だらだらと映画

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かつてほど映画を観なくなっているのですが、映画はかなり好きです。
でも、アートシアター系はどっちかというと苦手かもorz
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美人云々という記事を書いてみちゃったので、そこから思いだしたことです。

高校生の頃、外人系のおねーさんで、気に入っていた女優が何人かいました。
古いところでは、オードリー・ヘップバーン、新しいところでは、メグ・ライアン、微妙な映画にしか出ていないけど、フィービー・ケイツ、なんてあたりがアメリカ系の女優としてとても好きでした。ヨーロッパ系映画の女優というのは、例えばソフィア・ローレンやジャンヌ・モローであったり、もっと古いところで言えばイングリッド・バーグマンなどはどうにも立派すぎて、ガキンチョにとってはなんだか食べられてしまいそうな感じがして近づけずに、しかも好みのほうが優先されてしまい美人だとも思えずにいたので、なんとなくヨーロッパ系は苦手、という印象を持っていたのです。
そんななかで、イザベル・アジャーニは何故か、とても気に入っていたのです。フランス映画は苦手という意識があったので、映画を見たいと思うよりも、キネマ旬報(高校生の頃はよく読んでいたのです)などに載っていた写真をみて喜んでいたのですが、真性映画バカの友人にイザベル・アジャーニが好きならばぜひ見ておけ、とある映画を紹介されたのです。
最初に結論をいってしまうと、その映画をみたことはかなり後悔してしまうことになったのです。確かに鬼気迫るイザベル・アジャーニの演技はすごかったのかもしれませんし、そして映像的にも凝っていたと言えるかもしれません。しかし、あまりにも映画としてみていて、高校生の、映画が好きといっても背伸びをして「難しい」映画をみていた自称映画マニアにとっては、その映画は実に酷なものでした。しかも、あこがれのアジャーニがあんな姿に、というところがかなり悪夢だったのです。
さて、その映画とは何という映画かというと、『ポゼッション』という映画です。それなりに有名な映画なのでご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、この映画、かなり評価が高いとはいえ、今考えても、あまり「いい映画」とは個人的にはどうしても思えないのです。
お話としては、ホラーの系統に属するのでしょう。しかも、不倫だ浮気だ、愛憎だと、もう完全に高校生の手に負える代物ではないのです。
アジャーニの夫君を演じるサム・ニール(けっこう好きな俳優です。『レッドオクトーバーを追え』の演技が良かったと思います)が単身赴任中に妻であるアジャーニをないがしろにしさらに、浮気までしたため、アジャーニは寂しさを埋めるために自分も浮気をするのですが、その相手では飽き足らず、さらなる深みへと堕ちていくのです。しかも堕ちた先で、快楽に身をゆだねるのですが、その相手というのがこの世の物ざる物の妄想が産んだ化物というのが、なんとも刺激的なのです。
この映画をみた時は、その化物のモデルになっている元がわからなかったのですが、あとになってそれが何かがわかったときはかなり、これまた凹むことになります。
その元とは、葛飾北斎の春画『蛸と海女』という作品です。その画像を載せるのは躊躇したたのですが、まあ、わかりやすいので一応。
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と、このようなものです。
映画のなかでアジャーニは、これよりもさらにグロテスクな怪物と恍惚とした表情で絡みあいます。これを絶賛する向きも多いのですが、どうにも性的なことにかなり興味津々であったはずの高校生の当時も、そしてもう少し冷静に見られるようになった20代の時も、これを賞賛する気にはなれず、むしろなんだかしょうもない物だとしかみえないのです(今でもそう思っています)。
とりあえず、北斎のこの春画がかなり国内はもとより、外国でも有名でかつ評価が高いというのはわかりました。しかし、北斎の作品を使うにしてもこれを持ち出されてしまうのも、何か日本人としては複雑な気持ちでもあります(ハンブルクで春画展があったのですが、その時に実物を見てしまったのですが、その時のエピソードはいずれ)。
万国共通な欲求であり、ある意味、エロティシズムというのは芸術における一つの分野だとは思いますが、どうにもそればかりが先行するというのはいただけないというのが正直なところです。
と、あこがれの美女であったアジャーニがこんなものに、しかも、それの元になったイメージが好きなはずの北斎の絵であったということが、一種未だに自分のなかで解決されない、気持ちの悪さとして残っているのです。
あまり個人的にはおすすめな映画ではないのですが、芸術的にも社会的にも意味合いのある映画として評価されているようなので、もし気が向けばご覧下さいまし。

ところで、村上春樹がスペインの文学賞を受賞したそうですが、どうして、村上春樹にしろ、ノーベル文学賞を受賞した川端にしろ、また、外国で評価が高いとされている谷崎、三島にしろ、日本発のものはエロス(村上なんて、川端、谷崎、三島に比べるとさらに日本語もダメだと思うので、なんというスケールダウン!)ありきのものばかりなんでしょうね。エロティシズム(というよりも即物的な性的な欲求だと感じてしまう)抜きにしたもので素晴らしいものってこの国にもたくさんあるはずなのに。それこそ、先日書いた記事じゃないですが、セックスに直結するようなイメージばかりを評価されるのも考えものだと思ってしまいます。

