|
話は前後しますが、5月3日の江ノ電訪問 では、鵠沼駅と腰越海岸周辺を探訪しました。
その鵠沼駅、起伏のある土地にあり、江ノ電では唯一、地下改札口を持ちます
でも駅前には、それ以前からあったと思われる、旧い商店の名残があります
駅出口側から、褪色した看板と後方の松が、海が近いことを偲ばせます
石段のたもとに、こんな旧い石の道標がありました
今の小田急・本鵠沼駅が、開業に当たって既に存在していた江ノ電の鵠沼駅と混同されないよう、提案されたまぼろしの駅名で、最終的に小田急の駅名は「本鵠沼」に落ち着き、この駅名は採用されなかったのですが、開業に先立って道標が整備された際に、鵠沼本町の方の駅名案で道標を作ってしまった、というのが真相のようです。
道標の整備は昭和3年、本鵠沼駅の開業は昭和4年、その微妙なズレの歴史の証人、というわけです。
(もう一箇所あるらしいのですが、私はこれしか気づきませんでした。ネット上でも画像資料はほとんど出てきませんので、皆さんも探してください!)
立派な門構えの邸宅も多く見られます
こちらはちょっと別荘建築風の、高台の瀟洒な木造住宅
元々が温暖で風光明媚な、鎌倉から湘南海岸周辺は、片瀬山に代表されるような高級分譲地が多く、官僚や大企業の重役などの別荘兼週末自宅のような邸宅が数多く見られます。
江ノ電沿線でも、この鵠沼や湘南海岸公園付近には、そんな建物が散見されるのです。
藤沢や逗子・鎌倉から丸の内に向かう東海道・横須賀線が、昔々からグリーン車などの優等車必須なのはこのためです。 (某大手企業の重役だった赤影の大叔父も、稲村ケ崎の高台に居を構えていました)
ちなみに「重役出勤」の本当の語源は、重役になったら朝ゆっくり出てきて良い、というニュアンスではなく、週末明けにこうした邸宅から、朝普通に起きて丸の内に出勤しても、10時頃になってしまうことから言われ始めたと、私の年頃だと聞いたことがあるのですが、今やそんな記述はどこにも見られなくなってしまい、重役なら朝寝坊してゆっくり出てきても良い、という意味になってしまっているのは、なんだか「逆差別」的な敵意を帯びた言葉に感じられて、残念な限りです。
閑話休題
さて、次にやって来たのは腰越
海岸線へと向かいます
線路はこの左側、民家の間を走っています
そして大きくカーブを切って海岸線に出たところがココ
そしてこの海食崖の上が、1963年の黒澤明監督映画「天国と地獄」で、犯人たちのアジトとなっていたロケ地になっています。
反対の鎌倉高校前側から見たところ
この映画では、犯人からの脅迫電話に、電車の通過音が入っていたこと、そしてその通過音が、パンタグラフなどではなく、ポールという集電装置の架線を擦る音を伴っていたことから、警察が犯人のアジトに迫っていくという展開で、
江ノ電が犯人を突き止める重要な手掛かりとなっていることで、映画ファンの間では有名です。
なお、著作権の関係で、映画のシーンはクリックで元サイトに飛ぶリンクにて画像を表示します。
刑事の乗った車が、アジト近くの海岸線を走るシーンです
後方の建物(鎌倉海岸キリスト教会)が、窓割は少し変わっていますが残っています
電車も大体同じ位置になるように撮ってみましたが、車が多すぎます(笑)
「なんだかホシが近いって気がしますね。」
車を停めて、刑事たちが崖上を見上げるシーン
左の刑事の肩上あたりに十字架が見えるのがわかりますが、これも同じ個所で撮っています。車の後ろに飛び出している切妻屋根は、通過シーン後方の教会の屋根で、私の撮った写真だとそれがよくわかると思います。
ストーリーの流れでは教会の前を走り過ぎて、その後どこかに停める想定になるわけですが、実は現地に行けばわかるのですが、海沿いの国道134号線は車道以外に殆ど余地がなく、ちょうどこの位置にある、海岸へと降りるスロープの踊り場以外に、撮影隊が機材を構えるスペースがないのです。
そして刑事の車は、アジトへと続く坂道を登っていきます
どうでしょう?ここの雰囲気は、驚くほどそのままなのがわかります
下から見上げたところ、途中で右に一度クランクして、さらに登っていきます
クランクから上、岩盤が露出したままの崖地になっています
映画では下方向から撮っていますが、今も面影が残っている崖です
登りきると崖上の平坦な分譲地のようなところに出てきます
ちょうどベンツの頭が見える、曲がり角の辺りです
とにかく、かなり当時の面影が残っていることには感激しました
アジトにたどり着いた刑事が下を見下ろすと、ちょうど江ノ電がポールをシュルシュルといわせて通過していきます。 間違いなく、ここが犯人が脅迫電話を掛けてきた場所だったのです!
