東日本大震災(女川)
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前回の記事の続きです。
派出所のおまわりさんと商店街のおばさんに教えてもらい、運動公園の仮設住宅を見せてもらいにきました。 こちらは運動公園の坂の途中にある仮設町役場です。 役場のあった坂道を上ると運動公園です。JR女川駅はBRTになり、こちらに移設されていました。 見て分かると思いますが、女川町自体は原子力歓迎ムードです。町の人に聞いたところ、反原発運動家がいないわけではないが、今回の震災による反原発運動はないようです。女川原発も無事だったことですし、町民としては任せるので決めて欲しいとの意見。この辺は派出所のおまわりさんも同じ様な見解でした。 個人的には事故がなかったからそう思うだけで、福島原発と同じような事故が起きれば人の意見は容易く変わるものだと思います。 まだ震災後の緊急施設が残っています。 こちらが今回案内してもらった応急仮設住宅(?)、なんと三階建てです。 野球場のグラウンドに立てられているので後ろにバックスクリーンが見えますね。 これはいずれバラしてまた組み立てられるとのこと。しかしマンションですな…。 あと前回と違った所は、この高床式の巨大冷凍冷蔵庫が建造されたこと。これはカタールの支援によって建てられたんだとか。女川秋刀魚収穫祭のサンマもここから持ってきたんですね。 MASKARとは会社の名前でしょうか? 最後に来たのが瓦礫処理場です。 なんとも女川らしい 瓦礫処理場の壁には子供たちの絵が飾られています。 ここは置場ではなく完全な処理場なので、綺麗に瓦礫を分別できます。 もうだいぶ分別されていますね。 前回調べてるので改めてやる必要もないんですが、砂利・土砂を含めてもこんなもの。 とはいってもまだ置場はあります。 川沿いはしばらくこんな状態。これからどんどん片付けて行くでしょう。 次の記事へ続きます。 |
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前回の記事の続きです。
今回は復興商店街を中心に回ってみたいと思います。 こちらは復興商店街コンテナ村です。生活に根差したものが中心なので観光客は用事はなさそうですが、地域サービスとして百円の物一個から宅配をしてくれるようです。 希望の鐘商店街にやってきました。ここは高校のグラウンドを利用して建てられたものです。 まずは派出所に顔を出して挨拶、ボランティア団体の代表の方と話をします。 商店街の様子を除いていきましょう。 一応、三連休の中日なんですが、 人っ子一人いやしません。ネットでの女川のイメージとは異なり閑古鳥状態です。 それでも最初の年は様々な芸能人が訪れ賑わったものですが なんとAKBまで来たんですよね。 商店街の奥に行くと「希望の鐘」があります。 これがその鐘ですね。 こちらに説明があるので、あえて書く必要はないと思います。 この日は「串焼きたろう」さんにお邪魔して夕食をしながら話を聞いていきます。 サバ、焼き鳥丼、モツ煮など。ここのおばさんは以前会ったのを覚えていてくれて、この日は夜遅くまで震災の時のことなどを放してくれました。 次の記事へ続きます。 |
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前回の記事の続きです。
この病院の敷地内に女川災害エフエムがあります。 この災害エフエムは震災後の緊急時のみ認可ということでしたが、それを地域コミュニティとして恒久化しようという話があります。しかしその運営資金をどうするのか、各地で存続が難しいと言われています。ここ女川では災害エフエムがドラマ化されるなど有名になりつつありますから、その心配は要らないでしょう。 同じ病院の敷地内に慰霊碑が立っています。 ここからは被災した湾が一望できるようになっています。 もうだいぶ片付いた感じです。 辺り一面更地になっており、瓦礫もほとんどありません。 前回は瓦礫の調査の仕事できたのですが、その後、東京都が女川の瓦礫受け入れをするなどして少しずつ片付いてきました。もともと女川は瓦礫のほとんどが海に流れてしまったので、他の被災地に比べて瓦礫そのものが少なかったというのもあります。 ちょっと病院の裏山を上ってみましょう。 かなり高い所まで上ってきました。 こちらの上には神社があります。きっと震災のとき、この神社にも人がいたのでしょう。 ここからは更に町の様子が見渡せます。 せっかくの完全な草地です。線量を測っていきましょう。 一応、比較用に女川駅跡地の線量も上げておきます。 それでは前回お世話になった復興商店街の方に行ってみたいと思います。 |
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前回から約一年ぶりに宮城県女川町に行ってきました。
表土もだいぶ整地されてますので、空間線量はこんなもんです。 奥に見えるのは、あの有名な病院です。 各地、被災した建物を震災遺構として残すかどうか決めかねていますが、この建物もその一つです。 決めかねている理由は今更説明するまでもないと思いますが、 一つはこの辺り一帯が埋め立てによるかさ上げ予定地だということです。 計画ではここまでかさ上げするとのことですから、震災遺構を残しても上から見下ろす形になります。 この震災遺構を見に来ようと代わる代わる観光バスやタクシーなどが町を訪れ、 沢山の人が写真を撮って観光していきます。 中にはこうした慰霊の祭壇や被災した建物の前で、笑顔でVサインをして記念撮影をする者もおり、そうした者のほとんどが町を訪れたあと興奮して気分が高まり、「女川最高!」「これが女川です!!」などTwitterに写真を載せては書き込んでいます。一体何が最高なのでしょうか。 この女川町は震災によって人口が流出・減少しており、町長である須田さん自身も「外部の人との交流をして町を盛り上げていかないといけない」とは、おっしゃっています。 では病院へ上がってみましょう。 説明するまでもないでしょう、あの動画に上がった病院です。 こちらの病院は高台にあり、津波発生の際には沢山の人が避難したと聞きます。 何とこちらの病院の入り口まで津波が浸水したんですね。 背丈よりやや高い位置まで浸水しています。 次の記事へ続きます。 |