ちなみにその後、アジャーニに関しては、『カミーユ・クローデル』でもみていて辛くなり、やっぱりキネマ旬報で写真だけみるに止めようと高校生の当時決めたのでした。
ルキノ・ヴィスコンティという、えら〜いイタリアの映画監督がいます。巨匠! と呼ぶのにふさわしく、この人の名を知らずして映画好きを名乗るな、とまでいわれそうな人です。
イタリアの名門貴族の出身の人で、美的感覚はすばらしく、撮った映像の美しさはため息を誘い、作品はすべて名画の誉れが高いという、まさに20世紀の映画界の巨星です。
高校生の頃、今よりも「純粋」に、映画通、訳知り、実はアートな人と思われたいという「不純」な動機で、この人の映画を観まくった時期があります。結論を先に言ってしまうと、当時は、無理して「いやぁ、ヴィスコンティの映画はやっぱりすごいよ。なんというか、美しい映像とは裏腹の、どろどろとした人間関係が実によく描かれていて、何度でも観返したくなるよね。耽美的な世界観の集大成だしね」といってはいたものの、その実「よくわからん!」のです。すみません、ワタシが無理をしてうそをついていました。
大体、『ルートヴィヒ』の通常版で3時間、ヴィスコンティ本来の完全版なんて4時間越えるんですよ? ちょっと尋常ならざる長さでしょ? そんなのオペラならあきらめて観ていられますが(演奏がよくて、演出がよければ、という条件付き)、なかなか『風とともに去りぬ』だってしんどいんですから、あれよりも「深遠で」たとえばホモセクスシャリティなんて出てくる人間模様を描いた作品なんぞを、レンタルビデオで小林ひとみのAVを借りたくてうずうずしている高校生程度のガキん子が耐えられるわけないじゃないですか。でも、先に書いたように、「やっぱりヴィスコンティはすごいよ」とえらそうにのたまわっていたのです。

そんなことはどうでもいいんです。
そんなヴィスコンティの映画のなかで、好きでもないのに、どうしても引っかかってしまう映画があります。今日はちょっとその映画についての話題が出たので、そのことをぶつくさと書いてみることにしました。

その映画とは、『ベニスに死す』です。

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トマス・マンの原作を映画化したこの作品は、上映時間は短いながらも、ヴィスコンティの世界が濃縮された名画といわれています。
おそらく、訳知り系映画マニアになろうと思っている、あるいは本物の映画フリークの92.7パーセント(当社調べ)は観ている映画だと思います。
ご多分に漏れず、不詳小林ひとみのAVを借りたいだけの高校生映画マニアも観ました。
話の筋は、ご存知の方も多いかもしれませんが、一応。ダーク・ボガード演じる老指揮者が、人生に疲れ果て、そして行き詰ったなか、ヴェニスに逃げてくるように一人で訪れます。そこで彼は、見たこともないような美しい少年を見かけてしまい、恋に落ちてしまうのです。しかし、その指揮者は自らの老いを感じ、己のみすぼらしさを痛感してしまい、近づくこともままならないまま少年を追い求めながらも悶々とした時間をヴェニスで過ごすことになります。そして、一念発起し、白くなってしまった髪を染め、しわだらけになってしまった肌を化粧し、見せ掛けの若さを引っさげて少年に近づこうとします。ところが、雨季を迎えたヴェニスでコレラの大流行が起こってしまい、人々はヴェニスを去っていこうとするのです。そんななか、この指揮者はせっかく自分に化粧をしてまで見せ掛けの若さを手に入れたのにもかかわらず行き倒れるようにして、少年のことを思いながら絶命してしまうのです。
老いていく自分に恐れを抱き、死に恐怖し、そして本来であれば許されることのない愛を覚え、手に入ることのない美を求めてしまうという、およそ小林ひとみのAVを借りたい高校生にわかるような内容の話ではありません。
そもそも、理解しなければならない話なのか、ということにも気が付かないでその後大学に入るまでの2年ほど、訳知りを装いながら『ベニスに死す』という映画が頭から離れなくなっていたのです(ほんとうは、正直言って、マーラーの交響曲5番から第4楽章「アダージェット」が延々と流れていて、その演奏がお粗末だなぁ、と思ったのが一番感想らしい感想なのかもしれません)。
で、あれを美少年といわないといけないのだろうか?
最大の疑問にして、いまだに解決していない問題を抱えたまま、この映画はとりあえず、今のところ結論としては「嫌い」な映画になっています。しかし、同時に「嫌い」な映画ではあってももっとも「気になる」映画にもなってしまっているのです。
さて、この映画に対してシンパシーを持てるようになるのか? さっぱり自分ではわかりませんが、少なくとも、あと何回か、元気はよくて、そして気力が十二分に萎えた時にでも見てみようと思います。