この場所は今、完全な民有地の宅地で、様子を見ることができませんでした。
そう、ちょうどこの、海岸線からカーブで民家の間に入っていく、海食崖の真上です
なお、この写真の1980年当時でも江ノ電はもうパンタグラフ集電で、特徴的なポール集電の音を聞くことは叶いませんでした。
|
昭和の残像
-
詳細
コメント(8)
|
昨日はかなりディープな、旧・成田空港(現・東成田)駅と芝山鉄道を訪ねる小旅行だったわけですが、昨日の記事にも書いた通り、成田まで行ったのですから、成田山新勝寺まで足を延ばしてみました。
京成成田駅から、線路に沿って下っていきます
下りきったところで、昨日の記事の「電車道」が見える交差点に出ます
この高架線は1978年、旧・成田空港駅への路線が開業したときから使われ始めたものです。 それも、実際にはもっと前に出来上がっていたものの、空港反対派の抵抗による開港の遅れで、しばらくは無用の長物となっていた曰く付きの新線でした。
2010年、北総線・千葉ニュータウン方向から一直線に短絡する、高規格新線の成田スカイアクセス線が開業すると、スカイライナーや、羽田・成田空港アクセス特急などの花形列車はそちらに移り、この高架は基本的に京成本線からやってくる一般車両や、先の東成田経由・芝山千代田行きの電車しか走ることがなくなってしまいました。 だからこの町にも所々、そんな没落の雰囲気漂う建物もあります
こちらはそのビルのすぐ下、坂の下で合流するJR成田駅方向からの道路
そして昨日の記事の電車道、いきなり深い谷を築堤で抜けています
谷底に蒸気機関車!?
D51が保存されており、その周囲をミニSLが走る公園になっていました
しかしSLは、運転を止めて久しい雰囲気です
寂しげなD51の上空を、成田空港行きの本線特急が走り抜けて往きました
電車道を新勝寺に向かう途中、駐車場の向こうに見つけた洋館
3色の石をモザイクのように使った、門柱の意匠も趣味がイイですね。
新勝寺の山門横には、仲見世的な好ましい一角がありました
山門には奉納の草鞋が沢山括られていました
釈迦堂(安政5年・重文)、実はこれが、先代の本堂だった建物です
新しい大本堂の完成に伴って、釈迦堂となり今の場所に移築されたのです。
実はこれよりさらに古い時代の本堂だった建物も、境内に残っています。
このあたり、電車道の由来となった成宗電車の話と共に、今年のお正月に放映された、「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」スペシャル番組で取り上げられていましたね。
さて、表参道には重厚な木造建築が多数残り、門前の栄華を偲ばせます
参道を歩いていると、とにかくいい匂いがしてきます
フラフラと、壁にかかる扇風機が昭和的な雰囲気の近江屋さんへ・・・
ここも「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」で紹介されたお店です
番組にも出ていた、愛想の良い女将に通されて、庭の見える一番奥の席に・・・
もはや特上を食うほど体がスタミナを欲していない老人なので、普通のうな重を☆
お値段はさほど観光地価格というわけでもなく、味も大変よろしいお重でした
敷居の高い名店と違って、客入りの見込みを見ながら焼いているので、10分も待たずに出てくるところも、番組のとおりでしたよ(笑)
近江屋さんを出て、駅の方向に向かいます
上りきったところが西参道との分岐となる三叉路
右奥が今歩いてきた表参道、左が西参道です
※成宗電車、参道風景、新勝寺の変遷などが取り上げられている「ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯」はこちら。
|
|
渋谷駅全体の大規模再開発に連動するように、南口から国道246を渡った桜丘の線路沿いのエリアでも、再開発が始まりました。
釣り具の「上州屋」が入っている昭和時代のビル
先日、鎮痛剤を切らしたので買おうと立ち寄ったら、なんと最もポピュラーなバファリンが品切れでした。
店員に聞いたら、棚になければもう在庫切れです、と言われて、そんなこともあるのか?と訝しく思ったのですが、こういうわけでしたか。。。
高架下の居酒屋も立退きが終わったようです
ライブハウスなどもあり、渋谷駅周辺では一番アングラ感が強いエリアでした
シレっと清潔で個性のない街になっちゃうんだろうなぁ・・・
|
|
お正月には大勢の人で賑わう この駅ですが、普段はこんな感じでのんびりした雰囲気です。
大変歴史のある駅で、日本初の電気鉄道はのちの京都市電となる京都で発祥しましたが、関東で最初の電気鉄道は、この川崎大師への参拝目的で作られた、今の京急・大師線なのです。
開業は、明治の時代にまでさかのぼります。
駅前から伸びる参道が表参道
右手に境内を見ながらも、入り口や山門はなく、そのまま通り過ぎて参道が続きます。
アーケードがあったりなかったり、数軒単位で作りが雑多だったり・・・
(一つ上の写真の駅から見える側は、看板が外され、内部の蛍光灯照明がむき出しになっています)
