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讃岐の国には金刀比羅宮という神社があります。 象頭山(ぞうずざん)の中腹にあるこの神社は海の守り神として信仰されています。 参道の石段がながーーいのが有名で、奥社まで登ると約1400段にもなります。
ちょっと昔話をしましょうか。
昔々の話。 讃岐金比羅参りは有名でご利益もあると 特に海に係わる仕事を持つものにとってとても人気のある神社でした。 ある村に船大工を生業としている男がいました。 長年働いてきて小金も溜まり、一度海神様として有名な金比羅参りをしたいと女房に告げ、 女房を置いて一人金比羅参りに旅出たのでした。
ところが、一年たってもさらに二年たっても男が帰ってきません。 半年あれば、金比羅参りはできるはずです。 心配になった女房は、さすがに探しにいこうと金比羅へ自分も旅立ちました。 女房は金刀比羅宮へお参りし 『夫が金比羅様へお参りに来ましたが、その後の行方がわかりません。どうぞ夫を返してください。』とお祈りしました。
さて、行方のわからない夫の方ですが、 有名で人気のある観光場所等には 必ず近くに遊郭があります。 案の定、男も遊郭にはまり、馴染みの遊女が出来ていました。真面目一辺倒の男でしたから、遊女に泣かれるとなかなか帰るとも言えませんでした。 女房は夫を運よく遊郭で見つけ、これも金比羅さんのご利益と喜び、夫婦共に村へ帰りました。
めでたしめでたし。
めでたし?
これ 裏話があります。
実は 地元では金比羅様は 縁切りの神様 でもあります。 昨今では恋人同士でお参りに行くと別れるとかって云われます。 それも金比羅様が女性の海神様なので恋人同士でいくと嫉妬するからだとかの理由も聞きますが、 実は違うんですね。
縁切り これは地元、遊女側から出た話なのです。 せっかく恋仲となった男と結局は離されてしまいます。 男達のほとんどが当時は金比羅詣で客だったのです。
なかなか お話には 裏側の多々見解があるものです。
教訓 金比羅参りは 愛人といってはいけません。
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日記
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結局その小学校に津波は来ませんでした。
俺の家にも幼馴染の家にもギリッギリ津波は来ませんでした。 でも、地元の半分は津波で飲み込まれて全て無くなりました。 本当に、びっくりするくらい何にもないです 俺が会うはずだった友達のSは津波に流されて亡くなりました。 今思うと、Sは家で俺が来るのを待ってて流されたのではないかと思うんです。 俺がお前の家に行くなんて言わなければ、Sは家を離れて避難してたんじゃないかって そう思うとなんか本当にやりきれなくて、俺があんなこと言わなければってずっと後悔しかなくて 当たり前ですけど、未だに後悔が消えません 俺が死なせてしまったのではないかという気持ちが消えません その他にも中学の同級生が6人、高校の同級生が3人、祖母、親戚が亡くなりました。 本当に、全員のご冥福をお祈りします。 それからさっきも書きましたが1週間ほど小学校にいました。 電気もないガスもない水もない食料もない状態。 もちろんトイレも流れないです。 ガソリンもないから車でどこかに行くこともできない。 正直その1週間をどうやって過ごしたのかはっきり覚えてないんですけど、確か自衛隊の方達が水や食料を届けてくれました。 あと水道が使えるという家が数件小学校の近くに建っていたので、避難していた人達みんなでその家に水を貰いにいったりしましたね。 あーもちろんありましたよ、食料の奪い合いとか水の奪い合いとか、買い占めとか。 もちろん、"大人"の。 呆れますよねほんと(笑) 小学生の子でさえ、小さい子にお菓子をあげたりしているのに。 コンビニやスーパーはまず無かったですね、品物が。 ガソリンも1日並んだだけじゃ買えません。 並んで、整理券を貰ってまた次の日並んで、じゃないと買えませんでした。 食料も朝早くから並ばないと買えなかったっすね。 弟と幼馴染と幼馴染兄さんと毎日色んなところに並びまくってました。 あ、弟と父さんのこと書くの忘れてた。 弟と父さんには地震の次の日に避難所で会えました。 姉2人は関東に住んでるので問題無し で、食料の話に戻りますが とりあえず水とカイロと電池とカップラーメンを買いまくりました。 あ、買い占めじゃないですよ! 