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巨人、阪神のエースとして活躍した小林繁さんが亡くなった。
本当に残念だ。
私が小学校高学年の頃、小林さんは巨人のエースとして活躍し、長嶋巨人(第1次政権)の初優勝に貢献した。
当時の小林さんはとにかくカッコよかった。そして闘志あふれる投球を我々ファンに見せてくれた。
そして誰もが知っている1979年に江川さんとのトレードで阪神へ行った。
あのニュースは衝撃的だった。
当時、このトレード成立に向けて、噂では巨人は堀内投手をトレード要員として準備していたそうですが、阪神側が拒否し、小林投手か新浦投手かのどちらかという要求があったそうだ。
当時、小林さんは1978年の成績が13勝12敗(防御率4.09)、新浦投手が15勝7敗(防御率2.81)だったことから、76年、77年と2年連続で18勝をしたエースを放出したと言われている。
小林さんと言えば背番号『19』、ミスターアンダースロー(実際はサイドスロー)のイメージがあるが、小林さんも巨人に入団した当初は背番号『40』だった。そして2年目から『19』を背負うこととなった。
今の人から見れば『19』と言えば、元巨人の上原投手が思い浮かぶと思うが、我々の世代では『19』と言えば小林さんだった。
あの独特のフォームから繰り出す気迫あふれる投球、そして帽子を飛ばしながら投げる姿、そして野球選手にしては細身でダンディーな姿は本当にカッコよかった。
そして阪神へ行ってからは巨人キラーとなり、1年目で22勝、そして阪神在籍5年間で77勝をしている。
それに引退した年に13勝(14敗)をし、そのシーズン開幕時に15勝できなかったら引退すると明言し、その言葉を守り、男の美学をとおした。
生き方もカッコいい人だ。
小林さんは引退後もスポーツキャスターや、指導者として活躍し、今年は日本ハムの1軍コーチとして更なる活躍を期待されていた矢先で、我々野球ファンも小林さんの周囲方々も驚きは隠せない。
今の時代は投手も分業制となっているが、この分業制について小林さんは解説者当時に早くから言っていた。それも今こそ猫も杓子もメジャー、メジャーだが、小林さんはメジャーのベースボールにも精通し、スターター、セットアッパー、ストッパーの分業制を、当時の解説者陣に反し(当時の解説者は先発完投を豪語していた)、この分業制を言っていた。
解説者としても、指導者としても活躍していた小林さんだか、違った意味でも大きな功績がある。
今はお笑いの巨匠となった明石家さんま氏も人気者となったのは小林さんのものまねからだった。
それだけインパクトのあるフォームで、野球を知らなくても小林さんは知っている方が多かったのも納得がいく。
とにかく我々の世代の背番号『19』は永遠の眠りについてしまった。
本当に残念です。
小林繁さんのご冥福をお祈りいたします。
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おひさしぶりです!
自分も子供ながらに野球少年でしたから、よく覚えています。
あの独特な投げ方をよくみんなで真似していたものでした。
ご冥福をお祈りいたします・・・
2010/1/18(月) 午後 6:39 [ - ]
小林選手が阪神に電撃トレードされ巨人ファンから阪神ファンに変わった一人です。小林選手人気者でしたから阪神ファンに当時変わった人たち多いと思います。
残念です。早すぎる最期です。
2010/1/18(月) 午後 9:19
つとむ丸さん。お久しぶりです。
それとコメントありがとうございます。
小林投手の投げ方は僕もよく真似をしました。
本当に残念です。
2010/1/18(月) 午後 10:04
BENRAKKYさん。コメントありがとうございます。
小林さんが阪神に移籍した当時、金曜日にある阪神戦は小林さんが先発することが多く、初戦で巨人が敗戦するということが多くありました。その中の1戦ですが、河埜選手が甲子園球場でショートフライを落球し、巨人が敗戦したことを覚えています。
確かその翌日に球場に見に行ったと思うのですが・・・
確かその年だったと思います。その見に行った試合が江川投手と江本投手の投げ合いで、加藤博一選手(故人)のプロ入り初ホームランで巨人が2対3で敗戦した記憶があります。
古い話ですが・・・
本当に小林さんのご冥福をお祈りいたします。
2010/1/18(月) 午後 10:10