りたい。と思いつつ 知らなかった方が良い場合もありかも! 石舞台古墳の埋葬者は蘇我馬子が有力らしいですが
石の種類、築造年代から蘇我稲目と云う説も・・・。 誰の墓なのか益々、謎になってしまいました。(>_< ![]() |