1人何個まで、1家族何個までっていう個数が決まっていたのでその上限の個数を4人で買って、俺と幼馴染の家族で共有してました。 あと見ててすごい大変だなって思ったのは、赤ちゃんがいる家族。 粉ミルクとか紙オムツって消費量ハンパないじゃないですか。 でも粉ミルクや紙オムツは大体1家族1個までって書いてあるんですよ。 1家族1個で足りると思いますか? 赤ちゃんが2人以上いる家族だったらすぐ無くなりますよね。 そしたら、スーパーの前でダンボールを持った女性が3人(多分全員友達同士)立ってたんですよ。 そのダンボールには 『粉ミルク、紙オムツ、その他赤ちゃんに必要なもの代理で買います』 って書いてありました。 素直に、この人達すげーなって思った。 まだ地震から1週間くらいしか経ってなかった時ですよ? 自分の生活さえ危うくて何の状況の進歩も無い中で、他人のことを考えられるなんてすげーなって。 その人達のおかげで赤ちゃんに必要なものを買えていた家族がいました。 そしたら次の日、そういうダンボールや紙を持った人が増えてたんですよ。 人の繋がりとか助け合いってこうやって増えていくんだなって実感しました。 ほんと人ってすごいね^^ ライフラインはとりあえず1ヵ月以上復旧しませんでした。 水はすぐ復旧したので、発電機使って風呂には入れてました。 トイレも流れました。 でも電気とガスはかなり遅かったですねー 夜は真っ暗で、だから自然に寝るのも早くなって。 あのときは20時に寝て6時くらいに起きる生活をしてましたね 遺体安置所には本当にたくさんの遺体がありました。 俺がいった遺体安置所は、棺に遺体が入ってました。 お葬式とかでよく見るあの木の棺です。 小窓があって、それを開くと顔が見えるあの棺。 棺の上にはそのご遺体の情報と、その時身に着けていたものなどが置いてあります。 1つ1つ、小窓を開けて顔を確認して身内や友達を探しました。 様々なご遺体がありました 顔や体が綺麗なままの遺体 顔の損傷が激しく、判別ができない遺体 腕など体の一部が無い遺体 正直、吐き気がしました そういうのはドラマや映画などでしか見たことがなかったから、本当に衝撃を受けた。 この人たちはいつ、どこで流されてしまったのか どれだけ辛かったのか どんな気持ちだったのか この人の家族は生きているのか 生きていたら、この人を探しているのではないか ご遺体を見てるとき、そんなことしか考えられなくなって涙が止まりませんでした。 無事身内と友達は見つかりました。 でも見つからなかった人達は毎日この場所にきてたくさんのご遺体を見なきゃいけないんだと思うと、本当に……なんて言えばいいか分からない。言葉にならない。 未だにご家族が見つからない方いますよね。 未だに身元が分からない遺骨ありますよね。 本当に本当に早く見つかってほしい。 家族の元へ帰ってほしい。 本当にもうそれだけですね。 行方不明の方も未だに1万人以上いますよね。 本当に、早く見つかってほしい。 ここからは俺自身の意見っていうか、言いたいこと。 よく 「自分なんかが生きていていいのか」 「あの人が生きて、自分が死ねばよかった」 って言う人いますよね。 俺も思いました。 なんで俺が生きて、あいつは死んだんだよって思いました。 なんで死ぬのが俺じゃなかったんだって思いました。 代わってやりたかったとも思いました。 どうせきれいごとだろって思う方もいると思います でも本当なんです 本当に、本当に代われるもんなら代わってやりたかった 大切なものは無くしてから気付くってよく言いますよね 本当にその通りです 家族がそばにいること 学校に通っていること 友達がそばにいること 自分の家があること 自分の故郷があること 生きていること それが当たり前だと思わないでください いつ失うか、いつ無くなるか分かりません それは突然やってきます 当たり前だと思わないで、どうか大事にしてください その環境を大事にしてください その命を大事にしてください なんて俺が偉そうに言えることなんかじゃ全然ないんですけどね。 すいません。 Sの分まで一生懸命生きます 生かされたんだということを忘れずに生きていきます そして今は学生だから何もできないけど、将来どんな形でもいいから復興に貢献できるような大人になりたい 東北人は粘り強いんすよ! そして我慢強い! だから絶対復興できる。 全員で、日本全体で頑張りましょう! 「募金を10円くらいしかしていない」ってメールくれた人がいます。
10円だって100万円だって、募金は募金です。
