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朝から晴れで午後は快晴、暑い〜強烈な太陽光線・猛暑日(Max35.0℃・平年差+9.0℃)の復活です。
《暑さ寒さも彼岸まで》こんな諺は今年は成り立ちません、我が家は昨夜から再びエアコンのお出ましです。
彼岸です、早朝から我がミニバイクに花芝(しきみ)を乗せて片道約1時間の旅、お墓参りは遠いですねぇ。
また、墓掃除をしながらお隣のお年寄りとお話、88歳だとか これも良いもんです。
【昔話・自分史】 ガーデニングは有りません、そこで今日は9月21日遥か昔の『室戸台風』記念日の話です。
昭和9年のお話です、この台風を知っている・経験している人はもうごく僅かでしょうね、そう もう75年以上も前の事ですから。(私たち家族の住所は大阪市港区魁町4丁目、家業は饅頭の製造卸。)
私は昭和4年12月生まれですから、5歳になるチョット前になります、大事件ですから断片的にですが覚えています、箇条書きにでも書いて見ますか。後日母から聞いた話も含んでいます。
←←←画像はYahooさんからです。
1 2階の窓から見ると西の長屋の屋根瓦が木の葉のように舞い上がっていました。
2 北の安治川側から水が来る、逃げ出そうという事になって南の方へ逃げ出しました。
3 座布団を頭に括りつけて誰かに背負われてでした。(瓦が飛んで散乱していました)
4 大通り(六間道路)を南へ、反対側(尻無川)から水が来て立往生し、横の市岡倶楽部(映画・芝居小屋)に逃げ込みました、2階へ上がるとすでに大勢の人がいました。
5 家に帰ってからです、家の前を畳?に乗った人が竿を操っての移動です、舟の替わりでしょう。
以上2を除いて私の記憶はハッキリしています(当時4歳ですが憶えています、それほどの大事件?)。
6 床上浸水ですが、母の話では箪笥の引き出し下から2段目までだった。(結果論二階に居ればよかった)
7 積み上げていた砂糖・小麦粉・・・は下が濡れると上まで浸透しすべてダメになったとか、これも母の話。
大損害だったそうです。
8 後日話 当時四国の母の実家・父の姉妹たちは、本気で死体の引取りに大阪行きを考えていたそうです。
新聞・ラジオ・・・で大阪は全滅だとかの話だったようです。
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室戸台風は午前8時頃、大阪と神戸の間に再上陸した。
再上陸時には満潮を過ぎていたがまだ潮位は高かったことと最大瞬間風速60m/sという強風により、4メートルを超える高潮が発生した。
高潮に関しては、大阪港の築港路上の記録として30分の間に200cmを超える海水の流入があり、地盤沈下の影響もあり滞留した内水と押し寄せる海水の影響で、大阪城付近まで湛水したという。あまりの急な水位の上昇に避難が間に合わず、大阪湾一帯で溺死した者は1,900名以上と推定されている。
暴風に関しては、学校や寺院を筆頭に、比較的大きな建築物に被害が相次いだ。特に、木造の小学校校舎では児童・教職員に多数の犠牲者を出した。
2018/12/8(土) 午後 2:07 [ 地震・雷・火事・津波 ]