Ddogのプログレッシブな日々

保守系サラリーマンによる保守主義者のブログ (消極的親米保守)

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久々に目から鱗の本でした、理路整然とした歴史的経緯説明は実にすばらしい!(絶賛します!)戦前のドイツが、日独防共協定や、日独伊三国同盟の影で、信義に劣る卑劣な外交行為を行っていた。日中戦争は実は日独戦争に等しかった。これを人間に置き換えたのならば、二股をかけ片一方と婚約結婚したが、婚約中も結婚後も前の彼女と付き合い続けた卑劣な男を見るようである。ナチス独逸は、卑劣な国だったのである、そんな国だと見抜けずいっしょに滅んだ我々大日本帝国も自業自得であったのかもしれない。

歴史へのifは禁物だが、昭和12年に設立された陸軍中野学校がもう3.4年前に設立され、インテリジェンス機能が働いていれば、日独伊三国同盟の締結はなく、太平洋戦争へ突入することもなかったであろう。ナチス独逸の背信行為を軽く考えていた陸軍首脳部、特に当初ナチスに懐疑的であったにもかかわらず、ナチスと結んでしまった大島武官、自分の任地の国が友好国となるのは好ましい事だと官僚的に考えてしまった武者小路駐独大使、熟慮せず安易に日独の接近を許してしまった陸軍の担当責任者だった山下奉文、独逸の背信行為を質問した野党に対し「黙れ!」発言をした佐藤賢了中佐らの責任は重い。

本書は主に独逸軍事顧問団の中国との接近から、第二次上海事変における皇軍と国民党軍の死闘の様子、国民党軍の壊走と、顧問団の引き上げの経緯が克明に著されています。

私は大きな思い違いをしていたのだ、ナチス独逸は友好国ではなかったのだ!日独防共協定(S11/11/25)成立後の盧溝橋事件(S12/7/7)、第二次上海事変(S12/8/13〜11/30)においてドイツ軍事顧問団は、単なる軍事顧問ではなく、兵器の供給、作戦の立案から訓練、防御陣地の構築まで国民党軍を指導し、戦闘を指導し続けた。更に日本軍との戦闘に参加、戦死者までだしている。

独逸軍事顧問団の指導により構築された上海郊外の堅固な陣地は、トーチカとクリークに守られた民家を要塞化した防御陣地であった。更に優秀なドイツ製の最新兵器で武装し、顧問団に訓練を受けたた国民党軍精鋭部隊は手ごわく、第二次上海事変では日本軍は旅順攻略に匹敵する戦死傷者41,924名(旅順攻略戦59,408名)を出したのである。

記事は実際に掲載されなかったが、同盟通信の松本重治上海支社長(「日米同盟静かなる危機」に続きまた登場)が月刊誌「改造」に「上海の戦いは日独戦争である」と書いていた。

上海戦終結後も止まることの無いナチス独逸の二股外交、中国支援は続き、昭和12年11月6日、日独伊三国同盟締結は、なんと上海戦の最中であった!日独伊三国同盟軍事にもかかわらず、驚く事に日本軍の南京入城時(S12/12/13)国民党軍を指導していたのはドイツ軍事顧問団だったのである。独逸軍事顧問団は日独伊三国同盟を推進したリッペンドロップが外相に就任し、昭和13年7月5日副総裁へスの再三の命令で漸く顧問団29名が引き上げる最後の日まで、戦争を指導し続けたのであった。それでも元ナチ突撃隊員シュテネン大尉など残った者までいた。

本書では意図的に皇軍の南京入城についての記述はさけているが、本書を読むことで永年の痞(つかえ)えが一つ取れたことがある。南京大虐殺のと呼ばれるプロパガンダ事件において、日本軍が残虐行為を行ったと証言するジョン・ラーベ(John H. D. Rabe, )は、日本の同盟国としての独逸の実業家として、日本軍の虐殺行為の中立的証言者であるかのような、虐殺肯定派は重宝がっているのだが。ドイツは同盟国でも、中立国でもなく、日本と実質的に戦闘を行った中国軍の独逸軍事顧問団側の証言である。しかも、中国国民党軍を大得意客とする武器商人のシーメンス社の社員であり、南京ではナチス党員であることを公言していたことを考慮すると、ラーべの証言は客観性にかける偽証である可能性が高い。