絶対に復興のためにどこかで使われてます。 大事なのは額なんかじゃなくて、募金しようとしたその気持ちですから。 ありがとうございます^^ 「正直他人事だと思っていた。そんな自分が恥ずかしい」 「ただ募金しとけばいいや、節電しとけばいいやと思っていた。ごめんなさい」 「かわいそうとしか思っていなかった」 謝らないでください。 当たり前なんですよ、そう思って当たり前なんです。 体験していないことを、目の当たりにしていないことを深く受け止めろっていう方が無理です。 正直、この大震災が東北以外のところで起きていたとしたら俺も皆さんと同じことを思っていたと思います。 いや、絶対思いました。 でも皆さんは俺が書いた日記でその自分たちの気持ちに気付いてくれたじゃないですか。 考え直してくれたじゃないですか。 正直地震のことを日記に書くことはめちゃくちゃ不安でした。 文章力がないのに上手く伝えられるかとか、余計なことを書いてしまったらどうしようとか、傷つけてしまったらどうしようとか。 でも皆さんがそう言ってくれて、気付いてくれて本当に嬉しいです。 日記に書いて良かった! 東京直下地震が起こると言われてますね。
関東の方々、怖いと思います。 俺が今日書いた日記で余計に怖くさせてしまったらすみません…! でも大丈夫です。東北がついてます。 俺たちが皆さんに助けてもらった分、俺たちも皆さんを助けたいです。 一緒に頑張りましょう! ぐあー大丈夫ですか、俺ちゃんと書けてますか
なんかぐだぐだですいません。 偉そうなことたくさん書いてしまってすいません。 きれいごとだと思う方もいるかもしれませんすいません。 とりあえず一番言いたいことは、 大震災のことを忘れないでください ってことです。 大震災のことを風化させないでください。 それが俺たちにできる一番のことだと思うので! ね!\(^o^)/ がんばれっ!って励まさなきゃいけないのに
逆に がんばろう!って パワーをくれてます。
こんな高校生がまだまだ日本にいます。
素直で力強く思いやりにあふれてます。
捨てたものではないです! 日本!
がんばれ東北! がんばれ日本!
ついでにがんばれ私!
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読んで欲しい日記があります。
ほんとに なにげなく見つけたものですが、
ご本人さんも ブログ記事として使っても良いと言われてたので
拝借してきました。 但し 名前等は伏せてあります。
まるまるコピーはダメってあったけど
ほとんどコピーです。 ごめんね。俺君。 でもリアルな高校生の生の言葉を読んでもらいたかったのです。
俺君は高校二年生です。
2011年3月11日、俺の高校は午前授業だったんです。
で、部活も無かったので1人で真っ直ぐ帰ろうとしました。 地震が起きた午後2時46分、俺は地元へ向かうバスのバス停に並んでました。 (※このバス停の周りには違う場所へ向かうバス停がたくさん集結していて、人がやばいです) 平日の昼頃だったので、周りにはお年寄りの方がたくさんいて。 そして46分、いきなり携帯のエリアメールが鳴ったんですね。 エリアメールって普段なかなか鳴らないじゃないですか。 だから俺エリアメールって何なのかをすっかり忘れてて、鳴った時は なんだこのメール、音でけーな(´・ω・) くらいにしか思ってなくて でも次の瞬間、あの地震が来ました。 もうね、あれは本当に命の危険を感じた。 スポーツをやってる男の俺でさえも、真っ直ぐ立ってられなくて地面に叩きつけられて 周りにいたお年寄りの方達も地面に倒れていて。 もう何が起こってるのか分からなかった。 地震は3分くらいたってやっと止まりました。 でも、止まったあとも大パニック。 今のは何だったんだろう 今からどうすればいいんだろう 何をすればいい? どこに行けばいい? 家に帰る? 家にはどう帰ればいい? 母さんは?父さんは?弟は?姉ちゃんは?友達は?学校は? まず誰に電話すればいい? まず何をすればいい? もうとりあえずパニック。 .周りを見渡したら、みんな携帯やスマホを一生懸命打っていて。 それを見て、そうだまず誰かに電話しようと思ったんです。 俺は確か、最初に父さんに電話しました。 でも繋がらなかった。 みんながみんな、一斉に電話してるから全っ然繋がらないんです。 例えるなら、元旦のあけおめメールが送れない状態と同じ感じ。 母さんにも弟にも幼馴染にも電話しましたが、誰一人繋がる人はいませんでした。 先生にも先輩にも後輩にも地元の友達にも繋がらなかった。 当然メールも送れないし、受信もできません。 バスも来ないし、電車も動いてないから帰れないし。 てかもう目の前の道路の地割れと隆起がすごくて乗り物が通れない状態だったし 何よりパニックになった人達が全員道路に出ちゃって下の地面が見えないくらい道路は人だらけで、普通の乗用車でさえも通れない状態。 さらに、電車が止まったから電車に乗るはずだった人が全員バスで帰ろうとバス停にやってきて更に大混雑。
