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各地線量報告(グアム)

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前回の記事の続きです。
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いよいよ帰国です。早朝のグアムは雨が降りました。

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座席について出発を待ちます。

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さらばグアム!一路成田へ!

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なんと雲から虹が出ています。
撮影には成功しませんでしたが、グアムでは雨雲から出る沢山の虹を見ることが出来ます。

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この日の機内食。カットフルーツ付きです。

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外は雲の絨毯です。

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飛ぶこと約4時間、日本に帰ってまいりました。

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旋回しながら高度を下げていきます。

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成田に到着。いきなり現実に引き戻されたような感じです。

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飛行機を降りて手続きを済ませます。

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うわ〜やっちゃったよ…
そう、これはリティディアンで調子に乗り、海に入ったあと日焼け止めが落ちてしまったことによる火傷。
グアムの紫外線を舐めてました。

こうして初めてのグアム取材は終わりました。
実は第二弾もあるんだとか…
前回の記事の続きです。

※今回も線量報告はなしです。画像のみの紹介になります。
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さあ、いよいよ最後の仕事です。ホテル・サンタフェビーチに来ました。

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ここは左右を島に挟まれたサンセット・スポットです。

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ここでの俺の仕事は席の確保。それだけ'(笑)
ジェニファーさんが撮影し終わるまでこの太陽の暑さに耐えます。

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ただ座っていてもアレなんで…名物の特大ハンバーガーでも食べましょうかね^ ^

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かなり食べごたえありますよ、これで約1,500円くらい。昨夜のステーキより格段に美味しかったです。

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そろそろ日没です。ジェニファーさんの仕事もラスト。

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太陽が沈みました。

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これから宿泊先のホテルに帰ります。N崎はパイナップルジュースを6杯も飲みました。

この辺の詳しい記事は、ジェニファーさんのサイトで紹介されています。

さて、次はいよいよ帰国です。
前回の記事の続きです。

※今回も線量報告はなしです。画像のみの解説になります。
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これよりアサンビーチへ向かいます。

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アサンビーチ太平洋戦争国立歴史公園です。

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ここはグアム最終決戦の激戦地。魚雷のような物が展示されています。

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ここにもミニッツ・ヒルにあったような解説板が飾られています。

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アメリカ軍上陸作戦の様子ですね。

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アメリカ軍の爆撃によって壊された桟橋と、左奥に見えるのはキャメルロックです。

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あれがキャメルロックですね。

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海岸も爆撃の後で粉々です。

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アメリカとグアムの国旗が飾られています。
ここはアメリカと言えど準州なんですね。国籍はアメリカ人ですが参政権は与えられていません。国連の資料の上では植民地リストに載っています。

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ここはグアムで唯一の国立公園なんですね。

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旧日本軍占領時代は、グアムを大宮島(正式名称:だいきゅうとう、または「おおみやじま」)といい、アサンビーチは朝井村、タモン湾は富田村といった。つまりここは「東京都大宮島朝井村」であった。今でもグアム中には日本名が反映された地名がたくさんあります。

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これはグアム中にあるパンの木です公園内にもあり、。焼くとパンのような味がするらしいんですが、飽食の今は誰も食べないようです。今度機会があれば食べてみたいですね。

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これは公園内にある、日本軍の防空壕ですね。この中に日本軍兵士が隠れていたようです。

ここでは詳しく書きませんが、グアムでの太平洋戦争についての記事は、ジェニファーさんのサイトで解説されています。日本国民として戦争の歴史を知る意味でも、ぜひ目を通してみてください。

次の記事に続きます。
前回の記事の続きです。

※今回も線量報告はなしです。画像解説のみになります。
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海軍病院脇を通り、これよりミニッツヒルへ向かいます。

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ここはミニッツヒルにあるアサン展望台です。

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よく見えないかも知れませんが、兵士が突撃していく様子が描かれています。

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ここからはアプラ港や

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アサンビーチが見下ろせます。

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アプラ港近くにあるのは火力発電所です。
グアムでは観光地であるタモン湾一帯に優先的に電気を送る一方で、それ以外の地域では停電があります。

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こちらがアプラ港。原油の運搬や軍用にも使われます。

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この丘は太平洋戦争時、グアム最終防衛ラインとなりました。
ここに書かれている「バンザイチャージ」とは、いわゆる神風特攻隊のような捨身の万歳突撃のことです。

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当時の攻防戦の様子が描かれています。

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1944年7月21日、アプラ港やアサンビーチを取り囲むアメリカ大艦隊。

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展望台の奥には沢山の銅のプレートがあります。

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これ実は戦争で死んだ人たちの名前が掘られてるんですね。兵士だけでなく、原住民のチャモロ人たちも巻き込まれました。中に日本人らしき人の名前もありますが、これは純粋な日本人だけでなく二世の方なども含まれます。グアムはスペイン人や日本人に占領されてきており、その中で結婚などを繰り返しているため、もう純潔のチャモロ人はいないんですね。

上の写真を見て所々色の違うプレートがありますが、これは北京オリンピックの時に銅板が盗まれたことにより、ガラスで作り直しているためです。

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こちらの壁画には、アメリカ軍が日本軍を制圧しグアムを解放する絵が描かれています。

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これは真珠湾攻撃のメモリアル石版です。

グアム観光ツアーでは、ほとんどの日本人はここには連れて来られません。ここに来たら日本人は居たたまれなくなります。グアムの人たちは、グアムを占領し弾圧してきた日本人を恨んでいることでしょう。しかし、グアムを訪れる観光客の半数以上は日本人です。グアムは国土の3分の1をアメリカ軍に取られ、かつての敵であった日本人相手に商売をしなければ生きていけない国なのです。

ここでは詳しく書きませんが、グアムでの太平洋戦争についての記事は、ジェニファーさんのサイトで解説されています。日本国民として戦争の歴史を知る意味でも、ぜひ目を通してみてください。

次の記事へ続きます。
前回の記事の続きです。

※今回も線量報告はなしです。画像のみの紹介となります。
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海軍基地を引き返しハガニア湾まで戻ります。

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これからパセオ公園に向かいます。

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赤い屋根とフレームツリーが印象的です。

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有名なキプハ周長の像が建っています。

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パセオ公園に咲く、フィッシュキラーです。昔はこの花で魚を殺し漁をしたのだそうです。

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パセオ公園の海岸先端部にある自由の女神像です。

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小さくてもアメリカを感じさせてくれます。

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ここはアメリカ領、自由の女神の元、実はそんなに自由ではありません。

その理由は、ジェニファーさんのサイトで詳しく報告されています。

次の記事に続きます。

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