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先週、今月いっぱいで営業を終えるソニービルをレポート させていただきましたが、、、
いよいよラストの今週、晴海通りに面したエレベーター塔屋の壁面が、開業当時のブラウン管電光式文字情報が流れていた時代を思わせる意匠へと変更されています。
SEE YOU IN 2018!
今日でお別れです。
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昭和の残像
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詳細
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池ノ「上」から下北「沢」、その地名に意味のあることが分かる散歩道です。
上の写真は、池ノ上駅から駒場東大前駅方向を見た写真ですが、遠方の菜の花が咲いている辺りは築堤上を線路が走っており、谷筋だったことがわかります。
そして、下北沢駅方向に向かっても地形は下っており、井の頭線はほどなくまた築堤上に出ます。 谷筋のどこかに池があったのかもしれませんが、まさにここは池の「上」あたりに広がる村落だったのでしょう。
下北沢に向かい始めると、すぐに傾斜地となります
このお宅も、立派な和風建築の母屋に、出窓のある洋館風の部分を建て増した形態になっています。
傾斜地ならではの擁壁には、造成当時からの古い大谷石積みがまだ多く見られます
もう遠くには、下北沢エリアの商業ビルが見えています。池ノ上と下北沢の駅間は5〜600m程度だと思います。
その立派な大谷石積みの敷地にも、和洋折衷のお屋敷が
一時代の流行だったようで、世田谷あたりでは良く見られる様式なのです
坂を下りきったところに、かつての川だった後の遊歩道がありました
今は暗渠化され、遊歩道や駐輪場になっていますが、開渠の時代から川岸にあった老木がいくつか残っているようです。
渋谷で地上に出てくる地下鉄の如く、井の頭線は高い位置へと移っています
昭和からの風景である、本多劇場の入ったマンションや劇団白鳥座はそのままですが、かつては築堤と茶沢通り(三軒茶屋から北上し、下北沢に至るバス通り)を跨ぐガードだった井の頭線は、いつの間にか立派なコンクリートの高架線になっていました。
その井の頭線をくぐり、かつての小田急の踏切方向へと向かいます
先ほどの川の跡はこの場所右手前の部分で一度茶沢通りに沿い、その後、写真正面奥に向けて続いています。(奥側が上流側です)
左の元踏切方向に向けては、地形が上っているのがわかると思いますが、この小さな川の跡こそが、下北沢の「沢筋」の名残なのです。
茶沢通りに面して踏切方向には、長屋の商店建築が、そしてその奥の、白とグレーの横縞の建物はスポーツクラブですが、赤影が学生の頃には映画館があった場所です。
その長屋建築の前から、かつての踏切方向を
道路の案内板には、まだ線路が残ってるしさ(笑) 赤影お得意の局番三桁物件も発見!
このあたりの建物が更新されないのは、都市計画道路の計画線上に引っ掛かっているからで、小田急の地下化を受けて、いよいよ道路も事業化されたようですので、やがて取り壊される運命になるのでしょう。
茶沢通りの向かい側にも、駐輪場に使っている空地や、古い木造が見えます
踏切跡から東北沢方向を・・・
小田急線の見えなくなってしまった下北沢なんて、なんだか下北沢ではないような気がします。
踏切を渡ると、どこか懐かしさの漂う下北沢一番街
小田急地上時代、ロマンスカーをバックに建っていたおでん屋さん は健在でした
だけど、美味しいお煎餅屋さんの角から駅へと折れるこのあたりは・・・
すっかり様相が変わっていました
そう、下北沢一番街も、都市計画道路に分断されてしまうのです
吉祥寺のハモニカ横丁と並んで、戦後闇市の雰囲気を色濃く残していた駅前市場も、すっかり変わり果てていました。
人の入れない空き地では、鳩がのんびり日向ぼっこ♪
かろうじて一筋だけ残っている部分も、立退きが終わりパイプ足場が組まれています
駅横の広場のように仮整備されていますが・・・
明らかに賑わいが衰退しているように感じました。
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銀座・数寄屋橋交差点の角に立つ、モダニズム建築の傑作
1966年、最先端の技術を盛り込んで建築された銀座ソニービルが、いよいよ今月末でその幕を閉じることになりました。
オープン時、この部分はブラウン管による電光パフォーマンスが見られました
毎朝夕、車で前を通過はするものの、最近は中々立ち寄る機会がありませんでしたが、ついにお別れということで、今日所用で銀座へ出たついでに寄ってみました。
最後の展示は、解体後の企画につながるものです
解体後、2020年までの間は、ソニー・パークとして開放されるそうです
一時的とはいえ、銀座の一等地の交差点にポケットパーク、というのも中々贅沢で素敵ですね。
交差点の対角線側、宝くじのチャンスセンターでも有名な西銀座の交番の角も、かなり広い空地がとられており、この部分は大都会の繁華街には珍しい、空が広い一角になるはずです。
折しも2020年は東京オリンピック開催年、海外の旅行者にも記憶に残る風景となるのではないでしょうか?
