ぶつぶつと雑感

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なんとなく気になった世の中のことでも書いてみたものを格納しとります。
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ごっこ、ばっかり

清水寺の恒例のその年を表す漢字が発表され、今年は「新」になったそうですね。
まあ、その理由を読んでみたら、そらそうだね、という程度には納得しましたが、こういう言い方すると身も蓋もないのを承知でいえば、「で? だからどうした?」という気がしてなりません。

んじゃ、おめーだったら何よ? と言われると、漢字一文字だと、これがなかなか難しいのですが、言葉ということであれば、「ごっこ」という言葉が今年の言葉になるのではないかと思ってしまいます。

いろいろと「ごっこ」だなぁ、と感じるのですが、その中でもとりわけ「ごっこ」という感じがしてならないのは裁判員制度です。
昨日の報道によると、とりあえず始めてみて、今まで通り求刑の8割程度の刑で落とし所を得ているようで、今のところ大きな問題はない、となっているようですが、ほんとうかな? というのが正直なところです。

民意を反映させるとか、被告には十分に自分の犯した罪に対して反省してもらえるようにしたいとか、こうした意見が相変わらず裁判員に選ばれた人や、選ばれたいと思っている人たちの口から出ている事自体、まだ司法ということに関して未熟な意識しかないということの良い証拠だと思います。それに相変わらずマスコミは裁判員制度の下で判断された量刑についての報道ばかりで、裁判そのものについての意識に関してはほとんど何も言えてないところも、やはり司法に対しての未熟な意識しかないのではないかと思います。

「民意を反映させる」。
これ、実は裁判においては実に危険な発想です。確かに刑が軽い、厳罰を望む、こういう声があることは確かですし、これを反映できない司法がその信頼を失っていくところはあるでしょう。しかし、民意を反映させるということは、そもそも法律で決められている範囲を超える可能性もあります。さらにいえば、法律で定められてはいないけれども、なんとなくこれって悪いことじゃん? ということを感覚的に有罪にしてしまう危険性もはらんでいると思うんです。これは自由主義、民主主義の原理にその根拠を求めている罪刑法定主義と下手をすると真っ向から対立してしまいかねない発想だと言えます。
立法府が制定した法令によって犯罪と定め、予め刑罰を明確にし、これを周知徹底させない限り、犯罪も、刑罰も成立しないという大事な原則が踏みにじられてしまっては、法の安定性を欠くことになってしまいます。しかし、こういった危険性に対しての認識が薄いなかで、相変わらず裁判員になりたいという声が聞こえるのが今の現状だと思います。
また、「被告には十分に自分の犯した罪に対して反省してもらえるようにしたい」などということを裁判が始まる前から平気で、しかもそれがあたかも正義の如くいうご仁もかなりいるようですが、これは裁判で有罪が宣告されるまでは何人たりとも無罪であるという、推定無罪の原則と真っ向から対立してしまう、ということをまるっきり理解していない証拠でもあるでしょう。もっと簡単にいってしまえば、裁判なんて必要がないといっているのと同じことだと言えると思います。

そもそも、裁判は何が行われたのかあるいは行われなかったのか、誰の権利が侵害されたのか、立法府で制定された法律に抵触するものなのかということを判断するのであって、刑罰を与えるのがその機能の最大の目的ではないものです。ですが、どうにも一般的な声や、マスコミの報道を見ていると、刑罰を与える機関として認識されている節が強すぎると思うのです。
推理小説や、ドラマのように捕まった犯人が簡単に真犯人で罪人であるという意識が強いのであれば、今行われている裁判というのは単なる「ごっこ」でしかなく、まだ、どうにも平均的に見ればこの域を超えていない気がしてなりません。
とりあえず、罪刑法定主義と推定無罪を知った上でないといつまでたっても、「ごっこ」からは抜け出せないと思います。これが周知徹底された時に初めて司法は今年の清水寺の「新」という漢字を当てはめることができるようになるのではないでしょうか。

まだ、ほかにも「ごっこ」だなぁ、ということがあらゆる分野で感じることが今年はとにかく多かった気がしますが、一番、個人的に危ないな、と思っている「ごっこ」はこのことだったので、ちょっとだけ真面目に書いてみた次第です。
個人的には、相変わらず裁判員制度には反対です。しかし、この制度によってちょっとでも法律に対する意識が養われるのであれば、やった意味もあると思っています。

はぁ??