周りに知り合いは誰もいなかったし、てかもう見えないし、なんか本当にどうすればいいかわからなかった´` そしたら急に、知らない大学生のお兄さんに声かけられたんですよ。 「今スマホでワンセグ見てるから、一緒に見ないか?」って。 もうまじで泣きそうになるくらい嬉しかった…! そして人があんまりいない場所に移動して、お兄さんとワンセグで状況を確認してました。 度々くる強い余震でなかなかその場から動くことができなかったので、ずっとお兄さんとテレビを観てて。 その時はまだ津波が来ることは知りませんでした。 そして数十分経ったくらいから、テレビに津波の情報とか他の地域の情報が流されるようになったんですけど もうその映像をみて絶句しました。 さっきの地震がここまで酷いことになってるっていうのをそのとき初めて知りました。 俺と幼馴染、沿岸部に住んでるんですね。 だから大津波警報が出たときは本当にゾッとしました。 確かその日は母さんが仕事休みで、家には母さんがいたんですよ。 津波が早く来て母さんが巻き込まれたらどうしようとか、地元が無くなったらどうしようとか、めちゃくちゃ不安でした。 だからどうしても母さんの為にも早く帰ってやりたいと思って。 バスを待ってても時間の無駄だと思ったので、2時間かけて徒歩で帰りました。 ワンセグを見せてくれたお兄さんも途中まで一緒に帰りました。 歩いてる途中、いろんなものを見ました。 ぐっちゃぐちゃのバス停 ぐっちゃぐちゃの家や店 泣き叫ぶ子供 タクシーを取り合う大人達 ケガをした人達 怒鳴りながら喧嘩してる大人達が結構多かったです 俺の方が先にタクシーに声をかけただの、家で家族が待ってて早く帰りたいからタクシーを譲ってくれだの、いろいろ。 家で家族が待ってんのはお前だけじゃねーよ、こんなときに大人達がそんなんでどうすんだよ、って正直呆れましたね まあその人の気持ちもすごく分かりましたが。 で、家に帰ったら家の前で母さんが座り込んで1人で泣いてて。 駆け寄ったら、「○○!」ってすっげー抱き締められて(笑) 良かった、良かったってずっと言われて。 そう母さんに言われたとき、改めてことの重大さに気付きました。 家は潰れてはいないけどめっちゃめちゃになってました。中身も外側も。 ちなみに我が家は全壊、幼馴染の家は半壊です。 あとから聞いた話だけど、俺達が住んでる地域は震度6弱か6強でした確か。 家の前で母さんと一緒に弟と父さんの帰りを待ちました。 そしたらずっと繋がらなかった携帯に着信がきたんです、地元の仲良い友達のSから。 電話に出て、ずっといろいろ喋ってて。 そしたらSが今家にいるって言ったので、俺はとりあえずSと会う約束をしました。 Sの家に向かいました。 (Sの家は結構海の近くにあります) そしたら向かってる途中、横を消防車が通ったんですね。 で、乗ってる消防士らしき人に「もうすぐ津波がくるから戻れ!」って言われて。 でも正直俺は津波を甘く見ていたところもあって、そんな大きいのはこないだろって思ってました。 だから俺は戻らずにSの家へ向かいました。 そしたら消防士らしき人が「きたぞ!」って叫んだんですよ。 俺は は?何が?(´・ω・) って全然分かってなくて。 でも前を見たら、遠くの方にめちゃくちゃデカい黒い壁みたいなものが見えたんですよね。 津波って、透明でも水色でもないんですよ。 真っ黒なんです。びっくりするくらい真っ黒。 その黒い壁は津波でした。 めちゃくちゃでかかった。本当に壁みたいだった。 消防士さんに早く逃げろ!走れ!って言われて、俺は家まで全速力で走って。 で、母さんを連れて近くの小学校にいきました。 (その小学校は避難所になった場所で、俺もそこに1週間ほど避難してました) そしたらその小学校に、幼馴染がいたんですよ。 もう本当に、思わず大泣きしました俺\(^o^)/ 俺「うわぁぁあああああああ○○うわぁぁあああああああああああああ」 幼「どこにいたんだよお前学校にもいねーし心配したんだぞ!」 俺「うわぁぁあああああああうわぁぁあああああ」 幼「友達1と友達2は自宅戻ったから。あとクラスの奴らもみんな無事。お前家族は?