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東京おとなガレージ
旧い車や鉄道、懐かしい風景などを愛するおとなのブログです。

書庫昭和の残像

 http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/f8/8c/de_eb_zzzz/folder/1024723/img_1024723_22651713_0?1257433412 自分が子供の頃に親しんだ風景や、懐かしい建物などを紹介します。
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裏アキバあたり

 
今日はちょっと秋葉原の電気パーツ屋に買い物があって、お昼休みに岩本町まで地下鉄で♪
 
昭和通りから電気街方向へ、神田川と並行して南側を走る、「柳原通り」を抜けてみました。
 
 
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まずは昭和通りからすぐの、喫茶店アカシヤの入る北原ビル

神田川と柳原通りに挟まれており、昭和通りの角から2軒目なのですが、今、角のビルが取り壊されていて、昭和通りからも良く見えます。
スクラッチタイルを多用し、窓の上下に庇状のボーダーを回した、クラシックなスタイルです。
 
もうちょっと行くと、今度は反対側に見えてくるのが・・・。
 
 
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この界隈を一躍有名にした、見事な看板建築の海老原商店

昨年5月の記事 でもちょっとご紹介していますが、以前の海老原商店に続く街並みは・・・
 
 
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こんな見事な銅板葺き建築が並んでいたのですが、いつの間にかコインパーキングに


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そのパーキングから見ると、意外と奥行きがあることがわかります


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同じ並びのもう少しJRガード寄りにある、岡昌裏地ボタン店

典型的な銅板葺きの看板建築です


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ここは何と言っても、おそらく当時のままの建具なのが素晴らしいです!


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向かい側の神田川との間には、界隈の氏神様、柳森神社があります


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手水の脇に、溶岩が積み上げられて、「浅間神社」の札が・・・

神田川沿いの下町と山岳信仰、興味深いですね


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ガードをくぐります

山手線・京浜東北線のガード下は、戦前の面影を色濃く残しています

(昭和通り寄りは、新幹線と上野東京ラインのコンクリート桁です)


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進めばほどなく、肉の万世本店が角にある、中央通り交差点ですが・・・


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その手前に、何とも怪しい、木造廃屋の自販窟が・・・


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写真じゃよくわかりませんが、すさまじいオーラを発しています


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ゴミが散乱し、荒廃しきった内部

普通の飲み物(普通じゃないのもあるが)に混じって・・・


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どんなんよ??


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中身が何だかわからない箱も売ってます


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いったい何が入っているのか・・・?

ちなみに、それぞれに別の色々なエッセイ風タイトルが付いております


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アキバ名物「おでん缶」もここでは・・・


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買う勇気、、、ありますか!? 私はムリですww


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30歩も歩けば、そこはもう万世橋のたもと

橋を渡れば電脳とメイドとフィギュアの街、アキハバラです



いゃ〜〜、、、深いな、裏アキバ、、、深すぎる
 
 
 

町の記憶

 
江ノ電の沿線を歩いていると、昔は自分の生まれ育った下町にもあったもので、もう今は跡形もなくなってしまったようなものが、まだ見つかることがあります。
 
極楽寺駅から稲村ケ崎駅へと、江ノ電に沿うように歩きながら見つけたもの・・・。
 
 
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これはゴミ箱、昔の集積所ですね

上からごみを捨て、収集の時は前の板を上に引き抜けば、手前にゴミを引き出せる構造になっています。
赤影が江ノ電に通うようになった、40年近く前から、既にこの場所で使われずに放置されています。
 
 
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これは木桶の浴槽

既に薪焚きではなく、ボイラータイプになった頃の物で、煙突の左右は「上がり湯」槽になっている工夫が見られます。
内風呂というのは、銭湯が発達していた下町では実はあまり普及しておらず、むしろ周辺の郊外でよく使われていたものです。
もっと田舎では、五右衛門風呂の方が一般的でした。
軒先に置かれたこのお風呂、数年前までこの状態で現存していたのですが、最近、家屋ごと消えてしまいました。
 
 
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稲村ケ崎に近い道端に残る、水の記憶

この鋳鉄の遺構は、いつもヒメツルソバの小さな花に囲まれて、まるでジブリアニメのオブジェのように、静かに佇んでいるのでした・・・。
 
 
 