なぜ、同盟国ドイツの民間人が同盟国である日本を貶める偽証をしたのか永年疑問であった。信長を除いて伝統的に虐殺を行わなかった日本の軍隊、当時の皇軍の規律を考えれば、虐殺は考えにくかったのだが、同盟国ドイツ人が証言したということは、皇軍が南京で市街戦を予防する為に便衣隊を処刑したことを誤解していたのではないかと思っていました。中国側のプロパガンダほどではないにしても、虐殺が行われたのではないかという疑問を持っていた。しかし、本書を読むことで漸く納得でき、永年の痞(つかえ)えが取れました。ただ、戦争ですから、便衣隊と誤認された一般市民も処刑された可能性は否定しません。

なお、本書で南京入城について記述が少ないかというと、著者、阿羅健一氏は、南京虐殺否定派の論客で、おそらく南京虐殺は史実として取り上げる必要もないと考えているのだろう。実に筋が通っている。

上海戦の国民党軍85万人のうち皇軍に旅順以来の多大な犠牲が出てはいたが、国民党軍85万人のうち戦死傷者333,500名と、精鋭部隊を致命的壊滅状態にまで追い込んだ日本軍の強さは異常であり、鉄壁の防御陣地を構築し、軍事訓練を重ねた独逸軍事顧問団ファルケンファウゼン将軍のプライドは踏みにじられた。彼らが執拗に同盟国の日本軍攻撃にこだわったのか、単なる経済的理由だけではなかったことが、容易に想像つく。

第一次世界大戦は日英同盟であった為、日本は独逸に宣戦し植民地としていた青島を攻めた。ベルサイユ条約でドイツの持っていた権益である南洋諸島、チンタオ山東省を日本が奪取した。独逸にとってアジア=中国であり、日本=敵対国家であり続けたのである。

ソ連の重化学を独逸が指導する代わりに独逸に航空機と戦車の訓練場を提供するラパロ秘密協定を結んだり、民間航空会社ルフトハンザを設立しパイロットを養成したり、あの手この手で連合国の目を欺いてベルサイユ条約以降独逸軍を再建したのはハンス・フォン・ゼークト将軍であった。

ライバル、ヒンデンブルグが大統領となると、ゼークト将軍は辞任を迫られ中国国民党の軍事顧問団となったのである。
P39
日本を引き込み、長期戦に持ち込む
ドイツ顧問団は日本軍との戦いも指導することになる。
昭和七(1932)年1月、第一次上海事変が勃発した。戦いの後半、中国軍はヴェッツェル中将ら軍事顧問団が訓練していた第87師と第88師を投入してきた。直接ではないけれど、これが日本軍との戦いにドイツ顧問団がかかわった初めである。
昭和八年三月、日本の熱河作戦は万里の長城を挟んだ戦いとなった。このときヴェッツェル中将は中国軍の指揮を執った。
ヴェッツェル中将がかかわったのは戦術だけであったが、続くゼークト大将とファルケンハウゼン中将は戦争指導にまでかかわるようになっていた。しかも、対日敵視政策、対日強硬策を自ら進言しだしたのだ。

「日本に対して中国が強くなるためには武器も必要であろうし、飛行機も必要であろう。けれども自分がドイツにおける国防軍を編制し、国防軍を動かした経験からするならば、今最も中国がやらねばならぬことは、中国の軍隊に対して日本に対する敵愾心を養うことだ」中国軍の強化策を蒋介石から問われたゼークトはこのように答えた。
この考えは、蒋介石だけでなく中国の軍人の思想を貫き、それが核となり、やがて中国人全体の反日感情となっていった。秘密警察組織である藍衣社が特別な力を持つようになったのも、ゼークトの献言による日本敵視政策を取り入れるようになってからである。
地網を構築する、といった具体的準備も献策した。
このころファルケンハウゼンは、北支での戦いを主な対日戦と考えており、中国軍が近代戦に適応できないことを認めると共に、長期戦に持ちこむためには中国政府の抗日姿勢が大切だ、と説いている。
1935年10月1日には、漢口と上海にある租界の日本軍を奇襲して主導権を握るように進
言していた。漢口と上海の租界では日本の海軍特別陸戦隊が邦人の保護のため駐屯しており、この日本軍を奇襲しようというのである。日独防共協定締結の約一年前にドイツ人が中国にこの様に献策していたのだ。