大 丈夫か?」 俺「うわぁぁああああああああああああああああ」 幼「地元の奴らの安否とかわかるか?」 俺「うわぁぁあああああああうわぁぁああああ」 幼「おいww」 この違い。(笑) 小学校には地元の奴らも結構いて、安心しました。 この小学校、かなりでかいんですよ。 だからすごい人数の人が避難してきていて。 特に老人ホームの入居者の方達が多かったんですね。 寝たきりの人、歩けない人、目が見えない人がたくさん。 そしたらその小学校の先生らしき人が「この小学校にも津波がくるかもしれない」って言いだして。 1階に寝たきりの人や歩けない人・お年寄りの人たちをいさせてはいけないってことになって、その人たちを3階(小学校は3階建て)に移動させようってなりました。 その人たちを3階まで移動させるために、男の人が集められました。 もちろん俺と幼馴染もいきました。 そしておんぶして移動したり、ベッドごと持って移動したり。 1人のおばあちゃんを幼馴染と一緒に移動させてるとき、そのおばあちゃんにごめんね、ごめんねってすごい謝られて。 大丈夫ですよって言ったらこんなに迷惑かけるならあたしは死ねば良かったねって泣きながら言われました。 なんかそれを言われて俺も幼馴染も泣けてきて。 未だにその時のことが忘れられないです。 おばあちゃんは何にもしてないのに、なんで自分は死ねば良かったなんて言わなきゃならないんだろうってなんかすごい悲しくなりました。 つづく |
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会社の女の子達に女子会 来て!と誘われて先日の金曜日行って来た。 スポ少のママ達とはよく飲みにいくのだが、会社の飲み会は とんと参加しない私。 私がいる部署は 機械関係の部署なので 実は女性は私ひとり。 あとみーーんな 男性。 なので部内の飲み会なんか行くと私一人女性になる。 おもしろくない。 他の部署には わんさかかわい子ちゃん いるのに。
今回はその 他部署のかわい子ちゃん達に誘われてしまった。 さては 私にもモテ期 到来かぁ?
DDさんと一度一緒に飲んでみたかったんですぅ〜。 うひゃーーー!
『って 飲みに行って来た!』
と 次の日 老後まで一緒茶のみ友達トモちゃんに報告した。 『おっさんか
『トモちゃん。 声大きい・・・。』
『ただの二日酔いでしょ。 どんだけ飲んだの?』 『生中 四杯。』 『びみょーな 飲み方。 うひゃうひゃで頭ボンッ 『そーーねーーー。 なんか後半 悪口大会だった。』 『あんたの? 』 『なんで私?』 『DDさん 私のこと変な目でみないでくださぁいん 『変態か トモちゃん。』 『帰れっ!』 トモちゃんってば ツンデレ
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東日本大震災復興支援のグリーンジャンボ宝くじを買った!
宝くじ買うのって とっても躊躇するんだけど、 買わないと当たらないし でもどうせ当たらないと思ってるとこがあって いつも もったいない!と思ってしまう。 でも このグリーンジャンボは東日本大震災復興支援へ収益金が行くから 捨て金にならないよね。 もう10枚買ってこようかな?!
うちの弟とかが言うには 『姉ちゃんって 当たらないとか思ってるくせに 買うのは絶対連番の大穴ねらいだよな。』 ばくち しないから姉ちゃんわかんな〜い。
でもバラはなんかイヤ。 どうせ当たるならどどーんと 5億こいやっ!! って思わないかな?
『姉ちゃん本物のばくち打ちになる素質は充分。』
義妹まで 『義姉ちゃん変なとこ 度胸満点だものねーー!!』 変なとこって何? この小心者の姉ちゃんつかまえて何てこというのかしらっ? 『函館家族旅行の露天風呂で津軽海峡冬景色熱唱できるのは 義姉ちゃんくらい。』 義妹は今だに 露天風呂熱唱事件を話題にする。
目の前に広大な津軽海峡が見えてるのに なぜ歌ってはいけないのだ! 『『音痴だから。』』 ハモらなくても・・・。 仲良し夫婦ね。
『じゃ 次はさぶちゃんにするよ。』 なんだよ二人とも その顔。
5億当たったらね。ハワイ辺りへ移住するわ〜 で 道端で手作りジュースでも 売る。 余生はジュース売り 残りは東日本大震災復興支援へ寄付だな。 人間そんなにたくさんお金持ってたらダメになるからね。 地道に働くのが一番さ。
ま ほんとに当たったら まず気絶するだろうけど。
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