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この子が問題の美少年くん(ビヨルン・アンデルセン)です。ルキノ・ヴィスコンティはこの子を見たときに「これ以上はない!」と確信したそうです。
やっぱりよくわかりません。
まだ、同じくヴィスコンティの映画の美形で通っているヘルムート・バーガーのほうが美青年だと思うのですが。
ということで、ふらさん、よろしく!
数あるディズニーの映画で一番好きな映画は何かと聞かれれば、『ファンタジア』を挙げます。
あまりにも有名な映画なのでいまさら、こうして何かを書くのはおこがましいのですが、スケートと音楽のことをうっかり書いてしまったので、ついでにその流れで書いてみることにしました。

音楽と映像を融合させるというのは今でこそ当たり前の手法になっています。
MTVで垂れ流されているいわゆるミュージックビデオや、広義では美しい風景ときれいな音楽を組み合わせた環境ビデオなどと言われるものももしかしたらこのジャンルに入ってくるかもしれません。
ところがこのディズニーの『ファンタジア』が公開された1940年(すでに世界は大戦の只中!)では、映画の演出効果として音楽が用いられることはあっても、音楽そのものを「主役」とし、それに映像を合わせるという試みはあまりなされていないはずです。しかも、それがアニメーションであり、さらには当時としてはまだ実験的な段階であったステレオ録音まで採用し、贅沢にもフルカラーの長編として製作されるとなるとこれはもはや驚異的といっても過言ではありません。ウォルト・ディズニーの執念ともいえる本作品はそういった「とんでもなく常識はずれ」の作品です。
改めて説明する必要はないかもしれませんが、『ファンタジア』では名指揮者ストコフスキー(正統派のクラシックからすると、ストコフスキーの演奏は演奏効果を出すため、かなり好き勝手な編曲をしていたりするので異端と目されてもいます)が、アメリカの名門オーケストラ、フィラデルフィア管弦楽団を指揮しクラシックの名曲を当時のディズニーの最高のアニメーターたちが最新の技術を持って作り上げた逸品です。
演奏されている曲は、
バッハ作曲 トッカータとフーガ ニ短調
チャイコフスキー作曲 バレエ音楽「くるみ割り人形」
デュカス作曲  「魔法使いの弟子」
ストラヴィンスキー作曲 「春の祭典」
ベートーヴェン作曲 交響曲第6番「田園」
ポンキエルリ作曲 「時の踊り」
ムソルグスキー作曲 「禿山の一夜」
シューベルト作曲 「アヴェ・マリア」
という内容です。
いずれも非常にポピュラーな曲ばかりで、数多くのいわゆる「初心者」向けのCDにも収録されていることも多いと思います。音楽の面でも、クラシックにあまりなじみのない人でもすんなり受け入れられそうな曲を選んでいるところも心にくいばかりです。

この映画、初めて観たのが、今からもうかれこれ30年ほど前になります。
一応、クラシック音楽好きで、それなりに映画好きの両親が、アメリカにいったばかりだったので英語もわからないだろうし、何よりもディズニーの名作が70mmの大画面でリヴァイバル上映されるということで、むしろ両親たちのほうが喜んで連れていってくれたのです。
当時小学校の低学年の悪がきが夢中だったのは、『宇宙戦艦ヤマト』だったり、色気のシーンには興味はまるでないものの、奇想天外なメカや、なんとなくかっこいいガンアクションが魅力的だった007シリーズ、それに『スターウォーズ』でした。ところが、連れて行かれたのはまるっきり毛色の違うディズニーの、しかもクラシック音楽を主役とした話のあるようなないようなこの映画だったので、映画館に行くまでのクルマのなかで、『スターウォーズ』あたりに連れて行け〜! と、騒いでいたのです。もちろん、小学2年生に参政権など認められていないので、両親の教育的見地が優先され、あえなく『ファンタジア』が上映されるスクリーンの前に鎮座させられることになりました。
ぶーぶーあきらめ悪く、ポップコーンをあてがわれながら文句をたれていたのですが、映画が始まるや否や、ついつい画面を見入ってしまい、さらには耳を奪われていました。
抽象的な線を色彩的な画面で、トッカータとフーガをあらわすという試みから映画は始まるのですが、その映像と音楽のかっこよさに引き込まれてしまったのです。その後、映画は進み、途中、おなじみのミッキー・マウスが主役となる『魔法使いの弟子』や、カバやワニといったおよそバレエとは無関係そうな動物たちが繰り広げる『時の踊り』、それに、チャイコフスキーのおなじみの『くるみ割り人形』を魚やきのこ、それに妖精などと、それぞれの曲に合うような映像をつけたものを食い入るように見てしまったのです。ディズニーの目論見どおり、きっと、ウォルト・ディズニーにしてみれば、してやったりといったところでしょう。

今では変に知恵が付いてしまい、音楽に下手な映像をつけたり、下手なストーリーをつけるのはあまり好むところではないのですが、この映画に関しては、あくまでも個人的な嗜好ではあるのですが、さすがだなぁ、と常に新鮮な気分で見ることが出来ます。

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