ソファの上に最新式のおにゅーの電気敷き毛布を掛けました。
足元には、新品の山型電気あんかを置きました。
使わずに放置してあった羽毛布団を引っ張り出し、それに包まってます。
極楽じゃ♪
と、完全にダメ人間ぶりを発揮しているのですが、そんななかで気になったニュースが。

読書をビジネスに役立てよう! 若い人集まる「読書会」が人気
というJ-castニュースの記事です。
もうね、正直いって、バカバカしすぎて、何をいってるんだろね? って感じです。
「指定された一冊の書籍(ビジネス書が中心)を読んでくることが課せられる」
ってガッコかい? しかも、「相手の意見を否定するのはルール違反だが、反論によって議論が白熱することはよくある。」ときたもんだ。だいたい、小説だって、そこから何かが読み取れれば、それは役に立つことだってあるだろうに、ビジネス書っていうんだから、さもしい。

そもそも、いちいち食って掛かるように否定することはないでしょうけど、そのグループ内になんだか口がうまくて、そいつの意見ばかりが間違っていてもまかり通るようになっていることだってあるでしょう。そんな場合でも、否定しない、ってなったら、そりゃ一種洗脳じゃないかと。しかも読んでいるのが、個人の趣味趣向の問題に大きくかかわる小説っていうんだったらまだしも、それがビジネス書っていうんだからもう、以下省略したくなるようなくらいBA○KAかと。
そもそも、読書をするということは、思考と情報収集を他者に預けることだから、「読んだ」という満足感だけで実は自分は何も考えてない、なんてことが往々にして起こるものでしょう。それを、内容を説明するようなだけの読書会で、しかも、誰かの意見に対して異を唱えることが「ルール違反」ともなりゃ、もう完全に本を読んで自分の考えをどうこう、ってもんでもないと思います。
しかも、この記事の最後には、こんなご丁寧な発言を紹介しています。
「出版点数が多い中から、いいものを選び出すことが難しくなっていると八須さんは感じている。「私は、人が勧めているものを読むようにしています。尊敬する人、著者だったら、なおいいと思います。一方の山本さんは「本のすべてを自分の中に落とし込むというのではなく、一行でもいいから、明日の行動に役立つ何かを見つけてみては。自分なりの気づきがあればそれでOKです」とアドバイスしている。」

悪いけど、アホかと? いや、バカかと?
結局最後の最後まで他人に思考を預けているってだけの話じゃないかと思いますけどね。
道理で、みんなが同じ映画をみて、同じCDを買って、同じ本を読むんだということがよーくわかりました。
どっかの誰かが、大ベストセラー小説のなかで、新興宗教の恐ろしさについて、オレってば、気がついたちゃったもんね、と得意げに書いていたり、それを読んだ連中が得意げにそれを読み取れた、といい気になっていますが、新興宗教どこじゃないでしょうに、この気持ちの悪さって、とやっぱり思うのでした。
S川R一氏の発言のほうがマシだと思うのは熱のせいでしょう。

と、どうやら流行り物に負けて人間としての機能を停滞させているオレはうんざりしてしまったのでした♪ ちゃんちゃん♪


以下、さらに毒舌。
30過ぎ、40過ぎにもなって他人の薦める本を読みます、ってなんだよ。
他人の薦める本を読むのは否定しないし、それは時にすばらしい出会いもあるのは認めるけど、本が読みたいという意思があるんだったら、本屋、図書館にでもいって本のにおいから本を選べよな、まったく。慣れてくれば、本のほうが呼んでくれるよ。貴重な時間を捻出して本を読むんだったら、なおのことだと思うけどね。
秋のおいしい収穫、というダイレクトメールが届いていたのふと、そこから連想したことです。

