|
川内村:切ない「桃源郷」づくり…長期宿泊解禁 福島
自宅に戻り庭のスイセンの周辺の草を刈る小林さん。奥には、20年以上前に植えた桜が色づく=福島県川内村で2014年4月26日午後3時56分、深津誠撮影
東京電力福島第1原発事故で避難指示解除準備区域に指定されている福島県川内村東部で26日、3カ月の長期宿泊が可能になった。今月1日に避難区域が初めて解除された田村市都路(みやこじ)地区に次ぎ2例目。3年ぶりに我が家で夜を過ごせる住民は歓迎するが、放射線への不安やインフラ復旧の遅れから実際に戻る住民は、対象者276人のうち40人程度となっている。【深津誠】
◇復興進まず、希望者2割未満
3年間、生活の営みが消え、道路に木の枝が覆いかぶさる殺風景な一本道が続く。
標高400メートルの阿武隈(あぶくま)山系の小集落。色彩豊かな花木に囲まれ、眼下に太平洋を望むこの家で、元シイタケ農家の小林幹夫さん(75)は26日、生活を再開させた。
原発事故で、大熊町に暮らしていた次男一家と埼玉県三郷(みさと)市に避難したが、日中の立ち入りが可能になった2012年春、1人で村に戻り仮設住宅へ。長年、手塩にかけた庭の花木が荒れ、草は背丈以上に生え放題になっていた。日中は仮設住宅から通って、庭の手入れに汗を流した。
ソメイヨシノと黄色のスイセンの花は今が盛り。間もなく、シャクナゲやツツジが初夏の訪れを告げる。「一年で一番良い季節に自宅に泊まれるようになった」と喜ぶ。
放射線量は比較的低く、心配はしていない。ただ、次男らが盆暮れに帰省してくれるかは分からない。「みんなが来たくなるように花を咲かせたい」。8人いる姉弟もこの家に泊まれるようにし、庭には露天風呂を作るつもりだ。「夢だからね。中国の言葉で『桃源郷』って言うでしょ。そんな場所にしたいんだ」
ただ、この長期宿泊を望む住民は少ない。24日までに長期宿泊を希望したのは18世帯40人だけ。避難先に落ち着いたり、生活圏の復興が見えないためだ。
村から約50キロ離れた郡山市の仮設住宅に住み、避難中に妻を亡くした半谷(はんがい)敬治さん(80)は戻るつもりはない。大熊町に住んでいた長男も同市に避難しており、孫とも頻繁に会える。不便な村に戻れば孫に会えなくなってしまう。震災直前にひざを手術し、週1回は病院に通う必要もある。「自分の家が住めるようになったと言われても、原発事故で何もかも変わっちゃったから」と力なく話した。
◇福島県川内村◇
人口約3000人。原発から20キロ圏内の旧警戒区域は12年4月、避難指示解除準備区域(134世帯276人)と居住制限区域(18世帯54人)に再編された。今回の対象は、年間被ばく線量20ミリシーベルト以下の同準備区域に限られる。20キロ圏外の緊急時避難準備区域は11年9月に解除され、12年1月に「帰村宣言」。同4月から学校の再開などが始まった。
2014年04月26日 22時01分 川内村に新緑の季節がやってきました。
緑が目に痛いくらいです。
36号線のいつもの場所をひたすら大熊町に向かって上ります。
フジの花もとても綺麗に咲いています。
五枚沢を越え、ひたすら北へ向かうと、そこには綺麗なお花畑が…
何だろう?白いスイセンかな?
道の反対側には黄色い花がいっぱい咲いています。
どのお花も満開ですね。
到着したのがここ。
こちらはツツジが満開です。
綺麗な湧き水
本当によく手入れがされています。
そう、ここが噂の桃源郷です。
ここは下川内の最北端、大熊町との境にある花の楽園です。
どうです、綺麗でしょう。
可愛らしいチューリップが畑いっぱいに咲いています。
これが家主の小林さん宅の全景です。
こちらは白フジ?
これだけのお花を一度に満開にするのは大変でしょう。
なんと山の向こうには海が見えます!
本当に美しい景色ですね。
ここではワラビの栽培もしているようです。
草地の空間線量は0.6μSv/hほど。
新聞の記事には毛戸と書いてありましたが、ここは糖塚ではないでしょうか?
アスファルト上の空間線量は0.4〜0.5μSv/hほど。
ここから先の森は大熊町の野上地区へと続きます。
川内村下川内糖塚の最北端・大熊町境目の線量は約0.4〜0.6μSv/hほど。
線量的には都路町と大差はありません。
このつづき大熊町については、またの機会に報告します。
|
東日本大震災(川内村)
[ リスト ]