その、ソニー・パークをイメージした館内
カセットデンスケやベータムービー、そして8ミリビデオ等々、ここのデモ機を実際に触り、購入を検討した方も多いのではないかと思います。
平日午後、もう特段の展示物もない状態ですが、、、
それなりの入館者が訪れており、皆、思い思いに別れを告げている様子でした
昭和時代が22年、平成に入って29年・・・
気付けば、平成に入ってからの月日の方が長くなっていたのですね
残念ですが、還暦は迎えられませんでした
4月15日から、解体工事が始まります
Good bye SONY
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今日はスタッフの面接同行でオヤジの聖域、新橋へ
新橋で昭和臭渦巻く場所と言えば、写真のニュー新橋ビルが筆頭ですが・・・
今日は都営地下鉄浅草線で帰社するので、JRを挟んだ反対側へ
駅前に、破れたテントと錆びたトタンが露出する東側の
浅草線へとつながる、開運狸が鎮座するこの新橋駅前ビル1号館から地下へ
地下一階は頭髪危機のオヤジを誘う、昭和への迷宮
いきなり昭和臭全開のパーラー
こちらのショーケースは飲物とパフェ類、向こうはホットケーキやナポリタン♪
ココはサラリーマンたちの聖域なのだ
地下街なのに、異様に赤ちょうちんが目立つ、昼間は閑散としたエリア
チップ制トイレの前には、まつエク♪
所要のついでなので、モタモタせずに、案内板に従って駅に向かいましょう
地下鉄連絡出口に、電車のり”ば〜”
こちらの電車もそろそろ先が見えてきました
どなたか、夜の探検を(赤影は下戸なので・・・w)
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世間はホワイトなデーですが、、、
時をさかのぼること47年前の今日、3月14日、日本万国博覧会が大阪・千里丘陵で開幕しました。
テーマは「人類の進歩と調和」、、、当時を知る者には懐かしい響きです
浮かれてましたね〜、爆発のオジサンもまだ若かった!
ファッションが懐かしい・・・
ヒトも、モノも、カネも十分ではなかった時代
しかしそれ故に、この万博は若い建築家やデザイナー、ゼネコンがその創造力をそれこそ爆発させた、日本にとって大きなターニングポイントとなるイベントでした。
白眉はアポロ宇宙船を月面に送り込んだ直後だったアメリカ館
アポロ前世代のジェミニ(マーキュリーかも?)宇宙船と宇宙遊泳のディスプレイ
NASAの至宝(笑)、月の石
赤影の目線は・・・・
ココ・・・(退場!)
第一期、ミニスカート全盛時代でもありましたww
エキスポランドなる遊園地も併設で、これは会期終了後も残りました
お土産に買った、全パビリオンを網羅したポストカード
様々な工法が花開いた、建築の資料としても一級のお宝だと思います
こんなものもあったよ♪
金は買えなかったんだねぇ、、、銀メダル(笑)
元気だったな、、、ニッポン
世界の国からコニャニャチヮ♪
これでいいのだ!!(バカボンかよっ)
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