 
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一般には「和紙の里」として知られていますね。別名を、武蔵の小京都と呼ばれているらしいです。
 
 
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そして、駅前にはうなぎ屋さんが何軒もあります、、、名物のようです

これは駅に一番近いところにある、旧い木造建築で有名なお店です

「忠七めし」という、戦前に宮内庁が「深川めし」などと共に日本5大めしに指定した、お茶漬けみたいなご飯もここの名物らしいです。

この駅前通りを少し進むと、国道254号線に突き当たります。川越までを川越街道と呼ばれ、それ以降児玉までが児玉街道、さらに信州街道などと呼ばれながら松本へと至る、江戸時代からの古い往還路です。
 
 
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そんな歴史のある道沿いらしい、旧い旅館のような建物がありました、、、が


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一桁局番のままの、消えかけた看板

街道沿いの商店は、殆どがこんな感じなのです


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HONDAの並びもこのありさま・・・


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非常に凝った、デコラティブな看板建築なども見受けられるのですが


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残念ながら、町としての機能はちょっと厳しい状態です

ただし、駅前にヤオコーがあるので、生活品に困ることはないようです


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唯一、この造り酒屋だけが、広い駐車場まで用意して気を吐いていました

「紙漉き」体験のエリアなどは、また別にあるようですが、今回は見送りました


しかしながら、一番印象に残ったのは、そこに住む人たちの「人懐こさ」・「暖かさ」でした。
ハイキングコースを一生懸命教えてくれた民家のおばちゃん、道行く地元の人たちはみんな笑顔で声をかけてくれます。
竹沢の集落にある重要文化財「吉田家住宅」(1721年築)の近くを歩いていた、腰の曲がったお婆ちゃんは、「あたしのお父さんの家だったのよ、見て言って。」とお話ししてくれました。
すごくいい香りの、おいしいコーヒーを入れてくれた駅前の旧い喫茶店のおばちゃんも、帰るときは外まで出て見送ってくれました。(猫ちゃんも人懐こかったし♪)
 
 
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なんだかとってもあったかい気持ちになれた一日でした
 
 
 

馬込の記憶

 
オリンピックが、2020年に東京で開催されることが決定した時の記事 の中でもご紹介したことがある、一枚の写真。
 
 
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父が撮ってくれた、開業間もないころの新幹線の写真です

この写真が撮られたのは、叔母の家の近く、大田区の馬込付近のはずで、幼稚園くらいの年齢だった赤影は、叔母の家に行くといつも、年上の従弟のお兄さんにせがんで、できたばかりの新幹線を見に行っていた記憶があります。

ただこの場所、叔母の家からも、結構歩いた記憶があります。
叔母の家は雪谷の荏原病院の近くにあって、最寄りの駅は洗足池でした。ですから、行くときは洗足池から叔母の家まで歩いたか、バスに乗って行き、そこから今度は馬込の線路沿いまで散歩に行っていました。
 
 
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そこで日曜日に 池上線を探訪 した折、洗足池と石川台の間にある、この陸橋上の荏原病院へのバス通りを歩いて、南へと街歩きをすることにしました。
 
 
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中々趣のある消防署、隊員さんたちの元気な掛け声が響いていました


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行政が住居表示を整備する以前の、もう都内では珍しい、広告入りのホーロー板

池上線の開業は昭和初期と古く、この辺りは昔から市街化していたため、昭和の町の痕跡が色濃く残っています。
 
 
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荏原病院の向かいには古びた小さな祠、綺麗に手入れされていました


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昔の山の手らしい、質素ながら瀟洒なお屋敷も残っていました


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こんなルートをたどって、新幹線の走るところまでやって来ました


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都内には珍しく、鉄道駅が周囲にないエリアですが、小さな商店街がありました


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確かに、幼いころに新幹線を見に来た場所です


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新幹線に並走しているのは横須賀線です

当時はまだ横須賀線は、東海道線と線路を共用しており、この路線は品鶴線という貨物専用線でした。
 
 
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先日ご紹介した、品川駅構内のポストに、その名前を見ることができます


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当時は簡単な金網程度で、幼児の赤影でも遮られることなく電車を見ることができたように記憶していますが・・・。
今は新幹線側はこんな物々しい状態になっています。こちら側は、都内では異例のJR東海管轄の施設です。(東海道新幹線がJR東海なので)
 