旅行に出かけたとき、それが異国の地であろうと、日本国内であろうと、超有名観光スポットというのはもちろん見て楽しめることが多いと思います。
もちろん、某シンガポールの口から水を出してる白っぽい狛犬みたいなのもありますが、基本的には、ほお、なるほど、これがそうなんだ! と、ガイドブックでみたのか、それとも旅番組でみたのかはわかりませんが、記憶のなかにあるものと照合する作業をし、安心したり、時にはほんとうに感激したりするものだと思います。一応、かわいげのないところはかなり強いのですが、人並みに小生も観光スポットには行くようにしています。
しかし、個人的にあればぜひいってみたいと思い、時間が合えば見物にいってみるところというのがあります。それは、その町の市場です。
海沿いの町であれば、それは鮮魚市場であったり、農業地帯であれば、それは作物市場だったりします。でも、とにかく市場があれば、そこの国や、そこの町の人々がどういうものを口にしているのかがわかるような気がする上に、何よりも見たことがない食材を見ることが出来るので、これは下手な博物館や美術館に行くよりもずっと楽しいと思うのです。
しかし、この市場にいってみるというのが旅行の醍醐味であると同時に、もっとも悔しいなあと思わされたりもする時間であるのも正直なところです。
ほぼ100パーセント個人旅行で、迷子覚悟のぶらぶら旅行なので、時間を気にする必要がだいたいはほとんどありません。つまり、その市場が気に入れば好きなだけ物色して歩くことができます。ところが、あまり感じる人はいないのかもしれませんが、だんだん市場を長い間見ていると、むらむらとその食材を使って料理をしてみたいと思うようになるのです。さらによせばいいのに、外国の場合通じるとは限らないのに、食材の調理方法なんぞを聞いてみたりすることもあります。それはそれははちゃめちゃなやり取りだったりする場合も多いので、頭のなかでは想像を絶するような料理になっていることもあります。そうなるといよいよ、調理欲が膨らんでしまうのです。
この欲求ばかりはだいたい旅行中は解消されることがありません。場末の飯屋で飯を食いながら、そして安宿に戻ってからも悶々と、あの食材はどうやって食べるとうまいんだろうか? などと完全に妄想の虜になっているのです。
旅行に行ったら市場ほど楽しいところはありません。しかし市場ほど拷問にあうところもないかもしれません。
一度、調理場の心配をしないで、気にいった市場のものを手に入れて、ちょっと料理を旅の途中でやってみたいものです。

とりあえず、秋の味覚のご案内のダイレクトメールでも今日は見て悶々とすることにします。


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フィッシャーマンズワーフ(一応、漁師の魚市場ということになるのでしょうが、基本的には観光客相手のショッピングセンターの延長線上にあるので、いわゆるマーケットの雰囲気はありません)のほうが有名ですが、サンフランシスコのファーマーズ・マーケット(農家の市場)です。ワインで有名なナパバレーなんかの農家も出品していたりするようです。
なぜかあのロックフェラー財閥の関係のオフィスビルの下で週末に特設会場として開かれたりしています。サンフランシスコのファーマーズマーケットは普段はあまりガラのよくない地域にあるので観光客は少なめでしょう。
以前現地に住んでいた時は、当たり前のように食材を買ってきては庭でバーベキューなどをしていましたが、日本に帰国した後は当然のごとく基本は旅行者なので眺めているだけになってしまいました。
「強い女は美しい」
とはよく言われますが、
「美しい女は強い」
ということを証明するかのようなスポーツがアメリカで始まったそうです。

