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2009年
〔2月 神戸〕
深夜0時すぎに新宿を出発した夜行バスは、ほぼ定刻通りに早朝の梅田に到着した。
何年ぶりかの梅田の街は寒々しく酷くうらぶれて見えた。
着替えやノートパソコンを詰め込んだボストンバッグを担いで駅へと向かう。
そして阪急神戸線の車窓からの景色を見るともなくぼんやりと眺める。
三ノ宮で下車して、朝食を取ろうかどうかと迷ったあげく結局そのまま市営地下鉄に乗り換えた。
向かいの席のダウン症の少年が僕の顔を見ている。
バスの中で一睡もしなかったから酷い顔をしているのかもしれないと思う。
三ノ宮から二駅の大倉山で地下鉄を降りた。
そして地上に出て神戸医大の方角を探す。そこに父が入院しているのだ。
病院は大倉山から歩いて10分ほどの場所にあった。
第一病棟10階南1065号室、ポケットからメモ用紙を取り出して病室をもう一度確認する。
病棟内は多くの患者や看護師達で混雑していた。
10階へ上がるエレベーターに向かおうとする僕の前を、ストレッチャーがせわしなく横切っていく。
病人には意識は無いようで酸素マスクを付け点滴のチューブが何本もぶら下がっていた。
それを特に誰も気に留める様子がないのは、ここではそれが日常の風景となっているからなのだろう。
エレベーターを出てナースステーションに立ち寄り父の病室を教えてもらう。
長い廊下の一番奥の突き当たり、病室の前に小さな人影を見つけた。
僕は急ぎ足で徐々に歩を早めながら、それが父であることを確信した。
朝一番で面会に行くことを伝えてあったので、ずっと病室の前で待っていたようだ。
父の顔を見るのは去年の夏に帰省して以来だから、まだ半年ぶりなのにまるで別人みたいに見えた。
頬が痩けやつれた表情で僕の体を気遣う父親の姿に、自分は何も出来ないダメな子供なんだと
自己嫌悪にも似た感情に苛まれる。
同じフロアーに設けられた談話スペースに案内され、二人で窓から見える神戸の街と港を暫く眺めた。
ソファに座り少し話をした後に 居心地の悪い緊張した沈黙がいつまでも続く。
こんなとき何を話せばいいのか うまく言葉が見つからない。
そうしてようやく父の方から切り出した、 「お父さんが死んだらお母さんのこと 頼む。」
そのとき黙って頷くことが 僕にできる精一杯の返答だった。
〔6月 東京〕
ジーンズにTシャツ、野球帽をかぶり、買って間もないスニーカーを履いて部屋を出た。
土曜日の朝から散歩に出かけるなんて一体何ヶ月ぶりだろうか?
見たところ世間に特に変化と呼べるようなものは見受けられない、、でも微かに何か違和感を覚える。
あるいは変わったのは僕の方なのかもしれないと思う。
青梅街道を渡って住宅街の路地をぬけ、善福寺川に出る。
ゆっくりと川沿いの休日の風景を眺めながら和田堀公園まで歩いた。
涼しげな木陰のベンチを見つけて腰をおろす。
木々の枝葉を揺らせて流れてくる風からは、もう夏の匂いを感じ取ることが出来た。
持って来た読みかけの本をバッグから取り出して膝の上で開く。
だけど最初の何ページ目かで諦めた。
ここ数ヶ月間の出来事が際限もなく浮かんでは、様々な感情が何度も繰り返し繰り返し蘇るからだ。
そして考える、「今、ものごとは正しい方向へと進んでいるのだろうか」 と。
「わかるもんかっ!」
心の中でもう一人の自分が吐き捨てるようにつぶやいた。
だったらどうすればいいと言うのだ!!?
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