ファルケンハウゼンは中国の敵を、日本が第一、共産党を第二と考え、日本軍を叩く過程において中国軍が勝利を収めていけば共産党を消滅させえると予測していた。しかし蒋介石は安内攘外であり、主要な敵は誰であるかという基本が違っていた。ファルケンハウゼンの進言を受けて蒋介石は何応欽軍政部長と相談するが、何応欽も、直ちに日本と戦うというファルケンハウゼンの考えに反対だった。
「ファルケンハウゼン中将の熱心さはわかるが、外人顧問は外人顧問であり、無責任な存在にとどまる。国運をゆだねるべき相手ではない」何応欽はこう指摘した。

しかし、ファルケンハウゼンの対日戦の進言は執拗に続けられた。昭和11年(1936)4月1日になると、今こそ対日戦に踏み切るべきだ、と蒋介石に進言する。
「ヨーロッパに第二次世界大戦の火の手が上がって英米の手がふさがらないうちに、対日戦争に踏み切るべきだ」
独逸軍事顧問団は反日世論も操作も行い、日中戦争にを煽っていた可能性まで考えられる。戦略物資であったタングステン等の資源を入手する為に戦争を煽り、最新兵器とタングステンとのバーター取引を中独間で行われ、中独貿易は戦前飛躍的に伸びていました。経済的動機もさることながら、おそらくそれだけではなかったろうと思う。本書を読み私が考えるに、ナチス独逸が欧州ソ連を制覇した場合、将来直接国境を接する支邦地域に満州と日本の傀儡政府もしくは中国国民党政府の強力な国家が存在してはならないことを考えた長期的戦略もあったかもしれません。

ナチス独逸は二股外交を行い、結果的には日本との同盟を行い、第二次世界大戦へと進んでいったのである。また、当時日独両国民の国民感情もとてもお互いにとても有効的雰囲気ではなかった話など、興味が引かれる内容が満載でした。

第二次世界大戦はなぜ起きたのか、大恐慌から第二次世界大戦に至る歴史的経緯を確認する作業は、2009年の我々にとってけして単なる歴史の研究ではない。その研究作業は近未来の予測にも通じるものがあるのではないかとも思います。皆様、このブログで済ますのではなく。ぜひ本書を一読していただくことをお勧めいたします。

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上海戦の激闘で亡くなった実在の兵士を模った石仏。愛知県知多半島の仲之院「軍人群像」
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年表画像をクリックして下さい。
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画像をクリックして是非読んで下さい。日中戦争は日本と独逸の戦いであった。
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現代史はあまり読んだことがない けれど上海事変 盧溝橋事件。。
あるいは蒋介石 国民党軍は ドイツが軍事顧問団を持っていたというの
ある意味得心した
函谷関を越すに越せなかった日本 あの強大堅固のトーチカの設置。。また日本軍に対する逆襲・・の裏には
このような史実もあったのですね。

2009/4/23(木) 午後 11:04 あさ 返信する

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あさやま様ご投稿有難うございます。誰もこの目から鱗の史実に対して、反応が無かったので、少々がっかりしていましたが、今回コメントを頂感激です。国民党のドイツ顧問団の存在を歴史家は余りにも軽く扱い続けているような気がしてなりません。

2009/4/23(木) 午後 11:21 Ddog 返信する

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祖父も父も満州にいきましたから たまに祖父から聞いたような記憶が・・ 其のことが 東洋のマタハリ と
ときどき本詠みますが なにしろ現代史は浅いもので
盧溝橋にはいきました。。詳しく忘れましたけれどね、爆

2009/4/24(金) 午前 6:45 あさ 返信する

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こんにちわ、世間では日中戦争は盧溝橋事件からはじまったことになっていますが、日本軍は北京無血入城しました。
本格的な戦闘は第二次上海事変からです。