その名はLFL。あのアメリカの国民的なスポーツ、(アメリカン)フットボールの頂上リーグのNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)をもじっていると思われるこのLFLの正式名称は、ランジェリー・フットボール・リーグ。
はい、下着です。
最初、この団体のことをアメリカのアメリカ人の友人から聞かされたとき、「なんだよ、そのいかがわしいポルノみたいなの?」とくだらない、バカバカしいと思ってしまったのですが、その実態はこちらの思っていたものとはかけ離れていました。
ビキニの上に例のアメフト特有のプロテクターと、ごついヘルメットを身にまとった、美女たちは、なんと、そのいでたちが必要なほど過激な、手抜き一切なしのアメフトをやっていたのです。相手オフェンスをつぶすために、タッチで止めたり、腰につけたフラッグを奪ったりするのではなく、ほんとうにタックルをして、相手をなぎ倒すというまさに一切容赦なしのオスのやっているフットボールそのものをするのですから驚きです。
ただの少々いかがわしいだけの見世物スポーツならばそこまではやらないだろう、というほど真剣に取り組んでいる彼女たちの姿には、尊敬の念すら持ってしまうほどでした。

とりあえず、you tubeにて動画を見つけたのでご覧ください。



なかなか大まじめにフットボールをやっていると思いませんか?
これ、下手をすると日本の高校生のアメフト部よりも強いかも。少なくとも今の小生よりは強いでしょう。
もちろん、「見世物」要素は強いと思いますし、このリーグのターゲットとしているのは、何でも18歳から34歳のオスだそうです。
が、そうとも言い切れないだけのプロフェッショナリズムを彼女たちからは感じます。

え? オレが夢中になって見ているんじゃないかって?
いえいえ、情けない話ですが、ここまで逞しくも美しい女の骨肉を争う場面はあまり長い時間見ていられないのですよ。気が付いたら自分が骨だけを残して土に返るのを待っているだけのものになりそうな気がして怖いです、恐ろしいです、泣いちゃいます♪
だいたい宝塚の男役にだってびびるんですから♪
いや、まじめに独断と偏見で物言えば、こんな迫力が出るのって、絶対に1キロのステーキだって食べられるような肉食全開のアメリカ人のオネエチャンたちだけだと思います、はい。
とはいえ、きっと、このリーグの選手のオネエチャンたちはアメリカンドリームのために精一杯がんばっているのだろうと思うので、おもしろ半分の冷やかしだけで終わらずに、きちんと認知されてプロのスポーツ選手としての地位が確立するといいな、とは本気で思います。

やっぱり、あのハドルのなかに放り込まれるのは、ぼくちんじゃ無理♪
ダラス・カウボーイズのファンだった元少年、現在じゃLFLの主要ターゲットからも年齢的に外れるオヂサンのつぶやきでした。

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後ろに写っているレフェリーのポーズを見ると、どうやらタッチダウンを決めた瞬間のようですが、なかなかかっこいいと思いません?

LFLの公式サイト。ちょっと重たいサイトですが、別にいかがわしくもなんともありませんのでご安心を。
国境を越えてきた最初の車?=ドイツ
11月7日11時8分配信 時事通信
ドイツ・フルダタル近郊で密かに放置されたフォルクスワーゲン・ビートル。持ち主によれば、20年前のベルリンの壁崩壊の約3時間後、当時の東ドイツ人が金に交換してほしいと持ち込んできた(EPA=時事)

俗に言う「カブトムシ」くんは、そもそも歴史的なクルマですが、ヒトラーの鶴の一声で計画され、あのフェルディナンド・ポルシェ博士に生み出された、このクルマって、ドイツの20世紀の歴史の証人なんですね。

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なんだか、とってもシュールなアート作品のようになってきてますが、もし、これが記事のタイトルどおり「国境を越えてきた最初の車」であるのならば、保存してもいいかもと思うのですが、いかがでしょ?
ディズニーの映画にビートルを使った映画がありますが、あのビートルみたいに「意思」があったら、この子は何をいうのか、少々興味をそそられます。


トップが空白になってしまったので間に合わせの記事ですが、ちょいとビートルというクルマは好きなので載せてみました。しょぼい空冷エンジンの音、ちょっと久しぶりに聞きたい気分です。

余計な一言。
「当時の東ドイツ人が金に交換してほしいと持ち込んできた」。
東ドイツのトラヴァントだったら金にならなかっただろうなぁ。

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