 
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元の貨物線、横須賀線側(JR東日本管轄)も、新幹線に何かあれば責任問題となりますから、物々しい壁ができていました。
 
 
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歩道橋からは良い眺めが望めそうでしたが、ちょうど年末まで、改修工事中でした

ここに上って、真新しい新幹線に心躍らせ、何両も連なってくる貨物列車の貨車の数を、飽きることなく数えていたものでした。
 
 
さて、では写真の場所はどこだったのか?
よくよく写真を見ると、写真の陸橋と思われる撮影地点から先にはもう陸橋はなく、遠くに新幹線が第二京浜(国道1号線)を跨ぐ、馬込のアーチ橋が見えます。
 
少し馬込寄りまで歩いて、その場所に出ました。
 
 
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大田桜台高校横にある陸橋の脇から見たところです

ここから先、地形は一気に下って、遠くに見える馬込のアーチ橋まで、もう遮る陸橋はありません。
この陸橋の中ほどまで行ってみました。
 
 
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架線柱と切通しの擁壁、新幹線の位置に注意して、シャッターを切ってみました


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間違いなく、この場所のようです

金網が当時より目が細かく丈夫なものになっているのと、真ん中の架線柱から、新幹線側にもビームが渡ってしまったため、馬込のアーチ橋が少し見難くなってしまいましたが、半世紀以上の時を超えて、この場所にやって来たのです・・・。
 
 
開業当時、東京・新大阪間は「ひかり」でも4時間(2年目から3時間10分)かかりました・・・。
 
 
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今は「のぞみ」で2時間半前後・・・

2度目の東京オリンピックが近づいてきました
 
 
 

竜宮城追想

 
今日はお盆休み中でしたが、お昼前に1件だけ、面接同行で相模大野まで行く用事がありました。
所用を済ませて小田急相模大野駅に戻ると、なぜかフラフラと下りの快速急行・藤沢行きに乗ってしまい・・・。
 
 
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流れ流れてたどり着いたのは・・・


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タイやヒラメやギャルが舞い踊る竜宮城!?


いや〜、片瀬江ノ島行の電車、ネクタイ締めた疲れたオジサンの向かい側、車両の端から端まで、一人残らず全部ギャルでしたよ、、、
 
 
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小田急電鉄・片瀬江ノ島駅(昭和4年竣工)

まるでテーマパークのような見た目から、年齢不詳に思われがちですが、小田急江ノ島線開業当時からの歴史の証人です。
小田急で開業時からの駅舎が残っているのは、以前この書庫でも取り上げた、向ヶ丘遊園駅北口 とここ、片瀬江ノ島駅だけになっています。
(小田原線の方が開業が昭和2年と、2年ばかり早いので、向ヶ丘遊園駅舎の方がちょっとだけ先輩です)

先般、駅舎の一部が都市計画道路にかかることから、2020年東京オリンピックまでに駅舎の建て替えが行われることが発表となり、今日、訪ねた次第です。
(江ノ島は1960年東京五輪でもヨット競技会場となっています)
 
 
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かつて、海水浴が夏の国民的レジャーだった名残を感じさせる広いホーム

夏季シーズンになると、新宿から直行の臨時海水浴快速急行「ちどり」など、たくさんの列車が満員の乗客を乗せて、このホームに発着していたのです。

夏休み・お盆休みのハイシーズンでも今は、10分おきの各駅停車と、たまにロマンスカーが来る程度で、かつての隆盛はありませんが、それでも駅前は、海に遊びに来たたくさんの若者たちで賑わっています。
 
 
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よくよく見れば、木組みの上屋など、開業時からのディティールが残されています


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駅舎から外れたこの部分、今は自動改札の一部になっていますが、かつては多客時の臨時改札だった部分です。
 
 
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最近はあまり開いているのを見ない、臨時切符売り場

ハイシーズンや、藤沢・江ノ島の花火の日には必須の設備でしたが・・・

ICカードが主流になった現代、もうここが使われることはないかもしれません


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米寿を迎えるこの窓は、どんな風景を映し出してきたのでしょう・・・




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江ノ島のランドマークが一つ、もうすぐ役目を終えようとしています
 
 
 

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