これは蒋介石側から日本の海軍陸戦隊にしかけてきました。

その背後にはドイツの軍事顧問がいました。

当時の中国兵の映像を見るとドイツ軍のヘルメットをかぶっています。

ところでドイツの二股外交という言い方には反論があります。
ドイツはソ連が仮想敵国で、日本や中国と同盟したかったはずです。
日本と蒋介石の仮想敵国もソ連です。
本来三国は同盟すべきでした。

ところがあろうことか関東軍が華北分離をこころみ、中国の世論が反発し、西安事件がおこりました。
国共合作・抗日統一が成り、コミンテルンの思う壺と成りました。

本来のドイツの軍事顧問団は対日戦の指導のためではなかったと思いますが。

2009/4/25(土) 午後 3:32 ure*ruh**oshi 返信する

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ヒロシ殿、本書を読むと私と同じく目から鱗が落ちると思います。私もソ連を共通に仮想敵とする日独が敵対するはずがないと考え、国民党のドイツ軍事顧問団の存在を、深く考えた事がありませんでした。

しかし、本書を読むと、ドイツ軍事顧問団は顧問の枠を越え、主導的に日中戦争を指導した事実が読み取れます。さらに積極的に戦闘へも参加していたことには驚かされます。第二次上海事変はドイツ主導といっても過言ではないでしょう。

ドイツにとっては第一次大戦で青島の権益をはじめ中国権益の一切を奪った日本はある意味で宿敵だった。そしてドイツはゲルマン民族の世界征服の長期的戦略からソ連占領後のことまで考え、日本や中国という劣等民族を争わせ国力を削ぐことまで考えていたのか!と本書を読むと思うのです。さらに、南京虐殺の証言者が同盟国のドイツ人ではなく敵対国のドイツ人であったと考えれば、南京虐殺の虚構も見えてきます。是非ご一読をお勧めします。

2009/4/25(土) 午後 4:49 Ddog 返信する

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はじめまして。いい本をご紹介いただきまして、ありがとうございました。小生、他の方のブログ「株式日記と経済展望」なるページから訪問いたしました。
さっそく購入して熟読したいと考えております。

2009/5/7(木) 午前 10:58 [ ear*y*ir*8710 ] 返信する

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ear*y*ir*8710 殿お知らせ有難うございます。

「株式日記と経済展望」、私もブックマークをしていますが、このブログが取り上げられているとお知らせいただいて初めて知りました。

TORA氏も私も阿修羅掲示板の投稿者で、TORA氏も私のブログのことは知っていたと思います。

過去に、意見の相違があったこともあり、私がTORA氏のブログへ数度批判のコメントを書き込んだりしてましたので、このブログを「株式日記と経済展望」で取り上げる事は無いと思っていました。それゆえ少々意外でした。

TORA氏の「株式日記と経済展望」への情熱度には常々敬服しています。私も読書家であることを自負していますが、TORA氏にはかなわない。またほぼ年中無休の更新には頭が下がる思いです。

この【Ddogのプログレッシブな日々】はTORA氏の「株式日記と経済展望」に及ばないものの、ある種目標でもあります。これからもご贔屓にお願いします。

2009/5/7(木) 午後 9:53 Ddog 返信する

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本は幾重もの人のフィルターを通して書かれた物です。歴史の事実は「誰にもわからない」が歴史だと思います。事実は自分自身が体験したのみ事実。本、TV、映画ではね・・・

2011/2/21(月) 午前 3:45 [ kom**tamond*no* ] 返信する

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To komattamondanou さん
確かに「幾重もの人のフィルターを通して書かれた物です」ですが私は阿羅氏のこの説については合理的かつ説明がつく資料も残っているため、非常に信憑性が高いと判断します。

なお、自分の体験しか信じられないというのはいかがなものか?と思います。
記憶は年月が過ぎると頭の中で作り上げてしまう場合もあり、」何が真実だったかということについては記憶は必ずしも正しくはないと思います。

2011/2/21(月) 午後 0:12 Ddog 返信する

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