もっとも、看板には写真に見える蕎麦屋も寿司屋もラーメン屋もありません、辛うじて、南天堂という土産物屋が残っているだけでした。
このアーケードは、蛍光灯をジグザグに配した照明など、凝ったところが見られますが、手前側にちょっとだけ写っている続きのアーケードは、もっと簡素なものなのがわかりますね。
大師さまと言えば久寿餅が名物ですが・・・
沿道で一番の老舗と思われる味わいある店の前にも、自前のアーケードがありました
おいしそうな老舗の料理屋があるのも、こうした参道の楽しみです
多摩川河口に位置する川崎大師らしい、江戸前料理のお店ですね
歩き疲れたら、どうぞww
馬頭観音の赤い幟の前を往く、赤いTシャツの女の子♪ 表参道の終点、川崎大師入口交差点の角にある提灯屋さん
この交差点を駅の方から見て右に曲がるのが、駅からの参拝ルートになります そしてすぐにまた右に折れると仲見世
タンタカタンタカ♪というリズミカルな飴屋の包丁の音と共に山門が見えてきます
つまり駅から来ると、一度大師さまを通り過ぎて、Uターンするようにして山門にアプローチする参道ルートとなっているのです。
なぜ、このような回り込むルートとなっているのかは不勉強にしてわかりませんが、そのうち「ブラタモリ」あたりで解明されるのではないかと楽しみにしています。
山門に到着♪ 真言宗智山派の大本山です
川崎大師は通称で、金剛山・金乗院・平間寺(へいけんじ)が本当の名前です
山門から見た仲見世、良い雰囲気です
境内に入ってみましょう・・・
手水の前に来ると、何となく神聖な気持ちになります
大人でも、見ていると七割がたはテキトーですが、まだまだ日本も捨てたものではありませんww
香炉です
で、そこのヤンキーカップル、パンツ見えてね??
風車やヒーローのお面が郷愁を誘います
大道芸人がいるのも、大きな名刹らしい風景です
今年最初の「夏日」がやって来ました・・・
|
|
このエリアは木造住宅と旧い商店、町工場が混在する、墨東の下町独特の雰囲気が残っているところでもあります。
その中でも曳舟・京成曳舟駅南側のエリア、いわゆる京島地区には、大正時代の長屋建築などが残り、その手の好事家には有名なところなのですが、今回はそこを外してさらに小村井駅周辺から南、町名でいう文花、立花、そして亀戸あたりを散策してみました。
写真にはかなりプライベートな部分もありますので、去年の撮影、今年の撮影、また歩いた道順にはとらわれず、建物の用途などの流れでランダムに挙げています。
また、電柱の住居表示なども消しているものがありますことをご理解ください。 まずは典型的な戦後木造モルタル造、2棟長屋になっているようです
2階中央、便所と思われる部分が張り出しているのがユニークで、下部に付く掃き出し窓が懐かしいですね。
こちらも同じ玄関意匠が並ぶ2棟長屋ですが、手前側、車庫状の片持ち式差掛け屋根と、その上の物干し台あたりの造作は凄まじく、雨どいも外れて壊れたままになっています。
線路際の風景、、、木部は朽ち果て、トタンは錆びきっています
交差点の廃酒場
文字の部分だけはペンキが2層なので、錆の進みが遅く、それで辛うじて文字が残っている状態です。
木造建具が素晴らしい2棟長屋形式の商店、少し意匠にも洒落っ気が見られます
右手の物件は5棟連棟の長屋商店建築です
こちらは4棟連棟で、2階部分は少しセットバックしており、その前の部分が物干し台となっているのですが、その造作がかなりカオスですww
一番手前の酒屋など、割と看板が新しそうに見えますが、当書庫お得意の局番三桁物件です。
古い商家建築の成れの果て、廃焼き肉屋・・・食道園って、、、
空のショーケースが寂しい廃寿司屋
舗道のある大通りと線路際の角に位置し、立地は決して悪くないのですが・・・
こちらの廃商店、たばこスタンドを挟んで現行公衆電話と、旧い公衆電話台が並んでいました。
こちらは営業中でしたが、屋号どおりの「危険が危ない感」満点です
これも案の定の、局番三桁物件
住宅と、町工場などの作業場が混在しているのも、この地区の特徴です
刑事ドラマで誰かが殉職しそうな雰囲気です
外壁はサイディングですが、扉に時代を感じさせる作業場
すぐ裏を、2両編成の電車が走り抜けていきます♪
凄味あるオーラを漂わせた鉄工所
こちらは思わず模型化したくなるような、駅前の運送屋さんです
おそらく防潮板を入れるものだと思いますが、今は使われていないようでした
確かに周囲は鉄橋より低いゼロメートル地帯
水門などの河川設備が十分でなかった時代には、必要なものだったのかもしれません
ポロロ♪ポロロ♪と、こんな可愛い空冷バスがやって来ました
亀戸に着くとちょうどお昼時、きたなシュラン系の名所、亀戸餃子は長蛇の列です
同じ路地のホルモン屋も、古い木造にプラントのような排気ダクトが素敵でした
ここも長蛇の列で、亀戸は美味しいものの宝庫(ただしB級)であることが伺い知れます。
皆さまもぜひ、お訪ねください☆
あ、見〜つけた♪ ww
|







